第285話『香水』
プライドを傷つけられた徳正さん達に対し────シムナさんは、思い切り吹き出す。
戦闘中でもお構いなしに、大きな笑い声を上げた。
「ぷはははははっ!!三人とも、何やってんのー?ミミズ相手に手間取っちゃって、馬鹿みたーい!超ウケるー!」
『おかしくて、しょうがない』とでも言うように、シムナさんは笑い転げる。
攻撃の手を緩めずに爆笑する姿は、かなりシュールだった。
勢いよく左右に振り回される彼を他所に、徳正さん達はピシッと固まる。
ヒクヒクと頬を引き攣らせる彼らは、『マジでキレる五秒前』といった様子だった。
「シムナ〜、笑っていられるのも今のうちだよ〜?」
『謝罪は早めにしておいた方がいいぞ』
「とりあえず、首を洗って待っていろ」
額に青筋を立てる徳正さん達は、物騒なセリフを吐き捨てると────再度地面を蹴り上げる。
足場代わりの氷壁から飛び下り、彼らは物凄いスピードで神龍に迫って行った。
そして、重力操作の影響など諸共せず、奴の背中に着地する。
「あっ、今度は成功したんだねー?おめでとー!三人とも、成長したねー!」
何故か先輩面するシムナさんは、『徳正達にしては、よく頑張ったじゃん』と嘲笑った。
ことごとく馬鹿にされた三人は、大人気ないと理解しつつも、見事に苛立つ。
殺気にも似たオーラを放ちながら、『今に見ていろ』と呟いた。
刹那────徳正さんは妖刀マサムネで、ラルカさんはデスサイズで、リーダーは大剣で神龍の皮膚を切り刻む。
『あぎゃぁぁぁあああ!!?』
同時に三箇所も切り刻まれたせいか、神龍は涙目で絶叫した。
痛みに悶える奴を他所に、リーダー達は黙々と解体作業を進めていく。まるで、出遅れた分を取り戻すかのように……。
負けず嫌いな彼らを前に、ヴィエラさんは深い溜め息を零した。
「全く……徳正たちもまだまだ子供ね。シムナと張り合うなんて、どうかしているわ」
『相手にしなきゃいいのに……』と呆れ返るヴィエラさんは、やれやれと肩を竦める。
大人気ないと嘆く彼女を前に、私は思わず苦笑いした。
「確かに大分、ムキになっていますね……まあ、仕事はちゃんとこなしてくれているので、良しとしましょう」
『気にしたら、負けです』とアドバイスし、私は静かに戦況を見守る。
いちいち男性陣を宥めるのも面倒だったのか、ヴィエラさんは『それもそうね』と、あっさり頷いた。
高みの見物を決め込む私達の傍で、アラクネさんはせっせと何かを準備している。
『何をしているんだろう?』と不思議に思う中、彼女はアイテムボックスの中から、小瓶を取り出した。
なんだろう?これ……。香水かな?アラクネさんの職業は調香師だし、持っていても別におかしくはないけど……なんというか、似合わない。アラクネさんには申し訳ないけど、地味なイメージがあったから、どうしても違和感を抱いてしまう……。
『コレジャナイ感が半端ない』と嘆きながら、私は一先ず静観することにした。
黙って様子を見守る中、アラクネさんは香水のキャップを取る。
そして、スプレーの吹き出し口を神龍に向けた────かと思えば、直ぐさま香水を噴射する。
爽やかな香りと共に吹き出た液体は、ゆっくりと結界を通過した。
『このままだと、重力操作の影響により下に落ちるのでは?』と危惧した瞬間────霧状の液体が部屋中に広がる。
ピンク色の霧で満たされたボスフロアは、二十秒ほどして元に戻った。
『今のは一体何だったんだ?』と疑問を抱く中、神龍はいきなり身動きを止める。
そして、大きく目を見開くと────けたたましい叫び声を上げて、暴れ出した。
錯乱した様子で、空中を飛び回る神龍は『いぁ……ぐっ!』と、くぐもった声を上げる。
奴の身に一体何が起きたのかは分からないが、痛みで我を忘れていることだけは分かった。
「先程とは比べ物にもならないほど、苦しんでいますね……」
「そうね。アラクネちゃんは一体、何をしたのかしら……?」
困惑する私を前に、ヴィエラさんはチラリと後ろを振り返る。
そこには、レポート片手に神龍の様子を観察するアラクネさんの姿があった。
研究者の性とでも言うべきか、ボス戦でもレポートは欠かせないらしい。
『さすがは田中さんの妹だな』と苦笑する中、アラクネさんはハッとしたように顔を上げた。
「あっ、えっと……か、かかかかかか、勝手なことをして申し訳ありません!せっかくだから、実験の成果を試そうと思って……って、これは言い訳ですよね!ほ、本当にすみません!」
勢いよく頭を下げたアラクネさんは、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す。
すっかり萎縮してしまった彼女に、ヴィエラさんは優しく笑いかけた。
「私達は別に怒っている訳じゃないのよ。ただ、ミミズに何をしたのか気になっただけ。差し支えなければ、教えてくれる?」
「も、もちろんです!つまらない話かもしれませんが、きちんと説明させてもらいます!」
首振り人形の如く、コクコクと何度も頷くアラクネさんは、慌てて空中をタップする。
そして、アイテムボックスの中から、例の香水を取り出すと、急いで説明を始めた。
「み、ミミズの様子がおかしくなったのは、この香水のせいです!こ、ここここここ、これは試作中の毒ガスで魔物にしか効きません!い、今まではPK用の毒ばかり作っていたので、完成度にあんまり自信はありませんが……それで、えっと……」
自分の考えを言語化するのに手間取っているのか、アラクネさんは途中で言葉を詰まらせる。
焦ったように冷や汗を垂れ流す彼女は、今にも卒倒しそうだった。
混乱のあまり目を白黒させる彼女に、ヴィエラさんはすかさず助け船を出す。
「そう。この香水が原因であることは分かったわ。それで、効能は何なの?」
『ちゃんと聞いているから、安心して』とアピールしつつ、ヴィエラさんは穏やかな口調で質問を投げ掛けた。
怒られなかったことにホッとしたのか、アラクネさんは僅かに表情を和らげる。そして、何とか冷静さを取り戻すと、ヴィエラさんの質問に答えた。
「こ、この香水には────痛覚を通常の十倍に跳ね上げる効果があります!」
へぇー。この香水には、痛覚を通常の十倍に跳ね上げる効果があるんだー……って、えぇ!?通常の十倍!?二倍の間違いじゃなくて!?それって、ある意味一番タチが悪くない!?
『指先をちょっと切っただけでも、凄いことになりそう……』と呟き、私はサァーッと青ざめる。
驚きを通り越して、もはや恐怖でしかない効能に、私はドン引きした。




