第264話『危うい《徳正 side》』
「────と、くまさ、さん……」
弱々しい声で名前を呼ばれた俺は直ぐに返事を返せなかった。
喉に何か詰まったように上手く息が出来なくて、ひたすらラーちゃんを抱き締める。今、彼女から手を離したら、消えてしまいそうな気がした。
やっとの思いで扉を開けたら、大怪我を負っているラーちゃんの姿が見えて……心臓が止まるかと思った。この子が居なくなったら、俺はもう生きていけないのに……。
「俺を置いて行かないで……ラーちゃんのためなら、何でもするから」
心からの叫びを口にし、俺はポロリと一筋の涙を零した。
首を吊って死んでしまった妹の姿を思い出し、『また大切なものを失うかもしれない』という恐怖と不安に苛まれる。
『早く治療しなきゃ』と思うのに、こんな時に限って、頭が真っ白になってしまって、泣くことしか出来なかった。
無力な自分を呪う中、ふと────頬に何か温かいものが触れる。
「だい、じょうぶです、よ……これくらい、へっちゃら……ですか、ら……」
途切れ途切れに……でも、しっかりと言葉を紡いだのは間違いなくラーちゃんだった。
頬に触れる何かは彼女の手だったようで、少しヌルッとしている。
鼻を掠める鉄の香りにクシャリと顔を歪めながら、俺はラーちゃんの顔を覗き込んだ。
傷だらけになっても、自分より他人のことを優先する彼女に、少しだけ腹を立ててしまう。
『こんな時くらい、自分の心配をしてくれ』と……思い切り叱りつけたくなった。
「心配しな、いでくださ、い……こんなの直ぐに治りま、すから────《パーフェクトヒール》」
ぎこちない笑みを浮かべるラーちゃんは何とか力を振り絞って、治癒魔法を展開した。
白い光に包み込まれる彼女の体は時間を巻き戻すかのように、元通りになる。
焼け爛れた肌は艶のある白肌へと変わり、傷口から滲み出た血はピタリと止まった。焦点が合わなかった目も光を取り戻す。
息を吹き返したとさえ思える絶対的治癒に、俺は酷く安堵した。
良かった……ラーちゃんのHPが満タンになっている。これなら、もう安心だ。
ホッと胸を撫で下ろす俺は傷一つ残っていないラーちゃんの姿に、表情を和らげた。
安堵の息をつく俺の前で、彼女はゆるりと口角を上げる。
「徳正さんは心配し過ぎです。さっきは意識が朦朧としていて、直ぐに治せませんでしたが、これくらい平気ですよ。なんてったって、私は治癒魔法を使って何度でも再利用できる肉壁みたいなものですから」
「「!!」」
自己犠牲は当たり前という考えを持つラーちゃんに、俺とあーちゃんは言葉を失った。
献身や慈愛を通り越したラーちゃんの考えに、俺は憤りを覚える。
まるで、自分のことを物みたいに扱う彼女が許せなかった。
「……ラーちゃん、それ本気で言っている?」
「え?あっ、はい。何かおかしいところでもありました?」
キョトンとした顔でこちらを見つめるラーちゃんに、『変なことを言っている』という自覚はなかった。
ただただ不思議そうに首を傾げ、『ふむ……』と考え込む。
「私は当然のことを言ったまでですが……だって────仲間のためなら、死をも厭わないのがラミエルでしょう?」
一切言い淀むことなく、そう言い切ったラーちゃんに、躊躇いはなかった。
別にふざけている訳ではなくて、本当にそう思っているのだろう。
変なところで盲目的な彼女の思想に────俺は心の底から恐怖した。
ラーちゃんが……彼女の心を彩る全てが濁りかけている。相次ぐ友人の死と、以前から感じていた彼女への違和感がそうさせているのだろう。やはり────ラーちゃんはここへ連れて来るべきじゃなかったかもしれない……今の彼女は色んな意味で危う過ぎる。少しでも目を離したら、今までとは比べ物にならないくらいの無茶をしそうだ。
