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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十話 面影
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 父親がおろおろと待つ間も無く、すこぶる安産で子供は産まれた。

「さっすが私よね!」

 生命力の塊のような母親は何故か産後にも関わらず自画自賛する程にぴんぴんしている。

 今は玉のような男の子を華耶が抱いている。横から実母が覗き込み、幸せな空間の隅に桧釐が胸を撫で下ろして立っている。

 その空間に入れずに並ぶ、男子二人。

「ちょっとあんた達、そんな所で何やってんの」

 於兎に呼ばれて、二人は気まずく目を見合わせる。

 朔夜が抜け駆けとばかりに返した。

「だって俺、関係無いし」

「あるわよ。何せ、命の恩人様が子供を産んだのよ?普通はお祝いに来るわよねぇ」

「それこそ関係無いだろ…」

 ぼやく朔夜の横の龍晶を、華耶が手招きした。

「陛下の御子ですよ。ほら、そっくり」

 え、とその場に居た大体の人間が疑問符を付ける。

「…祖父母に似たんだろ。たぶん」

 龍晶だけが何となく妻を庇って、恐る恐る近寄った。

 似ている…かは、まだ判然としない。まだ皺の多い赤子の顔だ。

「名前、どうしましょう」

 華耶は、実親の二人と夫の顔を順々に見て尋ねた。

「王の名を授けてやって下さいよ、陛下」

 桧釐の言葉に龍晶は首を振った。

「まだその必要は無いだろう。俺だって今の名は五歳の時に父から授けられた。代々そうしているそうだ。それまでの幼名は、お前達で付ければ良い」

「成程ねぇ。じゃ、どうしようか」

 桧釐は妻に訊く。

「そうねぇ。私も残念ながらそこまで学が無いのよね、玉に瑕な事に。やっぱり学のある王様が名付けた方が良いんじゃない?」

「えっ…」

 それなりの学はある筈なのに名指しされなかった桧釐と、責任を免れたかった龍晶の声が重なる。

 が、その表情を見て於兎はすぐに意見を翻した。

「あ、そうだ!華耶ちゃんが考えたら良いじゃない。字を教えて貰った成果を発揮する時じゃなくて?」

「え、私が?」

「だって華耶ちゃんの子なんだもの。ねぇ、あなた?それが良いわよね?ねぇ、王様?」

 桧釐は妻の言う事に否を言える筈もなく、最初から自分に決定権は無いという気楽な構えだ。若干がっかりはしているが。

「良い?」

 華耶は夫に訊いた。龍晶は肩を竦めて答えた。

「無論。この子にとっても母からの名は嬉しいものの筈だから」

 彼自身が母から贈られた名を今も大事にしている事を思い、華耶は頷いた。

「春の字は入れたいんです」

 華耶は自分の考えを言葉にして、龍晶に微笑んだ。

 二人だけが解る理由。

「ああ、そうね。もう春ですもんね」

 於兎は別の理由で納得している。誰もがそう思うだろう。

 すぐそこまで来た春を寿ぐ名だ。

「もう一字は?」

 尋ねられて華耶は少し考え、於兎の手に子を返すと龍晶の耳に手を当てて囁いた。

 彼は頷き、従者に筆と紙を持って来るように頼む。

 程なくして届けられた品に、妻から提案された名を記した。

 春音(シュンオン)

