第272話『第三十九階層』
徳正さんの嘘泣き劇場も終わり、ダンジョン攻略を再開した私達は第三十九階層まで来ていた。
『次のボス戦まで、もう少しだ』と気合いを入れ、私達は中層魔物と睨み合う。
第三十九階層の魔物は────有名な都市伝説の一つである、人面犬だった。
人面犬とはその名の通り、人の顔を持つ犬のことで、人の言葉を話すことが出来る。と言っても、インコのように単語を喋るだけで、言語を理解している訳ではなかった。
そして、人面犬の強みは圧倒的スピードと伝染能力にある。前者はさておき、後者は非常に強力なもので、人面犬に噛まれると自分も人面犬になってしまうのだ。ただ外見が変わるだけなので、喋ったり戦ったりすることは出来るようだが、精神的にかなり来る……。人によっては、黒歴史認定されるだろう。
ゲーム内ディスプレイに記された情報を脳内で纏めた私は、『エゲつない能力だ』と頬を引き攣らせる。
おっさん顔で統一された人面犬を前に、私は思わず後退った。
「み、皆さん!絶対に噛まれないようにしてください!噛まれたら、人面犬と同じ姿になってしまいます!魔法やスキルは問題なく使えるようですが、圧倒的に戦いにくいので注意してください!」
最も重要な点を述べた私は、人面犬の動きを警戒するよう促す。
ある意味一番恐ろしい能力に、女性のアラクネさんやヴィエラさんは嫌悪感を示した。
『絶対に噛まれたくない』と切実に願う女性陣を他所に────シムナさんはパァッと表情を輝かせる。
「えー?何それー!?超面白そー!ねぇーねぇー、徳正!試しに一回、噛まれてみてよー!」
「絶対に嫌〜!こんなブサイクになりたくないも〜ん!」
人差し指でおっさん顔の人面犬を指さす徳正さんは、フルフルと首を横に振る。
断固として拒否する彼を前に、シムナさんも負けじと食い下がった。
「大丈夫だってー!噛んできた犬を討伐すれば、元の姿に戻れるみたいだからー!ブサイクになるのは一瞬だけだよー!」
『大体、素顔を晒したことの無いお前が外見など気にしても、意味はないだろ』
言外に『元々ブサイクの可能性もある』と言い捨てたラルカさんは、シムナさんの意見を後押しした。
遠回しに顔面をディスられた徳正さんは、理不尽極まりない要求に眉を顰める。
「俺っちの素顔なんて、今はどうでもいいでしょ〜!ていうか、そんなに人面犬の能力を見てみたいなら、自分達で試せばいいじゃ〜ん!」
ご尤もな意見を述べる徳正さんは両腕を組み、『絶対に自分はやらない』と宣言する。
強固な姿勢を貫く彼に、シムナさんはムッとした表情を浮かべると────近くに居る人面犬に手を伸ばした。
予想外の行動に誰もが目を剥く中、彼は逃げ惑う人面犬をあっさり捕まえる。
バタバタと手足を動かす人面犬は何とかシムナさんに噛み付こうとするが……全て無駄な抵抗に終わった。
『人間……恐ろしい……』と呟く人面犬を他所に、シムナさんは笑顔で徳正さんに近づく。
「話し合いで解決できないなら、こうするしかないよねー。無理矢理は可哀想だけど、まあ……しょうがないよね♪」
可哀想と言う割に楽しそうなシムナさんは、手に持つ人面犬をズイッと前に突き出す。
目と鼻の先まで迫ったおっさん顔に、徳正さんは思わず叫び声を上げた。
反射的に後ろへ飛び退いた彼はいつでも斬り殺せるよう、剣の柄に手を掛ける。
「い、いやいやいやいや……!!さすがにそれはないでしょ!!俺っち、泣いちゃうよ!?」
「泣きたいなら、泣けばー?僕は全然構わないよー!」
ケラケラと楽しげに笑うシムナさんは、ゆっくりと距離を詰めていく。
新しい玩具を手にした子供のように、はしゃぐ彼は実に無邪気だった。
