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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第十九話 華燭
19/71

8

 事の経緯を説明して、苴王は最後に補足した。

「燕雷殿の助言でな、この日まで花嫁の名は明かさぬ方が良い、と。若い者は驚かしてやった方が喜びますよと言うのでな。そちらの事をよく知る燕雷殿の言う事でもあるし、そういうものかと思って隠しておった。驚いたか?」

 思わず朔夜と顔を見合わせて、それが二人の総意であると確信して、龍晶は答えた。

「はい、それはもう、とても」

「そうか、良かった」

 王は笑い、出口へと足を向けた。

「挙式まで、積もる話を語り合うが良い。ではまた後でな」

 衝撃の余韻から動けずに居る二人に目を向けて、桧釐もまたこの場を去ろうと動き出した。

 その前に華耶の前に立ち、一礼して、まじまじとその姿を見る。

 華耶は小首を傾げて微笑んでいる。

「おい、何やってんだよ」

 流石に主人から苦言を頂いて、悪びれもせず振り返ってへらっと笑う。

「すみません、つい。美人さんですから」

「於兎に言うぞ」

「すみません!悪うございました!それだけは勘弁を!」

 華耶は一人場違いに、ああと納得した声を上げた。

「於兎さんの旦那さんですか?わあ、素敵!みんなここで家族になっているんですね!」

 桧釐は慌てて直立不動に直り名乗った。

「申し遅れました!不詳、私、於兎の夫を仰せ使っております桧釐と申します!ここの陛下とは従兄弟で主従で()り役で使いっ走りです!どうぞ、以後よろしくお願い致します!」

「余計な事言い過ぎだお前」

「於兎の方がご主人様みたいだな」

 口を挟まずにはおれぬ外野はともかく、華耶は膝を曲げて上手に会釈して応えた。

「華耶と申します。今日からお世話になります。どうぞ、よしなに」

「お近付き出来て光栄です。流石は朴念仁の陛下が惚れた人だ。これは良い目の保養になっ…だっ」

 語尾が鈍ったのは、龍晶の意を受けた朔夜が膝裏を蹴り、かくりと身の均衡を崩したからだ。

「お前はさっさと出て行け。義父上の気遣いを無駄にするな」

 呆れ混じりの主人の言葉に、桧釐はまだ懲りず反論した。

「えっ、それじゃ、朔夜は」

「野暮は言うな。邪魔なのはお前だけだ!」

「はぁい。分かりましたよぉ」

 分かっていて言っている。戯けながら扉に向かい、その扉が閉まる瞬間まで華耶を見ていた。

「やれやれ…申し訳ない。締まりのない奴で」

「いえ、面白い方ですね。これからの暮らしが楽しみです」

「普段はもうちょっとまともなんだけどな」

 三者三様に思う所を述べて、龍晶は改めて華耶に席を薦めた。

「ようこそお越し下さいました。まさかこの様な形で再会出来るとは思いませんでしたが…」

「本当にな」

「謀ったのはお前だろ」

 口を挟んだ朔夜に釘を刺す。

 が、華耶は言った。

「ありがとう、朔夜。戔に来れて、嬉しいです。二人の居る戔に行きたくて私ずっと、どうすれば良いか考えてたから」

「…良いのですか。こんな形でも」

 意を決して核心を問う龍晶に、華耶は別の方向から答えた。

「燕雷さんが口止めしたのは、きっと龍晶さん…あ、失礼しました…龍晶陛下の為ですね。朔夜も私も、こんなに嬉しい事は無いんです。陛下にご不満が有れば、私は引き下がります」

