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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十話 面影
24/71

3

 運ばれてきた夫を見て華耶は驚いていたが、朔夜の『急に倒れたが、少し眠れば大丈夫』という説明を聞いて納得した顔に変わった。

「この所よく眠れていなかったから、無理も無いよね」

 朔夜は曖昧に答えて頷いた。

 華耶に対して嘘をつくのは初めてではないが、全く疑わない彼女を見ると良心が咎めた。

「お仕事は終わったの?」

 眠れない理由も今し方何が行われたのかも彼女は知っていて尋ねた。

「終わった。暫くはこんな事無いと思う」

「ほんと?」

 華耶は縋るように問い返した。

「多分…」

 朔夜は言葉を濁すだけに留めた。

 都で身を潜める反乱組織はあらかた潰した筈だ。暫くは捕縛される事は無いだろう。

 だが、それとは関係の無い罪人が当然ながら日々増えてゆく。今はまだ軽微な罰ばかりで済んでいるが、いずれは重罪人も出て来るだろう。それはそこに人が集まる以上覚悟せねばならぬ事だ。

 そういう人間にまで龍晶は苦悩するとも思えぬが、それが今日の光景を脳裏に蘇らせるきっかけになるかも知れない。

 何より、まだ潰さねばならぬ重罪人の集まりは残っている。藩庸(ハンヨウ)が逃げた南部の拠点だ。

 その場所が発見されれば、恐らく今日より残酷な事態は免れないだろう。

 刑の執行許可などこいつがやらなくても良いのに、と他人事として朔夜は考えた。

 例えば、宗温に全権を委ねる、とか。

 仕事を分担してやれば良い。王としての龍晶は光ある所だけ見ていれば良いのだ。

 後で桧釐に言ってみようと思った。敢えなく却下されるかも知れないが、言うだけ言ってみる価値はある。

「朔夜が居てくれて良かった」

 否、こんな事になったのは俺のせいだ。

 自分の責任を何とか誤魔化したくて、柄でもない事を考えている。

「どうして」

 そこまで考えて、華耶の言う事が全く信じられなくて問い返した。

「上手く言えないけど、彼も私も、朔夜が(そば)に居てくれるから助かってる。今朝ね、凄く嫌がってたんだよ?ここから出たくないって。でも朔夜が迎えに来てくれたから、彼はお仕事が出来た」

