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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十話 面影
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10

 北州から道を更に北へ。

 山道は夕方の残照を遮って既に暗い。

 目的地はそう遠くない筈だ。尤も、詳しい場所は先頭を行く宗温と、龍晶と並ぶ桧釐の記憶頼みである。

 その桧釐とは昼間見た金山での事、特に余りにも少ない取れ高に対しどう対策するかを話しながらの道中となった。

 物は実際に目にしてみるものだ。龍晶は今まで金が有り余る程採掘される様しか想像していなかったのだが、現実はそう甘くは無かった。

 やっと鶴嘴が削る岩盤の土砂を、水に晒して砂金を探す。一日に取れるのは、その数粒。

 聞けば、昔は金の塊が時たま出てきたのだそうだ。だが、今は塊など全くお目に掛かれないと言う。

 前王時代に課された納入量を得る為に、新たな坑道を掘る余裕が無くなった為だ。

 その納入量を上回らなければ給金は無く、微々たる量でも確実に取れる今の坑道を掘るしか無くなった。それでも僅かに達成出来ない月もあり、飢えて倒れる者や自ら首を括る者も出た。

 死者、負傷者、脱走者と、どんどん人は減る。しかし国の威信を懸けて金は掘らねばならない。鉄の採掘をしていた者達が金山に回された。それ故に鉄鉱山は次第に忘れられていったのだ。

 今は国からは特に金を掘れとも掘るなとも言っていない。だから、掘りたい者だけが金山に残っている。

 龍晶は金山に居る者に、この北州を国の直轄とし、金採掘及び鉄採掘を国家事業とする事を説明した。勿論、労働者の待遇は保証するとして。

 哥の人間が金山を掘りに来るという話は、可能性として含ませておいた。まだ決定ではないが、寝耳に水にしては反発が強まるだろう。

 案内し話をしてくれた親方は、王の姿を見るなりまず手を取って深く頭を下げた。

 聞けば、家族ぐるみで世話を見ている部下達が、前王時代に大きな事故で何人もここを去ったのだと言う。勿論死者も居たが、幸いにして生き残った者も、手足をもがれ、気を病み、仕事など到底出来る状態ではなく、やむ無く都の貧民街へ身を寄せた者が少なくないのだと言う。

 その貧民街でも無体な目に遭った事は龍晶も知る所だが、生き残った者が今の生活をこの親方に報せてきたのだそうだ。

 龍晶陛下が住まいを用意して下さり、食っていく方法も共に考え、今は皆が自活し、貧民街とは呼ばれなくなった、と。

 その事を感謝してもしきれないと、親方は頭を何度も下げた。

 俺は何もしていないが、と龍晶は頭を上げさせて言った。

「そうやって何年も離れて暮らす部下の身を案じてやれる者が人を率いている事を知って安堵した。俺は母の見ていたような、働く者が歌いながら支え合う鉱山を見たいんだ。その為の協力は惜しまない。これからもこの国の民の為、尽力してくれるか?」

 はっ!と声を上擦らせ、親方は膝を屈して頭を下げ、そのまま咽び泣いた。

 周囲に居た、国に対して不信感を抱いていた若い坑夫達は、その親方の姿に何か悟ったようだ。

 来た時は白い目で見られていたが、帰る時は皆が温かで期待に満ちた目をして送り出してくれた。

「無理矢理にでも行って良かったろ?」

 笑い混じりに桧釐に言ってやると、渋い笑みで返された。

「やる事は増えましたがね。しかも、陛下の我儘ばかりの旅程でなかなか進みそうに無い」

「何だよ。これは最初から組んでた予定だろ。そりゃ、だいぶ個人的な用ではあるけど」

「しかも陛下の用ではありませんからね。ご友人とは言え、他人の用事に時間を避ける王なんて他所には居ませんよ」

「俺の用でもあるよ。もう一度あのご老人と話をしてみたい」

「どうぞどうぞ、ご自由に」

 桧釐の口調は投げてはいるが、内心は喜びを感じていた。

 母の墓参をして龍晶はそれまでずっと纏っていた影を吹っ切ったような、これまでとは違う表情をしている。

 己で己を苦しませていた悔恨に別れを告げる事が出来たのだろう。

 今自分に向けられているのは、幸せしか知らなかった頃の、あの小さな少年の輝く目だ。

 それが嬉しかった。

「こっちの成果も聞いて貰えるかな」

 燕雷が馬を寄せて話し掛けてきた。

 彼らは龍晶らが墓参したり鉱山に居た日中、役所で不正の証拠を暴いていた。

 首尾は上々…というのも変な話だが、予想通りの不正な金がざくざくと出てきたらしい。

「次におかしな真似をしたら都で張り付けになるが、と脅してやったら小役人どもはぶるぶる震え上がってたよ。良い気味だ。ま、何十年と溜まった膿を俺の責任で出すってのも、何かの因縁だな」

