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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第十九話 華燭
20/71

9

 小春日和が本物の春めいてきた。

 ぽかぽかと日の差す庭園で、女達がお喋りに興じている。

 華耶は今にもはち切れんばかりに大きくなった於兎の腹を撫で、動いた!と声を上げて笑っている。

 それが自分の子になる事は告げられた。勿論、否と言う筈も無く、産まれる日を楽しみにしている。

 そうなれば、於兎は実母でありながら乳母となる。こちらも納得済みで心得ている。

「でも良かった、於兎さんが居てくれて。こうしてお喋り出来る人は、やっぱり於兎さんじゃなきゃ」

 華耶へお薦めの菓子を押しやりながら、まんざらでもなく於兎は笑った。

「そうでしょう?好きな人とは言え、男にばっかり構ってたら嫌にもなるじゃない。たまには女同士で愚痴らなきゃね!で、どうなの?華耶ちゃんの旦那様は」

 まるで市井の人のように言う。女のお喋りはそのくらいで丁度良い。

 華耶は焼き菓子を頬張りながら、少女のように顎に手を当てて空を眺めながら考えた。

「うーん…愚痴になる事が思い当たりません。ほんと、何て言うのかなぁ…不敬な言い方ですけど、可愛いんです。何してても可愛いんです。何事も一生懸命頑張ってる子供みたいに」

「惚気るわねぇ!良いの良いの!新婚さんだもん!うちの人なんかねぇ、何やってても不細工で親父臭くなっちゃって、もう駄目よぉ」

 誰憚る事なく華耶が笑う。

 更に調子付いて於兎は声を高くした。

「華耶ちゃんを初めて見た時の事、朔夜が告げ口に来たわよ?じーっと見てたって。だから昨日、問い詰めてやりました。華耶ちゃんは可愛いのは分かる。私もそう思う。でも今から王様の妻となる人に、その態度は無いでしょ!って鼻を摘み上げてやったの。そしたら泣き声で、ごめんなさいーっ、もう許してぇーって、情けないわよねえ?良い歳になる筈なのにね」

