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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十一話 責任
33/71

2

 その日は道を西へ転じ、北州の隣、啓州(ケイシュウ)へと向かった。

 砂漠に近い道は乾いた風に砂を含み、口を開ければ砂を噛む事になる。

 不快な感触に耐えられず、口数は減り、ついには黙々と馬を進める。

 やっとの思いで街に着いた時には、日が暮れようとしていた。

 役所の視察は明日にして、宿へと馬を回す。

 この州の有力者が屋敷を宿として提供するというので言葉に甘えた。

 広い屋敷は数十人の護衛兵も苦もなく泊まれる。その中でも一等広く高級な客室に龍晶はさっさと収まった。

 どうも空咳が止まらない。乾いた空気が喉を刺し、砂が肺にまで入り込んだような感覚だ。

 ようやく途切れた咳の合間に息を継ぎ、溜息のように深く吐き出してぐったりと椅子に凭れた。

「こういう時は蜂蜜だよ。ほら、これ」

 華耶が差し出した杯は、独特の匂いのする湯が入っていた。

「これが蜂蜜?」

「なに、知らないのお前?」

 横からお邪魔虫の朔夜が割って入る。

 少しむっとして、龍晶は友を睨んだ。

「知ってはいる。山間部に伝わる薬だと書物で読んだ。実物は見た事が無い」

「ははーん。街育ちのお坊ちゃんだから」

「煩いな」

 罵りながらもまた咳が出て、息が足りず涙が出る。朔夜が笑いながら背中を摩った。

「ほら、文句言うからバチが当たる」

 涙の溢れる目で睨んで、苦しい息を整える。

 落ち着いた所で華耶が言った。

「屋敷の人に頼んで作って貰ったの。蜂蜜を白湯に溶かしたもの。飲んでみて」

 愛妻には礼を言って、杯を受け取り口に含む。

 確かに喉に蟠る悪いものを洗い流してくれそうな清涼感がある。それでいながら、甘い。

 城に戻って子らに分けたら喜ぶだろうなと思った。

「梁巴ではそれぞれの家に蜂の巣箱を作ってたから、いつでも蜂蜜があったんだ。風邪を引いたら舐めさせて貰えるんだけど」

「風邪でもない時にこっそり舐めたら怒られるよな」

 華耶の思い出を朔夜が引き継いで笑う。

「貴重なものなのか?」

「うん。麓の街から来た行商人に売ったり、山の民と交換したりしてた。街では高く売れるんだって」

「へえ…」

 そういう物が都に伝わって来ないのは、ただ単に馴染みが無いからだろう。もしくは、城の中に居た自分が世間知らずなだけなのかも知れない。

「梁巴の事なんだけどさ、朔夜」

 ふと思い付いた、と言っても以前から頭の片隅にはあった考えを龍晶は口にした。

「一度、行って見て来ないか?」

「え?」

 朔夜には意外な提案であったらしい。先刻まで小憎たらしく笑っていた目を丸くした。

「気にならないか?今どうなっているか」

「え…いや、ううん…」

 言葉を濁しながら、華耶の表情を窺っている。

 彼女はきっぱりと言った。

「父さん達のお墓を作らなきゃ」

 その一言で目が覚めたように、朔夜は態度を改めた。

「そうだ。行かなきゃ」

 華耶の一言の効き目に笑って、龍晶は思う所を説明した。

「梁巴に調査隊を派遣しようとは前から考えてはいた。繍苴が勝手に戦で取り合いはしたが、結局どの国の領地かは決まってないだろう?戔にとっても隣接地帯ではあるし、皇后の故郷ともなれば放っておく事は出来んからな」