 かつてその役人達に不遇の目に遭わされた燕雷はからからと笑った。

「問題は再び膿の溜まらぬ体質にする事だな。他にやり方を知らない者達だが、変わる人材が居ないのでは役所から追い出す事も出来ない」

 眉間に皺を寄せる王に、どこまでも明るく燕雷は返した。

「北州はその点良かったぜ?何せ、この悪餓鬼の大将が人を育てていなすったからな」

 そう言って顎で指したのは桧釐。

 悪餓鬼の大将は苦笑いで訊いた。

「あいつらは役に立ちそうか?」

「多いに役立つだろう。何せ、ジジイ共を追い出して役所を占拠する勢いだったからな。そのまま地位も与えておいた。お前の名前を乱用して小一時間程で人事をしちまったが、まあ許してくれ」

 王の名の元で有無を言わさぬ人事権を発動し、名実共に腐ったジジイ達を追い出してしまったらしい。

 知らぬ間に名前を使われた龍晶は愉快気に笑った。

「全く乱暴だな。だが正真正銘の爺様のなさる事は尊重せねばなるまい。何たって年季が違う」

「俺が本物のジジイだって?大きなお世話だ」

「そうそう、灌独立の資料を調べて知ったが、お前の歳はもう九十超えてる筈だ。もう八十翁なんて自称したら詐欺だからな?」

「だから、大きく余計なお世話だ!」

 曽孫ほども歳の離れた若者と対等にやり合って笑い、燕雷はやれやれと遠くに視線を投げる。

 良い時代になったものだ。その時代を作り出した頼もしい彼らと、どこまで一緒にやれるだろう。

 六十年前、本当にやりたかった仕事を、やっと与えて貰っている。

 お前達のお陰だよ、と亡き妻子の魂に呼び掛けた。

「だが、この先の州ではそうもいかないだろうな。腐り切ってるのは何処も一緒だが、それが腐敗だと民に教えねば誰も気付かない所まで来ている」

 現実を見据える龍晶の言葉に燕雷は頷く。

「監視を厳しくしないとな」

「その監視が出来る人間がどれだけ居るか…。暫くお前一人に各地の荷を負って貰う事になるが、良いか?」

「時間だけはある爺様だから何とかするよ。それよりお前は後進を育てたいんだろ?」

 龍晶は頷いて、己の頭の中にある計画を語った。

「各地に都と同じような学舎を作りたいんだ。とにかく字を読み書き出来て計算を出来る者を増やさねば、俺達が年貢はこれだけ納めれば良いと示した所で役人共が嘘を教えいくらでも搾取できる。それが民を苦しめる原因となっていた。俺は生きているうちにまず、そういう農民達の暮らしを変えねば王となった意味が無いからな」