これはさすがに可哀想かもしれない……でも────人面犬の姿に変身した徳正さんはちょっと見てみたいな。
同情心と好奇心の狭間で揺れる私は、『ちょっと自分勝手すぎるかな?』と苦笑する。
でも、人面犬の感染能力に興味を持ったのは私だけじゃないようで、誰もシムナさんを止めようとはしなかった。
興味津々といった様子で、彼らのやり取りを見守る私達は襲い掛かって来る人面犬を次々と処分していく。
圧倒的スピードを売りにする人面犬は確かにすばしっこいが、捉えきれない速さではないため、難なく対処できた。
「お願いだから、勘弁して〜!一時的なものとはいえ、人面犬に変身するのは嫌だよ〜!」
『ワガママを言うな』
「いや、これのどこがワガママなの!?むしろ、君達の方がワガママじゃない!?」
「じゃあ、僕達のワガママでいいから、噛まれてよー!いい加減、このやり取りにも飽きてきたー!」
手に持つ人面犬を上下に揺するシムナさんは、『はーやーくー!』と急かす。
何故か、噛まれる前提で話を進める彼らに、徳正さんはついに頭を抱え込んだ。
『話が通じない!』と嘆く忍者を前に、シムナさんは人面犬を地面に下ろす。
ついに諦めたのか?と疑問に思う中、彼は────あろう事か、人面犬を蹴り飛ばした。
えっ!?嘘でしょう!?魔物とはいえ、さすがにそれは可哀想なんじゃ……!?
サッカーボールのように吹っ飛んでいく人面犬を前に、私はギョッとする。
オロオロする私を他所に、『人間!怖い!』と叫ぶ人面犬は徳正さんの顔面に衝突────する訳もなく、普通に避けられた。
その代わりと言ってはなんだが、彼の背後に居るアラクネさんに激突する。
彼女の首筋に顔面を強打した際に牙でも当たったのか……人面犬は自分でも気付かぬ内に、アラクネさんを醜い姿へと変えてしまった。
「「「あっ……」」」
誰も予想しなかった展開に、三馬鹿はサァーッと青ざめる。
とばっちりを受けたアラクネさんは、状況を把握するなり、泣き出してしまった。
おっさん顔を隠すように肉球を目元に当て、床に伏せる。
哀れと呼ぶべき、彼女の姿に────リーダーとヴィエラさんは額に青筋を浮かべた。
「お前ら、そこに正座しろ」
「女の子にこんな格好をさせるなんて、最低ね。見損なったわ」
三馬鹿を睨みつけるリーダーとヴィエラさんはまず、生き残った人面犬を全て討伐する。
『痛いぃぃぃいいい!!』と叫びながら、光の粒子へ変化していく人面犬はちょっと可哀想だった。
でも、人面犬を殲滅したおかげでアラクネさんはあっという間に元の姿へ戻る。
感染能力から解放されても尚、泣き続ける彼女はピクリとも動かなかった。
顔を見合せた私とヴィエラさんは、地面に蹲るアラクネさんを何とか起こしたものの……泣き止む気配が全くない。
まあ、無理もないか……一瞬だけとはいえ、仲間達にあんな姿を見られたのだから。同じ女性として、深く同情するよ。
よしよしとアラクネさんの背中を撫でる私は、ヴィエラさんとアイコンタクトを送り合い、ふと顔を上げる。
「キング、あの子達の説教は任せてもいいかしら?」
「ああ、構わない。ヴィエラとラミエルはアラクネの傍に居てやってくれ」
「ありがとうございます、リーダー」
三馬鹿の説教を丸投げした私とヴィエラさんは、アラクネさんを支えながら、階層の隅っこへ移動する。
背後から、三馬鹿の悲鳴や叫び声が聞こえるが……私は知らんぷりをした。
今回ばかりは自業自得だよ。リーダーの説教を聞いて、しっかり反省してね。シムナさんとラルカさんは特に。
淡々とした口調で叱るリーダーを尻目に、私はアラクネさんにハンカチを手渡した。




