メイドさんの実務な誘惑
晴れやかな気分だった。
俺を悩ませていた不安は、マーレさんのおかげでなくなった。
彼女は俺の味方になってくれることを約束してくれたし、主であるはずのアリンの発言の種明かしすらしてくれた。
疑問がすべて解決したわけではない。
奴隷の人の詳細が知れたわけでもないし、どうして未開の地で少人数で暮らしているのかもわからない。
でも、今すぐにマーレさんに問い詰めるのは野暮のような気がした。
気にならないと言えば嘘になるが、今は好奇心よりみんなと仲良くしたいという気持ちが勝っていた。
「では、残りの採寸を終わらせてしまいますね」
俺は気持ち良く、彼女に頷くことができた。
もうマーレさんが近くに来ても、過敏に反応することもない。
体をリラックスしながら、これからの生活に思いを馳せる。
そうしてマーレさんが俺の後ろに立つ。
もしかすると、彼女は無防備な背中を見ると嗜虐心が疼いて我慢が利かなくなるのかもしれない。
「しかし惜しいところでした。先ほどハル様が私の胸に飛び込んできてくださっていれば、今頃は身も心も私たちの下僕にして差し上げられましたのに」
ビシリ、と体が石のように硬直した。
まるで錆びついた支柱が動くように、ギギギ、と首を振り返らせる。
「それに元より、ハル様はアリン様の下僕になる他ないんですけどね。どんなに頑張って逃げ出したところで、アリン様の御力の前では再召喚されておしまいですよ」
「せっかくの感動が台無しだよ! このメイドさん!」
俺が絶叫するも、マーレさんは華麗に無視。それどころか、さらなる告白を続ける。
「あ、それと、転移門という便利なものはこの屋敷にはありません。厳密には存在するのですが、組み立てる前の状態で倉庫の中で眠っています」
「……嘘をついたんですね?」
俺が冷たい口調で糾弾するも、彼女はまったく反省してなさそうな謝罪を返してきた。
「うふふ、すみません。どうしても位置を覚えていただきたくて」
彼女の言う位置とは、玄関から見て左手の二階手前から二番目の部屋のことだろうか。
たしかに重要な情報だと思ったので、頭の中で復唱したから覚えてはいるのだが……。
「実はそこ、私の部屋なんです」
「あんたの部屋かーい!」
思わず誰も居ない空間に向けて、手まで使ったツッコミを入れてしまった。
「いつでも訪ねて来てくださいね。特に皆様が寝静まった深夜の来訪は大歓迎です」
「行きませんってば!」
「転移門ではないにしろ、新たな世界に目覚めちゃう……いえ、新しい世界に旅立てるかもしれませんよ?」
「なんの世界ですか! いい加減にしてください!」
この屋敷では心休まる瞬間はないのだろうか。
和やかな雰囲気だったはずなのに、いつの間にか頭痛を覚えるようなカオスな状況に陥ってしまっていた。
「そこまで拒絶されてしまうと、悲しくなってしまいますわ」
「いまさらそんな風に言われても、胡散くさいだけですって。早く採寸終わらせてくださいよ」
頭を振りながらそう答えると、後ろのマーレさんがムッとしたような気がした。
さすがに言い過ぎたかと焦る俺だったが、卑屈になりすぎるのもどうかと思い、訂正はしないでおいた。
「……そうですね、大変失礼致しました。では今度こそ、採寸を再開させていただきますね」
マーレさんも自分の行動を思い返してくれたのか、意外にあっさりと引き下がってくれた。
ちょっと言葉がきつすぎたかと後悔したが、後で改めて謝ればいいかと思い直す。
しかし、再開すると言ったはずのマーレさんは、なぜか歩いて俺の目の前まで戻ってきてしまう。
彼女は矛を収めたわけではなかった。ニコリと笑うと、宣戦布告のような台詞を放ってきた。
「申し訳ありません。もう一度最初からお付き合い願えませんか? お恥ずかしい話ですが、先ほどのやり取りで計っていた数字を失念してしまったのです」
「な……!?」
あ然とする俺に対し、マーレさんは返事を聞くこともなく採寸を再開する。
いい加減、俺の闘志にも火がついた。
「何を言われようが、もうあなたの思い通りにはさせませんよ」
「まあ。ハル様恐ろしいことを仰らないでください。ですが、お怒りは尤もです。お手を煩わせてすみません」
マーレさんは楽しそうに言った。表面上だけの謝罪に、俺は闘志をますます燃え上がらせる。
ここは毅然とした態度を取り続け、彼女を見返してやろうと心に決めた。
そうして直立不動を心掛けていた俺に、角が生えたメイドさんから反則気味の豪速球が投げ込まれる。
「胸囲、失礼します」
むにゅぅ。
一瞬、何が押し当てられたのかわからなかった。
あろうことか、マーレさんは胸囲を計る際に俺の体を正面から抱きしめたのだ。
「ぐはっ!?」
自分が声を出していることにも気付かず、マーレさんに翻弄される。
真正面からの抱擁は、より攻撃的な要素でいっぱいだった。
一層濃くなる彼女の匂い。目の前に広がる視覚的インパクト。押し付けられた女性の体を、望めばすぐにでも抱きしめ返せるという事実。
「(ボタンの、三つ目が外れてる……だと!?)」
今にもこぼれ落ちそうな柔らかな膨らみが、自分の胸板で押しつぶされていた。感触と視覚がリンクし、とんでもない破壊力を生み出している。
まったくそんな素振りを見せなかったのに、彼女は一体いつの間にボタンを外していたのだろうか。めちゃくちゃあざとい行為だった。
俺は光の速さで目を閉じ、即座に深呼吸をして気を落ち着かせる。
(すーはー、すーはー……。って逆効果じゃん! すげーいい匂いしかしねえよ!)
限りなくパニックに近い状況ではあったが、それでもなんとか歯を食いしばり耐え忍ぶ。
幸い、寸法という名目で近づいてきているマーレさん。
さすがに胸囲を計るのをズルズルと引き伸ばしたりはせず、間もなく彼女の体は俺から離れていった。
ホッと安堵の息を吐き、とんだ危険球をやり過ごせたことに安堵する。
だがその一瞬の隙を狙い、彼女は次弾として巧みな変化球を放つのだった。
「おさわり一回までは、偶然の事故として済ませますわ」
「マジで!? ……ああ、いや、コホン。騙されませんからね?」
ついつい目を見開いてマーレさんを直視してしまった俺だったが、慌てて取り繕い目を閉じる。
緩急自在なマーレさんの攻撃に、もはや祈るような気持ちで早く終わってくれと願うばかりになる俺。
誰も目にも勝敗が明らかなこの状況。しかし、彼女は攻撃の手を緩めることはなかったのだった。
「手を離すまでが一回だと考えます。どんなに触ろうが揉みしだこうがスリスリしようが、一度手を離すまでは偶然のおさわりですわ。もちろん顔を埋めて来られても構いませんよ?」
「うわああ! この人絶対ドSだああ!」
彼女の悪魔の角は伊達ではない。そう痛感した俺だった。
結末を言うと、命を削るほどの精神力でなんとか最後まで耐えきったのではあるが。