第89話『田中研究所』
「突然、すみません。私はラミエルと言います。こちらに白髪アシメの男性は訪ねて来ませんでしたか?」
トンカチ片手に壁を修理する白衣の男性に、私は話し掛けた。
すると、男性はネイビーブルーの髪を揺らしてこちらを振り返る。
レンズ越しに見えるブルーサファイアの瞳は、酷く億劫そうだ。
『面倒くせぇ』と言わんばかりの表情を浮かべる彼の前で、シムナさんはニコニコと笑う。
「ねぇー!目つきの悪いおじさーん!ここに白髪で如何にも頭悪そうな奴、来なかったー?」
「あ”ぁ!?目つきが悪いだと……?クソガキ、てめぇ……言葉には気をつけろ」
酒焼けしたかのようなしゃがれた声で、男性はシムナさんを威嚇した。
でも、手を出すことはない。
一応、そこら辺は弁えているようだ。
『理性的な人で助かった』と思いつつ、私はシムナさんにチョップを入れる。
「いたっ……!」
「シムナさん、もう少し考えてから発言してください。私や徳正さんなんかのパーティーメンバーは慣れているから平気ですが、初対面の人にいきなり『目つきが悪い』なんて言ったらいけません!分かりましたか?」
「……はーい」
「じゃあ、男性に謝ってください」
『ここで甘やかしてはいけない』と強気に出ると、シムナさんは渋々といった様子で白衣の男性に向き合う。
少々不服そうではあるものの、『嫌だ』と子供みたいに駄々を捏ねることはなかった。
シムナさんは飲み込みが早い上、根が素直で良い子だから、きちんと言い聞かせれば言うことを聞いてくれる。
彼に足りないのは、叱ってくれる信頼出来る人と行動の善し悪しを判断するための材料────即ち、知識と経験だった。
『とにかく失敗を経験して学んでもらうしかないな』と思案する中、シムナさんはペコリと頭を下げた。
「ごめんなさーい」
「言い方とその表情は非常に気に食わないが、許してやるよ。俺の目つきが悪いのは、事実だからな」
「わーい!おじさん、ありがとー!」
「俺はおじさんじゃねぇ……」
ネーミングセンスが壊滅的……というか、言葉のレパートリーが圧倒的に少ないシムナさんに、男性は眉を顰めるものの、さっきのように怒鳴るようなことはしなかった。
もう彼はこういう人なのだと、認識しているのかもしれない。
「だって、僕おじさんの名前知らないもーん。だから、おじさんって呼ぶしかないじゃーん?」
「いや、そこはせめて『お兄さん』だろ。何で『おじさん』なんだよ。俺はまだ二十代の若者だ」
「えっ!?そうだったの!?」
「何でガチで驚いてんだよ……普通、そんくらい予想つくだろ……変わったガキだな」
目を真ん丸にして驚いているシムナさんに対し、男性は『はぁ……』と深い溜め息を零した。
かと思えば、ガシガシと頭を掻く。
「ったく……しょーがねぇーなぁ……さすがにこの年で『おじさん』呼びは嫌だから、特別に名乗ってやるよ。俺は────田中だ」
「……はいっ?」
「たなか?」
「ああ。俺はここの研究所の所長兼『田中研究所』のギルドマスターである田中だ」
「へぇー。おじさ……じゃなくて、田中ってギルドマスターなんだー!」
「まーな」
「何でギルドマスターの田中が、建物を修理しているのー?ギルドマスターは偉いんじゃないのー?」
「別に偉くはねぇーよ。ギルドのまとめ役ってだけで、権力とかは特にないしな。だから、建物の修理くらい普通にする」
「へぇー!ウチのボスとは、大違いだねー!ウチのボスはねー、とにかく凄く偉そうなんだー!ちょっと悪戯しただけで、半殺しにされるしー!」
「半殺しにされたエピソードを、笑顔で語れるお前がすげぇと思うわ」
普通に言葉のキャッチボールを交わすシムナさんと田中さんに、私は驚きの目を向ける。
だって、彼が……彼こそが、リアムさん捜索の鍵となる人物だから。
『まさか、こんなにあっさり会えるとは……』と驚き、私は白衣の男性をまじまじと見つめた。
すると、彼はこちらの視線に気が付き、何かを思い出したかのように目を剥く。
そして、ペラペラと喋っているシムナさんを片手で制した。
「そういや、お前白髪アシメの男がどうとか言っていたな?本題を後回しにして、悪かった。話を聞いてやるから、中に入れ」
ぶっきらぼうな言い方ながら話に応じる姿勢を見せた田中さんは、大股で歩き出す。
徐々に遠ざかっていく背中を前に、私とシムナさんは慌てて後を追い掛けた。
田中さんって、なんか不思議な人だな。
凄く怒りっぽい人かと思えば、シムナさんの性格を把握するなり全然怒らなくなったし……それにこちらの話も、きちんと聞いてくれている。
きっと、根はいい人なんだろうな。




