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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第十八話 戴冠
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4

 二日後、空が赤く染まる中、王宮の前に馬車が止まった事を黄浜(コウヒン)が報せに走ってきた。

 すぐに桧釐が飛ぶような足取りで迎えに出る。

 その異変に偶々通りかかった朔夜も気付き、興味に駆られて後を追った。

 やって来た人に心当たりが大いにある。そしてその人に淡い期待と大いなる不安を持ちながら。

 否、自分は彼女に何度も助けて貰った身ではあるので文句は言えない。ただ、その名を聞くと周囲の空気が変に曇る。

 王宮の大扉は開いていた。桧釐の為に開かれたままなのだろう。

 その向こうで嬉しげな声が上がった。

「よく来てくれたな!体は大丈夫か?」

「私を誰だと思ってるの?このくらい何とも無いわ!あなたに会う為なら!」

 やっぱり回れ右して帰ろうかと朔夜は思わず足を止めた。

「朔夜!朔夜じゃない!」

 見つかった。

「良かった、元気そうで!そうよ、せっかく人が心配して北州まで行ってあげたのに、一言の挨拶も無かったわね!?」

 そんな暇は無かったと言いかけて飲み込み、言葉を濁して塩らしく縮こまる。

 言いたい事を言うとふうと息を吐いて、大きなお腹を抱えて桧釐を振り返った。

「あなた、ちょっと寛げる所は無いかしら?大事なこの子の為に休ませて下さいな」

「はい、はい、今すぐ用意させますから!」

 桧釐がばたばたと走り去る。まるで使用人だ。

「いつの間にそんな事になったんだ?」

 朔夜からしてみれば何とも奇妙な光景だ。

 於兎は唇に人差し指を当て、流し目で朔夜を見下ろして。

「そうね、あなた達が哥へ旅立っている間に、あの人の支えになれるのは私だけだった。あとは子どもには教えられません」

「はあ…?」

 子供ではないと否定しないのは聞きたくも無いからだ。

 それより朔夜には重要な事がある。

「燕雷はどうしてる?」

「あら、彼なら」

 言いかけて振り向いた先に、その張本人が馬車から降りてきた。

「俺一人北州に残っても仕方ないから、お前らの顔を見てから灌に戻る事にした」

 説明しながら歩み寄ってくる馴染みの顔に、思わず朔夜は駆け寄った。

「燕雷!良かった来てくれて!」

「ちょっと、私と反応の違いが有り過ぎない!?」

「気のせい!」

 後ろにぞんざいに言葉を投げて、先に言いたい事をまくし立てた。

「頼みがあるんだ!龍晶の為に華耶をここに連れて来て欲しい!お前にしか頼めないから…この通り、頼む!」

 深く下げた頭の上に両手を合わせる。

 拝まれる方は何が何やらだ。

「とりあえず、門前でする話でも無さそうだから中へ入ろうか」

 そうこうしているうちに桧釐がまた走りながら帰ってきた。

「はい!準備できました!どうぞおくつろぎ下さいませ!」

 妻に対する対応として普段の上下関係が垣間見える。

 於兎はにっこりと笑って夫に頷き、二人に向けて言った。

「続きは私の部屋でゆっくりどうぞ。隠し事はしなくて良いからね?」

「いや、あんたは関係…」

「無いとは言わせないわよ!華耶ちゃんの事を男だけで論じるんじゃありません!」

 たじたじの二人に、桧釐はへらへらと笑って部屋へ招いた。

「良いじゃねぇか。貴重な女性の意見を聞いて損は無いと思うぜ?」

 仕方なく四人で部屋に入り、於兎は何の躊躇いもなく全員が見渡せる席に座ると、まだ座り兼ねている朔夜を指差した。

「はい、ちゃんと説明して!」

 ええっ、と嫌そうな顔をしつつ、逆らえないので渋々言われた通りにする。

「華耶に、龍晶の身近に居て貰える女官になって貰えないかと思って…。その…あいつ…龍晶は、兄貴を反乱で亡くして、その上にずっと探してた母さんが死んでた事が分かって、死にたい程に落ち込んでる。だから、その…華耶に側に居て励ましてやって欲しいんだ。あいつ、華耶が好きだから」

