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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十話 面影
23/71

2

 また、鉄格子の内側に居る。

 これまでの恵まれた生活からは何もかも奪われた。でも母と共に居るだけで良かった。

 だからだろうか、それをも奪う連中がやって来た。

 母から引き剥がされ、痣が出来る程の強さで腕を掴まれて引っ張られる。

 連れて行かれる先は分からない。が、望まぬ場所である事は分かっている。

 声を限りに叫ぶ。嫌だ、と。

 冷たい壁に反響する程の声は、自分を囲む黒づくめの大人達の耳には入らぬようだった。

 やがて暴力的な光の元に晒されて、眩む目を恐る恐る開いて。

 そこが何処なのか、やっと判った。

 足元に、紫に変色した人の頭部が転がっていたから。

 自分もこうなるんだ、と。

 それ以上叫ぶ意思も砕け、逃げ出す勇気もなく体は凍り付き、手足を縄で縛られてゆく。

 竹矢来の向こうには見物人が群れをなしていて、間違いなく自分に向けて怒鳴っていた。

 罪人の子は死ね、と。

 身も心も傷付き果てて、もう新たな傷を作る箇所も無くて、言われるがままに死のうと思った。

 処刑台に膝を付き、この世の終わりの景色を見て。

 白刃が振り下ろされた。


 怖い夢は絶頂で覚める。

 何度も繰り返しているから知っている。必ず死の場面でそれは突然終わる。

 闇の中で呼吸しながら、これは現実だと無理矢理重い瞼を開ける。

 すぐ間近で光る、濡れた瞳があった。

「…大丈夫?」

 その声に、存在に、救われた。

 華耶は自分の寝巻きの袖で龍晶の顔を流れる汗を拭って、もう一度訊いた。

「凄く魘されてたよ。大丈夫?」

 頷くと、華耶の腕が頭を包んだ。

「ここには怖いものは無いから、安心して」

 顔を押し付けた胸の温もりの中で息をする。

 それでも目を瞑れなかった。

 華耶の寝息が先に聞こえても、頭ばかりが妙に冴えてしまい、再び眠れる事は無い。

 過去の現実と現在の想像がないまぜになっている。

 だが一つでも何かが違っていれば、それは現実となっていた。そして今は無い。

 その間違いを望んだ事もあった。そういう時期の方が長かったかも知れない。だが今は違う。

 この温もりがこれまでの全てを肯定してくれる。そしてこれからもここに居たいと、そう心から望むのだ。

 可能なのだろうか。そんな希望を抱いても良いのか、分からない。

 深く息を吐き、何とかもう一度眠りにつこうと努力する。その為には全てを忘れねばならない。

 それが酷く難しい。今日は、特に。

 明け方近くなって、華耶が目を覚ました。

 いつものように先に起きようと動いた体を抱き留める。

「…仲春?」

 怪訝な声が、母と同じ名で呼んだ。

「眠れなかったの?」

 こくりと、懐の中の頭が頷く。

 華耶は態勢を戻して、もう一度腕を頭と背中に回して抱き、子供を寝かしつけるように撫でた。

「…朝にならなければ良いと思って」

 小さく、眠れない理由を告げる。

 華耶は微笑んで、返した。

「朝になんかなってないよ。まだ真っ暗だよ」

 夜明けの青い光に包まれながら、二人でもう一度、夢の中に滑り落ちた。


 罪人の処刑は桧釐が決めた。

 決めたのはその日時までだ。決定権は龍晶にあるが、王はまだ頷いた訳ではない。

 しかし御膳立ては全て整えた。もう罪人は処刑台へと連れて行かれている。そこまでして、桧釐は何としても龍晶に頷かせる気で居る。

「強引過ぎやしませんか」

 着々と準備の進む刑場を指揮しながら、宗温が溢した。

「向こうが意地っ張り過ぎるんだよ。ここまでしたら否とは言えまい」

