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第一話 幼馴染み

 楽園! 酒池肉林とはまさにこのことである。生まれたままの姿の美女達が俺の周りを取り囲む。世界で最も高名な料理人達が腕によりをかけ、俺の食事を用意する。俺はそんな料理に目もくれず、隣に座る美女の肩を抱き寄せた。


「……た……こ……た」


 何だ………誰の声だ。……気のせいか。


俺の次に我が国で持てる男、福沢諭吉が宙を舞う。俺こそがこの世界の王だ!! 俺がどこにでもいる普通の少年などとは、愚にもつかない愚かな妄想なのである!!


「こう……た……うた」


 ははーん。これは、あれか。夢か。分かった分かった。実を言うと最初から分かっていた。


だが、俺はそれでも抵抗を続けよう。病に伏した母親の手を離すバカがどこにいる。失われるものだと分かっていても……分かっているからこそ人間はそれにすがるのだ!!


幸太(こうた)!!!」


 脳が目を覚まし、五感が一気に覚醒する。胸にぽっかりと穴が開いたような感覚。そうか、これが噂に聞く「絶望」か。存外心苦しいものらしい。

触覚……体の振動。布団のぬくもり。

味覚……寝起き特有のなんとも言えない口内の不快感。

嗅覚……嗅ぎ慣れたシャンプーの良い香り。

聴覚……小鳥のさえずり、朝の喧騒。


 そして視覚が仕入れた情報は、困ったような少女の顔であった。


「おはよう」

「……ぉはよ」


 俺の名前は季ノ下(きのした)幸田(こうた)。ゲームを愛する現代っ子である。なんの役に立つかはわからないがゲームの腕だけには自信がある。他に自慢できることは特にない。強いて言うならさくらんぼの茎を舌で結ぶことができるくらいだ。

 朝、惰眠を貪っていた俺を現実世界に連れ戻した少女の名前は善道寺(ぜんどうじ)春乃(はるの)。幼稚園時代からの幼なじみでお隣さん同士と言うこともあり、家族ぐるみの付き合いである。こうして中学を卒業した今でも毎朝起こしに来てくれるわけだ。


「もう7時よ。ご飯作ってあるから早く降りてきなさいよねっ!」


 春乃はそう言うと踵を返し、一階のリビングに降りていった。もうベッドに横になりたくなったが、春乃に怒られることは目に見えているのでなんとか立ち上がる。


「ふぁーーー……ねむっ!」


 昨日の夜もネットゲームに熱中していた。何時に寝たか覚えていないが時計の針が午前3時を指していた時までは記憶している。まあ、春休みだから問題もないだろうが。

 明日はもっと早く寝よう、と何度目かわからない決心をするのだった。


●◯


 朝ごはんは焼き魚に味噌汁。それから炊き立てのご飯と納豆だ。実に至高の組み合わせである。外国人は納豆を嫌うらしいが、文化の違いに辟易しかねない話だ。そういえば、関西人も納豆を嫌うと聞いたがどういう理屈なのだろう。


「関西は外国だった?」

「よくわかんないけど違うわよ」


キッチンから春乃の声だけが聞こえた。違うらしい。そうか、と適当な返事をし、納豆をかき混ぜながらテレビに目を向ける。


「先日、新潟県北部にて起こったテロ組織【ダークロスト】に関する事件の続報です。新潟県北部の工事現場に突如現れた集団は工事車両の破壊及び従業員に対し暴行を行い——」


 テレビ画面には事件現場となった工事現場が映されていた。トラックが地面に突き刺さっているシーンなど滅多に見られるものではない。ふとテレビから目を離すと、キッチンから出てきた春乃が険しい顔でテレビを睨んでいた。


「……物騒な時代になったよな」

「え、ええ。そうね」


 春乃は我に帰ったように俺の言葉に相槌を打つ。春乃がキッチンから出てきたところだし、よい機会だろう。先ほどから持っていた疑問をぶつけてみることにする。


「なあ、春乃」

「なに?」

「なんで制服なの?」


 春乃は目を丸くさせた。比喩ではなくガチで。


 幼なじみの俺が言うのもあれだが春乃は結構可愛い。彼女の母親と同じ赤みがかった髪色も綺麗だし、くっきりとした目や薄い唇も美人の証だろう。スタイルも悪くない——というより、同年代のそれより発達している。

 そんな春乃が来ている制服は私立宮ノ陣(みやのじん)学園高校の制服だ。春乃はもちろん俺も今年の春から通う予定の学校でもある。


「幸太……アンタ本気で言ってる?」

「へ?」

「入学式今日よ!!」

「へぇぇぇえ!?」

「気づいてなかったの!?」


 俺はご飯をかきこむと、立ち上がった。


「なにも準備してない!! ごちそうさま!」


 ドタドタと二階に駆け上がった。


●◯


 学校指定の通学バッグに筆箱やらなにやらを詰め込んだ後、クローゼットの奥から制服を引っ張り出した。中学までは学ランだったが宮ノ陣学園はブレザー指定である。


「あぶねー、あぶねー! 春乃がいなかったら終わってたわ!」


 俺は現在一人暮らしである。父親は世界を飛び回るビジネスマンで、母はそんな父を支えるため、各国を一緒に飛び回っている。そのため、俺は小学校の時からお隣の善道寺家にお世話になり続けているわけだ。年を越した瞬間ですら、自分の父親より春乃の親父さんと一緒にいたときの方が多いくらいである。

 なんとか制服を着たが、どうにもネクタイの閉め方がわからない。誰だ、ネクタイなどいう訳の分からない衣服を発明したのは。日本中であくせく働くサラリーマンの誰もがいらないと思っているはずなのに一向になくなる気配がない。1人で悪戦苦闘しているとドアがノックされた。


「ネクタイの結び方わかる?」

「分からないデス……」

「そんなことだろうと思った」


 春乃が笑いともため息ともつかない調子で息を吐くと俺の首に手を回す。


「入学式は9時からよ。そんなに焦らなくていいから」

「ああ、ありがとう」


 慣れた手つきで春乃はネクタイを結んでいく。


「春乃っていい女だよなぁ」


 ピクリと彼女の手が震えた。


「料理もうまいし掃除もできるし頭もいいし……おまけにネクタイまで結べるんだもん」

「……ふ、ふんっ。こんなので来て当然よ。幸太が出来なさすぎるだけだから」


 春乃の顔が少し赤い。


「春乃と結婚できる相手は幸せだろうな」

「な、なに言ってんのよ……」


 普段強気な春乃の声が細くなる。俺から顔を背けようとしているのか極端なほど顔を俯かせた。


「なあ、春乃。1つ頼みがあるんだが、聞いてくれないか?」

「…………な、なに……?」


蚊の鳴くような声。


「お前が……その……ウェディングドレスを着る時……」

「………う、うん……」


 春乃が俺の顔を上目遣いで見上げる。その顔は真っ赤だった。


「友人代表のスピーチは俺にさせてくれないか?」

「………は?」

「自信があるんだ。俺だったら春乃のいいところをちゃんと伝えられると思う。割と滑舌良いし、俺」


 ギュウウウウウウウウ


「うがぁぁっ!?」


 ネクタイがきつく締められた。突然の出来事に思わず俺はのけぞる。


「家の前で待ってますから。早く来くださいね」


 冷蔵庫のように冷たい目で春乃はそう言い放つと部屋を出ていった。春乃が俺に敬語を使うのはキレている時の証拠だ。やっぱり俺みたいな廃人ゲーマーを人生の晴れ舞台に立たせるのは嫌だったのか。俺は締まりきったネクタイを必死に緩めながらそう考えた。


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