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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十二話 罪科
47/71

6

 義兄の診療の為に、祥朗は後宮と医院のある救民街を行き来するのが日課となった。

 基本は兄の側に詰めている。が、薬の調達や師から助言を求める為に表へ出ねばならない。

 それは表の人々から見れば王の元へ直接連絡の出来る貴重な人物であり、何かと伝言を頼まれるようになった。

 無論、祥朗は口が利けぬと誰もが知っているし、油を売る時間も無いので、官吏らは王への手紙を書いて祥朗に持たせる。

 それを受け取った彼は後宮へ戻ると直接兄には渡さずに義姉へと預ける。龍晶へ聞かせる情報を精査する為だ。

 華耶はそれを自ら提案した。夫を守る為に。

 それ以外に他意は無いのだが、それは知らず知らず手の内に握った権力だった。

「今日は良い報せがありますよ」

 龍晶の意識がはっきりとする僅かな時間に華耶は受け取った手紙を読む。

「金鉱山で新しく掘った坑道から金が出始めたそうです。上手くいけば、お爺さまの頃のような金が採掘できそうだと、北州から報せが来ています」

「…うん」

 聞く龍晶は微かに微笑んで、小さく頷く。

 何を聞いてもそれだけで十分だった。何も口にする必要は無く、口を出した所で誰かに迷惑をかけるだけだった。

 それでも今日は一つ、我儘を言わねばならなかった。

「都を出たい」

「…え?」

 唐突な申し出に華耶が面食らうのも無理は無い。丁寧に言い直す。

「これ以上華耶に迷惑をかけたくないし、俺がここに居続けても意味が無い。だから南部の別邸に移ろうと思う」

「迷惑なんて、なんにも無いですけど」

「うん。自覚の無いうちに奴らから離れた方が良い」

「奴らって…」

「居るだろ。目的を隠して擦り寄って来る奴らが」

「頼んでもない贈り物をしてくる人たち?」

「そういう事だ」

「今後は受け取りませんのでお構い無くとお返事してます」

「面倒だろ、それも」

 華耶は夫をしげしげと見、そして訊いた。

「このお引越しは、あなたの為だよね?」

 今の体は、移動自体が大きな負担となる。

 それ故に、龍晶自身の為にならないのであれば了承はしない、と。

 それは華耶の后としての覚悟であった。

「…朔夜に会う為だ」

 真実を告げざるを得なかった。

「朔夜に…会えるの?」

 龍晶は頷き、遠くに視線を投げた。

「俺達はあいつに会わなきゃならない。これが最後になるかも知れないから」

 華耶は俯き、恐る恐る訊いた。

「やっぱり…苴に行ってしまうの?」

 龍晶は即座に否定した。

「いや。そうさせない為に会う必要がある。俺は自分であいつを説得したい。生きる道を選べと」

 じっと、華耶は夫の顔を見つめた。

 願いは共に、それ一つだった。

「俺は死ぬのに、あいつに生きろと言うのは無責任かな」

 龍晶は呟いた。

「なんでそんな事言うんですか」

 少し怒ったような声に、思わず微笑んで。

「済まん。お前が俺を生き永らえさせる為に努力してくれている事はよく分かっているし、感謝している。だけど、それは俺にとって過ぎたる幸せなんだ。幸せが過ぎると、明日にでも死んでしまいそうな気がする」

