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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十話 面影
26/71

5

 日暮れに城へ帰ると、留守を預かっていた桧釐が飛んできた。

「待ってました!ちょいと密談を!」

「はぁ?」

 言い草は緊張感に欠けているが、顔は焦燥に満ちている。

 訝しみながらも言葉に従い、龍晶は従兄と二人きりで一室に入った。

「何があった」

 何かが留守のうちに起きたのだろうが、それが何かは思い当たらない。

「哥の使節団が来ています」

 鋭く息を吸う。

 戴冠式の翌日、哥王側近の香那多に警告されている。

 大臣の公使が遣わされているが、言う事を鵜呑みにしてはならぬ、と。

 王に逆らい兵を挙げる意のある大臣は、香那多が工作し失脚させようとしている筈だ。

 それを気取られぬよう対応せねばならない。表面上は友好関係を保ったまま。

「面会したか?」

 桧釐は問いに頷いた。

「ひとまず、挨拶だけは。陛下は留守ゆえ謁見は明日午前にと伝えてあります。今は客殿で寛いでいるかと」

「通訳が居たのか?」

「はい。それが、舎毘奈殿の甥だと言うので、至急本人を呼び寄せました」

「成程、俺達が哥で会った兄の子息という事か。舎毘奈は喜んだだろう」

「それはそうなのですが、面会を終えて妙な顔で戻ってきましてね」

「ほう?」

「陛下はいつか哥を再訪すると仰られましたが、本気であらせられるのでしょうか、とそう訊いてきた」

 舎毘奈の不可解な問いに、龍晶は目を鋭くした。

「危険だと言いたいのか」

「そのようで。特に何を言われたという訳ではないようですが、背後で雑談をしていた使者達の会話が、どうもおかしい、と。戔に対しての口調は敵国のそれのままだったと言うのです」