 辿々しい説明が終わっても、誰も終わりと気付かず声を発しない。

 それぞれに思う事があり過ぎて、それについて説明不足で、朔夜の言葉をまだ待っている。

 それが分からない張本人が不安になって声を上げた。

「何か言えよ!良いか悪いか、出来るか出来ないか、教えてくれって!」

「…良いも悪いも何も、それ華耶ちゃんが喜ぶと思う?」

「え?」

 全く分かってない顔を向けられて、流石の於兎も眉間を押さえた。

 その誤解を解くべく真顔で燕雷は解説を加えた。

「落ち着け。こいつの言う好きってのは幼児が言ってるのと同義だ」

「はあ!?燕雷それどういう意味だよ!?」

「そのままの意味だよ。寧ろお前に説明して欲しいくらいだよ、好きってどういう意味だ」

「そんなの決まってるだろ!ずっと近くに居たいって事だろ!?他に何があるんだよ」

「それを恥ずかしげもなく言えるのがお前の幼児たる所以だよ!」

 口論しながらも肝心な事は何一つ進んでいない。

「まぁ良いや。話は分かった」

 燕雷は口論を一旦片付けて於兎と桧釐に目を向けた。

「灌で俺は華耶に龍晶の世話をさせた。これ以上の適役が居なかったし、事の成り行きでな。あいつが華耶に惚れてんのは本当だと思う。ま、こいつの手前はっきりとは言わなかったけど」

 言いながら横の朔夜の頭を小突く。

「何すんだよ」

 抗議の声を無視して燕雷は続けた。

「でも二人の関係と彼女の一途さを見ればあいつは引き下がるより無かった。ただの惚れた晴れたの関係…として見るには痛々しかったよ。雪の中で一生分の孤独を噛み締めていた。あいつには他に惚れられる女なんか居ないだろうな、きっと」

「どんな娘なのか是非見てみたいものだな」

 好奇を満面にして桧釐が口を挟む。と、口を閉じる間も無く悲鳴が上がった。

「い、ででで、ずみまぜん!そういう意味ではありませんので、何卒お許しを…」

 於兎は引っ張っていた耳朶を離すと、そのまま矢鱈と真剣な面持ちで発言した。

「あのね朔夜。あなたの優しい気持ちは分かるけど、それって華耶ちゃんには酷な事よ?華耶ちゃんはきっと朔夜の言う事だからって話を受けるけど、それは華耶ちゃんが好きなのはあんただからよ?分かる?」

「でも、華耶はあいつの事、良い人だって言ってた」

「そりゃ言うわよ。あの子は他人を疑う事を知らない。それがあの子の何よりもの美徳だもの。王子様だってきっとそこに惚れたのよ。だから華耶ちゃんは何もかも我慢して王子様に仕える事になるわよ?それでも良いの?」

「我慢じゃないよ。華耶は心から優しくしてくれるよ。俺にすらそうしてくれたから、龍晶ならもっと…華耶も幸せだと思う」

「お前、さ」

 見兼ねた燕雷が朔夜の肩を寄せて小声で問うた。

「その口振りだと、華耶ちゃんがあいつのものになっても良いって聞こえるぞ」

 朔夜は思い切り嫌な顔をして燕雷の手を剥がした。

「ものじゃないよ!俺は華耶が龍晶の奥さんになってくれたら良いと思ってる!ずっと!」

 度肝を抜かれた大人達に朔夜は悲しく言い連ねた。

「そりゃ於兎と桧釐みたいにはなれないよ!あいつの体じゃ無理なのは分かってる。だけど、華耶だって普通じゃないんだ。永遠の命を…俺が持たせてしまった。だから、どうやったら華耶が幸せで居られるか、ずっと考えてたんだ。それには龍晶と一緒になって、この国がある限り生活に困らないようにして貰うのが一番だって思った。哥の王様のようにさ。楽しいとは言い切れないかも知れないし、寂しい思いもきっとさせるけど、でも…龍晶はきっと、永遠に華耶を幸せにしてくれる。俺なんかより、絶対」

