近所のお姉さんの思い出
駅前で乗って、五つ目のバス停が最寄りになる。運賃箱に小銭を投入し、ステップから外に降り立つと、車窓越しにわかっていたものの、遠慮のない夏の日差しが私を待っていた。降車したのは私ひとりだ。腕時計を見ると三時を過ぎている。バスが走り去り、土産の入った紙袋とバッグを手に、私は実家へと歩き出した。
数年ぶりの帰省だった。
姉夫婦は夫の広志さんのほうに初盆があって、今年の盆は、ひとり娘のみどりちゃんを連れて泊りがけで出かけていた。だから、実家には母だけが残されている。
私の父はすでに他界し、普段は、母と姉の家族が一緒に暮らしている。
「あんたもさ、たまには顔を見せなさいよ」
姉からそう言われていた。盆に母をひとりにしておくのを姉は気にしているようだった。姉と違って、弟の私は無精者で、なにをするにも面倒くさがる性分だ。足が遠のいていたのも、たんにそのせいだった。
久しぶりに歩く私の目に、あたりは代わり映えしてないように映った。なつかしくないといえばウソになる。しかし同時に泥臭さも感じる。五番目のバス停の土地だ。駅から遠からず近からずの場所だ。住みやすいが、その心地よさは、臍の緒でつながった胎児のまどろみに似ている。
日に炙られカラカラの道を進み、住宅地に入りかけの坂道にかかると、陽炎の立ったその向こうに、日傘を差した女が坂を下りてきているのが見えた。和装で、レースの日傘を手前に傾け、うつむき加減なので顔はよく見えない。夏らしい、青色を水で薄くしたような透明感のある色合いの長着に、花びらをちらした明るい柄の帯を締めている。一歩ごとに女との距離が縮まり、日傘を持つ手に目がいった。若い女の手をしていた。あまり見るのは失礼になると、視線を下げてすれ違った。
おかえり
声がし、女が一瞬腰を屈めたように見えた。視界の端のほうでとらえたにすぎず、声もかすかだった。坂の上で立ちつくし、振り返った。女はなにもなかったように背中を向けて歩いていく。夏の日が消え去り、そしてまた戻っていた。
変だ。私に挨拶をしてくるような若い女の知り合いがこのへんにいるはずがない。暑さのせいでどうかしていると、私は残りの坂道を上った。
家並みの一画に私の実家はあった。小さいながらも庭があり、その庭に面して縁側のある、瓦屋根の木造家屋だ。柊の生垣にしな垂れるようにして、百日紅が紅色の花房をつけている。私は門扉を通った。玄関引き戸を開くと、母が奥から出てきた。
「ほんとうに帰って来たんやね。ミツコたちがおらんで、今年の盆はのんびりできると思うとったのに、あんたが帰ってきたら、いっしょや」
母は、暑かったやろうと茶の間に入り、障子戸を閉めるとリモコンでクーラーを作動させた。
「カルピスでも作ろうか。お昼はすんだとね?」
駅のレストランでカレーを食べてきたと伝え、荷物を置くと、洗面台で顔と手を洗い、まずは土産の菓子を、盆飾りのされた仏壇に供え線香をあげた。それから茶の間で、持参してきたТシャツとジャージに着替える。
氷を浮かべたカルピスを母が茶の間の卓の上に置いてくれ、私はそれを口にした。カルピスの甘さが口中に広がる。子供に戻ったようだった。
「最近はどうしようね?」
私の正面に座った母が問いかけをし、それに答えるかたちでしばらく会話が続いた。とりわけて報告するようなことはなにもない。母も私もそれはわかっている。似たような同じようなことの繰り返し、それがずっと続く。ここはそういう場所なのだ。
こうやって母を前にして私が思うのは、いつもきまって、孝行のひとつもしてやったことがないということだった。だからといって、どうしたらそれができるのか、いつになったらできるのか、皆目わからないでいる。