 椅子の後ろに立つ朔夜を見上げ、真顔で問う。

「無理にとは言わないが、お前が一番の適任だ。行ってくれるか?」

 頷きかけて、思い直したように首を横に振った。

「駄目か」

「駄目って言うか…」

 華耶が父の墓を作りたいと言うなら、自分も母親の弔いをせねばならないと思った。

 それを考えただけで駄目だった。怖くなった。

 その場に立つ自分は、果たして正気で居られるのか。

「駄目なら断ってくれて良いけど」

 さして失望の色を見せず龍晶は言った。

 朔夜が渋る理由を解っている。

「いや…華耶の願いは叶えたいから。でもちょっと時間が欲しい」

 いつか、心の整理がついたら必ず行こうと思った。

「ああ」

 短く龍晶は応え、華耶に向け微笑む。

「確かにこれは効くな。咳が止まった」

 蜂蜜湯の入っていた杯を空にして返すと、華耶も嬉しそうに微笑んだ。


 何かに言わされている感のある歓迎の挨拶を受け、役人達の型通りの歓待もそこそこに、王は自ら過去の年貢について調べ始めた。

 勿論、桧釐や燕雷も共に帳面を手繰っている。その周囲を朔夜、宗温と護衛兵が囲み、更にその外で地元の役人達がおろおろと様子を窺っている。

 少し調べれば帳面の矛盾はすぐに見つかった。国に納められた穀物の量と一致しない。

「あーあ。隠すつもりも無いんだな、こりゃ」

 燕雷が半笑いで数量の書かれた箇所を指差す。

「まさか調べが入るとは思わなかったんだろう」

「それか、悪気も無く悪事を働いていたかでしょうな」

 何にせよこうして私腹を肥やしている輩がこの役所内に居るのは確かとなった。

 あとはこの証拠を突き付けて尋問するより無い。その役目は宗温が請け負った。

 その間、気分転換も兼ねて街の様子を見て回る事にした。薄暗い役所に篭りきりで書面を眺めてばかりでは気が腐る。

 龍晶が歩こうと提案した。馬に乗っては、市民を見下ろす事になるから、と。

 街道への道を歩きながら、伝えそびれていた事を桧釐に言った。

「朔夜を梁巴に派遣しようと思う」

「はい?」

 桧釐には全く思ってもみない事だった。

 意味が分からないとばかりに聞き返される。

「だから…梁巴が今どうなっているか、朔夜に調べさせようと思うんだ。出身者であるこいつ以上の適任は居ないから」

 後ろを付いて歩く朔夜を親指で指差す。

 桧釐はまだ戸惑い顔で聞き返した。

「それは分かりましたが…一体何の為に」

「華耶の父さん達の墓を作るんだ」

 答えたのは朔夜だった。龍晶は肩を竦めて補足した。

「皇后の故郷が荒れたままというのも良くないだろう」

「本当にそれだけですか?」

 念押しするのは、妻の為とは言え個人的な事を国家としてやるのか疑問を抱いたからだ。この王らしくない。

 もう一つ、その計画が好もしくない理由がある。

「今、梁巴に人を送る事は、苴軍を刺激すると思われますがね」

 繍への出兵を始めとした諸問題を看過して貰う為に、なるべく苴は刺激したくない。

 梁巴は戦の末に繍苴どちらの領土となったのか、結局のところ誰にも判らぬ土地なのだ。

 そんな土地へ戔から公式に人を送れば、何を言い掛かりにして詰め寄られるか分かったものではない。

「その逆だ、桧釐。苴軍を宥める為にも梁巴は調査せねばならない」

「はあ?」

 心底理解出来ぬ声を上げる。龍晶は苦笑して説明した。

「戔から繍へ行く為には、梁巴を通らねばならんだろう?」

 戔の南端、繍と接する地は、梁巴を抱く山脈だ。

 つまり梁巴は、戔、繍、苴、三国の道へ通ずる交通の要衝でもある。故に戦の地となった。

「苴には繍への出兵の為の下調べと言えば溜飲も下げられると思うが。ひとまず、時間稼ぎは出来る」

「はあ、成程」

 桧釐は丸め込まれて納得しているが、背後から不満気な声が二人を止めた。

「戦の為なのかよ?それなら俺は行かない」

「…朔夜」

 聞き分けの悪い子を見るように呆れた視線を投げ、溜息を吐いて。

「戦の為じゃない。少なくとも俺にそのつもりは無い」

「本当に?」

「戦はしないと誓った俺を、お前は疑うか?」

 問いを問いで返されて、朔夜は怯んだ。

「いや。お前を信じない訳じゃないんだ。ただ…」

 言い淀んで、言葉を濁したまま、朔夜は黙った。

 その沈黙の言わんとしたい事は、何となく龍晶には解った。

 信じられないのは、施政者となった自分だろう。朔夜にとっての施政者とはつまり、戦を起こし、領地を奪い合う、己の仇だ。

 その自分が梁巴を、出兵の為に調査しろと命じるのだから、それは不信を抱かれても仕方ない。

 それが苴への建前なのか、本気で兵を出すつもりがあるのか、自分でも分からないで居る。

 不確定の未来の中で、この国の未来だけは守らねばならないのだから。