「大臣の腹の内を知る者達が来たのだな」

「ええ。ですから陛下、明日の話の向きがおかしいと感じたならば、沈黙を貫いて下さい。苴のように、有耶無耶にしたまま帰してしまいましょう」

「それは場合によるだろう。それで更に事態を悪化させる可能性もある」

「しかし、時を稼げば表舞台から消える者達でしょう。香那多殿が…」

 龍晶は人差し指を口元に立てた。

「やめておけ。どこに耳があるか分からん」

 桧釐はその理と言わんとした言葉を飲んだ。

「明日の謁見は舎毘奈も交えよう。向こうは向こうで通訳をしてくれるのだろうが、こちらも最大限の備えが必要だろう。俺は言葉の分からぬ振りをする」

「成程。相手の腹を探る、と」

「舎毘奈も祖国の土を踏みたいだろうからな」

 桧釐は飛躍した発言に怪訝な顔をした。

 龍晶は真顔で返した。

「彼に残された時を考えれば、悠長な交渉の後に祖国に帰す事は難しいだろう。今が最後の時だ。ならば、俺は裏切られても良い。師に出来るせめてもの恩返しだ」

「…戦になると読んでいるのですか」

「大臣は力尽くでもこの国を奪うと言った。その考えは変わってないんだろう。ならば、我々は哥王と結託し、戦を避けねばならない」

 それには時間がかかる。その間に、舎毘奈が祖国に帰れぬまま老いて逝くのは忍びない。

「俺の我儘に過ぎないが…舎毘奈には一つ、相手の手先となって、共に哥へ戻って欲しい。それで俺達が不利になっても良いだろう?」

「勝ち目はあると踏んでいるからですね」

「哥王が付いて下さっているからな」

「舎毘奈を呼びますか」

「頼む」

 桧釐が出て行った。

 一人になった部屋で、椅子に腰掛けて考える。

 舎毘奈には、甥を通じて相手に話を持ちかけ、こちらに不利になるよう通訳をすると約束させれば良いだろう。

 哥の使者はそれで気を許す筈だ。こちらの企て、その目的など気付こう筈も無い。

 交渉は適当に相手の要求を飲み、機嫌良く帰してやれば良い。帰国する頃には大臣の地位は無くなっているかも知れない。少なくとも、長続きはしないだろう。

 もし香那多の工作が上手くいっていないとしても、すぐに戦にはなるまい。まだ交渉の余地はある筈だ。

 いずれにせよ急ぎ軍備を整えねばならない。それが出来れば繍への出兵も可能だ。

「…いや…」

 頭を振る。こんなに簡単に戦への道を踏み切って良い筈は無い。

 母の言葉が己の胸にある限り、戦にさせてはならない。即ち、己の目の黒いうちは戔は戦に加担しない。

 本当は軍備を拡充させたくはないのだ。兵を募るには多くの金と米が要る。米も兵も、農民から搾り取らねばならない。

 己の望みは農民が豊かに暮らせる国だ。兵力を増やそうとすれば、真逆を行く。

 しかし、その兵力が無ければ民の暮らしを守れぬのも確かで。

 その結論は出ない。出来るのは、他国との交渉で波風を立てない事だけだ。

 つまり、この使者との謁見は、これからの国作りの為の一つの正念場となる。

「陛下、お連れしましたよ」

 桧釐が戻って来、続いて老いた師が入ってきた。

 龍晶は一つ溜息を吐いて、舎毘奈と向き合った。

「陛下、ご機嫌は如何にございますか」

 老臣は何も知らず挨拶代わりのお伺いを立てた。

「機嫌はともかく、加減は良い。体調不良だと言い訳して使者から逃げる事が出来ない程にはな」

「おや。しかしご健康ならば何よりです」

「全く健やかと言うには、縁遠い身だが」

 また一つ息を吐いて、龍晶は本題を切り出した。

「一つ、我が師としてお前に訊ねたい。俺はお前に哥の地へ連れて行くと言ったが、どうやらその間は無さそうだ。ならば、お前一人ででも祖国の地を踏んで欲しいと俺は願うのだが、どうだ。哥の土へ還る気はあるか」

 舎毘奈は垂れ下がった瞼を開いて、教え子である若き王を見詰めた。

 そして時をかけ、老師は答えた。

「私は五十年前から、この戔に骨を埋めるとばかり思うておりました」

「今なら選べる。どうか選んでくれ」

「陛下、私は陛下の設立なさった学問所で哥の言葉を教えながら余生を過ごすのではなかったのですか。そうお達しがあってから、それを楽しみに…そうなるとばかり考えていたものですから、急に祖国に帰るか否かと言われましても…」

「そうして欲しかったのは山々だが、俺はお前に祖国に帰って欲しい。帰って、家族らと再会して欲しいんだ。血の繋がりを持つ者の有難みを、俺は身に染みて知ったから…お前にそれを捨てさせるのは、忍びない」

「ご厚情、痛み入ります。しかし、もうこの老いぼれを待つ者は、哥には居りません」

「兄が居るではないか」

「そうですが、兄も親族も皆、五十年前に舎毘奈は死んだものとしておる筈です。再会して嬉しい程ではありますまい。幽霊に会うようなものです」

「俺は兄の霊と会えて、心底嬉しかったけどな」

 舎毘奈は勿論だが、背後の桧釐も驚いた顔をする。龍晶は口の端を吊り上げた。

「俺は正気だが、この頭が狂っているのも分かっている。お陰で会いたい人に会える。母上とはまだゆっくりと話していないが」

「陛下…おいたわしい事です…」

「心配は無用だ。お前が祖国に戻る事を諦めたように、俺はこの頭が完全に正気に戻る事を諦めている。十年かけてこの狂った頭で生きる決心をしたというだけだ。だが、お前は戻れるぞ」

「重ねて申し上げますが、私は既にこの戔に骨を埋めると決めておりまする」

「…そうか」

 酷く悲しげに一声応え、目元を両手で覆った。

 舎毘奈は慌てた。

「私は陛下にそこまでご心配を頂くだけで、十分でございます。しかし何か不都合がお有りであるならば、臣としてお言葉に従いまする」

「俺は師として聞いて欲しかった。だが致し方無い。もう一つの目的を聞いてくれるか」

「御意にございます」

 覆っていた両手を離して見せた目は、民を守る決意の込もった、王としての強い目だった。

「これより哥は少なからず乱れるだろう。それは戔も無関係ではない。戦にせぬ為に、哥の様子をこちらに報せて欲しい。この役目、お前でなくては出来ない」

 王の密命に、老臣は震えた。

 恐れからではない。

「嫌なら断ってくれ」

 龍晶は言い足したが、師は首を横に振った。

 舎毘奈は感激に咽び泣いていた。

「漸く…漸く、この身が和平の為にお役に立てまする…。この末期の時に、翻訳家の本分を果たせる事が嬉しくてなりませぬ。身命を賭して、このお役目、お受けさせて頂きます」