私は、さきほど坂道ですれ違った着物の若い女のことを話した。
「おかしいね。そんな娘さんはこのへんにはおらんよ。夢でも見たんとちがう」
住人でなく、帰省している娘さんとかじゃないかと私が言うと、母は妙な笑い方をした。
「盆やし、あっちに行ったひとが帰ってくるんやし、そりゃいろいろよ」
私が飲み干し、溶けた氷だけが残ったコップを手にして、母は立ち上がった。
「夜はちらし寿司にするけん」
私の部屋が姪の部屋になり、仏間が母の部屋になり、台所がリホームされている点と家電や調度品のいくつかが買い替えられている点を除けば、実家はむかしのままだった。築年数だけの古びがあり、物は残ってはいないが、そこかしこに私の痕跡がある。
夕飯前に、少し散歩してくると母に声をかけて外に出た。日差しが和らぎ日暮れが近い。ぶらぶらと、これといった当てもなく歩いてみた。連絡を取ったり、会いたいと思うような友人は思いつかない。
道に沿ってひとけのない小学校の校舎を眺めながら神社のほうへと歩いた。神社は高台になっていて、下にある石の鳥居から上へと長い階段があった。鳥居の向かいに広場があり、そのそばには公民館がある。夏祭りが毎年その広場で行われた。中央に櫓が組まれ、ロープが張られ、提灯が数珠つなぎに飾られた。町内の祭りなので、金魚すくいに水ヨーヨー釣り、綿菓子に焼きとうもろこし、そういった趣向は自治会の大人たちの手で行われた。ほとんどが見知った顔だった。子どもには袋詰めの菓子が配られ、それが楽しみだった。太鼓の音に、櫓を中心にまわりながら踊る人々、スピーカーの音響に闇を彩る無数の提灯。そんな記憶を浮かべながら、神社の前を歩く。誰もいなくてしんとしていた。広場には櫓があったので、祭りの準備はされているようだった。気になって、私はあたりを見まわした。やはり誰もいない。
足を止め、下から神社を見上げた。社は椿の木で囲まれている。冬から春にかけての開花時期は、黄色い蕊に朱色の椿の花が見事に咲き誇り、ちょっとしたものだ。花蜜を吸ったりもした。が、花が終わり、五月か六月あたりなると、葉の裏には毛虫がびっしりと張りついている。
神社から、公民館の脇の見落としそうな細い道を通り抜けると、そこにはまだ墓地があった。納骨堂を中心にしてぐるりと墓石が並んでいる。むかしからの墓地なので、墓石の形や大きさはばらばらだ。私には、墓地よりお墓と言うほうがしっくりくる。お墓に行ってみようか、子ども同士でそう声をかけ合っていた。公園はなかったので、遊び場所といえば小学校と神社と広場とお墓くらいだった。小学校より近いこともあって、子ども時分の私は、広場とお墓ですごすことのほうが多かった。お墓での鬼ごっこやかくれんぼは、墓石という障害物があって、ほかとは違う面白さがあった。お墓がどういう場所であるかは子どもながらに理解していた。それでも日の光のある昼のうちにそこで遊ぶのには抵抗がなかった。夜に行くことは断じてなかったし、日が暮れかかると迷わず家に帰っていた。たまに、墓の下部にある納骨室の観音開きの扉が開きっ放しになっていて、その奥が覗けたりすると、たとえ昼間であっても子どもの私たちは一目散に退散していた。
墓地をあとにし、池を一周し、雑木林を見ながら帰路についた。遠くの山の稜線が染まり日が落ちだしている。
雑木林は虫やへびなどがいて、子どもの遊ぶ場所としては不向きだった。遊ぶというより探索する場所だった。裸の女の写真やエロ本の、雨露でぼろぼろになったのを腐った葉の中に見つけては、黄色い声を上げどきどきしていた。
