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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第十九話 華燭
14/71

3

 正装の襟元を緩めて、龍晶は椅子の上に仰向いて深く息を吐いた。

「一度脱がれますか」

 特に感情を込めず桧釐が訊いた。

「いや…」

 今度は俯いて龍晶は答えた。

「それとも灌の謁見は明日に持ち越しましょうか」

「それには及ばない。待たせ過ぎてしまう」

 尚も事務的な問いに、龍晶は机へ突っ伏しながら答えた。

 朔夜は手を伸ばして、黒髪の間から覗く細い首に触れた。熱い。

「少し休んだら?次は昼からだろ?」

 問いを受けた桧釐も同意だった様で、席を立つなり従弟の体を子供のように抱き上げた。

「おい…!?」

「服が重いなぁ。着てる人間の方が軽い」

「悪かったな」

 肩の上でむくれる顔に、桧釐は小声で囁いた。

「だけど、軽いのは体重だけですよ。あなたの命は一国を左右する重さだ」

 隣室の暖炉の前に長椅子を動かさせて、そこへ主人を寝かせる。

 長椅子を引っ張ってきた朔夜はそのまま肘置きに凭れて、龍晶の顔を覗き込んだ。

 目の焦点が合わないのは、高熱のせいばかりではないだろう。

「昼時だな。なんか食うか」

 後ろから桧釐に問われて、朔夜は振り返って頷いた。

 桧釐は朔夜の上から龍晶を覗いて、言い聞かせるように告げた。

「粥を持たせますから、食わなきゃいけませんよ」

 肩を引かれて朔夜は桧釐と共に部屋を出た。

 厨房目指して歩きながら、声を落として話す。

「苴はそんなに繍を滅ぼしたいのか」

 朔夜は気負い込んで頷いたが、桧釐は自らの言葉を否定した。

「いや、そうじゃないな。確かに繍は目障りだろうが、それならとっくに攻め込んでいる筈だ」

「何か待ってるって事か?繍が弱るのを?」

 桧釐は頷いた。

「半分はそういう事だろう。ただし、放っておいても弱るものではない。寧ろ、戦力を整える時間を与えてしまう。苴が睨んでいるのは、繍よりも寧ろ、俺達だろう」

「何で?どういう事」

「俺達が兵を挙げるかどうかを試しているんだ。前王時代のツケを払わせる為に」

「それは、龍晶の兄貴が実は繍と繋がっていたから?」

「ああ。その繋がりが今もあるかどうか、苴は試しに来ているんだろう。この国の秘密裏の支援があったからこそ、繍は今まで軍備を整えられた。今となっては苴だけでも簡単に捻り潰せる筈だ」