「難しい字はまだ知らないから…」

 華耶が恥ずかしそうに呟く。

「いや、良いと思う」

 龍晶が言って、皆に見せる。

「春の音を聞き暖かさを待ち詫びる、そういう時季だから。この国にとっても」

 名付けの意を妻から汲んで、龍晶は一同に説明した。

「あらぁ、良い名を頂いたわね。あんた、春音っていうのよ」

 子を抱く於兎が手元に言い聞かせる。

「よろしくね、春音」

 華耶が覗き込んで、自ら付けた名を呼ぶ。

「陛下」

 桧釐が近寄って来て、低く龍晶に尋ねた。

「龍の付く名をきちんとこの子にやって下さいよ?逃げないで下さいね」

 龍晶は無言のまま視線だけをくれた。

 不安が煽られる。

 横で聞いていた朔夜があっけらかんと返した。

「別にまだ良いだろ。五年後に考えればさ」

「お前は関係無いだろ」

「自分でずっとそう申告してるのに、お前の奥さんが逃してくれないからだろ」

 桧釐に対して幼稚に舌を出す。桧釐はお返しとばかりに朔夜の頭を鷲掴みにして揺すっている。

 そういう横の喧騒を他所に、龍晶はただ無表情で子供を見ていた。

 華耶がそんな彼に気付いて、誘う。

「抱いてみられます?」

 咄嗟に首を横に振っていた。

 そんな恐ろしい事、出来ない。

「大丈夫だって。いくら非力な王様でも、そんなに重くはないから」

 於兎に無理矢理腕へと押し付けられ、華耶が二人羽織のように腕を操り、その小さな命を懐の中に入れた。

 自分の手の中にある命が、その事実が、ただただ恐ろしい。

「やっぱり、落としちゃいけないから」

 数秒で華耶へと返した。適当な言い訳を添えて。

 それでも華耶には本音を見透かされた気がした。受け取った時の顔に笑みは無かった。

「王様ったら怖がりね。ねぇ、あなた」

 於兎は揶揄い、横で朔夜と戯れ合う夫を呼ぶ。

「は、はい?」

 話を何も聞いていなかったし見てなかった。於兎の用件はそれとは関係無かったのが幸いだ。

「次は正真正銘の自分達の子を作るわよ!男の子も女の子も欲しいし、それぞれ遊び相手も必要だから、最低でも四人以上ね。だからしっかり働きなさい!」

「えっ…えええっ!?…はい!了解致しましたぁ」

 妻に睨まれて自分の言い分など許される筈も無い。

 於兎は満足そうに鼻を鳴らして、優しい笑みに直って華耶へ言った。

「だから華耶ちゃん、私には遠慮せずに、この子を自分の子供として育ててね」

「はい!ありがとうございます!」

 はっきりと掴めない現実の輪郭の中で、龍晶は嬉しそうな華耶の笑顔だけを視界に入れていた。


 女達と赤子を囲みながら夜は更けた。

 女官と実母に子を頼み、華耶は閨へと戻る。

「あ、お帰りでしたか。お待たせしてしまいましたね」

 こんな事は当然今まで無かったが、龍晶が先に入って待っていた。

 暇を持て余したのか、書物を読んでいたらしい。

「先にお休みになっていても良かったのに」

 何気なく言って、ふと異変に気付いた。

 いつもは部屋の中で控えている宦官も女官も見当たらない。

「お人払いを?」

「一人になりたくて」

 無用心だし、なにかと不便だろう。

 華耶は少し躊躇って、問うた。

「私も何処かへ出ていましょうか」

 龍晶は真顔で首を横に振った。

「もとい、二人きりになりたかったんです」

 華耶は長椅子の夫の隣に座った。

「考え事ですか?」

 察しの良い伴侶の問いに頷いて、龍晶は俯きがちに告げた。

「今日ずっと考えていました。きっとあなたは、本当は自分で産んだ子を抱きたいのだろうな、と…」

 華耶は驚いて返した。

「それは無理ですよ。もう諦めています。この体では…」

「本当に?」

 言葉を遮って問われる意味を測り兼ねる。

 困惑の表情を受けて、龍晶は続けた。

「その証明は出来ない筈です。あなたの体に異常があるとは誰も言えない筈。だとすると、誰かがあなたを騙しているのではないかと…そう考えてしまうのは間違いでしょうか」

 華耶は夫の横顔を覗き込んで、その真意も汲んで、言った。

「間違いでしょう。だって、それを教えてくれたのは皓照さんです。私に永遠の命がある事と引き換えに、子供を身篭れない体となった事を教えてくれたのは、五年も前の事です」

 龍晶は目を閉じて考え、そのまま呟いた。

「俺はあの男を信じられない。五年前、既にこの計画があったとも考えられる。確かに不老不死となった者は今まで見てきた誰も子を持っていなかったから、それは本当なのかも知れないが…そもそも、華耶が本当に不死となったかどうかすら、証明できる話ではないのでは?」

