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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十二話 罪科
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 この虎の彫刻はあまりに見慣れていて、見間違う筈が無かった。

 それがどうしてここにあるのか、これを持ってきたのは何者なのか、そして持ち主はどうなったのか――疑問点は多く、重大だった。

「仲春、これ…朔夜は…」

 華耶が震えるのも無理は無い。先に震えが襲っていたのは自分なのかも知れない。

「龍晶、どうした」

 声に振り返る。先に現れたのは燕雷だった。

 何から説明すべきか、言葉に詰まる。

 その様子を見、龍晶の手に握られたままの短刀に目をやって、燕雷もまた驚きを含んだ声を上げた。

「あれ?これ、朔夜の?」

 頷き、今の状況を説明する。

「これを持って来た者が今から来る。それが哥王の縁者と名乗っているらしい」

「はあ?もう少しまともな嘘を吐けば良いのに」

「嘘かどうかはこれから確かめる。その前にこれを相談しようと思ってお前を呼んだ」

 言いながら舎毘奈からの書状を渡す。

 燕雷が書面に目を落としている最中に、その男は現れた。

 そこだけ闇が凝り固まったかのようだった。

 真っ黒な装束。頭にも頭巾を目深に被り、長い黒髪が更に顔を隠している。

 見るからに怪しげな風体に呆気に取られた。

 ある種の危機感を感じて龍晶は華耶に隠れているように囁く。彼女は不安げな視線を残して十和と共に幔幕の奥へと去った。

 男がついに眼前へとやって来た。

 王と対峙しても跪くでもなく立ったまま、黒髪の奥から冷たい視線を投げ掛けるだけで名乗りもしない。

 龍晶も口を開かず男の出方を待った。だが半分は空気感に呑まれていたに過ぎない。

 只者ではないのは確かだった。

 最初に口火を切ったのは燕雷だった。

「誰かと思えば…紫闇か」

「知っているのか?」

 龍晶が驚いて問う。頷いて、置かれていた短刀を手に取った。

「道理でこの短刀が届く訳だ。皓照が朔夜の元に送ったのがこの男だよ」

「朔夜は!?あいつは無事なのか!?」

 思わず何よりも問いたい事を食ってかかるように問う。

 初めて男に表情が浮かんだ。

 嘲笑だった。

 氷を当てられたように龍晶の必死な熱は冷めた。

 確かに他人から見れば可笑しいだろう。王たる者が、血縁でもない人間の行方にこうも必死になり声を荒らげるのだから。

 しかも、朔夜は罪人だとこの男は知っている。

 首を刎ねるべき者の無事を心配するなど無駄だと、そういう笑いだ。

「どうなんだ、紫闇。知っているんだろう。わざわざあいつの刀を持って来たりして」

 燕雷が改めて問う。

 男は歪めていた口を開いた。

「あいつは今、お前の軍の陣に居る。生死は知らん。尤も、殺しても死ぬ奴じゃないだろう」

 二人は顔を見合わせた。

「確かめて来よう」

 燕雷が立ち上がりかけるのを龍晶は止めた。

「いや、使者が来るのを待とう。お前はここに居てくれ」

 問題はこれ一つではない。

 紫闇はさも思い出したかのように付け加えた。

「ああ、刀を持って来たのはあの小僧に頼まれたからだ。自分は死ぬ気だから戔王に預けろと。利き腕が動かない中で戦場に突っ込む馬鹿をしたからな」

「何だと!?」

 怒鳴るが、目の前の男を責めても意味は無い。

 確かに報告には上がっていた。村を襲った時、子供の代わりに己の手を切り付けた事。

 その傷がまだ癒えていないのか。

「あいつの治癒力が落ちているのか」

 燕雷の問いに、紫闇は肩を竦めた。

「さあな。治せば治ったかも知れないが、奴の右腕を殺したのは俺だ」

「は…何故!?」

「怒るな。向こうから吹っ掛けてきた喧嘩を買ってやっただけだ。あまり自由にされると面倒だしな」

 朔夜が喧嘩を売るとは考え難い。ならば、この男が言っているのは悪魔の事なのだろう。

 その傷を負ったまま戦地に行った。死ぬつもりで、返さねばならないこの短刀を託して。

 無事では済んでいないだろう。

「…朔夜の事は分かった。もう一つ、お尋ねしても宜しいか」

 龍晶が口調を改めた。眉を顰めて燕雷が振り向く。

 その視線の先で、王が(きざはし)を降り庭に降り立ったので、燕雷は更に訝しんだ。

 同じ目の高さに降り、更に膝を地に付けて怪しい男を見上げる体勢となる。

「おい龍晶!」