「それをしないのは俺達の出方を試しているから、って事か」

「だから、お前一人やった所で何の意味も無いって訳だ。分かったか」

 話が思いがけず自分の事になって、朔夜は一瞬言葉と思考を詰まらせた。

「それは…そんな事無いと思うけど」

 直感的に否定して、後から理由を捏ねる。

「だって、苴は月夜の悪魔の怖さを何処よりも身に染みて知っている国だぞ?それが自分達の物になるなら、喜ぶと思うけどなぁ」

「自分で言ってりゃ世話無いな」

 桧釐は馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに話を切り上げ、厨房への扉を開けた。

 昼食前の慌ただしい音と、食欲を誘う匂い。

 手近に居た者に、粥を王の元へ運ぶよう頼み、自分達は食堂へと向かった。

 城で働く数少ない役人や、畑仕事をしていた子供、女官の一部などが広い食卓の所々に輪を作っている。

 それを横目に、小麦を練って蒸した饅頭(まんとう)と、野菜を煮込み味と瀞みを付けた餡を皿に取っていく。

 人手が無い為に、配膳は自分達で行う。更に経費削減の為、豪華な食事は出されない。

 だが不満は出ない。並の食事が三食きちんと食べられるのは、この国では有難い事だ。

 米飯は庶民の暮らしでは滅多に食べられない。

 南部の国境沿いでは稲作が出来るが、あとは他国から金と引き換えに入ってくるものだ。

 その他国というのが主に苴と灌だ。

「だから、飯を食いたいなら苴には逆えんという訳さ」

 この国の食料事情と苴の関係を説明して、桧釐は饅頭を頬張った。

「これも美味しいけどな」

 饅頭を餡に浸しながら朔夜は呟く。

「小麦だって毎年取れるとは限らない。凶作の年もある。ここは本当に食い物に恵まれない国なんだよ」

「だから、龍晶の兄貴は堂々と苴を裏切れなかったって事か」

「ま、そうだろうな。繍も貧しい国なんだろ?」

「うん。繍の奴らは戦にしか興味が無いから、土地は良くても耕す人が居ないんだ」

「農民の立場が苦しいんだろうな。それは戔も同じだったけど」

 それを今から変えてゆく。龍晶が命を削ってでもやりたい事はそれだろう。

「そう言えば、朝の喧嘩は決着が着いたの?年貢を取るか取らないか」

 あー、と面倒そうに声を溢して、桧釐は饅頭で餡を掻き混ぜた。

「俺だって農民の暮らしを楽にする事には賛成なんだがな…」

「それは知ってる」

「あの人の、理想の為の暴走を止めるのは俺の役割だろう?」

「昔は逆だったのに」

 出会った時、道場で理想論を顔色変えて留めていた時は立場が全く逆だった。

「それは、あの人を焚き付けなきゃならなかったんだよ」

 燃やすか消し止めるかを制御するのは自分だという事だ。

「で?どうなった?」

「城にある金目の物を片っ端から売るんだと」

「へえ?」

「自分達の食い扶持は自分達でどうにかすれば良いってさ。あの人いわくな。何なら俺も畑を耕して働いてやるって言い出したから、出来るもんならやってみて下さいって捨て台詞吐いて終わらせた」

「駄目だよそれ。本当にやるぞ」

「出来ねぇだろ。立てもしないのに」

「今はね。でも治ったら本当に畑仕事しだすぞ。邪魔にしかならないから駄目だろ」

「言えてるな」

 軽口に笑った顔はそのまま固まった。

 朔夜も桧釐の視線を追い、驚きの余り椅子から立ち上がった。が、立った所でどうしようも無く、(たたず)んで問うより無い。

「皓照…何で居るんだよ」

「これはまた、随分ですねぇ。戴冠式の見物と、灌王のお使いですよ?当たり前じゃないですか」

 言葉通り当然のように、二人と同じ卓に着いて、朔夜が割っていた饅頭の一欠片をひょいと取って齧った。

「他の公使達はご馳走が出てるのになぁ」

 子供のように咀嚼しながら喋る。

「あんたが来るなんて全く耳に入ってないぞ」

 桧釐が言うと、皓照はまた当然のように答えた。

「それはそうでしょう。灌王と私しか知らない事ですから」

「気まぐれで来られてご馳走を強請(ゆす)られても困る」

 苦笑いしながら桧釐は自らの饅頭はさっさと口に運んだ。

「気まぐれとはまた随分な。私はとっても重大な話を持って来たんですよ。後で公使から喋らせるのも何なので、先にお二人の耳に入れておこうと思いまして。ほら、私はこうして親切心でここに来たんですから、昼餉を下さい」

