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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第十九話 華燭
17/71

6

 笛の音が、冴えた星空に吸い込まれて消えてゆく。

 城の屋上。雪は止み、満天の星空が頭上いっぱいに広がる。

 長年離れていて鈍った勘を取り戻そうと吹き鳴らしていると、龍晶が聴きに来た。

 思うようにならないながらも一人でここまでやって来て、隣に座っている。

 後で女官が慌ててやって来て、綿の入った上着を背中に掛けて行った。

 それから二人きりで、この宇宙に居る。

 朔夜は吹き続けた。龍晶もまた聴き続けた。他に会話は無かった。

 疲れを感じて、朔夜は笛を口から離す。

 友の横に座って、星空を眺めた。

 寒いけれど、良い夜だった。

「今なら何でも聞いてやるよ。夜のせいって事にして」

 朔夜の言葉に龍晶は少し笑った。

「思ってたより笛、(さま)になってるな」

「なんだ、そんな事か」

 誤魔化しているが、朔夜の気遣いは分かる。

 医者先生に言われたのだろう。陛下の不安を聞き出して差し上げてください、と。

梁巴(リョウハ)に帰りたいと思うか?」

 笛の音の余韻のまま、龍晶は問うた。

 朔夜は星々を指先で結びながら、さして考えず答えた。

「帰っても、もう何も無いから」

 そして照れもせず続けた。

「華耶の居る場所が、俺の帰る所」

 聞いてる方が擽ったい。

「幸せなヤツ」

「済まんねぇ。この点だけは俺は恵まれてる」

 戯けた物言いに失笑して、龍晶も星空を仰いでその光に言った。

「俺は帰りたいと思うよ。あの日々のまま今があれば、彼女以外の人でも臆する事なく好きになれたと思う」

「…華耶のこと?」

「初めて、この人は好きだと思えた。そんな人、他には居ない。…思っただけだけど」

「俺も」

 きらきらと星が輝く。

 あの日、彼女と数えた、同じ星。

「どうしよう、朔夜。明日が来るのが嫌でたまらない。理由なんか無いけど、とにかくずっと今日が続けば良いって思う。誰も望まないし、駄々捏ねてる餓鬼の言い分だとは分かってるけど…嫌だ」

「うん、分かるよ…分かる」

 それしか言えない。理解など出来ないが、友の本心は誰よりも分かる。

 華耶以外に有り得ないのだ。それは、二人ともそうなのだ。

 それを、まだ会った事もない誰かに置き換えられる不安。

「王宮育ちの姫君に、俺なんか理解して貰える筈がないと思うんだ。勿論どんな人かは分からないけど…。でも、理解して欲しいとも思わないかも知れない。話せる事ばかりでもないし」

 己の傷をひけらかす事はしたくない。だが、傷を知らねば龍晶という人は理解出来ないとは思う。

 だから、赤の他人を受け入れねばならない事態がたまらなく嫌なのだと、それは一つの理由だろう。

「表面上だけの夫婦って…それでも許されると思うか?」

「さあ。でも王様なら仕方ないんじゃないかな」

「仕方ない…か…」

「お前の親父さんはどうだったんだよ?」

 龍晶は少し考えて、諦めた。

「六、七歳の餓鬼には分からねぇよ、そんな事」

 記憶が無い。父と母がどのような夫婦だったかなど思い出そうとしても、その答えになるような記憶が。

 だが、その記憶の無さこそが答えなのかも知れない。

「王は一人の人間を愛さない。誰かがそう言っていた」

「じゃあ、やっぱり…」

「でも、父が死んだ日の母の事ははっきりと覚えている」

 朔夜の言葉を遮って、龍晶は言った。

 嫌なものを遠く投げるように。

「あんなに嘆き悲しむ母の姿を初めて見たから…。父が死んだ事より、その母の姿の方が見てて辛かった。死んだ父に怒りすら沸いた。こんなに悲しませるなんて、酷い人だと。今思えば母の嘆く理由はそれだけじゃなかったのかも知れないけど」

「お前の事を案じて泣いてたのかも」

 龍晶は頷いて、白い溜息と共に吐き出した。

「近頃、父や母や…兄の死に様が頭から離れない。戴冠式の時は忘れようと決めた。もう死んだ人の事は忘れようって、そう思えたんだ。だけど、この話…自分の家族を作らなきゃならないと決まってから、思い出してしまう。俺は、父のように死ぬんだろう、と…。きっと、妻や子も、理不尽に死ぬんだろうと…そう思ってしまう」

