第八話 酔っ払い
きっかけは一体何であったのか。
デートの翌日に腕を組もうとするシルリアから逃げたことか、上目遣いで胸板に顔を埋めようとするシルリアを突き放したことか、一緒に食事でもとシルリアが誘おうとした時にそそくさとその場を立ち去ったことか。
デートから一週間経ったある日、それは起こった。
「命令ですっ。護衛さん、わたくしの晩酌に付き合いなさい!!」
どんっ!! と公爵家のご令嬢の私室にふさわしいほどには高級な木製のテーブルに酒瓶を叩きつけるシルリア。……その手にある酒瓶をよくよく見れば違和感のあるラベル付きの高級果実酒であったが、お酒というものを飲んだこともないシルリアが気付くことができるわけもなかった。
「いやまあ飲酒に年齢的な制約はないから問題はねえんだろうが、一応お酒は二十歳を過ぎてからってのが一般的な慣習だぞ」
「法的に問題がないのであれば構わないではありませんかっ」
「そう言われると何とも言えねえんだがな」
基本的にシルリアと護衛の男は主従関係にある。命令とあらば嗜めるまではできても断ることはできない。その辺りは主人相手に粗暴な言葉遣いで接するような護衛の男だって弁えている。だからこそ、下手な命令をされる前に逃げるなり何なりすることで凌ぎ、適切な距離感を保とうとしてきたのだ。
デート云々を認めてしまった時点で距離感も何もあったものではないが、だからといってズルズルといっていいわけがない。
「それとも何ですか、護衛さんはわたくしのお酒が飲めないというんですかっ?」
「いやいや、そんなことねえって」
典型的な酔っ払いのような台詞であった。護衛の男がこうしてシルリアの私室を訪れる前に果実酒を口にしていた、なんてことはあり得ないので単に空気にあてられているだけか。
「それでは何の問題もないはずですよ!?」
「あー……まあ、いいか」
それじゃあ、と護衛の男は空のグラスを手に取る。
そんな彼を見て罠にかかったとほくそ笑むくらいにはシルリア=スカイローズ。
社交界を生き抜いてきた公爵令嬢であれば内心を隠すくらいは容易いだろうに、こうも簡単に感情を表に出すほどには『公爵令嬢としての顔』が剥がれ落ちていた。
シルリアの手で(やけに嬉しそうに)注がれた赤く輝く液体を口に含むと、予想通りお酒のような味わいが加えられているだけのアルコール度数0パーセント……すなわち普通のジュースであった。大方ミランダ辺りがメイドらしく従順に従うフリをして果実酒に偽造したジュースを用意したのだろう。
ーーー☆ーーー
「でしゅからあっ、ひっく、ごえいさんはわたしのことどうおもっているのぉっ!!」
「ええっと」
気がつけば鼻と鼻とが触れ合いかねないほどの至近距離まで詰め寄っているシルリア。
頬は赤く、呂律は回っておらず、公爵令嬢らしい振る舞いや言葉遣いが剥がれて『年相応の』顔が丸出しであった。
総じてシルリアは酔っていた。
ラベルだけ果実酒のように整えただけの、単なるジュースであっただろうに、思い込みでここまであてられるとは流石の護衛の男も予想できなかった。
「わたしがあんなにゆうわくしてもっ、ごえいさんはぜんぜんなびいてくれないじゃんっ! ちょっとはドキドキしろこんにゃろー!!」
ポカポカと両手を振り回し、護衛の男の胸板や頭にぶつけるシルリア。もちろん護衛の男ならなすがままにならずとも避けるのは簡単なのだが、『そういうこと』はシルリアとの関係において持ち込む必要はない。利害、あるいは鮮血と死とは無縁の関係性を紡いだからこそ護衛の男は今ここにいるのだから。
「ごえいさんの、ひっく、いけず、かいしょうなし、ばかばかっ!! わたしのことなんて、おんなとして見れないってえのぉっ!? ひくひくっ!!」
──思い込みにあてられて酔っているシルリアには悪いが、現状が護衛の男は嬉しくもあった。
公爵令嬢として相応しい振る舞いでもなければ、どこか無理をしてでも蠱惑的に迫ってくるのでもなく、昔のシルリアのように剥き出しの感情をぶつけてきてくれているのが、だ。
……その内容については置いておくにしても。
「もっと、なの?」
ふと。
嫌な予感がした。
ダース単位のドラゴンが待ち構えていた時に感じた嫌な予感だってこんなにも背筋が凍るようなものではなかった。
だからといって何かできるわけもなく、どうにもならないままそれは放たれた。
「もっとかげきに……きすでもすれば、すこしはわたしのこといしきしてくれるよねっ!!」
…………。
…………。
…………、きす?
「きすって、まさかあのキスか!?」
「きすはきすだよう!!」
がしぃっ!! とシルリアの両手が護衛の男の両肩を掴む。
目が据わっていた。幾多もの戦場を乗り越えてきた護衛の男が身体を固めて震えるくらいには、だ!!
「おちっ、落ち着けって!! やめっ、顔を近づけるな!!」
「せっきょくてきに……このみ……そうすれば、ごえいさんは!!」
「おい待て本当まずいって! 本気で我慢できなくなったらどうすんだ!?」
あまりにも予想外の展開に口が滑っていたが、幸か不幸か思い込みで酔っているシルリアが気付くことはなかった。