「皓照も腹減るんだ」

 さも意外そうに言っている朔夜にも目眩らしきものを覚えながら、桧釐は仕方なく席を立って皓照の昼飯を用意してやった。

「次は自分でやれよ」

 言いながら膳を出してやる。

「あ、私は出して頂いたものは食べますが、自分でやるほど空腹は覚えません」

 それは朔夜への答えなのか、ものぐさの言い訳なのか。面倒臭くなって桧釐は一蹴した。

「知るか。話って何だ」

 嬉々として饅頭を割りながら、皓照は言った。

「灌王の御息女を()して頂こうと思いまして」

「…は?分かるように言え」

「ですから、灌の姫君をこちらにお嫁さんとして迎えて欲しいのですよ」

「嫁?は?誰の?」

「もう、決まってるじゃないですか。龍晶陛下のお后としてご婚姻頂くんですよ!」

 食堂中が静まり、全ての耳がこちらに向いた。

 混乱の果てに固まった頭が、これはまずいと警鐘を出す。

 とにかく聞き耳を散らさねば。

「無い無い無い!どういう例えだよ全く!そんな話は有り得ないだろ」

 わざと大声を張り上げ、手を大仰に振って、そのまま朔夜の首根っこを掴んで皓照から逃げた。

 まだ朔夜は表情を凍らせたまま、桧釐の成すがまま。

 食堂を出、人目の無い回廊に逃げ込んだ所で、饅頭と碗を抱えた皓照が追い付いた。

「まだ食べ始めたばっかりなのに、なんで置いて行くんですか!?」

「俺は食い終わった」

「俺のはお前に食われた」

「こっちは親切心でここまで来たんですから、待ってくれても良いじゃないですか」

「あの場に居れるか!」

 改めて人気(ひとけ)の無い事を確認し、桧釐は皓照に詰め寄った。

「そんな事を、公使から直接あの人に聞かせるつもりだったのか?」

「それを避ける為に私が来てあげたんじゃないですか。公使の知らない情報も教えてあげなきゃいけませんし?」

「何でいちいちそんなに恩着せがましいんだ。頼んでねぇし、陛下だって恐らくその話は受けないぞ!?公式の場で頭下げて断らせる訳にはいかない。さっさと公使にその旨を伝えてくれ。婚姻の話はしてはならない、と」