 やっぱり俺のせいだ。

 来いと言ったのは昨日の龍晶だが、言葉通りに迎えに行く必要は無かった。

「こんなになって帰っても?」

 華耶に当たりたくは無いが、冷たい言い方になってしまった。

「安心したんだよ。思い詰めてた仕事が終わって。起きたら元気になってるから、大丈夫でしょ?」

 違う。全く逆だ。

 殺せと喚いて暴れるから、無理矢理眠らせたんだ。

 俺が、思い出さなくて良いものまで思い出させたから。

 軽過ぎる命の重みと、踏みにじられてきた己の存在と。

 誰よりも自分自身が許せない罪と。

 それを華耶に教えねばならないだろうか。

 理解して欲しくは無かった。

 何も知らないで居て欲しい。そしてそのまま笑っていて欲しい。

 俺達の抱える真っ暗の闇など、目にして欲しくはない。

「うん。大丈夫…」

 この、ひりつく痛みは、龍晶と二人だけで共有すれば良い。

 気分を変えようと朔夜は訊いた。

「春音はどうしてる?」

 華耶はにっこり笑って、傍に控える十和に言った。

「連れて来て貰っても良いですか?」

 はい、と気持ち良く返事をして十和は隣室へと向かった。

「良いのか?もう夜になるけど…」

 窓から見える光が薄い。燭台には女官らによって火が灯され始めている。

「赤ちゃんには昼も夜も無いんだよ。お腹が空いたら真夜中でも泣くんだから。於兎さんが大変そうだから、出来る事はなるべく私がやるようにしてる」

 そう言えば近頃は於兎の姿をめっきり見なくなったと思った。あの元気印の彼女も赤子には参っているのだろう。

 だが、聞きたいのはそれではない。

「それもそうだけど、あの、俺が言いたいのは…夜になるけど俺、邪魔にならない?」

「え、なんで?」

「なんでって…」

 出入り自由の許可はあっても、流石に遅い時間に後宮には近寄らなかった。

 出来れば日暮れまでに龍晶には目覚めてほしかった所だが、こうなってはどうしようもない。

 しかも華耶は何が問題か分かっていない。

 と言いつつ朔夜も問題が何かと言われると説明は出来ない。何となく、これは拙いと思うだけだ。

「ご飯食べていってよ。何なら、隣に泊まってくれたって良いよ?準備はすぐにして貰えるから」

 まるで梁巴(リョウハ)に居た子供時代、華耶の家で遊び過ぎて帰る期を失った時のように、彼女は気軽に誘った。

「え、でも…」

 尻込みする朔夜に、華耶は真っ直ぐ目を向けた。それだけで妙に緊張する。

「朔夜が居ないと不安だから、お願い」

 そんな風に言われたら断れる筈が無い。

「分かった」

 頷いた時、十和が赤子を抱いて戻ってきた。

「ありがとう」

 華耶が受け取った赤子を覗くと、すやすやと眠っている。

 産まれたての皺々の顔しか見ていないから、この数日で随分と人らしい顔になったと思ってしまう。

「かわいいでしょ」

 華耶が言うからこれは可愛いのだろうという事にして頷く。

 正直、赤子というものを見慣れていないからよく分からない。

「やっぱり似てると思うんだけど、朔夜はどう思う?」

「誰に?」

 華耶は眠る龍晶の横へ比べるように春音を並べ、期待と可笑しみの混じる目で朔夜を振り返った。

「えー…?よく分からないけど、言われてみればそうかも…」

 人の顔について考察などした事が無いから、適当な事を言うしかない。

 ただ、三代或いは四代まで遡らなければ合流しない血筋が、果たして共通項を示すのだろうかと思うと首を捻る所だ。

「似てるよ。目元とかさ、ちょっと切れ長な感じとか。色の白い所も」

「まぁ、綺麗な顔は両方の血筋だろうな。桧釐の母さんと妹もちょっとこいつに似てたし。於兎も美人だって評判だったから繍に行かされたんだもんな」

 敢えて名前は出さなかったが、華耶から問うてきた。

桓梠(カンリョ)のお妾さんだったって話?」

「妾っていうのかな。よく知らないけど、故郷の為の貢物だったって自分で言ってた」

「ああ…」

 敦峰(トンホウ)。於兎の故郷の町。

 その町の反乱鎮圧を朔夜は桓梠に命じられ、反発を防ぐ為に華耶は人質とされた。

 その果ての、この胸の傷だ。

「…良かったよね、皆でここに来られて」

 あの頃を思えば、今の幸福は信じ難い。

「ああ。本当に」

 『今』はこのまま続くのだろうか。