 桧釐の声真似をして再現される夫婦の修羅場に、華耶はまた笑う。

 そこへ夫二人と杖になっている朔夜が通りかかった。

「なんか楽しそうだな」

 自分がまな板の上で捌かれているとも知らず、桧釐が声をかけてきた。

「当たり前でしょ?女の会話がつまらない筈ありません」

 妻が踏ん反り返って答える。

 朔夜は(いま)だにどうして桧釐が彼女を選んだのかよく分からない。

 華耶は菓子を手に、夫と幼馴染の元へ駆け寄った。

「これ、美味しいから食べてみて!」

 嬉しそうに菓子を半分に割り、まずは龍晶の口へとその手で運ぶ。

 それを間近で見て目を白黒している朔夜の口にも、割った菓子を指で押し入れた。

 甘い。それ以外は味わう余裕も無い。

「どうですか?陛下」

 頬が触れそうなほど顔を近寄せて華耶は問うた。

 味わう余裕が無いのは龍晶も同じだったのだろう。頷くだけで精一杯だった。

「朔夜は?」

 顔を傾けて見せて無邪気に訊く。あわあわと朔夜は答えた。

「う、美味いよ。うん、普段菓子なんか食べないから、とっても美味い…」

「でしょ?良かった。於兎さーん、二人とも喜んでくれましたよ!」

 振られた手を振り返しながら、隣に居る夫にだけ聞こえるように言った。

「何やってても子供みたいで可愛いって、あの三人をまとめた形容よね…」

 桧釐も妻にだけ聞こえる声でぼやいた。

「こんなに天真爛漫な三角関係が存在して良いんだな。いや、すげぇわ」

 華耶はそんな背後の感想など知らず、一歩引いて二人に訊いた。

「お仕事?」

「ああ。城の中に新しい建物を作る空き地が無いか探してる」

 朔夜が答え、龍晶が補足する。

「子供達に文字や計算を教える学舎を作るんです。その中から優秀な者を役人として育てられるように」

「わあ、それは素敵ですね!私も教えて貰いたいな」

 華耶は文字を書けない。それを知らぬ龍晶は意外そうに眉を上げた。

「梁巴の人は文字なんか要らなかったから。俺はあの糞親父にちょっとだけ仕込まれて、あとは繍で覚えた。伝令に必要だったから」

 朔夜の説明に納得し、彼は妻に言った。

「俺で良ければ教えますよ。毎晩、寝る前に少しずつやれば、すぐ覚えられるでしょう」

「ほんとですか!嬉しい!」

「なーにを教えるんだか」

 いつの間にか寄ってきた桧釐がにやにやしながら冷やかす。その意味が分からず朔夜は真面目に答えた。

「哥の言葉まで覚えられそうだな」

「良いね。二人だけの暗号になる」

「黙れお前ら」

 朔夜は完全にとばっちりで怒られる意味が分からない。

「行くぞ。なるべく城門に近い場所が良い」

 去ろうとした男達の背中を見て於兎は提案した。

「華耶ちゃん、私達も散歩がてらついて行こうよ」

「良いですね。私まだお城の中を探検してないし。行きましょう」

 思わぬ隊列となって進みだす。

 二人の夫は気が気ではない。

「お前、その身重で何かあったら…」

「良いの。ちょっと運動もしなきゃ」

「后があまり出歩いては…いや、俺は気にしないけど、やかましく言う者も居るし…」

「良いんです。私、気になりませんから。陛下さえ良ければ」

「良い天気だなぁ」

 朔夜だけ蚊帳の外で混ぜ返すしか役割が無い。

 前庭を突っ切り、城門近くまで来て、一行は足を止めた。

 祥朗が走り寄って来る。

「どうした?」

 明日には医者修行に戻る祥朗は、嬉しそうな顔で兄の袖を掴み、城門の方を指差した。

 一組の人馬が、厩の前に止まっている。

「あれは…」

 目を見開き、その姿を注視して、弟に問う。

玄龍(ゲンリュウ)か…?」

 祥朗は大きく頷いた。

 弟に袖を引かれるまま、龍晶は人馬へと歩んだ。一行もそれに続いた。

「お久しぶりです、龍晶陛下」

 馬を連れていたのは亡き佐亥の従姉妹に当たる十和(トワ)だった。

 戦になる前、彼女の里へ祥朗と玄龍を預け、佐亥もそれに続いた。佐亥はそこで前王の差し向けた兵に殺された。

「ご無事だったのですね」

 主を忘れず甘える玄龍の鼻面を撫でながら、龍晶は彼女に問うた。

「はい。あの時、私は使いに出て里に居なかったので。難は逃れましたが、陛下の大事なお二人をお助け出来ず…申し訳ありませんでした」

「謝らないで下さい。あなたが無事であって良かった。こいつも」

 言って、愛馬を見上げる。

「陛下と祥朗の大事なお馬さんですから、お返しせねばと思いまして」

「よく連れて来て下さいました。もう会えないと思っていた…」

 黒い馬の首筋に顔を埋もれさせて、その鼓動を感じて。

 顔を上げ、肩を借りる朔夜に、まるで年端も行かぬ少年のように言った。