と、雑木林のほうからもの音がし、私は顔を向けた。向けると同時に音はやんでいた。小動物が動いたような葉擦れの音だった。しかしいまは、ひっそりとしている。奥は暗くて窺えない。そのまま歩いていき、十分離れたあたりでもう一度振り返ると、女がひとり雑木林の前に立っているのが見えた。夕闇があたりを覆い、遠くからなのでよく判別できないが、こちらを見ているようだった。暗くならないうちにと私は道を急いだ。
戻ってから、母に言われて盆提灯を玄関に吊り下げ、迎え団子を仏前に供えた。
そのあと夕食を摂った。知らされた通りちらし寿司だった。蒸しエビに椎茸に酢蓮根に絹さやに錦糸卵に刻み海苔、そして桜でんぶ。具材はその時々で変わったが、桜でんぶを使うのが母の慣例だ。子どもの喜ぶ味だ。卓にはあと、刺身と煮物と小松菜のおひたしと吸い物が並べられていた。
「いつもちゃんと食べようとね。ちゃんと食べらないかんよ」
こういう時、言いつくされたことではあっても、親にとって子どもはいつまでも子どものままなのだと思う。うんうんとうなずきながら食した。
母とテレビを見たりだべったりして、あとの時間を過ごした。盆の実家にいるのは母と私の二人だけだった。寝る前に風呂に入り、床についたのは零時ごろだった。
眠りについてどのくらい経ってか、風鈴の音がした。
ちりんちりん、ちりんちりん。
闇につつまれたまま、寝ている私の耳に風鈴の音が聞こえてくる。意識が半ば眠っていて半ば目覚めている。夢かと思うが、静まり返ったなか風鈴の音だけがする。近くなのか遠くなのかは判然とせず、近くでもあり遠くでもあるように聞こえる。
ちりんちりん、ちりんちりん。
夜の風鈴は魂を呼び寄せる。そんな言い伝えを思い出す。頭を枕に預けたまま、夢うつつに、目を閉じてその澄んだ音色に耳を傾けているうちに、意識の底から記憶が浮上してきた。女のひとの思い出だ。幼年というほど幼くなく、少年というには早すぎるころのことだ。私より年上で、とても綺麗なひとだった。でも、顔がよく思い出せない。綺麗なのはたしかなのだが、紗がかかったようで、はっきりと顔が出てこない。そのくせ、細部になると記憶は鮮明になる。長い黒髪、くっきりした眉、こちらを見つめている目尻の切れた目、陶器を思わせる白い肌、薄紅色の唇に華奢な顎。お姉さんはとても綺麗だった。母や姉とはちがう年上の女性だった。近所のそのお姉さんは、小さな子どもにすぎない私とよく遊んでくれた。私といえば、お姉さんのそばにいるだけで幸福感につつまれた。心臓がときめき、ずっとこのままでいたいという甘美な思いが胸を満たした。お姉さんの笑い声が甦る。風鈴が鳴る。軒から下がった風鈴を私とお姉さんは見つめている。風鈴が鳴るとひとが死んでいく。そう言ったのはお姉さんだった。
ほら死んだ、ほら死んだ。
風鈴の音色に合わせてお姉さんはそう言い、嬉しそうに笑った。その時のお姉さんが、どれほど魅惑的だったことか。屈託なく、無邪気に笑うお姉さんは私をも嬉しくさせた。また風鈴が鳴り、お姉さんが笑う。ほら死んだ、ほら死んだ。私も一緒に口にすると、お姉さんがいっそう顔を綻ばせ私の手を握る。そして二人で言う。ほら死んだ、ほら死んだ。風鈴が鳴っている。風鈴が鳴り続け、ひとがつぎつぎと死に、私とお姉さんが口にする。ほら死んだ、ほら死んだ。
お姉さんがどこの誰だったのか、どこに住んでいたのか、それらは記憶から抜け落ちている。よく遊んでくれたことも、具体的にそれがどんな遊びだったかになると、はっきりしなくなる。それでも、二人でかくれんぼをしたのだけはたしかだ。場所はわからない。小学校か神社かお墓か、あるいは雑木林かもしれない。いや、もしかしたらそれらの場所すべてでしたのかもしれない。鬼はいつもお姉さんで、私は隠れるほうだった。隠れる場所を探すのに私は手間取っていた。見つかってはいけないという思いと、お姉さんに見つけて欲しいという相反する二つの気持ちが体内でせめぎ合っていた。