「ご立派なこった。そういう施政者がこの百何年の間に一人でも居たら、ここまでお前も苦労しなかっただろうな」

「苦労とは思わない。国を変える事を俺は楽しんでいる」

 ははっ、と燕雷は高笑い、桧釐も呆れ混じりに笑った。

 絶望の底から這い上がった若者の目には今、希望しかない。

 一方、笑い声の響く前方を見ながら、朔夜は溜息に暮れていた。

 華耶の乗る馬車と並走している。時折言葉を交わしながら。

 そもそもこの寄り道の原因は朔夜にある。

 本来の得物である双剣とは別に、常に懐中に忍ばせてある短剣。実戦で使う事は無いこの剣を研ぎ師に預け、本来の姿に戻す為の旅。

 それが叶ったら、この短剣を本来の持ち主に返さねばならない。

 酷く気が重いのはその為だ。無論、返す事が嫌なのではない。

「龍晶さん、楽しそうで良かった」

 華耶は朔夜と話す時は以前のように夫をそう呼ぶようになった。それが一番違和感が無いのだろう。

「昨日の夜はどうなっちゃうかと思ったけど、思いっきり泣いたらすっきりしたんだね」

「泣いてたの?あいつ」

「うん。体の中の水が全部涙になっちゃったんじゃないかってくらい。でも当たり前だよ。誰だってお母さんからの手紙を読んで、泣かない訳ないもの」

「手紙…」

「亡くなる前に書いて、懐の中にあったんだって。伯母さまから受け取って、今は彼に頼まれて私が持ってる」

「自分で持たないで?」

「うん。もう良いんだって。都に帰ったら何処かに仕舞っておいてくれって」

 龍晶はそこまで完璧に過去を清算し決別出来たという事だろう。

 お前も出来るよな、と言われた気がした。

「今どこに向かってるか、聞いた?」

 華耶は頷いて、今朝夫から聞かされた事をそのまま口にした。

「朔夜の為の寄り道なんでしょ?詳しい事は聞いてないけど」

 朔夜の為に山奥へある人を訪ねるから、華耶はあいつの愚痴を聞いてやってくれないかと龍晶は言った。

 まだそれらしい愚痴は聞いていない。

 それどころか、今までこの幼なじみから愚痴らしい愚痴を聞かされた事があっただろうか。

 辛い事は話してねと、繍に居た頃は何度も繰り返したものだ。それに応えて彼が口を割った事など、実は一度も無かったのではないか。

 辛そうな顔をして来て、そう告げても彼は悲しそうに微笑んで少し冗談を言って、そして何も肝心な事は言わないまま強い目をして去って行く。

 そうやって戦地へ向かう覚悟を決めていたのだろう。

 女達に戦を思い出させてはいけない。朔夜はそう決めていたのではないか。

「教えてくれる?私達は何をしに何処へ向かっているの?」

 華耶は婉曲に尋ねた。朔夜は考え、懐の短剣を取り出し、馬車の窓越しに渡した。

 残照に翳してやっと見えた、虎の彫刻。

「この刀を研いで貰うんだ。龍晶が知ってる腕の良い研ぎ師の所へ案内して貰ってる」

 矢張り肝心な事は避けられている。華耶は引き下がらず訊いた。

「朔夜はいつも自分で刀は研いでいるのに、どうしてこの刀だけ?」

「ああ…。その刀は手入れを忘れてて。しかも他人の刀なんだ。返さなきゃならない」

「そんな事、ある?朔夜はそういう大事な事、忘れないと思うんだけど」

「いろいろあってさ。ほら、二年も寝こけてたし。そしたら忘れる事もあるって」

 矢張り何かはぐらかされている。

 華耶は諦めた。代わりに別の問いを返した。

「朔夜が昔から辛い事を言わないのは、私に言いたくないから?」

 思い切り面食らった顔をされた。だけど否定はされなかった。

「そっか。言いたくないなら聞かないよ。いつも通りに」

「…ごめん」

 どうして謝るのだろうと思った。

 そうやって、また悲しそうな顔をする。それなら全て話してくれれば良いのに。

 独りで抱え込みたいから、私を他の人の所へやったのかな。なんて、意地悪な疑惑も抱いてしまう。

 優しさ故に何も言えない、そんな彼が今も好きでたまらないのだけれど。


 かつて叩いた、同じ扉を宗温が叩く。

 あの時はたった三人の旅路だったが、今の供連れはその十倍は居る。

 その人数が少し離れた山道に控え、扉の前に立つのはかつての三人と朔夜だ。

 宗温が何度扉を叩いても開かれる事は無かった。徐々に諦めの空気が漂い始める。

「留守だろうか」

 ただ留守であればまだ良いが、その安否は心配される。

 人が今も暮らす息吹を掴みたくて、龍晶は松明を持つ桧釐と共に小屋の裏へ回った。

 だが、裏手まで回らぬうちにばったりと人影と出くわした。

「…また来られたか」

 老人は迷惑気に素っ気なく言った。