 それこそ信じ難い気がする。

 敦峰で、この手によって奪った無数の罪なき命に誓ったのだ。

 繍を滅ぼす、と。

 まだその実現には至ってない。そして繍へ近寄る事さえ出来ない自分が居る。

 この生活に浸っていたい訳ではないが、まだ、このままで良いか、と。

 あの頃の自分に鼻で笑われても仕方ないくらいに甘くはなった。

「朔夜…ここに居てね」

 華耶に見透かされたように言われた。

 うん、と赤子の顔を眺めながら頷いた。


 目覚めたのは、夢の中にまであの声が聞こえてきたからだ。

 死ぬべきなのは罪人であるお前だ、と。

 処刑場から引き返した回廊で響き渡った、呪いの声。

 耳を塞いでも聞こえた。それどころか、先程首だけになった屍が自分を取り囲んでいた。地獄へ共に引きずり込むべく。

 幻だとは分かっている。自覚はしているが、その現実に絶望した。

 まだこの頭は狂っている。

 どんなに正常な振りをしても。快復したと信じていても。

 駄目なのだ。見えない傷が一生治らないように。

 もう何もかも終わって、忘れると決めたのに。

 やり直す事など出来ないのか。

 ならば、終わりにしたい。ここから逃れて、いっそ楽になりたい。

 そう考えたら、殺せと口に出ていた。

 馬鹿なのは知っている。だけど。

 無理矢理瞼を開く。

 過酷ではなくなった現実へと戻りたかった。

「…龍晶」

 朔夜が気付いて呼んだ。

「仲春!」

 華耶が枕元に飛びついて頬を両手に包んだ。

「良かった…。大丈夫?痛い所は無い?」

 龍晶は頷く。華耶は安堵の笑みで返した。

 華耶の肩越しに朔夜と目が合う。龍晶は苦い顔を瞬時に掻き消し、華耶へ言った。

「何か…食えるものがあれば…」

 おずおずとした遠回しな頼みではあったが、華耶は即座に反応した。

「うん、すぐ美味しいもの持ってくるね!」

「急がなくて良いから…」

 十和を伴って華耶は嬉しそうに出て行った。厨に向かうのだろう。

 彼女の去った部屋で、龍晶はぽつりと朔夜に言った。

「また余計な手間をかけさせたな」

「いや…」

 曖昧に言葉を濁す。正気では無かったのは明らかだから、どこまで記憶があるのかも怪しい。

 出来れば、忘れていて欲しい。

「言いたい事があるなら言え。言葉にならないなら殴れ。それだけの事はした自覚はある」

 どうやら記憶はしっかりと残っているようだった。

「…本心じゃないんだろ?」

 訊きたいのはそれだけだった。

「そうだと良いけどな」

 まるで他人事のように龍晶は答えた。

「どうして」

 短い問いに、閉じた瞼の上に腕を置いて、溜息を吐いて。

 理解されるとは思わぬ胸の内を吐き出した。

「この壊れた頭が恨めしい。頭だけじゃない、この身体全てが。治る事がないなら、いっそ無くなれば良いと…そう思った」

 詰ってくれれば良い。そのつもりで言った。

 思ったような反応は返らなかった。

「俺も…この力を無くす為に、いっそ自分ごと消そうと思って…何度も試した」

 横目に見れば、気まずそうだが真っ直ぐに視線を返された。

「同じにはならないかも知れないけど」

 残された最後の手段として死に、絶望の中で蘇る。それを何度繰り返したか。

 友のその絶望を知っているから、己の甘さを自省するしかない。

「済まん。もう、これきりにするから」

「それなら良いけど。でも自分の意思でどうこう出来る事じゃないだろ。だから気にすんな」

 それは、己がその力に翻弄されてきたから言える事なのだろうか。

 龍晶がそう考えていると、朔夜は一言だけ念押しした。

「ただ、華耶を悲しませる事はしないでくれ」

 その自信が無い。お互いに。

 そして二人の総意でもあるから、龍晶は素直に頷いた。

「ああ。努力はする」

「華耶には急に倒れたって事で説明してある。寝不足だったからって納得してるから、お前もそれに合わせてくれ」

「嘘で合わせろって?」

「悪いか?」

 龍晶は言葉を詰まらせ、本意ではないとばかりにぼそぼそと答えた。

「いや…そうすべきだな」

「納得出来ないなら自分で説明してくれ。さっきも言ったけど、俺は華耶を悲しませたくないだけだ」

「分かっている」

 疑わしげに横目に見る。その視線を受けて、龍晶は言った。