 龍晶は立ち上がり、窓辺に立った。

 穏やかな夜風が花の香りを運ぶ。

「翻訳家の本分、か…」

 同じ志を持って、幼い頃この人から言語を学んだ。

 王となり、果たして自分はそれを持ち続ける事が出来るのか。

 全ては和平の為と、胸を張って言えるだろうか。

 一つの国を守るか、或いは国を跨ぐ架け橋となるか。その立場の違いで使う言葉は違ってくる。

『これが正しいという自信は無いんだ』

 哥の言葉で師に本音を漏らした。

『出来る事ならお前に望む余生を送って欲しかった。どうか俺を恨んでくれ』

『何を仰いますか。私にとって、これ以上の栄誉はありません』

 振り向いた憂う顔に、師は告げた。

「あなた様なら、必ず和平へと戔哥を導ける。私は信じております」

 一つ頷き、舎毘奈の前へ戻って、命じた。

「お前は哥の公使と誼を通じよ。くれぐれも相手に疑われぬように。明日は相手に利のある通訳をしてくれ。俺は言葉の解せぬ振りをする。向こうの通訳は如何程の実力だ?」

 舎毘奈は今日初めて目にした甥の言葉を思い出した。

「これが通訳としての初仕事と申しておりました。書面を訳す事は出来ても、聞き話す事にまだ成熟してはいないようです。陛下の方がよほどお上手だ」

「謙遜はよしてくれ。翻訳家として生まれ育った身分で、俺より下手という事は無いだろう」

「でも陛下、俺も今日会ってみてそう思いましたよ。俺は実際に通訳されたんですから。買い被りではなく、陛下の方がよっぽど流暢だ。発音はまずいし辿々しい。言葉もなかなか出て来ない。俺より上のおっさんに見えたが、お陰で初々しいとかじゃなくて苦々しいもんだった」

 桧釐の歯に衣着せぬ意見には、流石に龍晶も苦笑いした。

「やめろ。伯父貴を前に甥御の悪口を堂々と言うな。…とにかく、明日の実質的な通訳は舎毘奈一人となる訳だな。ならばそれを逆手に取ってお前は使者達に売り込めば良い。明日の通訳を承ったが、私は祖国のお味方をします、と」

 彼の甥では心許ないのは、向こうも同じだろう。

 両国の言語に達者な舎毘奈が、実は哥寄りであると告げれば、使者達は信じて利用する。

「良いのですか」

 強張った面持ちで舎毘奈は訊いた。

「お前に裏切りを働かせるようで心苦しいが。やってくれるか?」

「二言はありませぬ。承ります」

 龍晶は頷いて、その後の計画を語った。

「俺は大臣と哥王にそれぞれ書状をしたためる。それを持って公使らと共に哥へ戻ってくれ。大臣宛ては公使らから渡るようにすれば良い。王へは側近の香那多殿に。恐らくあちらから接触して下さる筈だ。お前が何者なのかも知っておられるだろう」

「なんと…陛下が、私めを?」

 それは哥人にとって驚くべき事だろう。哥王は神にも近い伝説のような存在だ。

「今も全て見ておられると思うが」

 意味深に呟いて、窓から天に向かい、祈りの言葉のように相手の言語で告げた。

『陛下、我が臣であり大切な師である舎毘奈をそちらに遣わせます。俺には陛下のように遥かを見通す目は無いので、せめて哥における目を必要とする為です。両国の和平の為、どうぞ、よしなに』