 桧釐は当然のように返した。

「もう少し日を延ばす事も出来たと思いますが」

「罪人に食わす飯が勿体ないだろう。ただでさえ実入りが無いのに」

 それに、と桧釐は更に声を落とした。

「生かしておけば刑を軽くするとか言い出しかねんぞ。国外追放や都落ちをさせれば奴らの思う壺だ。南部の拠点はまだ見つかってないんだろう?」

「捜索は急がせています。しかし手かがりが無い。彼らを拷問にかければ、或いはとも思いましたが」

「それも禁じたからな。どうして自分の命を狙う連中にそこまで甘いんだか」

「足元を掬われねば良いのですが」

「それだ」

 その甘い御仁に会って、処刑の許可を出させようと、桧釐は踵を返そうとした。

 が、その張本人が向こうからやって来た。

 朔夜一人を伴っている。顔色が悪い時はいつもそうだ。誰も近寄らせない。

「まさか今更やめろと言う気ではないでしょうね?」

 桧釐の危惧に否定も肯定もせず、投げ捨てるように返した。

「本意では無いが、この口で勝手にしろとは言った。それを翻す事は無い」

「それなら安心しました」

 喧嘩の末に勝手にしろと言い放ったのが数日前。ちょうど子が生まれた日だ。

 そこからは桧釐の独断で事が進んだ。

「しかしここまで来なくても別に良かったのですよ?後宮で妻子と戯れながら、やれと一言命じて下さればそれで良かったのですが」

 その方が都合が良かったと言わんばかりに桧釐は口元を歪めた。

「そんなもの許されるか」

 静かな怒りを孕んで龍晶は吐き捨てた。

「許されますよ。誰も責めやしません。あなたは王ですから」

「お前達はそんな王を望むか?」

「少なくとも、仕事が早く済んで我々は助かりますね。どうして見物になど来たのです。柄でも無い」

 直球の本音を聞かされて、龍晶は黙りこくってしまった。

 罪人は続々と連れて来られている。処刑台にある者は、ただ王の号令を待つのみだ。

「どうして連れて来た」

 矛先を朔夜に代えて、桧釐は責めた。

 同じ問いを既に龍晶に投げ掛け、答えを得ていたのか、朔夜は迷い無く答えた。

「命令だけして見届けないってのは、無責任なんだってよ。俺はよく分からないけど、こいつの母さんを見殺しにした連中と同じにはなりたくないって理屈は解る」

 獄中で死ぬと知って見向きもせず放っておいた者達への怒り。

 一人でも、人の心を持って手を差し伸べていれば、命は無理でも何かが救われただろうと。

「ならば、覚悟はされたという事で宜しいですね?処刑を命じて下さい。あなたが動かねば、誰も動けない」

 その場の総意が一点に集中した。

 龍晶は口を閉ざし、身じろぎもせず真っ直ぐに首を落とされる罪人を見詰めていた。

 その瞳が揺れているのは、横に居る朔夜だけが知っていた。

「早く」

 苛立った桧釐が急かす。

 恐怖から目を背けるように、目をぎゅっと瞑って息を吸って。

 無理だ、そう言う前に。

 一陣の風が吹き抜け、鮮血がその場を赤く染めた。

 朔夜は処刑台から転げ落ちた首には目もくれず、死を待つ行列へと向かい、次々と首を刎ねていった。

 逃げ惑う者が現れた。手首を縛られて繋がれているので、連結した者が倒され引き摺られ、阿鼻叫喚の混乱の中で無情の刃が確実に命を狙ってゆく。

 朔夜は、自分に向けて救いを求める手を差し伸べた男を確かに見た。

 最初に連れて行かれた(ほら)の中で薬に溺れていた、あの男だった。

 国軍の兵だった男が戦に敗れ、地下に潜って薬に安寧を求めながら死を待つよりなくなって。

 その果てが、この刑場だった。

 その男に自分は言った筈だ。

 生かしてやる、と。

 ()けた男の鼻先に立って、朔夜は見下ろした。

 愕然とした表情で、血走った目で見上げられて。

 助けてくれ、そう男は言った気がした。