 桧釐に目を向けて、確認するように。

「だって華耶はあいつが初めてみとれた人、だろ?」

「うん…それは、みそめた、だな」

 やっぱり間が抜けて、周囲に平常の微苦笑を戻した。

「また話が飛んできたが…でもまぁ、お前がそこまで言うなら後は本人達に問う事だ。野次馬が寄り集まってああだこうだ言っても始まらん。ただな、朔」

 燕雷の視線は射抜かれるようだった。

「こればっかりは誰も喜ばないから確認しておくが、お前はそれを自暴自棄で言ってる訳じゃないだろうな?お前はどの道、華耶ちゃんと永遠を生きなきゃならない義務があるんだぞ?」

「それは…燕雷」

 突然に示された己の未来。

 否も応も言えず朔夜は唸った。

 本当は永遠など欲してない。だが、そこに華耶が居るのなら、自分だけ無責任に捨てる訳にはいかない、未来。

「自棄じゃない。二人の為に言ってる。俺の事はともかく」

 それだけ誓って、立ち上がった。

「あいつの所に戻らなきゃ。時間を食い過ぎた」

 元々後宮に仕え、行き場の無かった宦官を庭や建物の整備の為に雇い戻したので全く目が無い訳ではない。

 だから数日前のような無茶はしないとは思う。が、長い時間離れるのは不安だ。

「俺も行こう」

 燕雷も立ち上がる。それを慌てて桧釐が止めた。

「おいおい、あんた後宮に入る気か」

「あ?ああ…駄目か?」

「良いじゃん別に。俺が良いんだから」

「そういう問題じゃない。って言うかお前は何様だ。お前は特例中の特例なんだぞ?」

「それなら、龍晶が良いって言えば良いんじゃないか?」

「それよりあいつの方から出て来て貰う方が早いだろ?」

「うーん…」

 燕雷の提案に朔夜は上目遣いに考えて、曖昧に答えて動き出した。

「どっちなんだ?」

 悩む燕雷を邪魔そうに押して後をついて行くのは於兎。

「私なら文句無いわよね?」

「えっ」

 朔夜と桧釐のぎょっとした声が重なった。

 後宮に入るのは問題無い。が、龍晶に会わせるには刺激が強過ぎる。

 朔夜は有りったけの意思を目に込めて桧釐に送る。それを受け止めて彼は妻の肩に優しく腕を回した。

「それよりも今は旅の疲れを癒した方が良いだろ?ほら、この子の為にもさ」

「あら、そうかしら?」

「君は今、自分の事を第一に考えるべきさ。後宮はまだ荒れてて体にも良くない。ここで二人きりでゆっくりしよう?な?」

 まんざらでもない表情で引き返す二人。

 その隙に朔夜、そして忍び込む気満々の燕雷は道を急いだ。

「人生とは分からんもんだな、朔」

 足早に歩きながら燕雷はぼやく。

「つい最近まで、二度と足を踏み入れるものかと決めてた国の王宮を、俺は今闊歩してる」

「…確かに」

「考えようによっちゃ面白いもんだよな。簡単に捨てるなよ」

 それは先刻の問いと答えの続きだと気付いたのは、入り組んだ王宮の最奥に着く頃だった。

 その言葉を今最も聞かせたい人が居る。

 忍び込むと言っても止める者は誰も居ない。入ろうと思えばあまりに簡単に入れる禁断の宮だった。

 宦官達が黙々と庭の手入れに勤しむ中、二人は締め切った建造物の前に立つ。

「あ、燕雷、口と鼻を塞いだ方が良いよ」

 自身は三角巾で口元を覆って頭の後ろで結びながら朔夜は言った。

「は?なんで?」

 燕雷の疑問は当然だ。

 事も無げに朔夜は答えた。

「薬の煙を吸うなって、お前には毒だからって、龍晶に言われてる。だからお前も多分吸わない方が良いんじゃないかな」

 燕雷の顔が険しくなった。

「薬って…何の薬だ」

「眠り薬みたいなものらしいよ?芥子の薬だって…」

 それ以上は聞かず、燕雷は中へと踏み入った。

 部屋全体に紫煙が烟る。その元となる香炉を掴むなり、外へ出て来て中身をひっくり返し、足で踏んで火を消す。

 煙は消えた。

「朔、戸も窓も全部開けろ。換気だ、換気」

「え…あ、うん」