もういいかい。お姉さんの声が問いかけてくる。いっそう焦ってしまう。見つかってはいけない、隠れなくては。でもお姉さんに見つけて欲しい。見つかってお姉さんに駆け寄り、思いっ切り甘えてみたい。もういいかい。お姉さんが呼んでる。声が追いかけてくる。見つからないようにしなくては。でも、でも、でも。子どもながらに、狂おしい思いに胸が張り裂けそうだ。見つかりたい、でも見つかったらそれで終わりだ。かくれんぼは終わり、すべてが終わる。どうすればいいんだと、私は懸命に隠れようとする。いつまでもいつまでも続くかくれんぼ。もういいかい。お姉さんの声がする、声がする。お姉さんとのかくれんぼがどうなったのかは思い出せない。もしかしたら、まだ終わってないのかもしれない。お姉さんの思い出を抱いて、ずっと隠れ続けるのだろうか。お盆にかくれんぼなんてするもんじゃない。男とも女ともつかない声がいきなりし、風鈴の音が遠のき、私の意識は眠りの海のなかへと沈んでいった。
翌朝。
納豆に海苔にメザシにわかめの味噌汁といった、まともな朝食を摂るのは久しぶりだった。たかな漬けもある。朝からおかわりをしてしまい、なにをするでもなくごろごろしているうちに昼になる。昼食は素麵だった。庭でも眺めながら食べようとなって、クーラーを止め、障子戸と縁側のガラス戸を開放する。外気が流れ込み、気分まで解き放たれた感がする。知らずうちに視線を上げ、その時になって、私は軒下に風鈴が下げられているのに気づいた。
お碗を伏せたような形の外身の部分が、薄っすらと青みがかったガラスで出来た風鈴だった。短冊には花びらが描かれている。
深夜の風鈴の音はこれだったのかと思い、一緒にお姉さんのことも思い出した。風鈴を目にするまで、私はそのことをすっかり忘れてしまっていた。風鈴を見なければ、お姉さんのことをふたたび思い出すことはなかったにちがいない。
「ああ、それな。みどりが買って来たとよ」
風鈴を見つめている私に、膳の用意をする母が声をかけてきた。
「音がきれいだし、涼しくなって省エネになるって。なんでもリサイクルショップで見つけたとか言うとった。夏らしゅうて、気持ちよかよね」
蚊取り線香をつけ、庭を眺めながら細切りきゅうりののった素麵を食べた。私は母にお姉さんのことを聞いてみた。
「そんな女のひとには覚えがないね。近所で、あんたとよく遊んでくれた女のひとなんておらんかったと思うよ。あんたは子どもん時から友だちが少なかったし、そのお姉さんも、実際におるひとじゃなく、想像上の友だちやないとね。それか、夢ん中のひととか」
母にそう言われるとそんな気もしてくる。夢と現実が、記憶の中でごっちゃになっているのかもしれない。
素麵を食べ終わると、デザートがあると母は言って、西瓜の切ったのと塩を運んできた。おしぼりで手を拭いたりして、塩を振ってかぶりついた。夏だった。盆だった。
「あーなんか、眠とうなってきたね。行儀が悪かけど、ちょっと横になりたか」
西瓜の皮を片づけもせず、母は押し入れから枕とタオルケットを取り出すと、卓の傍らに横になった。一時間ほど経ったら起こしてくれと私に頼み、枕に頭をつけたと思ったら、すぐに寝息を立て始めた。
することもないので、母を起こさぬよう音を小さくしてテレビをつけた。ニュースを見て、チャンネルを変え、ぼんやりと見ていて、またチャンネルを変え、それからしばらくして消した。蚊取り線香の煙がゆらぎ、それに合わせるかのようにして風鈴が鳴った。深夜に聞いた音色と同じだった。
もういいかい