「考え過ぎだよ」

「ああ、知ってる。でも俺は先に死ぬ。それで嘆いて貰えるのは分からないけど、でもきっと余計な苦労かけて恨まれるんだろうな」

「良いじゃん、それで。そう覚悟しておけば、当てが外れてがっかりする事も無い」

 一見、無責任な朔夜の助言に。

 龍晶は笑った。確かに、と思った。

 悲観した将来より、現実が悪くなる事はそう無い。

「お前は本当に…」

 やり返してやろうと思ったが、良い罵倒が浮かばなかった。

「なに」

「…何でもない。華耶を幸せにしろ。それが出来なきゃ、許さないからな」

 十分な反撃だった。朔夜は口を開けたまま黙った。

 間抜けな顔を笑って、ごろりと後ろに倒れる。

 仰向けば空いっぱいの星空に、白い息が昇ってゆく。

 生きているこの瞬間を、いつか思い出す時が来るだろうか。

 地獄の底から辿り着いた、夢のような場所と、少しの不幸。

 あの時は良かったと、いつか。

「…華耶の所に帰る前に、もう少し付き合え」

 朔夜も横に寝転がっていた。寒ささえ無ければ、いつまでもこうしていたい。

「うん。何に?」

「北州に行こうと思う。先祖や…母に、報告をしなきゃならないから。北州の近くに例の研師が居るから、あの刀、研いで行け」

 すぐには返事が出来なかった。

 これは、龍晶にとっても、そして自分にとっても、何かのケリを付ける旅になると思った。

 他人には分からない、静かな決着の旅だ。

「分かった。行こう」

 零れるように星が流れた。願い事なんか、咄嗟には思い付かなかった。


 その日の午後、白馬に曳かれる馬車が到着した。

 その一報を受けた時、龍晶は気の進まぬ正装に縛られていた。

 朔夜が窺い見ると、顔に嫌だなぁと書いてある。が、勿論口には一言も出さない。

 二人きりだから顔にも出せるのだ。他の誰かがここに入れば、その顔も変わる。

 まずは灌王との会見を予定している。その中で花嫁が紹介される。

「例えばさ、ものすっごい美人だったらどうする?」

 酷い表情を何とかしようと朔夜は軽口を叩いた。

「別に。外見なんて、どうでも良いし」

「そうかぁ…」

 この点、朔夜も子供なので素直に納得してしまう。

 第三者が居れば盛大に揶揄われる所なのだが、生憎その適任が居ない。

「優しい人だと良いね」

「優しいの基準が分からない」

「あー…」

 素直じゃないのかド素直なのか、とにかく捻った答えを打ち返せる技量は無い。

 どんな人なら良いんだろう、と考えて。

 考えた所で無駄なのだが、何とか一度素直にうんと頷かせてやりたいという意地だ。

 その答え。その名前を出すべきか若干迷って。

「華耶のような人だと良い?」

「居ないだろ」

 即座に切って返される。

「あんな人、世の中に二人と居ない。だったら、真反対のような人が良い」

「ええっ…握り飯まで不味いような人が良いの?」

「どういう評価だよそれ。握り飯で全て決まるのか」

「だって、華耶の握り飯は天下一品だから」

「それはあからさまにお前の贔屓目だろうが。美味いだろうとは思うけど。…いや、他に有るだろ」

「粥も美味かっただろ?」

「違う、飯の事を言ってるんじゃない…!」

 駄目だ。諦めたそばから好きな人の事を考えさせる、こいつは悪魔だ。

 一方、朔夜はそれが最上級の苦笑いだとも気付かずに、相手が笑った事に満足した。

 扉が外側から叩かれ、桧釐の顔が覗いた。

「行きますよ、陛下」

 従兄に支え起こされ立ち上がり、動く気配の無い朔夜に呆れた目を向けた。

「おい、何してる。行くぞ」

 へっ、と素っ頓狂な声が上がる。

「俺が行って良い場じゃないだろ!?」

「俺より気にしてた癖に」

「見れないから気になるんだよ!」

「護衛の振りして黙って俺の後ろに立っておけ。早くしろ、お前の肩の高さが一番丁度いいんだよ」

「…俺は杖か!」

 決して背丈が人並みに高いとは言えない龍晶にとって、自分より背の低い朔夜の肩は貴重な存在と言える。

 ようやっとその事に気付いて憤慨の声を上げつつも、肩を貸した。

 とは言いつつも、龍晶はある一つの発見をしていた。

「お前、背伸びたよな」

「ええ?」

 当の本人は気付いていない。

「最初は見下ろしてたけどさ、今は目の高さが殆ど同じになってきた」

「そう言われてみれば、俺も見上げてないかも…」

「失敗したなあ。良いもの食わせ過ぎた」