「私は当然の事をしているだけですよ」

「じゃあ俺はこう言おう。華耶がこうして隣に居るだけで、俺は死ぬ程に幸せだ」

「もう…仲春ったら」

 呆れたように笑うが、華耶の微笑みも十分に幸せなものだ。

「早く病を治してください。そうしてお仕事が出来るようになったら、私はこうして四六時中お隣りには居られませんから、陛下は長生きできますよ」

「そう来るか」

 甘い苦笑を鬱々とした現実に溶かして、龍晶は言った。

「春音に名を授けたい」

 華耶は戸惑いを色に出して問い返した。

「もう?あなたは五歳の時だったんでしょう?」

「ああ。だが俺が都を出る事で勘違いする連中が居るかも知れないからな。世継ぎは定めておきたい。皆を呼んでくれるか」

「皆って、桧釐さんもですよね?」

 傍目にも溝の深くなった二人の関係を思い、華耶は念押しして訊く。

「勿論。あいつが後楯になる訳だから」

 安心して華耶は頷き、立ち上がる。

 部屋の外に控える女官らに指示して、華耶はそのまま立ち尽くした。

 晩秋の空は重く、今にも泣きそうな。

 実はこのまま生命の光を失おうとしているのではないだろうか。

 だから、春に芽吹く種を、今。

「…違う」

 種が芽吹くとしても、それはずっと先の春だ。

 諦めてはいけない。諦めさせてはいけない。その為に自分が居る。

 華耶は踵を返した。


 誰よりもまず姿を現したのは当の春音を抱いた於兎だった。

「もう名付け?早すぎない?」

 華耶と同じ問いを口にする。夫婦は苦笑いで応じる。

 これから来る全員が同じ疑問を口にするかと思うと、いちいち説明する気にはならない。

「私達、南部で療養するつもりなんですけど、於兎さんはどうします?」

 華耶が気を遣って話を逸らした。

「この子はどうするの?」

 腕の中の赤子を少し持ち上げて訊く。赤子には乳母が共に居なければならないのは明白だ。

「出来れば共に行きたいが」

 言葉少なに龍晶が頼んだ。

 己に残された時間を、次代を担う我が子と出来るだけ共有したいのだ。

 於兎は実母だけに話は早かった。

「なら、私も行きます。でもどのくらい?何年もうちの人と離れ離れは流石に困るわ」

「ほんと。桧釐さん寂しがっちゃう」

「そうそう。ただでさえ殆ど別居状態なのに」

 於兎は春音が産まれてから後宮に寝泊まりしている。夫も夫で執務室にほぼ篭りきり、夫婦が顔を合わせるのは数日に一度ほどだ。

 お陰で夫婦仲が保たれているのかも知れないが。

「どのくらい行きます?」

 対照的に近ごろ一日中べったりな二人が顔を見合わせる。

 もう目を見るだけで意思疎通が出来るようだ。

「とりあえず、冬の間でどうですか?」

「良いわね。ここの冬は寒いもの、南国育ちには堪えるわぁ。南部はあったかいんでしょ?」

「そうなの?」

 於耶の言葉を華耶が龍晶に問う。彼は頷きはしたが別の事を考えているようだった。

 外で軽いざわめきが聞こえ、程なく男達が姿を現した。

 桧釐とその側近達、政の中心を担う高官ら、そして何気なく燕雷がそこに混じって来ている。

 燕雷はこの急遽の一大行事に臨席するつもりは無かっただろうが、龍晶が呼んだ。

 春音とこの国の行く末を最後まで見届ける事が出来るのは、華耶と燕雷だけだから。

 本当ならそこに朔夜も居る筈だった。

 その約束があったから、この国の成り行きをあいつに託すつもりで未来を想像していた。

 今その前提が崩れて、未来を見失っている。

「本当に陛下は周囲を慌てさせるのがお好きですな。一体どういう風の吹き回しなのか、説明して下さいよ」

 歩み寄るなり桧釐が皮肉たっぷりに言う。

 売られた喧嘩を買う余地は無く、龍晶は背を向けて寝台を降りた。すかさず華耶の手が支える。

 数歩の位置にある椅子へ覚束ない足取りで時間をかけて座る。卓に向き合えば女官が筆記具を捧げ持って来て支度した。

 その様を見れば桧釐のぶつけた疑問の答えを誰もが予感せずには居られなかった。

 この人はもう長くない。少なくとも本人はそう自覚している、と。

 着席して、真白な紙を前にしても尚、龍晶は筆を取らず瞼を閉じて動かなかった。

 そして一言、桧釐に告げた。

「俺は穣楊(ジョウヨウ)に移る。その前に後継を正式に決める為、名を定める事にした」

 穣楊とは南部で最も栄える都市の名だ。

 王家の別荘があり、気候も穏やかである為、冬を越すには丁度良い。

 勿論、この都から近いとは言えない。

「となると、政は実質的に放棄するという訳ですか」

 険のある口調で桧釐が聞き返した。

「今もそうだろう」

 静かに龍晶が返す。

「今は我々が陰ながらお支えしているに過ぎない。民は今の平穏をあなた様の力であると信じています。穣楊に行ってしまっては民が失望しましょう」

「別に俺が無力だと喧伝しても良いだろう。隠す事は無い」

 桧釐は不満そうに鼻から息を吐いた。

「解ってない」

 呟きに龍晶は瞼を開く。

 言いたい事があるなら言え、と目で促す。

 今更遠慮する間柄でもない。桧釐は一息に捲し立てた。

「今、この国は新たな王への期待で保っているようなものだ。現実は問題だらけなのに、民はあなたへの期待があるから喜んで年貢を出してくれている。民を失望させてはなりません。この国が立ち行かなくなる」