「こちらは断らせる訳にはいきませんし、そちらも断る理由は無い筈です」

「理由ならある!言う事は出来ないがな!」

「それは知ってますよ。ここに居る誰よりも何があったかは見てきています。だからこそ私が話を持って来たんじゃないですか」

 桧釐は口を止めて疑り深い目を向けた。

 皓照は悠々と話を続けた。

「龍晶陛下には御子を作る事は出来ない。ならば、后となる方も同様に子を成す事が出来ぬ体だとしたら?」

 え、と朔夜は驚いた顔をし、桧釐は更に顔を顰めた。

 そんな二人にゆるりと視線を流して、勝ち誇ったように皓照は言った。

「断る理由は無いでしょう?」


 粥は手付かずのまま卓上で冷めていた。

 長椅子の上で眠る顔もまた、幼い日の面影のままに、頬だけが痩けている。

 幸福の象徴のような、白くふっくらした頬を失くしてしまった顔。

 今も、悪夢から逃げ惑うかのような、不安な息遣いをして。

 桧釐は主人を揺り起こした。

 一体、この人が今から掴める幸福とは何だろうと思いながら。

「済まん…つい」

 駆けてきた後のような苦しげな息で、龍晶は謝った。

「いえ、休めと言ったのは俺ですし。熱も下がっていませんね」

 龍晶は頷き、周囲を見渡して桧釐一人である事を確認し、言った。

「臓腑がまた痛むようになった。多分、あの時の傷が原因だと思う…。朔夜には黙っておいてくれ」

「医師を呼びますか」

「いや、いい。治るものでも無い。これは天罰だから」

「そうは思えませんが」

 不服そうな桧釐を見、龍晶は言い添えた。

「祥朗が貧民街の医師に薬の作り方を習っている。俺はもう、あいつの作る薬以外は飲まない事にした」

 冗談なのか本気なのか、とにかくそれは反省の上での誓いなのだろうと捉えて、桧釐は頷いた。

「それは間違い無いでしょう。坊ちゃんも立派なもんだ。さて、飯は食って下さいよ」

 身体を長椅子の上に起こし、冷めた粥を持たせて、桧釐は床に座った。

 どう話を切り出すか悩む。問題は話の進め方だろう。だからこそ、皓照は使者より先に自分達へ話を持って来た。

「どうやったら繍と戦にならずに済むか考えていた」

 龍晶の呟きを聞いても、一瞬何の事だったか忘れてしまっていた。

 そんな事は思いも寄らぬ彼は、進まぬ匙を手に口を動かした。

「苴を一度裏切っているのは確かだ。代替わりしたから信じてくれというのも通じないだろう。それを証明するには、言われた通りに出兵するしかないんだろうが…」

「その余裕はありませんよ」

 龍晶は頷き、粥を掬って宙に留めたまま、暖炉の火を睨んでいる。

 これしかない、と桧釐は思った。

「灌王に仲立ち頂いて妥協策を探るというのは如何でしょうか」

「灌王に?」

「万一、苴との関係が悪化する事になっても、灌との繋がりがあれば我々は食い(しの)げます」

 ゆっくりと、龍晶は止めていた匙を口に運んだ。

 この国では貴重な米の味。

 これを、ゆくゆくは全ての民に味わって欲しい。

 その為の、外交だ。

「実は、灌王より陛下へ御婚姻の話を預かっております」

 口の動きが止まった。桧釐は努めて事務的に伝えた。

「灌王の姫君を、我が国の后としてお迎え下さい」

 そこに選択肢は無かった。決定事項だった。

 火を睨んでいた目が、焦点を失っていた。

 桧釐は更に感情の無い早口で付け足した。

「その姫君は、訳あって子を成す事の出来ぬ身なのだそうです。陛下のご懸念は当たらぬかと」

 碗を持つ手が震えだした。咄嗟に碗と匙を取り上げると、龍晶は子供のように椅子の上で膝を抱えて蹲った。

 何も見たくない、聞きたくないと。

「民の為です、陛下。これは政なのです」

 桧釐の言葉に頷く。顔を膝の中に埋めたまま。

「灌との繋がりを強めれば、苴とも話が出来ましょう。そればかりか、灌王は我々への人材支援や食料の供給も申し出てくれています。あなたが灌に行き、王の信を得た事の成果に他なりますまい。その信を具体化する為の、婚姻です。断る理由はありません」

「断る気など無い!」

 胸の内とは裏腹の言葉を叫んで、震える身を何とか抑えようとするかのように、肩まで抱えて。

「俺はこの国の人柱となったんだ。繁栄の為なら断れる筈が無いだろう。ただ…申し訳ないと思うだけだ。灌の陛下へ、恩を仇で返す未来が…」

「どうしてですか。何故、仇となるのです」

「俺の(そば)に居る者が、幸福になどなれる筈が無い」

 その馬鹿げた考えを、桧釐は鼻で笑ってやる事が出来なかった。

 彼の『家族』は、無残な死に方をした。

「それが、怖い。誰かを巻き添えにするのは」

 それが王ではない彼の本音なのだろう。

 余りにも恐ろしいものを見過ぎた。涙も十分に流せぬまま、今も闇の中で、一人。

 『誰か』を闇の中に入れる事を恐れている。

「もう、終わったんですよ。あなたが一人、誰かの為に傷付く戦は」

 黒髪から覗く瞳は揺れ、従兄を捉えた。

 その怯える目で、己を脅かす者か、己が体を張って守るべき者か、他者を常に見極めねばならなかった。

「これからは、あなたの頭を使って、民を守る戦をして下さい。無論、俺達も、民の多くも、あなたの味方です。恐れる事はありません」

 龍晶は膝を抱え、暖炉の火を見つめた。

 誰の為、何の為に、今日まで生き永らえてきたか。

 体を蝕まれながらも、まだ生きようともがく意味は何か。

 本当は、誰の命も抱えずに生きる事の気楽さにやっと気付いた所なのだ。そのままが良かった。

 生きるも死ぬも、己一人ならば、何でも出来ると思った。

 また、誰かを守り抱えるのは、酷く重荷に思えた。

 家族という、己の幸福を思い出すのは、心臓を焼かれるような痛みを伴った。

 もう嫌だった。喪う事は。

「…お前の子を貰うなら、母親が必要だろう」

「はい。その通りです」

「二人の母に愛されるとは、幸せな子だな」

 薄い笑いを見て、桧釐は鼻の奥がつんと痛んだ。

 理由は分からない。だが、幼い頃の彼の、あの何の曇りも無い笑顔を思い出していた。

 あの頃の全てを失って、しかしそれを、今から生まれてくる子には与えようとする。

「陛下」

 己から削ぎ落ちた幸福を、己以外の全ての者に、掴み直させようと。

 だけど、幸福が何か忘れたままでは、話にならないではないか。

「その子は俺の血ですから、きっと親の言う事を聞けない馬鹿な子です。それでも国が治まる仕組みを作って頂けますか。もう誰も犠牲にせず、民が幸福である国を、あなたの世のうちに作って頂けますか」

 どうして王という人を一人、犠牲に出来ようか。

 皆が笑う国になれば、この人だって、きっとあの日のように笑う事が出来る筈だ。

 思い出して欲しい。温かさを。

 目指す世界を。

「…ああ。俺の世は短い。急務だな」

 どうか思い出して欲しい。

 自分自身も、幸福であって良い事を。

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