 気迫に押されて何も訊けず言われたままに動く。

 その間に燕雷はその部屋の主の姿を探した。

 寝台の上で眠るでもなく起きるでもない、前後不覚の状態で横たわっている。

 その龍晶を燕雷は担ぎ、清浄な空気の元へ晒した。

 驚いた朔夜が追い掛けて出て来る。

「燕雷!?」

「毒は毒だよ。あれは何度もこの国を害してきた毒だ。こんな坊ちゃんなんか一溜りも無い代物だ」

「え…」

 絶句する朔夜の足元の芝生へ龍晶を下ろす。

 地べただと言うのに、己を支える力も無いように倒れたまま。

 正気ではないと察した。

「あれのせいで何人も死んでるのを俺は知っている。都の裏路地でな。体を壊すか、頭を壊して自ら死ぬか、はたまた奪い合いの末に殺すか…そういう薬だ、あれは」

 朔夜は膝を付いて蹲り、龍晶の頬へ手を当てた。

 触れられている感覚も無いのか、何も反応が無い。

 縋る目付きで燕雷を見上げる。

「どうしよう…俺が薬だと思い込んでこいつに毒をやってたんだ…。どうしよう燕雷、こいつ助かる?」

「大丈夫だ。今からでも手遅れじゃない。皆が皆死ぬ訳じゃないからな?そうじゃなきゃ、俺の時代に都の人口は半減してる。どいつもこいつも皆これを吸ってる流行りようだったから。それがまさか王族にまで及ぶとは思いもしなかったが」

「龍晶は騙されてたんだよ、きっと。良い薬だって教えられてたんだ」

「それはどうかな…」

 燕雷はそれ以上言及しなかったが、朔夜に毒だと言っている以上、龍晶はその正体を知っていたと思われる。

 知っていて欲したのは、どんな手段を使ってでも楽になりたいと願ったからか。

 一度その禁断の手を使えば、そこから逃れられなくなる。それも分かっていたのか。

 尋問したい所だが、今は何をしても無駄だろう。

「これじゃあ、先刻の話もご破算だな。仕方ないだろ、朔」

「うーん…駄目かなぁ」

「こんな姿見せられるか。好きな女に」

 燕雷は一蹴して再び龍晶を担ぎ上げた。

「どうするんだ?」

「知らん。が、とにかくここには置いておけんだろ」

「あの薬をもう持って来なきゃ良いだろ?」

 燕雷は一度立ち止まり、後を追う朔夜を待って低く脅すように告げた。

「そんなに簡単な問題じゃないぞ」

「…え?」

「お前、世話してやれるか?否、お前だけだ、看てやれるのは。責任持てよ」

「え…それ、重い…」

 燕雷は片頬で笑ってまた進み出したが、目は笑っていなかった。

「なんで燕雷はそんなに知ってるの?」

 再び追い掛けて朔夜が問う。

 異空間との境を潜りながら、彼は答えた。

「言ったろ、俺が若い頃…まだ人としてこの街に居た時は皆狂ったようにあの薬をやっていた。俺は地方と都を行ったり来たりする身分だから傍目に見てただけだが…。馬鹿な友人達は大体あれに殺されたよ。その経緯を聞かされたり見たりしてただけだ」

「そんなに危ないもの、なんで…」

「金の無い田舎者が売るからさ。これは金色の夢を見られる薬だと言ってな。日々の生活に倦み疲れた都の人間共はこぞって買うんだ。それが都に蹂躙される地方民の復讐とも知らずに」

 遅れがちだった朔夜の足はついに止まった。

 怒りと悲しみの置き場の無い顔で。

「その人達を助けようとしたのが龍晶なのに」

「…そうだな」

「おかしいよ、この国」

「ああ」

 それをずっと伝えてきた燕雷は、再び戻ってきたこの場所で、悲観はしていなかった。

「だからこそ次にこいつが目覚めたら、この国は変わるだろ?俺はそう思う」

 朔夜は暫しじっと燕雷と、その肩で力無く背負われている龍晶の姿を見詰めて。

「…うん。俺もそう思う」

 腹を括った。龍晶も、この国の民も救おうと。

 そしていつか近い将来、華耶に見せるのだ。

 幸せなこの国の姿を。

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