「仕事の依頼をしに来た」

 桧釐が端的に来意を説明したが、老人は背を向けた。

「朔夜を呼んでくれるか?その間に俺が話をする」

 龍晶は桧釐に頼んだが、顔を顰められた。

「こんな所で陛下をお一人にせよと?」

「何も起きない。しかも一人じゃないだろ、ご老人と話をするんだ」

 疑わしげに老人の背中を見、一瞬の逡巡の後桧釐も踵を返した。

「すぐに朔夜を行かせますからね」

 その間、おかしな事はするなと釘を刺したのだろう。

 一人にさせて貰えぬ不便さに肩を竦め、老人の後を追う。

 予想通り、彼はあの作業場へと入っていた。

 足を踏み入れて、以前との違いに気付く。

「刀が…減りましたか?」

 問うと、皮肉に返された。

「戦も無いのに刀が擦り減るとでも?」

 流石に苦笑いして、背中に問うた。

「矢張り戦を無くさない方が良かったのですか?」

「儂は無くしなされと言いましたぞ」

「しかし稼ぎが減りましょう」

「老いぼれが一人食い詰めてもどうという事は無いと、それもお返事致した筈だが」

 勿論覚えている。この老人との会話の一言一句は、心に刻まれて忘れられる事は無い。

「これで良かったのでしょうか」

 老人が何か返す前に、朔夜が戸口に顔を出した。

「何処に行ったかと思った」

 小屋の裏の通路を訳も分からず探していたのだろう。

 朔夜は龍晶に並び立って、無神経に訊いた。

「この爺さんが腕の良い研ぎ師ってやつ?」

 朔夜への呆れた目と、老人が気を悪くしたのではないかと肝を冷やすのと、龍晶は何とも言えず板挟みになって長い一瞬を立ち尽くして待った。

 老人は鼻で笑って振り向いた。

「お前、血に汚れた刀を持っておるな」

「え?…あ、うん」

 もう話は通っているのかと勘違いして、朔夜は懐剣を取り出す。

 が、そうではないと次の一言に気付かされた。

「血錆の臭いがする。ぼうず、これまで相当人を斬ってきたな」

 戸惑い顔で懐剣を渡し兼ねて、龍晶を見る。

「違いないだろう。臭いだけでそれを当てる、腕利きである証拠だ」

「確かにそうだけど」

「大丈夫だ。別にそれを責めている訳じゃない。この人は、物事をよく見る目を持つ人だ」

 その説明に納得したような、でもまだ渋々、朔夜は老人に大事な刀を渡した。

 老人はすぐさま刀を改めた。鞘から抜き、目釘を外して(なかご)を露わにする。

「手入れはせなんだか」

 錆だらけの茎を睨んで老人は訊いた。

「出来なくて」

 言葉少なに朔夜は言い訳した。

「他の刀は」

「大丈夫。その刀だけ。…どうにかなりそう?」

 心配げに問うと、老人は頷いた。

「一晩かかる」

 寧ろ一晩で良いのかと、若い二人は目をしばたかせる。

「焦らずとも、他の仕事も有るだろうし、その刀は後回しでも…」

 龍晶が気を遣うが、老人は面倒臭そうに返した。

「わざわざお城までお届けしろと?ならば、この一晩で仕上げてお帰り頂いた方が有難い。我が家と庭はご自由にお使いなされ。山中で野営すれば獣に襲われないとも限らぬ。ここで一晩待たれよ」

「あ…ああ。有難い。そうさせて頂こう」

 思わぬ申し出に龍晶も戸惑いつつ、物言わぬ背中の威圧に押されて作業場を出た。

 あからさまに距離を取って桧釐が待っていた。なるべく老人に関わりたくないのだろう。

「ここで夜営をしても良いそうだ」

 龍晶が老人から言われた事を告げると、矢張り意外そうな顔をし、小声で訊いた。

「あの爺さんがそんな親切な申し出をしますかね?真夜中に突然追い出されたりしませんか」

「さあな。あの刀が研ぎ終わり次第、追い出される事はあるやも知れぬが」

「勘弁して貰いたいなぁ」

 冗談もそこそこに、一行に夜営の命令をすべく桧釐は走って行った。

 準備に加わる事など許して貰える筈もなく、龍晶は用意された床几(しょうぎ)に座りその様子を見守る。

 その傍らで、朔夜は笛を取り出した。

「暇だから」

 言い訳のように理由を告げる。だが、それが建前である事は龍晶も知っている。

 朔夜はあの夜吹き通せなかった曲を吹いた。

 千虎(センコ)が聴きたいと言った、あの曲を。

「あ、朔夜。懐かしいの吹いてるね」

 華耶が音に誘われてやって来た。

 遥か故郷の音。もう戻れはしないけれど、その場所はそれぞれの胸の中に。

 木々の梢枝の間から星が輝く。

 変わらぬ星空は三人に、ささやかな幸せの記憶が永遠である事を教えた。


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