 流石にこれは由々しき事態だ。王が他人に対して膝を屈してはならない。

 立たせようと駆け寄ったが、本人にはそれなりの理由があった。

「騒ぐな。立っているのが辛いだけだ。それに、これなら顔が見えるから」

「顔…?」

 つられて燕雷も男の顔を見上げた。

 確かに正面からよりは見え易い。野郎の顔など興味が無くて見ようと思った事が無かったが。

「矢張り、似ておられますな」

 龍晶の呟きに、また驚いて振り向く。

「誰に」

「こちらが名乗られた通りだ。哥王の縁者…双子の弟君であられますね?」

 紫闇はおもむろに地面に座り、龍晶と目線の高さを合わせた。

「今は跪かれる立場じゃねぇからな」

 言いながら、顔を隠す為に被っていた頭巾を取る。

 哥王に会っていない燕雷はまだ信じていない顔だ。

「いや龍晶…この男は傭兵だぞ?そんな高貴な御仁な訳がない…」

「今はそうでも、百年前は王だったお方だ」

「ただ戦で敵を殺していたら、王に祭り上げられたというだけの話だ」

 紫闇自身の言葉に燕雷は顔を顰めて黙った。

 信じ切れはしないが、その力を知るが故に納得はした。

「そのような方が、何故に朔夜に近付かれたのです?姉君は確かに朔夜にあなたを探すよう頼まれたが、その為に姿を現したとは思えませんが」

「やっと本題に入れるな」

 紫闇はそう前置いた。ただ刀を届けに来た訳ではないようだ。

「哥の騒動については知っているな?」

 知っているも何も、今その報せを受けたばかりだ。そこへ測ったように現れたのがこの前王なのだ。

「王の腹心が捕らえられたという報せを今、受け取ったのです。その腹心とは香奈多(カナタ)殿で間違いないですね?」

 出来れば間違いであって欲しいが。

 その確認には触れず、紫闇は吐き捨てた。

「書状とは不便なもんだな。それはもうかなり前の事だ。事態はもっと深刻になっている」

「では、姉君が…?」

「まあ、元々軟禁されてるようなもんだったが。今は大臣の兵に囲まれている。人質同然だ」

「何故そんな事になった?俺達が哥に行った時、王はえらい慕われようだったのに」

 燕雷の問いには龍晶が答えた。

「大臣を失脚させようとした事が失敗し、大臣はそれを逆手に権力を全て己のものとしようとしている。そうですね?」

「元々ひびの入っていた双方の関係が、お前達が現れた事で決定的になった。大臣は香奈多の(たくら)みが有ろうと無かろうと、同じ事をしていただろう」

「それは…申し訳ない」

 戔の為に動いた事が、哥王を危機に陥れるとは、当然思いもしなかった。

「時間の問題だったんだよ。それよりお前は哥王へ協力する気があるか?」

「無論です。責任は取らせて頂きたい」

「そんな大きな口を叩けるほど力は無いだろうが。今から戔軍が哥に攻め込むって言うならともかくな」

「それは…」

「出来んだろう。お前自身は無力だが、その代わりにあの小僧を貰う」

「…朔夜を…!?」

「奴もひ弱だが少なくとも力は使える。欲しいのは戦力だ。一人で国軍に対抗出来る程のな」

 即答は出来なかった。

 否、答えなど求められてすらいないのだろう。例え止めてくれと懇願しても聞き入れられそうに無い。

 彼は許可を求めに来た訳ではない。これは予告だ。

「…朔夜にはもうそれを?」

「いや。奴はここで死ぬつもりだったからな。そんな奴に言っても無意味だろ」

「つまり、あいつは生きているという事ですね。あなたはそれを見通している」

「ああ」

 哥王と同じ能力を彼は持っているのだ。

 だから見計らって今、ここに来たし、龍晶が哥王と顔を合わせた事も知っていた。

「ならば朔夜は再び哥に行かねばならぬ運命なのでしょう。ただ、一つ個人的な願いを聞いて頂けますか」

「何だ」

「哥へ行く前に会わせて下さい。どうしても話がしたい。また会えるとは限らないから」

 ふと、紫闇の目に情が宿った。

 その目は美しく優しい彼の姉によく似ている。

「ここはお前の国だ。好きにしろ」

 頷く。哥の状況は一刻を争う。出立は急ぎたいだろうが、それを譲ってくれた事は有難かった。

 用は終わったとばかりに立ち上がった紫闇を、龍晶は早口に呼び止めた。

「今一つ、お訊きしたい事が」

 面倒臭そうに振り返り、黙って先を促す。

「香奈多殿から聞いた事ですが…あなたが追っている組織の正体、教えて貰えませんか」

「分からんな、何の事だ」

 鼻で笑って返される。空とぼけられているだけだ。

「この国の前皇后、そして前王である我が兄を操り支配しようとしていた組織です。王として看過は出来ません。教えて下さい」

「身内の仇討ちか」

「戔の為です」

