第215話『第十階層』
それから、私達は第七階層〜第九階層まで一気に駆け下り────第十階層の前まで来ていた。
汚れ一つ見当たらない純白の扉を見上げ、最後尾を担っていた我々『虐殺の紅月』が前に出る。
扉の前には既にニールさんや『紅蓮の夜叉』のメンバーがおり、各々戦闘準備に取り掛かっていた。
今回のサウスダンジョン攻略でも、ボス戦は少数精鋭で挑むことになっている。
リスク回避という意味合いが強いが、ボス戦では高火力で押し切った方が早いからだ。
でも、その分、他のメンバーには中層魔物との戦いで頑張ってもらう。
要は役割分担って訳だ。
今回、ボス戦での選抜メンバーに選ばれたのは総指揮官のニールさん、前衛のレオンさんとリーダー、回復役の私、タンクのセト、狙撃役のリアムさん、そして────前衛兼護衛役のラルカさんと徳正さん。
本当は、圧倒的戦闘力を誇るラルカさんと徳正さんも前衛に加えたかったんだけど……二人が私を守ると言って聞かなかったのだ。
今回は大盾使いのセトも居るから問題ないって何回も言ったけど、『そいつは信用出来ない!』と一刀両断された。
確かにセトのことは完全に信用出来ないけど、ボス戦で何かやらかすほど馬鹿ではない……筈。前科があるから、絶対とは言い切れないけど……。
徳正さんとラルカさんの間に挟まれる形で、扉の前に並んだ私はチラッとセトに目を向ける。
炎のように真っ赤な鎧に身を包む紺髪の美丈夫は『サムヒーロー』時代から使っているガラハドの盾を手に持っていた。
銀色に輝くそれは、真ん中に赤色の十字架が描かれている。
あの盾は曰く付きで、聖魔法の適性を持った大盾使いじゃないと使えないんだよね。
条件に当てはまらないプレイヤーが無理やり装備すれば、盾の呪いで身体能力が下がり、どんなバフも無効化してしまう。
その上、装備中は常に状態異常に見舞われ、まともに戦えないんだとか……。
それなりに高価なアイテムでありながら、あまり人に使われないのにはそういう理由があった。
でも、条件さえクリアしていれば、その盾は最高の相棒となる。
何故なら────その盾には様々な機能がついているから。
身体能力と防御力の向上に加え、使用者の防御力を上回る攻撃でもダメージを三割ほど軽減してくれる。おまけにガラハドの盾は聖魔法との相性が抜群のため、聖魔法の効果を二倍にする機能まであった。
まあ、残念ながら使える魔法が少ないセトにはあまり必要のない機能だけど……。
でも、ガラハドの盾が上級アイテムであることは間違いなかった。
────でも、ガラハドの盾より良いものはたくさんある。
『紅蓮の夜叉』のギルドメンバーになったなら、尚更……。
『サムヒーロー』より儲かるだろうし、優秀な職人とのツテだってあるのだから……。あの盾にわざわざ拘る理由はない。
「……あの盾、まだ使ってたんだ……」
誰に言うでもなく、ボソッとそう呟けば、紺髪の美丈夫と不意に目が合った。
時々青が混じる琥珀色の瞳は何か言いたそうにこちらをじっと見つめている。
普段の私なら、ここで『どうしたの?』と問いかけるところだが……何も言わずに視線を逸らした。
私はもうセトに優しく接するつもりはない。
話したいことがあるなら自分から口を開くべきだ。それすらも出来ないなら……貴方が私に関わる権利なんてない。
心を鬼にし、セトの視線を無視した私はただ真っ直ぐに前を見据える。
気まずい空気がこの場に流れる中、列の両端に佇むニールさんとリーダーがボスフロアへの扉を開けた。
「私が合図したら、一斉に部屋に飛び込んでくれ。決して、遅れを取らないように頼むぞ」
私達の方をじっと見つめる青髪の美丈夫は『本当に頼むからな……?』と、しつこく口にする。
『私達』と言うより、ラルカさんと徳正さんに言い聞かせているようだ。
実力は本物だけど、うちは協調性がないからね……。勝手な行動を起こさないか不安になるのも頷ける。
まあ、その心配は杞憂に終わるだろうけど……。だって、今回は絶対的支配者であるリーダーが居るから。さすがの二人もリーダーの前では大人しくしているだろう。
「はいはい〜。そんなに言わなくても理解してるって〜」
『それより、早くボスフロアへ行こう。時間の無駄だ』
いい加減、鬱陶しく感じてきたのか黒衣の忍びとクマの着ぐるみはそう抗議する。
ニールさんを急かすように、彼らはボスフロアを指さした。
「……そうだな。ここで時間を無駄にする訳にはいかない。さっさと中へ入ろう」
しつこかった自覚があるのか、ニールさんは彼らの意見をすんなり受け入れ、ボスフロアと向き合う。