「乗りたい」

「え」

 どうやって、と問う前にもう鞍に手を伸ばしている。

「待って待って。俺が先に乗って引き上げるから、桧釐に持ち上げて貰え。良いか?」

 きらきらと光る目で頷く。本当に馬が好きなんだと、呆れるような、感心するような。

 桧釐にまず龍晶を預け、朔夜は鎧に足を掛けひらりと跨った。

 鎧から足を外し鞍の後ろへ座り、桧釐に抱き上げられた龍晶の腰辺りに手を回す。龍晶は鎧に足を掛け、二人に支えられながら、痛そうに顔を顰めつつも何とか片足を回した。

「よし。乗れた!」

 朔夜が手を叩き、馬から飛び降りた。

 一人で騎乗する龍晶は、何処か不思議そうな面持ちで、馬上からの景色を見ていた。

 この背中から見る景色は、一変していた。

「陛下、どうですか」

 笑顔で華耶が問う。

 その隣で、祥朗も笑っている。

 桧釐も、於兎も、十和も、近くを通りがかったり作業をしていた者達も、笑顔で己を見上げている。

 数多の失意の中でこの背中に揺られていた頃を知る朔夜は、馬の首筋を撫でて宥めながら、感慨深げに見上げた。

「良かったな」

 その一言が、胸にずんと響いた。

「…ああ。良かった。ありがとう」

 それに応えるように、玄龍が(いなな)いた。

 皆が笑う。それにつられて、龍晶も少し笑って。

 佐亥と過ごした厩を振り返って、報われなかった過去の自分を探した。

 今、こうしている自分を知ったら、あの時の自分も救われるだろう。

「佐亥の墓へ案内します」

 馬上から十和に告げて、手綱を向けた。

「良いな。一人で行きたい所へ行けるから」

 隣を歩きながら朔夜が言う。

「お前も自由に動けるし?」

 龍晶が返すと、朔夜は桧釐に言った。

「建物の中も馬で入れるようにしてくれないかなぁ」

「お前が馬になればな」

「えぇっ」

「背丈としてはお前の方が似合いだ桧釐」

「えっ、乗ります?十数年ぶりに」

「いや…遠慮しておく」

 後ろで女達が幼い主従を想像して笑っている。

 厩の裏へ佐亥の墓はある。

 その墓を前に、龍晶は華耶へ説明した。

「城で行き場の無かった俺と祥朗を、親のように世話してくれた人です。彼が居なければ、俺はとっくに人間をやめていたと思う」

 自死を選んでいたか、(すさ)み切って人の道を外れていたか。どちらかだろう。

 佐亥は人に温もりのある事を、龍晶がどんなに冷たい所へ行こうとも忘れぬよう繋ぎ止めていてくれた。

 お陰で今がある。

 華耶は十和と並んで跪き、祈りを捧げた。

「里に来てから、佐亥はいつも龍晶様の為に陰膳を用意して無事を祈っておりました」

 墓を見ながら十和が教えた。

 共に暮らしていた祥朗も頷く。

 十和は墓へと語りかけた。

「良かったね、佐亥。我が子のように大事な龍晶様が、こうして王様になられて。きっとどこかで喜んでるよね」

 隣の華耶も、同じように語りかけた。

「陛下をお救いして下さって、ありがとうございます。お陰様で、私は素敵な人に出会えました。これからも、見守っていて下さいね」

 朔夜は友の肩を抱く代わりに馬を撫でて、龍晶を見上げた。

「お前は苦労した分だけ愛されてるよな。全然一人ぼっちじゃない」

 何も言えず、手元の鬣を指で梳いていた。


 約束した通り、寝台に二人並んで座り、文字の教習が始まった。

 龍晶は、書庫から王家の子が最初に読む書物を持ってきた。乳母が寝物語に読み聞かせる、簡単な童話だ。

 その中の文字を一つ一つ教える。華耶はそれを習い覚える事自体が嬉しいようだ。

 春、という字で文字列をなぞっていた華耶の指が止まる。

「これ、仲春の春?」

 龍晶は頷く。

「俺が春の花盛りの頃に産まれたから、この字が付いたらしい」

「そっか、じゃあ私と一緒だ。華耶の華は花って教えて貰ったんです」

「ああ、その華は…」

 華耶の掌に指で文字を書く。その感触で、彼女は文字を思い浮かべる。

「難しいんですね」

「いずれきちんと教えます。まずは簡単なところから」

「はい、先生」

 華耶は戯けて笑い、また文字列をなぞる。

 一行、二行とこなしていって、ふとまた華耶は指を止めた。

「これは、『笑う』。…どうしました?」

 それまでと同じように字の意味を教えて、復唱しない華耶の横顔を窺う。

「いえ、何でも無いんですけど、ちょっと考えてて」

「何を?」

「どうして仲春は、笑わないのかなって」

 己への思わぬ疑問に驚き、少し考えて否定した。

「そんな事無いですよ。別に笑わないなんて事…今日だってほら、俺は笑ってましたよ」