 言い切ったが、果たしてどちらが正しいのか。

 兄を追い込んだ組織が本当に存在するのなら許せる筈が無い。そしてまた何らかの手段を使ってこの国を狙う危険がある。排除せねばならない。

 紫闇はやおらしゃがみ込んで若き王に顔を近付けると、噛んで含めるように告げた。

「それを教えてやるには百年早ぇよ。やる事やって死んでも良いってなら訊きに来い」

 立ち上がった男の影を見詰めながら、何も言えなかった。

 これを知る事は命と引き換えとなるのだ。触れてはならない闇。

 その覚悟は無い。まだ生きねばならないのだから。

「ああ、そうだ」

 去り際に背中を向けたまま、闇を纏った男は言った。

「俺の正体は黙っておけ。特にあの金髪野郎にはな。言えば命の保証は出来ねぇぞ」


 眩しさで目を覚ました。

 木々の梢の間から、正中に昇った日の光が直に顔を叩き付けている。

 また寝過ごした。任務は終わったんだっけか、牢に帰って良いんだっけ…と寝ぼけた頭で考える。

「目覚めたか」

 横からの声で一気に現実に戻った。

「なんで居る…!?」

 乾いた口で掠れた疑問を口にする。

 ここが繍だろうが何処だろうが、横に居る筈の無い人物。

「分かるだろ、あの餓鬼のせいだ。王になってますます図に乗りやがって」

「あいつの悪口言うとぶん殴るぞ」

「その体で出来るもんならやってみろよ」

 龍晶の事を思い出したらやっと頭が現実に追い付いた。

 傷の痛みが忘れたい光景を瞼に蘇らせる。

 救いたかった彼はどうなっただろう。あまり考えたくはないが。

「いつからこうしている?」

 こんな所に寝かされているのは月の光に当てて傷を治す為だろうが、見なくとも治っていない事は確かだ。

 そもそも右腕の治りが悪かった。確かに傷は深かったが、そのせいで胸の傷の治りも悪いのだろう。

「三日だ」

 やっぱり、と頭の中で溜息を吐く。

 以前なら一晩で動けるようになった。三日もあれば完治だ。

 破壊の力を集中して使えば、治癒の力は少なくなる。

「三日もここで待ってたのか?暇人だな」

 この顔を見れば憎まれ口が叩きたくなる。

「文句はてめぇの連れに言え。俺はお前に訊く事を訊いたらさっさと帰る」

「何を?それは龍晶から?」

 罪を犯した身の処遇を、本人に訊くと言うのか。

 それだけあいつが迷っているのだろうか。

「首を落とせば良いって言っといて」

「馬鹿。話は最後まで聞け」

「ならさっさと話せ」

 力の無い口喧嘩はともかく。

「お前の身柄を苴が欲しがっている。繍への出兵を待つ事と引き換えにな。行けば恐らく命は無い。どうする」

「…どうする、って…」

 さっさと話せとは言ったが話が早過ぎて付いて行けない。

「戔の幹部連中は喜んで悪魔を差し出す気らしいが、あの我儘な王は密かにお前を逃そうと目論んでいる。燕雷と一緒になってな」

「龍晶…馬鹿だな…」

 見られたくはないが情けなく顔を歪ませる。

「どう考えても俺は苴に行くべきだろ。戔の為にも、あいつの為にもさ」

「そうだな。そもそもお前に選択権は無い」

「だろ?なんでわざわざあんたが訊きに来なきゃならない…」

 言いながら、訝しく感じて父親を見上げる。

「あんたにとってはどっちが良いんだよ?」

 ここでの答えなど意味を成さない。この男が好きなように伝えれば。

 燈陰にとってどちらが都合が良いのか、朔夜には分かり兼ねた。

 憎まれている事は知っている。最愛の人の仇なのだから。

 ならば苴で勝手に死ぬ方が良いだろうとも思う。だがその苴も故郷を奪った仇だ。そんな事は関係ないのかも知れないが。

 答えは意外だった。

「お前、繍を滅ぼすんだろ?」

「…そんな事がまだ出来るとでも?」

「愚問だな。お前は苴繍両国を滅ぼすまで死ねんだろ。その時まで俺達の戦は終わらない」

 冗談を言う男ではないが、これを真顔で言うとは思わなかった。

 この男は己の作った化物を生かさねばならないのだ。その目的が達成される日まで。

 俺達の戦。故郷を守る為の戦いは、まだ続いている。

「そういう事だ。お前に選択権は無い。ああ、それと」

 立ち上がりながら燈陰は言った。

「あの餓鬼は華耶と一緒に近くまで来ているそうだ。会わせろと使いが来た。重罪人には違いないから誰にも見られないようにそこまで行けってよ」

 一体、どの(つら)下げて会えば良いのだろう。

 だけど今更だ。いつもこの情けないツラで、結局は再会してきたのだから。


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