 恐らく声は遠く哥の王宮へ通じた筈だ。が、目の前の二人には怪訝な顔をされた。

「俺は正気だ。今はな」

「それなら良いんですが」

 言葉も分からなければ話も見えない桧釐は訝しみながらもそう応えるより無い。

「では明日、よろしく頼む」

 これから公使達への工作をせねばならない舎毘奈を送り出し、桧釐は王へ問うた。

「師弟の涙の別れですか。ちと大袈裟だと思いますがね」

 二人の関係性ではなく、二国の情勢を問うている。そこまで深刻では無いだろう、と。

「俺は最悪の事態を想定している」

「へえ?」

「大臣は追い詰められる。が、哥において王には政治的権限は無いに等しい。となると、大臣は己の持つ権力を全て使い、暴挙に出るだろう。王の意に反する事をする。つまり、戔への出兵だ」

「香那多殿がそんな下手を打つとは思えませぬが」

「無論だ。しかし彼女達に出来る事は限られているだろう。権力を持ち、それに取り憑かれた者の恐ろしさを知っているか?俺は哥で会った大臣の姿に悪い予感を覚えた」

「…戦となりましょうか」

 先刻と同じ問いを、深刻さを深めて再び問うた。

「備えはしておかねばなるまい。宗温にも伝えてくれ。北方の守りを計画するよう」

「しかし、兵が足りぬのでは…」

 虚空を見上げ、少し考えた後、悪戯っ子のような笑みを向けた。

「桧釐、ちと共に旅に出ようか」

「は?」

「北州に母の墓参に行くついでと言っては何だが、恐らくお前の親父殿の蔵にはまだ金が余っておるのではないかと思ってな。ついでに各州のへそくりを徴収してやっても良いんじゃないか?」

「州侯の肥した腹を探るって事ですか。そりゃ面白い」

「不正も暴けるし金も徴収出来る。その金で兵も集められる。哥の公使を見送ったらすぐ出よう。善は急いだ方が良い」

「王自ら御出仕とは恐れ入りますな、全く」

 桧釐は高笑いして従弟の肩を叩いた。

 自ら口で言うほど頭は狂っていない。そう安心した。


 華耶の待つ後宮に向かっていると、中庭から空を切る鋭い音が聞こえた。

 闇の中にも風に流れる銀髪が鮮やかで、龍晶は声をかけた。

「何してる」

 朔夜は刀を手にしたまま振り向いて肩を竦めた。

「見た通り。体が鈍るといけないから」

 双剣を鞘に収め、近付きながら説明した。

「いつもは軍の道場を借りてるんだけどさ。宗温に頼まれて、兵に稽古付けたりしたりしてるんだけど。今日は一日出てたから、ここでやってる」

「ほお?知らなかった」

「王様は忙しいもん」

 多忙の友に相手にされず腐っていた所へ宗温が声をかけたのが実情だろう。

「どうだ、ここの兵は。お前の相手には到底ならないだろうが、少しは打ち応えがあるか?」

 考える間もなく朔夜はあっさりと答えた。

「無いね。どいつもこいつもへっぴり腰だ」

 思わず噴いて、苦笑して返す。

「お手柔らかに頼むよ。大事な兵だ」

「怪我はさせてないよ。まだね」

 打ち身くらいは怪我に入らない事にしている。

「ま、遊びがてらだよ。子供が多いし」

 朔夜が地下組織から救った例の子供達は、王宮内で農耕を研究する者と軍に入る者とに身の振り方は分かれた。彼らが自ら選んだのだから誰も文句は無い。

 その子達がまた、都で行き場を失っていた子ども達を軍に連れて来た。お陰で軍は鍛錬所なのか託児所なのかよく分からない始末だ。

 宗温の事だから来る者拒まずで迎えているが。

「あいつらが大人になるくらいまでは、別に遊ばせておいても良いだろ?」

 龍晶は友の言葉をよく考えねばならなかった。

 今は遊びながら戦いを学んでいる無邪気な子供達が、国と国との戦へ赴く兵と変わる日の事を。

「龍晶?ごめん、俺変な事言った?」

 軽口で言ったつもりの言葉を厳しい眼差しで熟考されて、朔夜は狼狽た。

「いや」

 短く否定して、ただ一つだけ、己の考えを返した。

「お前程とは言わないが、その子達を強くしてやってくれ。干戈の中で己の身を守れるくらいには。頼むな」

 その表情、言葉に朔夜は何か察して、真剣な面持ちで頷いた。

 戦にはしない。俺の目の黒いうちは。

 もう一度、星空に誓う。

 だが、その先は、もう祈るしかない。



  挿絵(By みてみん)


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