「そうですよね。でも、なんか…心から笑ってるお顔をまだ見てない気がして。ほら、朔夜とは仲良くお話してるけど、あれは苦笑というか、仕方なく笑ってるでしょう?」

「それは…確かに」

 あいつが馬鹿な事ばっかり言うせいだ、とは彼女の前では言うまい。

「あなたの笑顔は、なんだかいつも、悲しそう」

 そう言いながら真っ直ぐに向ける彼女の瞳こそ、悲しげだった。

「…すみません」

 そういう目をさせてしまう事が罪な気がして、龍晶は謝っていた。

 華耶は慌てて笑顔を作り両手を振る。

「すみません、すみません!謝らなきゃいけないのは私の方です!変な事言ってごめんなさい!」

「いえ、全然変じゃないです。…俺も考えてたんです。どうしてあなたの笑顔はそんなに眩しいんだろうって」

 作り笑いを解いて、華耶は真顔で夫の横顔を見詰めた。

「どうしてそんな風に笑えるんだろう、って…。俺はあなたの言う通り、笑い方を忘れました。それがいつの事かも分からない。兄と母の死体を見てから、笑う事すら罪な気がして、なんだかずっと胸に引っ掛かりを覚えているんです。でも、それより前から楽しいとか嬉しいとか、そう思ったのがいつだったかも分からない。だから、俺が笑うと変に見えるんだと思います」

「変なんて事ないです。でも、分かりました。あなたが悲しく笑う理由。苦しくて悲しい思いをたくさんしてきたから」

「それは理由にならないでしょう。華耶だって、これまで散々苦しくて悲しい思いをしてきた筈です。それでも、そうやって心からの笑顔を見せられるのは、どうしてなのか…それが分からなくて」

「私は単純だから。今が楽しければ笑うだけです」

 龍晶は緩く首を横に振った。

「あなたは心が強い。俺には持てないものを持っているから…それに憧れるんです」

 肩を抱き寄せ、耳元に口を寄せて。

「でも、俺の前では無理して笑わないで。泣きたいなら泣いてください。弱音も愚痴も聞かせてください。俺には何も出来ないけれど、あなたの悲しみも知っていたいから」

 顔を離して、微笑んだ。

 影のある、悲しみを含んだ微笑。

「そうじゃないと、不公平でしょう?」

 華耶は頷く。とびきりの笑みで。

「分かりました。でも、何も悲しんでられないくらい、私は今楽しくて幸せです」

 そして書物を持ち直し、愛しい教師に告げた。

「ここまでおさらいしますから、聞いていて下さいね」

 辿々しく読み上げる。間違え、つっかえ、それでも何とか昨日まで知らなかった文字を声に出していく。

 ふと、肩に重みを感じて声を止めた。

 今にも閉じそうな瞼。書物を手放し、我が身に寄りかかる体を支えて寝かせた。

 隅に控える女官に合図して灯りを消させる。

 安寧の闇の中で、傍らに眠る額に口付けを落とし、寄り添って夢を見た。

 朝日を感じて目を開ける。

 繋いだままの手に僅かな力を加えて、もう一度指を絡める。

 それだけだったのに、眠そうな瞼が開いた。

「あ、ごめんなさい。起こした?」

 小さく首が振られる。まだ喋れる程、眠りが覚めていないらしい。

 繋いでいた手を解いて、顔の上に乱れた黒髪を撫で掻き分けて、口付けを交わす。

「まだ寝ていて」

 頬を撫でて告げ、華耶は起き上がった。

 今日こそは自分で朝食を作ろう。二人分、一緒に食べられるものを。

 寝台を抜けて鏡に向かい、自分の髪を結っていると、後ろから悲痛な声が聞こえた。

「…痛っ…!!」

 驚いて振り向く。

 寝台の上で、龍晶が顔を苦痛に歪めて悶えている。

「大丈夫ですか!?大変!誰か、お医者様を!」

 人を呼ぶ華耶に手を伸ばして、待って、と喘ぎながら言って。

「大丈夫…。筋肉痛です」

「えっ」

「久しぶりに乗馬したから」

 馬に乗る事は全身の筋肉を使うかなりの運動である。

「大丈夫です。痛くて動けないけど」

 もう一度言って、慎重に腕を下ろす。

 思わず華耶は噴き出した。

「それは起き上がるのも大変ですねぇ。せっかくですから、今日一日ここでお休みされたら?」

「そんな理由で休んでたら、朔夜と桧釐の良い笑いものですよ…」

「ごめんなさい。私、笑っちゃいました」

「あなたは良いんです。華耶に笑って貰えるのは…嬉しい」

 華耶はそれ以上我慢できず笑った。

 子供のように意地らしい顔が、可愛くて愛しくて可笑しかった。

 龍晶も笑っていた。

 自分への情けなさは有るがそれ以上に、好きな人が目の前で笑っていてくれる事が、心から嬉しいと思えた。

 胸を塞ぐ栓の息苦しさを、今だけは忘れて笑っていた。

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