第三話 入部届
「えーっと……あなたは?」
体育館裏で休んでいた俺たちの前に現れた軍帽をかぶった黒髪の女性。女性は俺の質問を聞くこと口角を上げた。
「私は大刀洗夏愛。現在2年生で文芸部の部長をしている。もう一度言うが君には文芸部に入ってもらう」
新手の勧誘か。ここはさすがに強気に出ないとダメだな。
「すみません! まだ他の部活を見ようと思って……」
「関係ない!!」
大刀洗さんは叫んだ。
俺は恐る恐る後ろを振り向いた。春乃はキッと目を釣り上げている。気の短い春乃が怒り出すのも時間の問題だ。
「いや、俺には文芸なんてそんな高尚なこと……」
「君には才能がある。君にしかできないことがあるんだ。世界を救うには君の力が必要なんだ」
「うへへ」
「ついて来てくれるかい?」
「ええ〜。どーしよっかなー?」
「幸太?」
「ちなみにうちには爆乳の副部長がいる」
「すぐに案内してください!」
「幸太ぁぁぁっ!!」
俺は厨二心と助平心をくすぐられ、ホイホイと大刀洗さんの背中についていく。
「ま、待ちなさいよ! 私も行く」
春乃が俺の後に続く。大刀洗さんはちらりと後ろを振り向いたが何も言わずに歩みを進めた。
●◯
学校の端にある古い校舎に案内される。春乃の話によるとここは「文化棟」といわれる場所で、名前の通り文化部の部室が並んでいるらしい。
見学期間ということもあり、一階や二階は人で賑わっていたが、三階や四階になると喧騒は消えた。
「ここだ」
結局俺たちが辿り着いたのは文化棟五階にある一番奥の部屋だった。同階の部室は人の気配がなく、ネームプレートすらかかってない場所もあった。
部活生達の賑わいの声も小さく聞こえる程度にとどまり、まるで自分たちが世界に取り残されてしまったかのようにさえ感じた。
文芸部、と書かれた木製の扉を大刀洗さんが押し開けた。
「これは……」
「すっごい本……」
部屋の四方に天井まで届きそうな本棚が鎮座していた。もちろん本棚にはぎゅうぎゅうに本が詰まっており、入り切らなかった本が本と棚の隙間に横にして置いてある。大正時代の文豪の部屋のように無秩序で知性に満ちた部屋だ。
「さすが文芸部ね……」
「いや……妙だな」
目を丸くする春乃。しかし俺は本棚に違和感を覚える。
ジャンルがバラバラすぎる。絵本や児童向け作品のようなものもあれば自己啓発本や経営論など大人向けすぎるものまで。そのことを指摘すると大刀洗さんは口角を吊り上げる。
「その通り。この本棚はフェイクに過ぎない。まあ、普通の注意力さえあれば気付いて当然だがな」
大刀洗さんは小馬鹿にするような視線を春乃に向けると部屋の中央に並んだオフィスデスクの一つに座る。
「なんだかやな感じ」
大刀洗さんに聞こえない程度の声で春乃はそう言った。概ね同意見である。
俺たちが椅子に座ると大刀洗さんは机から一枚の紙とボールペンを取り出した。
「入部届だ。書いてくれ」
「ええ……」
俺は思わずたじろぐ。
「あ、あの。いっておきますけど幸太は本には全く興味がないですよ。四六時中パソコンゲームに熱中して……」
「我々の主たる活動は文芸活動ではない。文芸部などという名前は隠れ蓑にすぎん」
底冷えするような笑顔。大刀洗さんは立ち上がった。
「我々の主たる活動は……平和維持活動。国家転覆を狙う輩を根絶すべく立ち上がった政府非公認団体だ」
●◯
俺たちが生まれる少し前。世界に異変が起きた。それは気候変動でも、核戦争でもなく【人類の突然変異】であった。
20年ほど前から生まれた人類の中にそれまでの人類とは別次元に優れている者が現れ出したのである。スポーツの記録は次々に塗り替えられ、教育制度が何度も改革された。
20年前生まれた子供達が成人し始め、これからの科学技術の発達に期待が寄せられ始めた近年、事態は思わぬ方向へ傾いた。
天才達の反逆である。
新たな新人類達は様々な主義主張を宣言し、独自の組織を立ち上げた。デモ活動や署名運動はかわいいもので、中には理想郷実現のために武力を奮い出したものまでいた。
「我々は【完全懲惡】と名乗る団体だ。主義主張のために国家の転覆、社会の崩壊を目論む連中を根絶やしにすべく組織された」
「つまり正義の味方……ってことですか?」
「はっ」
春乃の質問に大刀洗さんは目を細めた。
「この世に正義など存在しない。正義の反対は正義などという言葉もあるが、私にとってはそれすら愚鈍な考え方だ。この世には悪しかいないんだ。悪と悪が戦っているんだよ。あらゆる時代、あらゆる地域でな」
大刀洗さんの言葉は小難しく、よく理解はできなかった。
「【正義の執行人】という団体を知っていますか?」
「春乃……」
春乃の問いに大刀洗さんは意外そうな顔を浮かべた。
「ああ、知っている。我々の対立組織の一つだ」
「私も仲間に入れてください」
春乃がそう言うと大刀洗さんは訝しげな顔をして腕を組んだ。
「正義の執行人と貴方になんの関係が……?」
「話せば長くなります」
「……後ほど話を聞こう。だが、君を我が団体に参加させるわけにはいかない」
「……っ!!」
「しかし、同系列の組織を紹介することはできる。三階の映画研究部に迎え。私の名前を出せばきっと力になってくれるはずだ」
春乃は大刀洗さんの言葉を聞くや否や外に飛び出していった。
「よほど深い事情があると見た」
「知ってて声をかけたんじゃないんですか」
「いいや、偶然だ」
大刀洗さんはゆったりと椅子に腰掛けた。
「君は人間を動かす才能がある。その才能を遊ばせるほどの余力はこの国にない。分かってくれ」
俺は入部届にサインをした。全ては復讐のために。