第19話『温泉』
その後、一足早くお夕飯をいただき、私とアラクネさんは温泉を訪れていた。
せっかくなら、入ろうと思って。
『こうやってゆっくり出来るのも今のうちだし』と思いながら、周囲を見回す。
さすが高級旅館というだけあって温泉の種類は多く、サウナなんかもあった。
おお、思ったより本格的。
だって、FROで温泉……というか、体を清める行為は必要ないため、もっと簡素なものかと思っていた。
『これなら何日でも通えそう』と浮かれつつ、私はアラクネさんと共にかけ湯で体の汚れを落とす。
そして、互いにタオルを巻いたまま一番近くの温泉に浸かった。
「ふぅ……」
「ふぇぇええ〜……」
隣から聞こえてくる変な声に、私は一瞬固まるものの……聞こえなかったフリでやり過ごす。
『こういうところでも個性が出るのか』と考えていると、アラクネさんはゆっくりと目を閉じた。
気持ち良さそうな表情を浮かべ、口元を緩めている。
温泉の湯気で曇ったメガネのことなど、気にならないようだ。
今日は色んなことがあって疲れただろうし、温泉でゆっくり疲れを取ってくれると良いな。
などと思いつつ、私はおもむろに立ち上がった。
「さて、私は露天風呂にでも行ってきますかね。なので、アラクネさんもゆっくりしてくださ……」
「ふぇ!?わ、わわわわわ、私も行きます!!」
「え?でも……」
「ぜ、是非行かせてください!!」
露天風呂が好きなのか、アラクネさんはメガネを曇らせたまま勢いよく立ち上がった。
『さあ、行きましょう!』と露天風呂を指さし、テクテクと歩いていく。
『それって、前見えている?』と心配する私を前に、彼女はベチャン!と盛大に転けた。
いや、まあ……そうなるだろうとは思っていたけど。
まさか、こんなに早くフラグを回収するとは。
「い、いたたたたたた……」
受け身すら取れずに顔面からダイブしたアラクネさんは、ゆっくりと体を起こす。
案の定とでも言うべきか、メガネにはヒビが……おまけに鼻から血を垂れ流していた。
ダメージ無効区域なのでHPの消費はないけど、これはさすがに痛そう……。
あまりにも悲惨な姿のアラクネさんを不憫に思い、私はそっと手を翳す。
「《ヒール》」
この程度の怪我なら、ヒールで十分。さすがにヒビの入った眼鏡までは直せないけど。
『完全に専門外だし』と肩を竦め、私も温泉から上がった。
と同時に、手を伸ばす。
「大丈夫ですか?怪我は治したので、痛みも取れていると思うんですが……」
「あ、はいっ!だ、大丈夫です!ありがとうございました!」
床に座り込む彼女はヒビの入った丸眼鏡を外してから、私の手を取った。
ゆっくりと立ち上がる彼女を前に、私はそっと顔を覗き込む。
「前、見えますか?」
「あっ、はい!大丈夫です!」
コクコクと首を縦に振るアラクネさんに、私は胸を撫で下ろす。
そして繋いだ手を離すと、露天風呂へ向かった。
「わあ〜!広いですね。それに月が綺麗……」
「そ、そそそそそそ、そうですね!」
夜空を見上げて僅かに頬を緩めるアラクネさんは、私と共に温泉へ入る。
「ふぇぇええ〜……最高ですぅ〜……」
「ふぅ……その気持ち、よく分かります」
ちょうどいい湯加減に目を細め、私達は肩の力を抜いた。
────と、ここで思わぬ邪魔が入る。
「やっほー!ラーちゃん、あーちゃん!俺っちもそっちに行ってい……うわっ!?」
壁を隔てた向こう側────男性用の露天風呂からひょっこり顔を出した徳正さんに、私は桶を投げつける。
緩いカーブを描いて飛んでいくソレは、見事徳正さんの顔面に直撃し、床に落ちた。
ついでに壁の向こうから、徳正さんの落下した音も聞こえる。
「もう!なに堂々と覗き見しようとしてるんですか!」
「ひゃあぁあああぁああ!!最低です!最悪です!軽く三回くらい、死んで欲しいですぅぅぅううう!!」
ゲームとはいえ、本当に有り得ない!この変態親父!
────って、あれ?もしかして、今徳正さんの素顔を見るチャンスだったのでは……?
ずっと謎に包まれていた徳正さんの顔面を思い浮かべ、私は複雑な心境へ陥った。
正しい行いをした筈なのに、なんだか損した気分である。
小さく肩を落とす私は、『いや、覗き見されるより良かったじゃん』とひたすら自分に言い聞かせるしかなかった。




