第二話 五年という月日
冒険者の間では有名な一人の男がいる。
魔獣や盗賊などの脅威と戦い、文字通り命を削って金を得るほどに過酷な場所に『彼』は足を踏み入れ、高位ランクの冒険者が躊躇するような依頼を片っ端から達成し、たった五年で最高峰ランクに到達したのだ。
しかし、『彼』は最高峰ランクとして名を轟かせてすぐに周囲の声も鑑みずに冒険者を辞めてしまった。『これだけ名を売ればもっと安全に稼げる職にだってつけるからな』と言い残して。
そうして『彼』は公爵家の令嬢の護衛となった。何の後ろ盾もなく、優れた血筋でもない『彼』が公爵家に仕えるのはまさしく異例のことだろう。
……その五年後には革命軍により殺されたはずが、さらに五年後に突如学園のパーティーに乗り込んで第一王子から婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢を連れ去るとは誰も予想していなかったのだが。
ちなみに『彼』──護衛の男は己が仕える主人であるシルリア=スカイローズ公爵令嬢にベッドに押し倒されているのだが、もちろんこんなことは当人だって予想していなかっただろう。
たった五年で冒険者として最高峰ランクにまで到達し、たった五年で革命軍が所有している最強の『伝説の武器』である『魔王の懐刀』を持ち出せるほどにまでその立場を確固たるものとし、その果てに未来改編の書を生み出さんとする第一王子の企みを粉砕した男が完全に狼狽えていた。
死を偽造して離れ離れになってから五年。最後に見たシルリアはまだ十一歳であり、顔立ちにも幼さが残っていたが、あれから五年も経っている。十六歳といえば貴族においてはもう結婚適齢期も過ぎかけていることは知っていたが、もちろん血生臭い戦場を生きてきた護衛の男から見ればまだまだ子供であることに変わりはない。
「お嬢様」
「はい、なんですか?」
「あーっと、なんだ。とりあえずどけてくれないか?」
「嫌です」
「……そうかー嫌かー」
あまりにもはっきり拒否され、護衛の男は思わず受け流してしまった。
あの婚約破棄騒動から三日。
長らく裏でコツコツと手を回していた第二王子の働きもあってか、やけにあっさりと王位継承権を剥奪された第一王子が王家より追放された日に護衛の男は公爵家本邸の一室に招かれたのだ。
公爵令嬢の私室にしては質素な、必要最低限の物しか置いていない部屋に招かれたと共にベッドに押し倒された……とこれまでの経緯を振り返る護衛の男。もちろんこんなものは現実逃避以外の何物でもない。
「だったらどうして俺がここに呼ばれたのか、その理由を聞いてもいいか?」
「貴方をわたくしの護衛として改めて雇うことが決まったからですね」
「いや、確かにその話は聞いているが」
シルリアから『護衛さん。もう、どこにもいかないですよね?』と聞かれた時に『お嬢様がそう望むならな』と答えたのだから、護衛としてそばにいることくらいは構わない。構わないが、それはあくまで護衛としてであり、こうして恋人同士のように密着するつもりであんなことを言ったわけではない。
「いいか、お嬢様。どうやらきちんと言葉にしないと伝わらねえみたいだから言うが、俺はあくまで護衛だ。そりゃお嬢様を助けるためなら死んだフリだってするし、革命軍や第二王子を利用してでもお嬢様の敵を粉砕するが、それだってもちろん護衛であるからだ」
色々と苦しい言い分である自覚はあったが、彼にだって最低限の節度はある。冒険者時代も、そしてそれ以外の期間においても血生臭い真似ばかりしてきたが、それでもだ。
「だから、なんだ。わかってくれるよな?」
優しく言い含めるように公爵令嬢の両肩に手を置き、そのまま押し退けようとした時だった。
「いいえ、全然わかりません」
がばっ!! と左右に大きく広げた公爵令嬢の腕が護衛の男を挟み込んだ。そのままぎゅうううっと力強く抱きしめられたのだ。
五年。
たった五年、されど五年なのだ。
あの婚約破棄騒動の時はどこか霞んだ印象を受けたものだが、今の彼女にそんな印象はどこにもなかった。
流れるようにきめ細かい金髪は軽くロールされており、碧眼は宝石のようにキラキラとした色を浮かべている。婚約破棄騒動時には最低限着飾った程度だったというのに、今は豪華ながらも過剰ではない程度にイヤリングやネックレスを身につけていた。……装飾品やドレスが黒を基調としているのはもしや護衛の男が黒色が好きだと言ったことがあるからか?
総じて美女としか言いようがなかった。
冠に妖艶な、なんてものがつくくらいには五年という月日は長いものだったのか。
「あくまで護衛だからと一線を引くつもりかもしれませんけど、そんなこと絶対に許しませんから」
強く、強く。
五年という月日を積み重ねたシルリア=スカイローズ公爵令嬢の両腕が護衛の男を抱きしめる。
「大好きです、護衛さん」
護衛の男の耳元に口を近づけて、甘噛みでもするような格好で囁くシルリア。
そして。
そして。
そして。
ダッッッ!!!! と。
それはもう勢いよくシルリアの抱擁から抜け出した護衛の男が一目散に部屋から飛び出していった。
口元を押さえて。
万が一にでも赤くなった顔をシルリアにだけは見られないように。
「……くそったれ」
脳裏に浮かぶは婚約破棄騒動の後、シルリアから告げられた言葉。
『言っておきますけど、もう二度と護衛さんと離れ離れになるつもりはありませんから。わたくし、惚れた男を二度も逃がすほどいい子ちゃんじゃありませんのよ?』と彼女は確かに言っていたではないか。
だから。
だけど。
「五年で変わりすぎだろうがよ」
ーーー☆ーーー
逃げ出した護衛の男は、だからこそ耳にすることはなかった。
誰もいなくなった部屋の中で、糸を切った人形のように力なく倒れ、枕に顔を埋めたシルリアが両足をばたつかせながら呟いた一言に。
「流石に大胆すぎたかもしれません」
どこの誰かと同じくシルリアもまた顔を赤く染めていることにも、もちろん護衛の男が気づくことはなかった。