「俺に不満など、何も」

 驚いて反射的に否定した龍晶に、華耶はにこりと笑った。

「お嫁に迎えて下さって、ありがとうございます」

「あのな、華耶。こいつ、昨日の夜からさっきまで、ずーっと華耶じゃなきゃ嫌だ、嫌だって駄々捏ねてたんだぜ?」

「そんな事は言ってないっ!」

 龍晶は顔を赤くして食ってかかるが、朔夜はもうその本心を知っている。

「そうかあ?言ってないなら、お前の心の声が俺に漏れ聞こえてたんだな。本当だよ、こいつ、華耶以外のお嫁さんは嫌だったんだ。華耶が来てくれて良かった」

「それなら…良かった。私、嫌われてるのか好かれてるのか、自信無かったから」

 華耶の言葉を受けて、朔夜は友の頭を小突いた。

「お前がちゃんと言わないからだろ!ほら、言わなきゃ」

「お前の居る所では言わない。絶対言わない」

「何でだよ!?」

「どうしてお前に聞かさなきゃならないんだ。そうやって揶揄う癖に!」

「お前も俺のこと揶揄うだろ!?」

「それはお前があんまり餓鬼だからだ!さっきだって、華耶の事を握り飯でしか語れなかっただろ!?阿呆か!」

「それほど華耶の作る飯は美味いって話だろうが!?世界で一番美味いんだからな!今日からよくよく味わえよ!この幸せ者め!」

「后に飯を作らす国が何処にあるんだよ馬鹿!それほどこの国は切迫してねぇぞ!」

「いっつも節約節約言ってる癖に!」

「贅沢や無駄は省くって話だ!お前なんかに国の懐事情へ口を出される謂れは無いんだよ!」

「お前がいっつも言ってるからだろ!」

「私、お料理出来ないんですか?」

 喧嘩の中に入ってきた切実な問いに、完全に論点を見失っていた二人は止まった。

「節約しながら献立考えるの、好きなんですけど…。そっか、駄目ですよねぇ。もっと上手な人が沢山いますよね…」

 惚れた女の悲しげな顔を前に、二人は慌てた。

「華耶より料理上手な人なんて居ないよ!華耶が一番!どこの国に行っても一番だから!心配するなよ!何なら、俺の為に作ってよ」

「どうしてそうなるっ!?いえ、(くりや)(かまど)も好きに使ってください。それであなたの心が休まるなら、いつ何時(なんどき)でも」

 ぱっと笑顔になって、華耶は頷いた。

「分かりました!良かった!約束したんです」

「約束?」

「はい。燈陰さんと。ここに来てくださったら、沢山美味しいものを作りますって。龍晶さんと、朔夜と、四人で食べましょうって」

 二人はそれぞれ視線を宙に浮かせて、それを言われた燈陰の顔を想像してみた。

 どうにも思い浮かばない。

 息子は自分の想像を掻き消すように手を振って、はたと思い当たった。

「あの野郎、ずっと華耶に飯作らせてたのか…!?」

「違うよ朔夜。私は好きで燈陰さんとご飯食べてたし、お洗濯も掃除もしてたんだよ。だって、一人ぼっちで寂しそうだったもん」

「せんた……あり得ねぇ!!あの野郎、自分だけ華耶に甘えやがって」

「お前も十分甘えてただろ」

 煩い銀髪をぎゅっと引っ張って黙らせて、龍晶は華耶に向き直り告げた。

「この城は決して居心地の良い住まいではないと思います。それでも出来る事が有れば、どこでも好きに使って下さい。それがあなたの為であれば、誰も止める者は居ませんから」