 龍晶の気持ちは分かった。痛い程。

 それでも、やらねばならなかった。

「貴様、王命を無視して何をやっている!?これは我々の仕事だぞ!?」

 罪人と呼ばれる者は皆息絶えた。それを呆然と見るしかなかった兵や役人達が、やっと正気に戻って朔夜を詰った。

 これまでに比べれば余りにも簡単で困難な仕事を終えた月は、ゆっくりと彼らを振り返った。

 血に汚れた凄絶な美しい顔に、その場に生きている者達は息を呑んだ。

「王命は俺に下った。文句あるか」

 不満を口にした者達の顔を見据えながら、長刀の血糊を振り落とすと、彼らは震え上がって後退りした。

 嘘は朔夜自身と、何も言えなかった龍晶にしか分からない。その理由も。

 桧釐は難しい顔をして踵を返した。

 朔夜もまた、龍晶を誘って刑場を後にした。

 二人きりで宮殿への道を歩きながら、龍晶は呻くように言った。

「何故あんな事を」

 言葉にせねば分からぬ訳ではないだろう。ただ行動は責めねばならない、それ故の問いだ。

「…お前に汚れ役は務められない。だから、俺が負う。それだけの事だよ」

「そんな事は頼んでない」

「勿論頼まれてない。でも俺はやる。お前の手まで汚させたくないから」

「お前だって…俺は刀を置けと言った筈だ」

 ああ、と空を仰ぐ。

 まだ白い息が青空へ昇ってゆく。

「あのさ龍晶…人にはそれぞれ生き方ってものがあるだろ?お前は王様として、綺麗なまま生きてて欲しいんだよ。俺は、もう手遅れだから。化物として生きていくしかない。でもそれで、お前の役に立てるなら、それで良かったって思える。だからもう怒るなよ」

 それでも遣る瀬無い友の顔を見て、刑場で抱いた本音を教えた。

「俺だって殺したくない相手も居た。救えるものなら救いたかったよ。でもそれをしてたらキリが無いんだ。それぞれの事情なんか汲んでられないから。何より、お前を守れないから。いや、お前は自分の命を差し出してでもあいつらを救いたいのは分かってたよ。お前はそういう奴だよ。でもそれじゃ、華耶が可哀想だろ」

 肩を叩き、歩みを促す。

「華耶だけじゃない。この国の皆が困るんだろ。だからさ、お前はもうちょっと自分を大事にしなきゃ」

 とぼとぼと後ろをついて来る。

 すぐには飲み込めない理屈だろうな、と思った。

 今まで散々、存在を否定されながら育ってきたのだ。今更お前が大事だと言われて、その意味が解るだろうか。

 少なくとも自分には無理だ。それを友に強いているのだから、言葉など空虚なものだ。

 後ろの気配が遠のいた。

 怒って立ち止まったかと振り返る。

 一瞬その姿が無くなったかと思って焦った。が、すぐに見つけた。

 地面に蹲っていた。耳を塞いで、見開いた目を足元に向けて。

「どうした?」

 駆け戻ったが問いに答える事も、視線を向ける事も無い。酷く体が震えている。

 切れ切れの息から、声が漏れた。

「…やめろ…来るな…」

 朔夜は伸ばそうとした手を止めた。

 悪魔の存在を思い出させてしまったのだと思った。

 あの時の、惨たらしい仕打ちも。

 ならば、俺はここに居るべきではない。

 誰か呼ぼうと視線を外した。その時、腰に提げた刀を取られた。

 龍晶はその刀を自分の首筋に突き立てようとした。咄嗟に朔夜はその手を蹴っていた。

 刀が飛び、地面を滑る。

 それを追おうとした手を掴むと、真正面から向き合う事になった。

 正気を逸した目は酷く怯えていた。

 口からは言葉になりきらぬ叫び声が溢れ、手を必死に振り解こうと暴れる。

「落ち着け…!」

 朔夜の必死の懇願は耳に入らぬようで、喚く声が言葉になった。

 俺を殺せ、と言っていた。

 愕然と友を見やる。

 どうして今。幸せの絶頂期ではないか。

 その均衡を、実は危うかった精神の均衡を、崩してしまった?