「それにしても人気(ひとけ)の無い街だな」

 桧釐の言葉通り、正午過ぎの街にしては人影が無さすぎる。

 北州が賑わっていた分、この啓州の静けさは何か異常に思えた。

 州の中でも中心地となる街なのだから、人は居る筈なのだ。だが姿が無いのは、皆が皆屋内で息を詰めているかのような。

「店が無いかな。蜂蜜を買って帰りたい」

 龍晶の何気無い呟きに、事情を知らぬ桧釐は目を丸くした後笑いだした。

「どうしました?いきなり可愛い事を言って」

「は?別に変な事は言ってないだろ。ただ、喉の薬にもなるし、華耶も喜ぶかと思って…」

「ほらほら、そういう所ですよ。自覚無く惚気ちゃって」

「いや別に、おかしくないだろ。そういうお前こそ於兎に土産を用意しないと、口利いて貰えなくなるぞ」

「それは…次の()州で買いますよぉ。交易品の珍品でも買ってやれば喜ぶでしょうよ」

「絶対それ今思い付きで言ってるだろ」

 いかにも取って付けたような態度を笑いながら、目当ての店を見つけて足を向けた。

 軒を潜ると薄暗い店先に様々な物品が並んでいる。日用品を売る店らしい。

「蜂蜜は無いか?」

 品物の奥に隠れるように座っている老婆に声を掛ける。

「こんな所にあると思うかね」

 返ってきたのは、呆れ混じりのぶっきらぼうな答え。

「済まん、初めてこの街に来たのでよく分からないんだ。どの店に行けば置いてある?」

 龍晶はお門違いの店に声を掛けたのだと思い問い直した。が、そういう事では無かったらしい。

「今は普通の店には売らせて貰えないよ。欲しいのなら、役所に行って大金を払うんだね」

「役所?どういう事だ」

「庶民には贅沢品になってしまったという事さ。何もかもお偉いさん達が取り上げてしまう。私らに許されるのは、その日生きるのにぎりぎりの麦を食べる事だけだ。都のお人には関係無いだろうけれどね」

 龍晶は桧釐と目を見合わせた。

 今まで見てきたより深い問題が、この街には潜んでいるのかも知れない。

 老婆は溜息混じりに続けた。

「王様が変わったからって、私たちの暮らしまでは変わりやしないんだよ。王様は都の事しか見えないんだから。隣の北州はお祭り騒ぎらしいけど、啓州には関係の無い事さ。地方のどこも同じだろうけどね」

 顔色を変えてものを言おうとした桧釐を龍晶は片手で制した。今目の前に居るのがその王だと知らせてもこの老婆は謙る事は無いだろうが、それよりも正体を隠したまま本音を聞きたかった。

「地方の人々は王へ不満があるという事か」

「不満じゃないよ。まだ何もしてないんだから。ただ、期待はしてないってだけだよ」

「成程」

 龍晶は微笑んで老婆に銀貨を差し出した。

「なんだい、これは。何が要るんだい?」

 当然、訝しんで問う老婆に龍晶は答えた。

「いや、頂くものは頂いた。次は何かを為してから意見を伺いに来るから、よろしく頼む」

 店を出て、桧釐と朔夜に告げた。

「役所に戻って蜂蜜を頂こうか」

 二人にはにやりと笑って、店の中には親しげに微笑み頭を下げ、踵を返した。


 宗温は役人へ詰問したが、ただの計算違いだとしらばくれて譲らないのだと溜息混じりに言った。

「そんな都合の良い間違いがあってたまるか」

 吐き捨てて、役人達を留め置いている部屋へと乗り込む。

 固唾を飲む彼らを前に、龍晶は笑みさえ浮かべて問うた。

「蜂蜜を買いたいんだが。いくらで売っているんだ?」

「は…蜂蜜でございますか」

 ぽかんと口を開けて問い返す役人達へ頷き、更に問うた。

「民と同じ値で買いたいんだが、いくら出せば良い」

 言い淀む者たちの中で、事情を知らぬらしい下っ端の者が声を上げた。

「金貨三枚で一壺です!」

 後ろ暗いものを抱える者達の血走った目が一瞬でその一人を責めた。

 真実を告げたその若者は、何が悪いのか分からぬ顔できょとんとしている。

「成程」

 龍晶は頷いて、桧釐に問うた。

「些か高価過ぎる気がするが、世間を知らぬ俺には判断出来ない。お前はどう思う」

「ぼったくりも良い所ですよ。北州では銀貨一枚あれば瓶一杯に買えます」

「そうか。ならば北州で俺は購うとして…どうしてこんな事をしているのか、説明して貰えるか?」

 役人達に再び目を向けて問うと、紙のように白くなった顔を俯かせる者達の中で、先程の若者だけが真っ直ぐ龍晶を見返していた。

 龍晶は桧釐に向け頷くと、その若者を手招いた。

「急に説明を求めても困るか。とにかく今日のところは屋敷に帰る事にするが、道が分からぬ。案内を頼みたい」

「は、はい!」

 若者は気負い込んで返事をし、一行を外に誘った。

 背後から幾つかの舌打ちが聞こえたが、耳に入らなかった事にした。


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