「そうやって今までやってきたんだよな。お前は肝心な事は直接には何も言わないし、華耶もお前を心配させまいと笑顔を作ってきた」

 低く、え、と声を漏らした。あとは言葉が無かった。

「間違いだとは思わない。だけど、いつかそれが逆に彼女を苦しませる事になるなら、俺は全て話す」

「…苦しんでたのか…?」

 朔夜は俯き加減に、苦しげに問うた。

 口調も視線も冷ややかに、龍晶は答えた。

「当たり前だろ。華耶はお前が好きだから」

 弾かれたように驚いた顔を上げる。

 その額を龍晶は小突いた。

「勘違いするな。これは以前の話だ」

「あ…ああ…」

 気の抜けた声。要するに、俺はお前と同じ轍は踏まないという宣言だ。

 萎んだ朔夜の背を伸ばすように、龍晶は続けた。

「華耶は俺に全て話してくれた。お前、彼女の傷痕の事を知っているか?」

 朔夜はきょとんと考え、首を横に振った。

 そうだろうと思った。彼女は朔夜が自分を責める事を知っているから、何も明かしていない。

 彼女が話さぬ事を、自分が明かすのは筋違いだ。

「知らないなら、聞かなかった事にしろ。だけど、お前が何も明かさない代わりに、彼女も何も明かせなかったって事は覚えておけ」

「うん…でも、どうしたら良かった?言っても悲しませるだけの話なんか、俺は出来ない」

「ああ。今お前はしなくても良い。それは俺が家族だからそうすべきだと覚悟してるだけだ。何もかも黙ったまま逝くと、残された方が苦しむのは知っているから」

「いやだから、悲しませるなって…」

「馬鹿。いつかは俺が先に死ぬんだ。絶対に。だから、その後をお前に任せる。いや、責任持てよ?お前は知らなきゃいけない。今まで華耶が笑顔の中に隠してきた事を、お前が責任持って知っておかないと。華耶が好きなのは、お前だから」

 朔夜の間の抜けた顔と、己の言う矛盾に少し笑って。

「俺が死んだら、傷痕を見せて貰え」

 それは、借りている時間を返す時だ。

 朔夜は眉間に皺を寄せて首を傾げている。

 今は理解出来なくていい。その時が来たら、全てなるようになる。そういう気がする。

「…じゃあ、今日の一件は結局どうする」

 朔夜が渋い顔のまま訊いた。

「お前に合わせる。もし二度目があれば、俺は全部話す。無いように努力はするけど」

「…頼むよ」

 それが最善なのだろうか。友の出した答えなのだから、信じるしかないが。

 それぞれが考えに耽り、沈黙が続いた。

 その空気を入れ替えるように扉が開き、華耶が戻ってきた。食欲を唆る香りと共に。

「お待たせしました!」

 差し出されたのは、蕪を主に野菜を煮込んだ汁物。

 受け取って匙で掬い、口に運ぶ。その口元を綻ばせて妻に言った。

「旨い。ありがとう」

 華耶は満面の笑みで頷いて、幼なじみに向き直った。

「朔夜も食べて」

「あ、良いの?ありがと」

 先刻の話がまだ頭にあり、どういう顔をして良いのか分からないまま飯を食う。

 気付かれぬ程度にそわそわしている朔夜を他所に、華耶は夫に寄り添った。

「仲春がご飯を頼んでくれたの、初めてだから嬉しくて。食べたいものは何でも言ってね?好きな人にご飯を作る事は、幸せな事だから」

 朔夜の手前、相好崩せない龍晶と。

 訝しげながらも、口元をにやりと歪めて朔夜は二人に問うた。

「仲春って?」

 華耶は口元を手で覆った。

「あ…ごめんなさい。二人だけの時って言われてたのに」

 龍晶は苦い顔を下に向けて隠すより無くなった。

 朔夜は悪い笑顔で友を追い詰める。

「つまり、あれか。春音と同じか。その誰も知らない名前を華耶にだけ教えて…って事だな」

「…誰にも言うなよ」

 一応、釘を刺そうと頑張って口を開いてみたが、相手が(ぬか)だった。

 朔夜は華耶の作った飯を掻き込むと、勢いよく立ち上がって言った。

「ごめん!そう言えば燕雷と飲む約束してた!じゃ、また明日!」

 軽やかに部屋を出て行く。

「嘘つけ、餓鬼が酒なんか!」

 その背中に罵声を投げ付けたが、もう朔夜の意識は後宮の外にある。

 あとはせいぜい、甘い秘密に対する言い訳を考えるより無さそうだ。

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