「ありがとうございます。あの、一つだけ」

「何でしょう」

「私は朔夜と自由に話す事は許されますか?」

 普通は許されまい。皇后が王以外の男と自由に会う事など。

 だが、その普通は自分達には当たらないと龍晶は判断した。

「勿論です。俺もそれを望みます」


「お勤めご苦労さん」

 星明かりが照らす中庭をぼんやり眺め、回廊の段差に座っていると、背後から肩を叩かれた。

「あれ?燕雷いたの?」

「おう。花嫁の護衛を頼まれて一緒に戔に来たんだよ。式の間は後ろの方にこっそり隠れて見てた」

「なんだぁ。居るなら教えてくれれば良かったのに」

「緊張でがちがちの所を邪魔しても悪いかと思ってな。でも、良い笛だった」

「いっぱい失敗した」

「分かりやしねぇよ」

 燕雷は朔夜の横に腰掛け、同じように余韻に浸った。

 この国の贅を凝らした姿の花嫁と花婿は、朔夜がいつも軽口を言う二人では無かった。

 美しかった。この世の人ではないような、高貴な美しさだった。

 身内と家臣だけを集めた祝賀の席に感嘆の溜息が漏れるのを、朔夜は鼻が高いような、擽ったいような気持ちで聞いた。

 二人は似合いの夫婦だった。

「俺はお前の馬鹿な計画の腰を折ってやろうと思っていたが…結局お前の(たくら)んだ通りになったな。いや、それで良かったよ。あれを見たらそう考え直さなきゃ嘘だ」

 朔夜はまだ手から離せない笛を撫でながら笑った。

「もうどうでも良いよそんな事。ありがと燕雷。伝言してくれて」

「こんな骨の折れる伝言は無かったぞ。ま、もう一回やれって言われたら考えるけどさ。こういう幸せな結末が待ってるなら、頼まれてやっても良い」

「幸せ、か…」

 宴会の賑やかな声が遠く聞こえる。

 主役達は挨拶だけで、早々に宴会の席を立った。龍晶の体を気遣っての事だろう。

 それと同時に朔夜もここへ逃げてきた。途端に男達の政の場と化した祝いの席で、猥談混じりの話を耳に入れたくなかった。

 誰もあいつの悲しみと苦労を知らない。

「あいつ自身、幸せだって感じられるのかな」

 忘れてしまっている気がする。幸せというものを。

 これがそうだと差し出されても、すぐには信じないだろう。

 朔夜自身がそうだから。

「嫌でも感じて貰わなきゃ、わざわざ華耶ちゃんをやった意味が無いだろう」

「そうかぁ。そうだと良いけどね」

 二人が居る、後宮の(いらか)を遥かに眺めて。

 あの下で、今何を語らっているだろう。

 あれ程に他人に見せる事を嫌がっていた傷が少しは癒えれば良いが。

 この手が付けて治せない傷を、華耶は治す事が出来ると思う。だから呼んだ。

「お前、今からどうする」

 唐突に問われて、朔夜はああ、と何とも言えない声を出した。

 本当なら、灌に帰ろうと思っていた。が、帰るべき場所である華耶がこちらに来たのだから、もうその意味は無い。

「暫くあいつらの幸せぶりを拝まなくちゃ。そのくらいの権利は有るよな、俺」

 燕雷は快活に笑った。

「良いと思うぞ。お邪魔虫も良い所だけどな」

「燕雷は?」

「俺はこの国でもう一回役人をやるのも悪くは無いかと思ってな」

「…え?」

「猫の手も借りたいって話を聞いたから、猫よりは使える手を貸してやっても良いかなってね。不要になればまた猫のように気まぐれに生きるだけだ」

「化け猫だな、お前。尻尾が二本生えてる」

「生き過ぎだな。仕方ないや」

 戔の化け猫は笑いながら立ち上がった。

 朔夜はまた一人、星明かりを眺め、そっと笛を吹き鳴らした。

 永遠と告げられた時の中で、その降り積もった悲しみを忘れられる、この僅かで貴重な時間を噛み締めていた。


 流石に体はぐったりと疲れ果てていたが、時間を惜しんで龍晶は書類に向き合っていた。

 横の閨には新妻が所在無く座って待っている。

「すみません、あと少しだけ。…先に休んでいて下さい」

 目も向けずに声だけ掛けて、朱筆を執る。

「いいえ、待ちます。でも、ご無理なさらないで下さいね」

 華耶の言葉を少し考えて、龍晶は漸く筆を止めた。

 待つべきものなど、二人の間には無いだろうに。

 何かから逃げるように仕事に没頭し、狙い通りに頭が霞み瞼が重くなる。

「お休みになりますか?」

 筆を置いたその挙動を敏感に悟り、華耶が歩み寄ってきて立ち上がる体を支えた。

 やっと、二人で寝台へと収まる。

 支える為に抱いた手を、華耶は離さぬまま、言った。

「本当は、これを先に言わなければならなかったんですけど…言う勇気が無くて。ごめんなさい、後からこんな事言うのは駄目だと思うんですけど…。私、子供が出来ない体なんです」