 龍晶は暫し虚空に視線を漂わせていた。

 自分の言葉など耳に入らず、またあの病が再発したのかと桧釐が溜息を吐く。

 が、聞いてない訳ではなかった。その代わり、溜息をもっと深くする一言を呟いた。

「それならそれで良いだろ」

「陛下!」

 嗜める怒鳴りに負けず、龍晶は睨み返す。

「民に現実を知らせて何が悪い。騙し続ける事は出来ない」

「騙す訳ではありません!あなたが期待通りに働けば良い!」

「ああ、そうだな」

 目を逸らし、沈鬱な返答を聞いて猛烈に後悔した。

 これでは身を削り尽くして働いてしまう。

「良いじゃない。その為の療養でしょ?」

 緊張した会話に口を挟む於兎の癖は、今回ばかりは夫を助けた。

「この冬の間はゆっくり休んで体を治して、春になったらこの子の為にしゃかりき働いて貰いましょ」

 ぐいと目前に赤子を差し出される。こうなるともう彼女の独壇場だ。

「さ、本題。名前はどうするの、王様」

 龍晶は子、実母、母たる妻の順で顔を見た。

 於兎ではなく、華耶に促されなければならない。あくまでこの子の母は華耶だ。

「陛下、お願いします」

 優しい顔と声のお陰で、やっと筆を取れた。

 『龍』、王となる者に与えられる字。

 この字を父から一人の子へと与える事で、後継は定まる。

 その大原則を乱せば、世は乱れる。

 先代の兄のように。

「…陛下…これは…」

 王の書いた字を見て、桧釐が唸った。

 『龍起』、浮かした筆の下にはその二文字があった。

「なんと読むのですか?」

 華耶の素朴な問い。応えたのは桧釐の剣呑な声音。

「リュウキ、ですか。あの王と同じ」

 龍晶は黙って頷いた。

「どうしてよりによって…。悪い冗談ならお辞め下さい」

「そんな訳無いだろう」

 静かな怒りを孕む返答。それに怯まず桧釐は畳み掛けた。

「冗談ではないなら尚更お辞め下さい。民に混乱を招く。それどころか、思い出したくないものを思い出す者も大勢居るでしょう。無論、俺もその中の一人です」

「忘れてしまえるのか、お前は」

 蔑みも羨望も入った、そんな呟き。

「簡単に忘れてしまえる程、どうでも良い事だったのか、あの戦は」

「…何を…」

「あの戦を忘れた時、同じ苦しみをまた繰り返す。それでも良いのか」

「そんな事は有り得ない」

「どうかな。お前じゃない誰かがやるかも知れないだろう」

 桧釐との話を遮るように、華耶に顔を向けて。

「これは亡き兄…俺が葬った兄と同じ名だ。もう二度とあんな事が起きぬよう戒めを込めた名だ。それでも良いだろうか」

 許可を得るべきは、この子の母一人なのだとばかりに。

 華耶は即答せず、問い返した。

「それであなたは苦しみませんか?」

 龍晶は頷いた。

「ならば私は賛成です。良い名だと思います」

「お待ち下さい皇后様。良いのですか。死者の名ですよ」

「ええ。私は陛下のお話に聞く義兄上しか存じませんが、そこに義兄上は生きておられますから」

 華耶の言い分に桧釐は少し顔を顰めた。

 彼女は寂しそうに笑って、言い足した。

「亡くなった人は、生きている人に忘れられてしまった時に、二度その存在が消えてしまいますから。だから名を継いで覚えておくのは良い事だと思います」

 桧釐は顰めた顔を緩めず、一同を見回した。

「俺は賛同できん。皆もそうだろう」

 重臣達はどちらに逆らう事も出来ず戸惑うばかりだ。

 それを見て更に苛立った桧釐は言った。

「どうして我が子に仇敵の名が付く事を許せますか。お察し下さい」

 聞いた龍晶は、意思がすっと冷めるかのように顔色を変えた。

「…そうか」

 呟き、口元に手を当てて暫し黙って。

 解ってくれたかという希望を桧釐が持ち始めた時。

「お前の子だと言い張るのなら、俺はこの子を返さねばならぬな」

 ただし、と低く、釘を刺すように。

「それはこの国の滅亡を意味する。解っているだろうが、よく考えて欲しい」

 呆気にとられて桧釐は言葉を失った。

 そんな夫に変わって、於兎がきっぱりと告げた。

「この子は、誰が何と言おうと華耶ちゃんと王様のお子です。だからあなたが父親が付けた名前に文句を付ける筋合いは無いわ。龍起様、乳母をこれからもよろしくね」

 初めて名を呼ばれた赤子は、於兎が高く抱き上げるときゃっきゃと楽しそうに笑った。

「燕雷」

 これまで他人事で事の成り行きを眺めていたが、王に呼ばれて初めて壁に持たれていた背中を伸ばした。

「十年後、この子に聞かせてやってくれないか。何故この名が付いたのか」

「どうして俺が。自分でやれよ」

 当然のように返した一言が、一同に妙な緊張を齎した。

 十年後、この人は。

 その時、この国は。

「いや…お前が適任なんだ。この国の過ちをお前は全て知っているから。百年前から話してやって欲しい」

「ああ、そういう事…って、そんな長話をこいつが大人しく聞いてくれるとは思えねえけどなぁ」

 なんだか拍子抜けした空気。

 当たり前ではある。未来は誰にも分からないのだから。

「さて桧釐、南に行く支度を進めてくれるか?」

 何も言えないでいた従兄に当然のように振ると、諦めの溜息を吐かれた。

「全く、王様というのは身勝手で良いですな!」

 悪口を鼻で笑い、しかと目を捉えて。

「お前を信頼している。後は、頼む」

 その意の重みに、桧釐は頷くより無かった。

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