「いいえ。その証拠はあります」

 龍晶は驚いて目を見開いた。

 微笑む華耶の顔がある。

「お風呂に行きませんか?その証明が出来ますから」

「いや…でも…」

「話を聞いて欲しいんです」

 強く言われて、龍晶は上目遣いのまま頷いた。

 閨の隣に設えてある湯屋に二人きりで向かう。

 薄暗い灯りの中で、華耶がまだ慣れぬ后の着物に苦労しているうちに、夫は薄衣を羽織ってさっさと湯船に向かってしまった。

 やっとの事で追い付く。湯煙の中の不確かな人影は、湯船の隅で膝を抱えていた。

「怒ってます?」

 あまりに態度が不機嫌に見えたので、不安になって華耶は訊いた。

「いいえ。華耶は悪くない。ただ、醜いものを見せる訳にはいかなくて」

 龍晶は薄衣を着たまま湯の中に居た。その布一枚が、二人の縮まらない距離に思えた。

 華耶もまた湯の中へ浸かって、無理に視線を合わせなくて良いように隣へ座った。

「醜い傷を持つのは、私の方です」

 言いながら龍晶の片手を持ち上げ、その掌を己の胸へと導いた。

 触れた肌に、有り得ぬ感触があった。

 思わず視覚で確かめる。

 心臓のある左胸の辺りだけ、皮膚が変色し黒ずみ、突っ張って固まっている。

 その中心に、丸い穴の跡があった。

「これは…!?」

「矢傷です。朔夜が庇ってくれていた、その体を貫通して、ここに刺さったんです」

 傷痕からして、決してこれは骨で止まったような浅い傷ではない。心臓まで達している。

「私は確かに一度死んだんです。朔夜と一緒に。だから今こうしているのは、朔夜があの瞬間、不死の力を分けてくれたからに他なりません」

 龍晶は言葉を失って傷痕を見詰めていた。

「私は奴隷だったんです。ご存知でしょうけれど」

 華耶は自らの傷を撫でながら言った。

「繍で労働し、鞭打たれる日が続きました。子供心にそれは仕方のない事だと思っていた…戦に巻き込まれた以上は、もう諦めるしかない事だと。でも絶望はしていなかった。朔夜が居たから。戦に出されて傷付き果てて戻ってくる朔夜の為に、私は笑顔で待っていようと決めたんです。だけどある日、ただ労働するだけでは許されなくなって…。朔夜を思いのまま動かす為の、私は道具とされてしまった。朔夜への見せしめとして、彼が憎む人に抱かれました。だから、ごめんなさい。本当はあなたに触れてはいけないくらい、汚れているんです。ごめんなさい。所詮、私は奴隷なんです」

 龍晶は華耶のうなじを抱き寄せて、唇を重ねた。

 不器用でも、そうするしか無かった。

 そしてまだ唇の触れそうな位置で、そっと言い返した。

「それを言えばこの身も同じです。奴隷同然に犯され、嬲りものにされてきた。俺だってあなたに触れられる身ではない。でもあなたは汚れているとは思いません。あなたは美しい。これまで出会った誰よりも」

 華耶はその身が受けてきた地獄を知り、まだ崩れずにここにある奇跡を思い、強く抱き締めた。

「…要らぬ事を口にしました。許して下さい。あなたが幸せそうに笑う顔を見たくて、もっと幸せになって欲しくて、つい考えてしまったんです。俺がこんな体でなければ、と」

 抱き締められながら耳元に言った。

 交差する首を横に振って、華耶は返した。

「分かっています。あなたの優しさは。でも解って。私達、お互い様ですから」

 正面から、至近距離で見つめ合って。

 華耶がふっと笑って、提案した。

「お背中、洗いましょうか」

 骨の浮く、子供のようなか細い背中だと思った。

 そこに大小様々な、無数の傷痕が皮膚の蓋となって残っている。

 洗い場でも、龍晶は俯きがちになって膝を抱えていた。

 この上まだ何を隠そうとしているのだろうと、華耶は不思議に思いながら麻布ごしに背中を撫でていた。

 それが判ったのは脱衣所で濡れた薄衣を剥いだ時で、思わず横目に見てしまい、あっと声が漏れた。

 問題は胸から腹部に現れている、班目の痣だった。

 龍晶はさっと新たな衣を羽織ったが、諦めたように華耶へと向き直った。

「…気味が悪いでしょう」

 華耶は首を横に振ったが、それを裏付ける言葉が出て来なかった。

 龍晶は言い訳するように続けた。

「これでも減ってはきたんです。あなたと暮らすようになってから」

「それは…朔夜のせいですか」

 そういう事があったのは、既に灌で聞かされている。

 その傷が命を蝕む事も。

 それを忘れさせていたかったのだろう。ひた隠しにしていたのは。

 華耶が朔夜を愛していると、知っているから。

「違います。俺の罪です。罪に対する、罰です」

 龍晶の答えに華耶はきっぱりと首を振った。

「そうやって自分ばかり責めないで!」

 声が浴室に(こだま)した。

 初めて怒られた子供のように、龍晶は呼吸も忘れて目を見開き、母のような人を見詰めた。

 華耶は痣のある上に掌を当てて、体を撫で、その手で頬を包んだ。

「そういう考えで居たら、治るものも治りませんから。朔夜の為にも、やめてあげて下さい」

 両手に包まれた顔は、素直に頷いた。

「…治ってきているんです。華耶と居るから。ほら、少し前まで一人で歩けないくらいだったのが、今日はこうして歩けるでしょう?完治はしないかも知れないし、また悪化するかも知れないけど」

 薄衣のまま閨に戻り、灯りを消して、何も隔てるもののない肌を重ね合って横たわる。

「…ずっと、そばに居てね。私や春音の為に」

 胸元で囁かれた願いを考えて、暗闇の中の未来を掴みあぐねて。

 せめて、春音に父親の記憶が残せれば良いなと、そう思った。

「二人の未来を守るのが、俺の仕事だから」

 その為に残り少ない時間を生きる。そう決めている。

 腕の中にある温もりに恐怖したのは、己に委ねられる命を確かに守り抜く自信が無いからだ。

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