「なっ!?」

「これ以上高くなるなよ?これは俺の為の肩だからな」

「その前に、一人で歩けるようになれよ…!」

 成長した二人が扉を潜る。

 灌王は、ゆったりと椅子に掛けて待っていた。

「お待たせして申し訳ありません。陛下におかれましては…」

 咄嗟に跪いて挨拶しようとした龍晶を、灌王は止めた。

「堅苦しい挨拶は抜きにしようぞ。今や、互いに陛下と呼ばれる身となったのだ。位の上下は無い」

 桧釐が灌王の対面の椅子を引き、主人を座らせた。

 肩から友を離した朔夜は、黙って背後に立つ。

「お具合は如何かな」

 恐縮し話す言葉を無くした龍晶を救うように、灌王が問うた。

「ご覧の通りの有様です。何をするのもままならず、こうして周囲の者に手をかけさせねばなりません。姫君にもお手を煩わせる事になるでしょう。申し訳無い限りです」

「何、あれは人の世話が好きな娘だ。喜んで御身を支えるだろう。早く会わせてやりたいのは山々だが、先に政の話をしよう。物騒な話の後味のまま、祝賀の席に着きたくは無いからな」

「御意に」

 娘の前では出来ぬ話でもあるだろう。龍晶にとっても、寧ろ政の方が本題である。

「苴につつかれて困っておるようだな。そこの供の者から聞いた。繍への出兵など、傍目にもまだ難しかろうに」

「はい。恥ずかしながら、内政を整える為の兵もまだ足りぬ状態なのです。募集はしておりますが、なかなか…。自ら兵を屠った王の元へ、人など集まる筈もなく。自業自得です」

「これほど人を大事にする王もおらぬであろうにな。内乱の記憶はいずれ人々から消える。それまで苴はどうにかしよう。儂が苴王へ書状を出せば暫し時は稼げよう」

「良いのですか」

「可愛い息子の為にそのくらいの事は何でも無い」

 龍晶は面食らった顔を見せた。

「父という存在の有り難みは、そなたの中にはもう忘れ去られておったか」

 実の父の温もりは、もう記憶には無い。

 あるのは恐ろしいまでに大きな存在感と、その死に顔。

「そなたは幼き頃よりよう独りで戦こうた。ようやった。儂が褒める。そしてこれよりは、儂を父と頼めよ。実の父の分まで甘えるが良い。その為に儂は、皓照殿によって齎されたこの婚儀の話を喜んで受けたのだ」

「皓照が…!?」

「漸く人の形をして生まれた国には、親の助けが要る、とな。尤もだと思うた。かつて会うたそなたの赤子のような無垢な姿に、儂は情を覚え、手を貸してやりたいと思うた。婚姻はそれを叶える良い方法じゃ。灌と戔は、家族同然の強い絆で結ばれる」

「願ってもなき事です…陛下」

「父と呼べ。義理でも父には違いなかろう」

「…父上」

 泣きそうな顔をしているだろうか。隠した方が良いのだろうか。

 とうに失くし、忘れてしまった大きな温もりを前に、どうして良いのか分からない。

「ありがとうございます…御恩は必ずお返し致します…」

 記憶から消えていた筈の、亡き父の笑い声を聞いた。

「良い良い。亡き父上へ孝行されると良い。それが儂への孝行でもある。この国を立派に作り直す事こそ儂らへの孝行じゃ」

 己の龍の一字を渡したあの時の父は、同じ事を言外に伝えたのだろう。

 この国の為に尽くす。それが亡き両親に唯一出来る贈り物だ。

「はい…必ず」

 人材の派遣や交易の自由化など、政の細かな話を詰め、話の途切れた所で灌王は使いを出した。

「さて、漸くお目にかかって頂くが…年寄りは早々に退散する故、あとは若い者でよろしくやってくれ」

「そんな、長年お手をかけて育てられた大事な姫君ではございませんか。そのような遠慮は…」

「言っておくが、儂は一つも手をかけておらなんだ。まあ、会えば分かる」

 灌王の言葉に眉を顰めている間に、使いの者が戻ってきた。

「良い、入れ」

 王の許可と共に、扉は開かれ、長い裳裾を引く衣擦れの音がした。

 その姿にまず眩しさを覚えた。真っ白の絹地の衣と、その身を飾る玉が光を反射している。が、その光はもっと内なるものに見えた。

 桧釐が美しいと低く溢す。その気持ちも分かる。だけど龍晶にはその美しさが何だか怖かった。

 娘が父に礼をし、改めて伴侶となる人へと向き直る。

 頭から垂れる薄絹を、父がたくし上げた。

 途端に、二人の驚きの声が重なった。

「華耶…!?」

 愛しい人は、恥じらう笑みで頷いた。

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