言葉通り肉壁となって死んでいくラーちゃんの姿を想像し、俺は身震いする。
今からでも引き返して、ラーちゃんを旅館へ置いて行こうかと考えるが……今、彼女の傍を離れるのは不安だった。だからと言って、人手不足の中、途中で二人も抜けるのは問題がある。フロアボスや中層魔物はさておき、ダンジョンボスとの戦いでは苦戦する恐れがあった。
『俺っちまで抜ける訳にはいかない……』と考え込んでいれば────不意に天井から、何かの欠片が落ちてくる。
カランッと音を立てて地面に転がる小石に、俺は『まさか……』と目を見開き、急いでラーちゃんを抱き上げた。
小さな悲鳴を上げる彼女を他所に、俺はトンッと地面を蹴り上げて後ろに下がる。
刹那────天井から、円盤型の岩と複数の人間が降ってきた。
「────やっっっと、開いたー!モンスターホールかんせーい!」
元気ハツラツと言うべき無邪気な声と共に、降ってきた物や者は地面へ着地する。
ガンッと派手な落下音が鳴り響く中、天井に穴を開けて現れたシムナ・ラルカ・ヴィエラお姉様・主君の四人はケホケホと咳き込んだ。
舞い上がる砂埃に苦しむ彼らはキョロキョロと辺りを見回す。
「あっれー?フロアボス、居ないじゃーん!どうなってんのー?」
『ラミエル達が倒したんじゃないか?』
「もし、そうならわざわざモンスターホールを開ける必要はなかったかもしれないわね」
「一縷の望みをかけて、モンスターホール作りに専念したが、無駄になってしまったな」
思い思いの感想を述べる彼らは見事なまでにこの場の雰囲気をぶち壊してくれた。
スイスイと空中に張られた蜘蛛糸を避ける彼らはラーちゃんとあーちゃんの姿を見つけるなり、パッと表情を輝かせる。
「あっ!ラミエル、はっけーん!大丈夫だったー!?怪我してなーい!?」
『助けに来るのが遅れて、すまなかった』
「アラクネちゃんもラミエルちゃんも、怖かったでしょう?もう大丈夫だからね」
「とりあえず、二人とも無事みたいだな」
安心したようにホッと息を吐き出す主君は『少し休んだら、出発しよう』と提案する。
窮奇戦で疲弊したラーちゃんとあーちゃんを休ませようとする彼に、他のメンバーは賛成した。
ラーちゃんの危うい思想を知らない彼らは『無事でよかった』と単純に喜んでいる。
でも、ラーちゃんの闇を垣間見てしまった俺とあーちゃんだけは暗い顔をしていた。
俺っちはどうすればいい……?このまま、ラーちゃんを連れて行った方がいいのか……?それとも、皆に無理を言って離脱させてもらう……?いや、どっちもダメだ……。前者は不安でしかないし、後者はラーちゃんが納得しないと思う。
となると、解決策は自ずと絞られる────ラーちゃんと話し合って、彼女の考えや思想をぶち壊すしかない……。
正直、この解決策は現実的じゃない。成功率だって、とんでもなく低かった。
だって、赤の他人に『貴方の考えは間違っています』『こういう考え方をするべきです』と説教されたところで何も響かないだろう。『言葉』というものは何を言ったかではなく、誰が言ったかで変わるものだから。果たして、ネットでの繋がりしかない俺っちにラーちゃんの心を動かす力があるかどうか……正直、自信がない。
でも────どんどん壊れていくラーちゃんを何もせずにただ見守るだけなんて……俺には出来なかった。
砂の城のようにパラパラと壊れていく愛する人の心をしっかり守ろうと心に決める。
完全に迷いを捨てた俺は凛とした面持ちで顔を上げ、主君に目を向けた。
「主君、一つお願いがあるんだけど────俺とラーちゃんを置いて、先に行っていてほしい。今だけ、二人きりにして欲しいんだ」