お姉さんの声が聞こえた。夢の中でなく、いまいる、日の光の射す昼間の明るい場所でだ。私は声のした家の内側へと目を向けた。一変していた。目に映ったのは荒れ果てた廃屋だった。いままで潜んでいたものがいっきに表に出てきたようだった。壁はひび割れてところどころが崩れ、天井板が剥がれ落ち、あるいは垂れ下がっていた。畳は毛羽立ち変色し、汚水を吸ったかのようにぶかぶかに膨らんでいる。ふすまは破れ、窓ガラスは割れ、枠は歪んで斜めに傾ぎ、戸や板が瓦礫となって積み重なっていた。それは、ひとが住まなくなり、長い年月の間に、忘れられ、朽ち果てた家の末路だった。数年でなく、数十年の時が経過した有様だった。近くを見ると、卓は傷だらけでいまにも倒れそうだ。その卓の上に、しなびて茶色になった西瓜の皮らしきものがのっていた。庭は野放図に雑草が生い茂り、生垣も百日紅も見る影もなくなり、ただただ荒れすさんでいた。縁側は板が波打ち、割れ、いくつも穴ができている。
そんななかで、軒から下がった風鈴だけはそのままだった。なにひとつ変わってない。風が吹き、短冊が揺れて風鈴が鳴った。ちりりんと、風鈴の澄んだ音色が廃屋のなかを流れていく。
気配がし、気づくと母が寝ていたところに、ぼろぼろの布で覆われた盛り上がりがあり、それがかすかに動きだしていた。布の下でなにかが動いていた。布の端から黒々とした手と思わしきものが出、指みたいなものが畳の上で蠢いた。それは起き上がろうとしていた。布が持ち上がり、それからずるずると下がりだし、姿が見えだした。
私は瞼を閉じた。ゆっくりと深呼吸し、もう一度繰り返した。そして瞼を開くと、すべては元に戻っていた。廃屋でなくもとの実家がそこにはあった。傍らでは母が寝息を立てている。蚊取り線香は煙を立ち上げ、卓の上の西瓜の皮には、歯型のついた果肉が残り、薄く赤みがかっている。その横には塩の小瓶が。なにも起こってはいない。
幻影に違いなかった。でなかったら、錯視か幻視、それに幻聴。
もういいかい
はっきりと聞こえた。さきほどより明瞭に。聞き違えなどではない。たしかにお姉さんの声だ。
もういいかい
間違いない。お姉さんが私に呼びかけている。風鈴が鳴り出す。ほら死んだ、ほら死んだ、と頭の中で声が繰り返される。
もういいかい
また聞こえた。しかも声は、明らかに近づいていた。お姉さんが来ようとしている。私を見つけに来ようとしている。風鈴が鳴る、風鈴が鳴る。ひとが死んで風鈴が鳴る。
もういいかい、ひと声ごとにお姉さんが近づいて来る。小学校から、神社から、広場から、お墓から、雑木林から、お姉さんがやって来る。
もういいかい
もうそこまでお姉さんは来ていた。お姉さんが来る、お姉さんが来る。
風鈴が鳴り続ける。激しく、うるさいほどに。
笑ってる、お姉さんが笑ってる。
ほら死んだ、ほら死んだ。もういいかい。もういいかい。ちりんちりん、ちりんちりん。もういいかい、もういいかい。
私は言った。
「ま、ま、まあ……だだよ」もう一度「まあだだよ!」
風鈴が鳴り止み、声はもうしなかった。
※ ※ ※ ※
プルルルル、プルルルルル。
はい……あ、ミツコね……わざわざ電話かけてこんでもよかとに……そっちはどうね……そりゃ喜びんしゃったろう、よかったやないね……そげん心配せんでもよかて、ひとりでも大丈夫って……うん……いいや、帰ってきとらんよ。連絡もなか……あの子は無精者やけん、あてにはならんよ……うん、うん、わかった……じゃあ広志さんにもよろしく言うとって。どうも電話ありがとうね。それじゃあ。
近所のお姉さんの思い出 了
最後までおつき合いいただきありがとうございました。
退屈させてしまったのなら申し訳ありません。
同じ題材を使った、別バージョンの「近所のお姉さんの思い出」があって、もし仕上げることができたら、いずれ(いつかはわかりません)投稿するかもしれません。