扉の向こう側に広がる真っ白な空間はイーストダンジョンの時と同じで、余計なものが一切置かれていない。
私達は今一度ボス戦への覚悟を固めると、ニールさんの言葉を聞き漏らさぬよう神経を研ぎ澄ました。
背後に控えていた他の攻略メンバーが空気を読んで、口を噤む。
イーストダンジョンの時はミラさんの横槍が入って、シムナさんとヴィエラさんがボス戦に参加出来なかったけど……今回は大丈夫そう。
「では、カウントダウンを始めるぞ」
青髪の美丈夫はそう宣言してから、再び口を開いた。
「3、2、1─────飛び込め!」
その言葉を合図に、私達は一斉に部屋の中へ飛び込んだ。
トンッという皆の足音と共に、純白の扉が自動的に閉まる。
両隣にはしっかり、徳正さんとラルカさんの姿があった。
今回は一人も欠けることなく、ボスフロアに入れたみたいね。
前回のような事故がなくて、本当に良かった。
────と安堵するが、本番はこれからだった。
「おお!あれが第十階層のフロアボス────人魚だね☆」
リアムさんのはしゃだ声が聞こえたかと思えば、部屋の中央にフロアボスが姿を現した。
白い光に包まれて現れたそれは美しい人魚姫……ではなく、二足歩行の醜い海中生物だ。
ギョロリとした大きな目ん玉に、魚の顔と胴体を持っている。おまけに奴の体には、蛙のような手足が生えていた。
体の表面は謎の粘液でネトネトしており、生臭い。
ぶっちゃけ、人魚というより、半魚人に近かった。
一応、『人魚姫』という童話を元に作られたみたいだけど……どう見ても二足歩行の魚にしか見えない……。
完全にキャラクターデザインをミスってる……というか、目指すべき方向性が間違っている!
何であんなに愛らしい人魚がこんな醜い姿になってるのさ!?魔物っぽくしたい気持ちは分かるけど、これはどうなの!?完全にホラーじゃん!子供が泣いちゃうよ!!
「うへぇ〜!何あれ〜?気持ち悪〜!俺っち、あいつの相手だけはしたくな〜い」
『……外見がやばいのは事前に知っていたが、まさかここまでとは……』
「全然童話じゃないね☆でも、僕は嫌いじゃないよ☆」
「FROの運営って、たまに凄いのぶっ込んでくるよな」
どこか遠い目をするレオンさんは何とも言えない表情で一歩後ろへ下がる。
扉が閉まった以上、逃げ場はないと分かっていながらも耐えられない何かがあったのだろう。
対する部下のリアムさんはニッコニコの笑顔で、数歩前へ出ているが……。
もはや、どっちが前衛なのか分かりませんね……。今回だけ、二人の役割を交代したらどうですか?
半魚人……じゃなくて、人魚に興味津々のリアムさんと引き気味のレオンさんを交互に見つめていると────『グシャァァアアア』という謎の奇声が轟いた。
そんな声を出せるのはあいつしか居ない訳で……私は嫌々ながらも正面へ視線を戻す。
そこにはお口全開で、こちらを真っ直ぐに見つめる人魚の姿があった。
「おおっ!魚のものとは思えないほど、立派な牙を持っているね☆まるで、狼のようだ!」
鋭い牙を見せつけてくるフロアボスに対し、リアムさんは興奮した様子で目を輝かせた。
『素晴らしい!』と絶賛する彼の後ろで、同じギルドメンバーのレオンさんとセトは完全に引いている。
「あんなのに噛まれたら、一溜りもねぇーな……」
「防御力に定評のある俺でもちょっとヤバいかもしれないです……」
外見そのものが武器と言っても過言ではない人魚を前に、彼らは青ざめる。
選抜メンバーに選ばれた戦士だというのに、何とも情けない……。
────まあ、かくいう私もリーダーの後ろに隠れているのだが……。
「ラーちゃん、盾にするなら俺っちにしてよ〜!何で主君なの〜?」
『お頭の方が頼りになるからじゃないか?』
「え〜!俺っちだって、十分頼りになるのに〜!」
『だとしたら、他に考えられる可能性は一つ─────肩幅だ』
「え”っ……ラーちゃんって、ガタイのいい男がタイプだったの〜!?」
ガガーンという効果音が聞こえて来そうなほど、ショックを受ける徳正さんは『そんな〜!』と項垂れた。
その隣で、ラルカさんが『クマさん、貸してやろうか?』と言って、可愛らしいクマのぬいぐるみを差し出す。
クマの着ぐるみが全身黒ずくめの男を慰める光景は言うまでもなく、カオスだった。
私が言うのもなんだけど、みんな自由だなぁ。協調性の欠けらも無い。
こんなんで大丈夫かな……?
そう心配し始めた時────“戦場の支配者”がようやく動き出した。
「────皆の者、静まれ!あいつの外見に惑わされるな!まずは己の役割を果たすんだ!」




