第217話『ある意味、大惨事』
えっ?こ、ころっ……転んだ!?あの三人が!?敵の前で!?それも同時に……!?一体どうなっているの……!?
受け入れ難い現実を前に、私は地面に倒れる三人のランカーをまじまじと見つめた。
転んだ張本人である彼らもまだ現実を受け止めきれていないようで、パチパチと瞬きを繰り返す。
見事なアホ面を晒す彼らは『え?どういうこと?』と困惑していた。
間違いなく、途中までは順調だった……徳正さん達の動きに無駄はなかったし、汚れるのが嫌だからと手を抜く様子もなかった。
でも────人魚のすぐ傍まで近寄った瞬間、何の前触れもなく転けてしまった。
まるで、何かに滑ったみたいに……って、ん?滑った?それって、もしかして────。
「────人魚の粘液に滑って、転んだ……?」
何の気なしにそう呟けば、地面に倒れていた徳正さん達がハッとしたように顔を上げた。
そして、自身の体と地面を見下ろす。
私の予想通り、地面はフロアボスの粘液でツルツルになっており、転んだ彼らの体もまた粘液まみれになっていた。
うわぁ……これはある意味、大惨事かも……。
あまりの惨状に、思わず哀れみの視線を送ってしまう。
そして、粘液まみれになった張本人たちはと言うと……この世の終わりみたいな顔をしていた。
「ちょっ、何これ〜!?気持ち悪い上、生臭〜い!」
「滑りが良すぎて、立ち上がるのも一苦労だな……」
『ローションまみれになったような気分だ……』
生まれたての子鹿のようにプルプル足を震わせる彼らは何とか自力で立ち上がる。
へっぴり腰になりながら、ジリジリと後退する三人の姿はハッキリ言って、かなりシュールだった。
徳正さん達のこんな姿、初めて見たなぁ。今を逃したら、もう見れないかも……今の内にじっくり見ておこう。
助ける気皆無の私は彼らの醜態を目に焼きつけるように、瞬き一つせず凝視する。
シムナさん達への土産話が出来たと密かに喜んでいると────フロアボスが不意に動き出した。
「「『っ……!』」」
今の今まで一歩たりとも動かなかった人魚は地面を滑るように移動し、徳正さん達の前まで近づく。
そして、人一人飲み込めそうなほど大きく口を開けた。
狼のような鋭い牙がキラリと光る。
これは……少し不味いかもしれない。
チラッとニールさんの方を見れば、彼もこの状況は思わしくないと感じているようで、眉を顰めていた。
「────セト、スキルを使って彼らを守れ」
「は、はい!────《タンクスイッチ》!」
戸惑いながらもニールさんの指示に即座に応じた紺髪の美丈夫はタンク特有のスキルを発動する。
徳正さんと自分の位置を入れ替えたセトはラルカさんとリーダーを庇うように前へ出て、盾を構えた。
そして、次の瞬間────ガンッ!と勢いよく人魚の牙が盾に当たる。
ふぅ……まさに間一髪だった。
まあ、仮に噛み付かれたとしても、徳正さんなら問題なかっただろうけど……でも、無傷で済むに越したことはない。
「徳正さん、大丈夫ですか?」
「え?あっ、うん!大丈夫だよ〜」
ヒラヒラと手を振る徳正さんは表情こそ笑顔だが、少しだけ苛立っているのが分かる。
恐らく、格下相手に遅れをとり、セトに助けられたことが許せないだろう。
彼はああ見えて、意外とプライドが高いから。
まあ、今は徳正さんのプライドにまで気を回す余裕はありませんが……。
私はアイテムボックスの中から、パーフェクトクリーンを取り出すと、それを黒衣の忍びに手渡した。
「これを使って、体についた粘液を除去してください」
「りょーかーい!ありがと〜」
黒衣の忍びは笑顔でパーフェクトクリーンを受け取ると、即座にそれを発動させる。
パァッと白い光が徳正さんの体を包み込み、服や体の汚れを完全に落としてくれた。
私の読み通り、半魚人……じゃなくて、人魚の粘液も『汚れ』にカウントされるみたい。
これなら、ずっと粘液まみれという地獄を見ずに済む。
だけど────。
「────リーダー達には人魚を倒すまで、パーフェクトクリーンの使用は我慢してもらわないといけませんね……」
「え?何で〜?」
私の独り言にピクリと反応した徳正さんは不思議そうに首を傾げた。
「パーフェクトクリーンを使えば、ラルカも主君もいつも通り動けるじゃん〜。何で我慢する必要があるわけ〜?」
「パーフェクトクリーンを使用しても直ぐに粘液まみれになる可能性があるからですよ。ほら、あそこを見てください」
そう言って、私はフロアボスの足元を指さした。
よく見てみないと分からないが、奴の足元……いや、足裏からは常に謎の粘液が放出されている。
そして、その液体はじわじわと……でも、確実に水溜まりの範囲を広げていた。
「パーフェクトクリーンを使って身綺麗にしても、ほとんど意味はありません。あのアイテムで綺麗に出来るのは自分自身と身につけている服だけですから。ラルカさん達が粘液の水溜まり範囲に居る限り、無駄になる可能性が非常に高いです」
「なるほどね〜。てことは、最初全然動かなかったのは粘液の水溜まり範囲をある程度広げるため〜?」
「恐らく……」
納得した様子で頷く徳正さんは想像以上に厄介な相手に、溜め息を零した。
私達がこうして頭を悩ませている間にも、人魚とセトの攻防戦は続いている。
今のところ、何とかセトが踏ん張っているが、この状況が長く続くとは思えなかった。
失敗した……徳正さん達が居るからと油断せず、さっさと片付ければ良かった。
これは完全に私のミスだ。リーダー達の存在に甘えて、気を緩めていた。
今一度、気を引き締めなければ……。
己の失敗を悔しみながら、私は『ふぅ……』と息を吐き出す。
今は反省や後悔よりも先にやるべきことがあった。
「ニールさんはこの状況をどうお考えですか?」
“戦場の支配者”と呼ばれる青髪の美丈夫に意見を仰げば、彼はチラッとこちらに視線を寄越してきた。
瑠璃色の瞳には僅かに焦りが見える。
彼も何とかこの状況を打破しようと思考を巡らせていたらしい。
三人寄れば文殊の知恵……とは少し違うけど、意見交換くらいはしておきたい。
「……私は当初の予定通り、リアムを主体とする遠距離攻撃型の作戦で片を付けた方がいいと思う。ただ、リアムの攻撃がどこまで通用するか分からん……数発で仕留められればいいが、そうでない場合、更に厳しい状況になるかもしれない」
「なるほど……」
ニールさんの考えはよく理解出来る。私も真っ先にその作戦を思いついたから。
でも、本人も言った通り、素早く倒せなければ、こっちが苦しくなる……。
一番最悪なのは今回の作戦の主体となる、リアムさんが襲われること……。彼に狙いを定められると、他に遠距離攻撃が可能なプレイヤーが居ないため、攻撃を仕掛けられなくなる……。
徳正さんの影魔法を使う手もあるけど……出来れば、それは温存しておきたい。
今後、更に厳しい状況になるかもしれないから……。
────となると、やっぱり……。
「……あの方法が一番確実ですね」