「おい!どうした!?」

 声を聞き付けたのか桧釐が走ってきた。

「桧釐!助けてくれ!」

 大声で返して、まだ手を振り解こうと暴れる腕を握り直す。

 桧釐は何も説明せずとも察してくれたようだ。尤も、説明している場合ではない。

 従兄にがっしりと体を固められ、朔夜はやっと手を離す事が出来た。

 その手で腰の物入れを探る。祥朗から預かった睡眠薬がある筈だ。

 気付けば周囲には野次馬の輪が出来ていた。その中の一人に水を持って来るよう頼み、柄杓ごと受け取って薬を混ぜた。

「ほら、薬だ。飲め」

 まだ桧釐の腕の中で身を捩って暴れていたが、その一言でふと動きが止まった。

 直感的に悟った。

 こいつは無意識に、あの恐ろしい芥子の薬を求めているのではないかと。

 そしてこれは、その副作用なのだろうと。

 睡眠薬を溶かした水を飲ますと、程なくぐったりと桧釐の腕に身を預けた。

 二人は目を見合わせる。ひとまず大丈夫だろう。

 桧釐は朔夜に眠った体を押し付け、周囲に怒鳴った。

「行け!妙な噂を立てたら許さんからな!」

 蜘蛛の子を散らすように、野次馬は解散した。

 人影が無くなる様を見届けてから、桧釐は一つ溜息を吐いた。

「やり過ぎたよ、お前」

 処刑についてだろう。あれが引き鉄になった事は間違いない。

「悪い。でも、決着は早い方が良いと思って」

 朔夜の言い訳に、まんざらでも無さそうに肩を竦める。

「ま、俺としては助かったよ。仕事が早く終わって」

 桧釐は再び龍晶の体に手をかけ、軽々と背負った。

 朔夜の白い目に見られながら。

「人の死をそんな風に言うなって?」

 歩き出しながら、目もくれずに言う。

 朔夜は図星であった思いを不貞腐れたように自ら否定した。

「別に。そんな綺麗事は通用しないだろ。お前達は国を動かしてるんだから」

「他人のお前はそれで納得しても、当事者がその狭間で溺れ苦しんでるからこのザマなんだろ」

 背中の当人を揺すり上げる。

「じゃあ、どうするんだよ。どうやったら引っ張り上げられるんだ」

「どっちの岸に?」

 問われて、朔夜は何も言えない。

 これも仕事だと割り切れるようになれば、確かに楽にはなるのだろうが。

 そうしろと言われれば、余計に苦しむ事になるような、そんな気がする。

「なるようにしかならんだろ。俺は事務的に物事を進めるが、それもこの王あっての事だ。この人が情を捨てれば、反乱前の国に逆戻りだろ。そうなれば終わりだ」

 朔夜は改めて、しげしげと彼を見た。

「結構しっかり物を考えてるんだな。知らなかった」

「おい。それは知っとけ」

 軽く笑って、朔夜は問う。

「で、どこに寝かせる?」

「それだ。お前はどう思う」

 選択肢としては、後宮にある本来の寝室か、独身時に使っていた執務室横の仮眠室か。

「後宮だろ。いつ目覚めるかも分からないし」

「后陛下は心配しやしないか」

「目の前に居ない方が心配だよ。大丈夫、華耶には上手く説明するから」

「暴れるから眠らせたって?」

「馬鹿。そんな事言うか。具合が悪くなって急に倒れたって事で良いだろ」

「ふうん」

 嘘を使う事が意外であるかのように桧釐は応じた。だが所詮、他所の家庭の話なので首を突っ込む気は無い。

 龍晶の身を後宮に預けるべく、当然のようについて来る朔夜に、桧釐は眉を潜めた。

「で、お前はそのまま後宮に入れるとでも思ってるのか」

「え?龍晶にいつでも入って良いって許可は貰ってるし、何か問題が?」

「大有りだ。って言うか自覚無いのか。その血みどろの姿で」

「あ…」

 如何にこれが自分の肌に馴染んでしまっているか知れようというものだ。

「洗って来い。その後は頼むぞ。目覚めてまた錯乱しないとも限らない。付いていてやってくれ」

「ああ」

 桧釐と別れ、着替えを取って来るべく自室へと向かう。

 歩きながら、顔に付いてすっかり乾いた血糊を手で拭った。

 何も感じない。殺した人間の顔も、すぐ忘れる程に。

 その分あいつが苦しむのだと思った。

 自分が手放しつつある人間の情を、その分もあいつは背負い、罪として抱えている。

 ならば、その友の為にも刀は置かねばならないのか。

 今まで受け止めていたようで聞き流していたその願いに、改めて向き合う気になった。

 あいつの為なら、考えねばならない。

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