「知っています。何も問題ありません」

 気負っていたものを少し吐き出すように、華耶は息をついた。

「そうですよね。私じゃなくても、王様は何人でも奥さんを作れるから…。それを灌で教えて貰ったから、私はここに来たんです」

「それは、要らぬ事を」

「え?」

 白く小さな手を握り、二人の前に回して、両手に包んで。

「側室なんて必要有りません。俺は、あなた以外の女性に触れる気は無い。そんな事出来ない。怖くて」

「私、怒りませんよ?」

「いえ、そうではなく」

 きょとんとする顔に、笑って見せて。

「俺も、きちんと説明せねばなりませんね。これを言うのが怖くて、今まで誰にも近寄れなかったんです」

 心臓が異常なほど高鳴って、壊れそうだ。

 でも、今なら壊れても良いと思った。

 この人の前なら。

「幼い頃、父が(たお)れ、母と俺は逆賊とされ牢に入れられました。このまま牢の中で二人死ぬか、或いは首を落とされるか…いずれにせよ死を待つより無かったのですが、ある時助命の条件が出されました。俺がその血を後世に残さぬよう体の一部を切り落とせば、命は助ける、と」

 華耶の大きな瞳が見開いた。

「俺は牢を出て、その術を受けました…。酷い日々でした。殆ど朦朧としていて、何が起きたかは覚えてないけど、一歩間違えれば死ぬとは分かっていました。生き延びはしたけど、その後はずっと地獄の中だった…。でも、牢の中で別れた母がまだ生きているから、そう信じていたから、耐えました。…無駄な望みだったんですけどね」

「無駄なんて…」

 緩く首を横に振って、思い出す度に狂いそうになる光景を脳裏に浮かべて。

「母は牢の中で死んでいた。いつの事かは分からないけど、ずっと昔に。ついこの前、やっと、骨となった母に会えたんです…」

 華耶は、言葉など意味を為さぬと知って、今にも崩れそうな体を抱き寄せた。

「お願いがあります」

 華耶の胸の中で、龍晶は言った。

「二人で居る時は、母と同じ名で呼んでくれますか?陛下とか、龍晶という名も、王を示すものは…ここでは忘れていたいから。何も背負わなくて良い名で呼んでくれますか?」

「勿論です。何とお呼びすれば?」

仲春(チュウシュン)、と。生まれた時に母が付けた、俺の名です」

 華耶は、より一層強くその小さな身を包み込んで、耳元でその名前を呼んだ。

「仲春…私と居る時は、全て忘れてお休み下さいね。私があなたをお守りしますから、何も恐れないで」

 己を抱く腕に手をかけて、彼は頷き、請うた。

「あなたが本当は誰と居たいのかは知っています。でも、あなたの長い時間の、ほんの一時…俺が生きているその時間だけ、俺に下さい。そう長くはありません。その後は、忘れてくれて良い。だから、少しだけ…時間を下さい」

 身を捩って、正面に向き直って。

「こんな自分でも、人を愛して良いと…知っても良いですか。何もかも失って、欠けて、襤褸屑みたいな俺が、あなたを愛しても良いですか?」

 頬を伝う涙を、赤い唇が吸い取ってくれた。

 その唇が、少し場所をずらして、唇の上に重ねられて。

 離して、彼女は恥じらうように笑った。

「ごめんなさい。私、何も知らなくて。どうして良いのかも分からなくて。でも…愛しています。あなたを、誰よりも」

 もう一度、強く唇を押し付け合って、背中へ腕を回して、褥の中に倒れた。

 温かな場所で息をしながら、全てを委ねて眠りにつく。子供の頃の、母の懐の中のように。

 幸せというものは、温かくて懐かしくて、少し苦しくて、悲しかった。


 挿絵(By みてみん)


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