第2話『チャット』
徳正さんはパチパチと瞬きを繰り返し、半信半疑といった様子で己のゲームディスプレイを表示させる。
私からはただ空中をタップしているようにしか見えないが、彼の黒目にはしっかりとディスプレイが映し出されていることだろう。
FROでこんなバグ、初めて……。
今まで何の問題もなかったと言えば嘘になるけど、日常生活に支障を来すレベルのものじゃなかった。
『一体、何が起きているの?』と不安になる中、徳正さんはクッと眉間に皺を寄せる。
いつも陽気に笑う普段の彼からは、考えられないほど不機嫌なオーラを放っていた。
「……俺っちもログアウトボタンが非表示になってた……ついでに他のプレイヤーも」
「えっ……?」
「公式チャット見てみなよ。『ログアウトボタンがない』って、他のオンラインプレイヤー達がギャーギャー騒いでるからさ」
硬い声で真剣に喋っている徳正さんに促され、私も一先ず公式チャットを開く。
────公式チャットとは、FRO内の全プレイヤーが強制的に参加させられているグループチャットのこと。
いつでもどこでも誰でもチャットに参加でき、ここでフレンドを見つける人もしばしば。
ただ出会い系アプリみたいに使われることもあって、未成年を巻き込んだ性犯罪がちょくちょく発生しているらしい。
VRMMOは痛覚以外の感覚は現実とあまり大差ないから、ゲーム内で“そういう事”をする人も居るんだって。
ゲーム内での出来事だから法律で裁いていいのか分からなくて、世間でも話題になってるし……って、そんな話をしている場合じゃなかった!
今は公式チャットの確認を……。
「────えっ?何これ……?」
秒単位でコメントが流れ、私は文章を目で追うことが出来なかった。
『こんなこと今までなかったのに……』と困惑し、私は目を白黒させる。
でも、ずっと固まっている訳にはいかないため、震える手で適当に画面をタップした。
すると、物凄い速さで流れていたコメントはピタッと止まり、文章を読めるようになる。
『ちょ、マジでヤバいって!ログアウト出来ない!』
『ログアウトボタン消えてる同士おる?』
『コメント流れすぎw意味わかんねーw』
『今、運営が対応してるだろうから気長に待とうぜ』
『わー!コメントたくさーん!www』
『運営早く対処しろやwこちとら、明日四時起きなんだよ!w遅れたら、まじ罰金な?w』
『つーか、運営の対応遅くね?メールとか届いてないから、対応してるのかどうかすらも分かんねぇ』
『くそワロタwwww』
皆、思い思いにコメントしているため会話としては成り立っていないが、混乱っぷりは見て取れた。
一体いつからログアウトボタンが消去されたのかは分からないけど、今オンラインになっているプレイヤーの全員……もしくは、過半数以上がゲームからログアウト出来ない状況みたいね。
思ったより、不味い事態になっているかも……。
『運営の動きだって分からないし……』と苦悩し、私は眉尻を下げる。
「徳正さん、これってどうすれば……」
上位プレイヤーとはいえ、徳正さんはゲームの制作や運営に携わっている人じゃない。彼もまた一般人のプレイヤーだ。
なので、『どうすれば良い?』と問うたところで、この状況は変わらない。
でも、不安でしょうがない私は徳正さんを頼ることしか出来なかった。
情けない姿を晒す私を前に、徳正さんはゆっくりと目を閉じる。
そして、数秒ほど沈黙すると────いつものように陽気に笑った。
「大丈夫、大丈夫〜。不安がることないって〜。ラーちゃんは心配しすぎ〜。きっと、運営や主君がどうにかしてくれるよ〜」
主君とは『虐殺の紅月』のリーダーを指した言葉で、徳正さんはいつもそう呼んでいる。
他のメンバーもキングとか頭とか好きに呼んでいて、実に個性的だった。
「今、主君も含めた『虐殺の紅月』のグループチャットで話してたんだけど、とりあえず待機だってさ〜。混乱するプレイヤーに巻き込まれないよう、野外待機を推奨するって主君が言ってる〜。アハッ!主君が顔文字とか似合わな〜い!ほら、見てみなよ〜!」
「は、はい」
徳正さんに促されるまま、私は『虐殺の紅月』のグルチャを開く。
と同時に、クスッと笑ってしまう。
皆のやり取りが、あまりにもマイペースすぎて。
『リーダーに便乗して、顔文字を使いまくっているし』と目を細め、肩の力を抜いた、
そうだよね、うん!きっと、運営が何とかしてくれるよね!
今、私に出来ることはただ静かに待つこと!それだけ!
『変に騒いだりしちゃダメ!』と自分に言い聞かせ、私は幾分か冷静になる。
────と、ここでピロン♪と脳内に陽気なメロディが響いた。
なんだろう?誰かからメールでも届いたのかな?
などと思いながら通知をタップし、私は目を剥く。
「えっ……?運営からメール……?」
「おっ?ラーちゃんにも、届いた〜?多分、運営からバグの修正内容や修正時間に関するメールが届いたんじゃないかな〜?まあ、とりあえず開いて……はっ?」
一足早くメールを開いたらしい徳正さんは、珍しく素っ頓狂な声を上げた。
また、眉間には深い皺が刻まれている。
どうやら、思わしくない内容が書かれていたらしい。
急に黙り込む徳正さんを前に、私も一先ずメールを開く。
「えっ……?これって……」
予想を遥かに上回るメールの内容に、私は思わず言葉を失った。