金髪ドリルの洗礼
「アリン様、お待たせしました。如何用でしょうか?」
ノックの後に現れたのは、魔界に来て三人目の女の子だった。
いや、女の子という表現は正しくない。女性と表するべき大人の色香をまとった女の人だった。
第一印象は、悪魔のメイドさん。
紺色の服に白いエプロン。カチューシャこそないものの、彼女の服装はメイドさんそのものだと思った。
メイドとしてのスカートの丈は色々あるだろうが、彼女の場合は足首まであるロングタイプ。
濃い青の長髪をまっすぐ伸ばし、右目の下には泣きぼくろが一つ。女性の中では背もなかなかに高い。
そして、なぜ悪魔だと思ったかと言うと、頭の左右に一本ずつ角が生えていたからだ。
とぐろを巻いたような渦巻き状の濃い茶色の角。見方によってはお団子ヘアーのようにも見える。
耳が少しとんがっているのも、なんとなく悪魔っぽい気がする。
まあ、彼女の容姿で一番インパクトがあるのは、角でもなんでもなくその豊かなお胸様だと思うのだが。
「あら、新しいお客様ですか?」
メイドさんは俺を見て、驚いたように口に手を当てた。
「こやつはわらわが召喚した新たな下僕じゃ。今、皆を紹介しておる」
その言葉に、メイドさんはさっき以上にひどく驚いたようだった。
しかし、それは一瞬のこと。すぐに表情を正した彼女は、俺へと向き直る。
スカートの両裾を摘み、左右に広げる。彼女はそのままキスをしてくるような、不思議なお辞儀をした。
「初めまして。アリン様が従僕、マーレと申します。皆様の身の回りのお世話をさせていただいております」
唇こそ細めていなかったが、目をつぶり顔を前に突き出すような仕草にはちょっとドキッとした。左右に広げられたスカートも優雅だった。こちらの世界のお辞儀の作法なのだろうか。
「は、ハルです。たった今召喚されてきたばかりです。よろしくお願いします」
一方どうやって礼を返せばいいのかわからなかった俺は、とりあえず直角に腰を折って頭を下げる。
ガバッという擬音すら聞こえてきそうな勢いのお辞儀に、アリンが呆れた顔を見せた。
「おぬしは女を見るたびに、挙動不審になっておる気がするのじゃが……」
放って置いてくれ、と思う。
女性と話す機会が少なかった俺にとって、こんなに綺麗な人たちが好意的にしてくれるなんて初めての経験だ。少しは大目に見て欲しい。
「まあ良い。本来なら後一名紹介できるところじゃが、あいにく今は使いに出しておる」
召使いの紹介はこれで終わりのようだ。
猫耳のニムさんに、メイドのマーレさん。……ニムさんの役職を聞いていないが、天井裏を任されていることからおそらく護衛なのだろう。
俺は周りの目を気にしながらも、さっきまでのように砕けた口調でアリンに話しかける。
口調を改めても良かったのだが、アリン相手に敬語を使うのは違うような気がしてならなかったからだ。決して癪というわけではなく。うん。
「その人はいつ帰ってくるんだ?」
「さてのう。探しものをさせておるゆえ、いつになるかはわからんな」
主人であるアリンに馴れ馴れしく話しかけたというのに、ニムさんもマーレさんも怒り出すようなことはなかった。
ほんの少しでも気分を損ねている様だったら、すぐさま止めようと思っていたのだが。むしろそれどころか、心なしか喜んでいるようにも見える。
ちなみに、当の本人であるアリンも普通に返事を返してくれた。先ほど様を付けて敬えと言ったばかりだというのに。
「じゃあ、俺が紹介してもらえる人はこれで全員なのかな? それとも他に誰か住んでるとか?」
制止されることのなかった俺は、どんどん質問を重ねていく。
調子に乗っていると言われるかもしれないが、俺としては早く馴染みたいという気持ちが一番強かったと思う。
だが、地雷となる話題はすぐそこにあった。
順調に進んでいたはずのアリンとの相互理解は、ここで大きく後退することとなる。
「…………」
アリンは他の住人を問われた質問に沈黙した。
すでにこの時には嫌な予感がしていたのだが、返ってきた言葉は予想を遥かに上回るものだった。
「人間の捕虜を、奴隷として一人飼っておる」
「えっ?」
発言の内容とは裏腹に、後ろめたさを感じさせない堂々とした物言いだった。
突飛な話題について行けず、思考が一瞬停止する俺。
そんな俺に、アリンは凄惨に笑うと追撃を放つがごとく言い放った。
「しかも呪いをかけ、体を蝕んだ状態でのう?」
「の、呪いまでかけてるのか!?」
衝撃的な発言だった。
相手は余程の重罪人なのだろうか。
それとも……アリンの一存で無実の人を呪っているとでもいうのだろうか。
「なんじゃ、いまさら怖くなったとでも言うまいな?」
「あ、えーっと、その……」
俺はアリンは悪魔だと知りつつも、邪悪な存在だとは思っていなかった。
その前提も、生々しい話が出てくると大きく揺らぎ始める。
「……呪いだなんて、冗談だよな?」
アリンを疑いたくなかった俺は、すがるようにそんな質問をした。
だが非情にも、アリンから返ってきた答えは背筋が凍るようなおぞましいものだった。
「冗談なものか。わらわの魔法はあやつの魂にまで喰らいついておる。決して逃れられぬ呪いとして、今もあやつの体の自由を奪っておるのじゃよ」
アリンはそこまで言うと、とても嗜虐的な表情で口元に握りこぶしを近付け「くくく」と笑った。
意図的にそう見せているのであろうが、それはまさに俺が危惧している邪悪な悪魔そのものに思えた。
「そ、その人は何をしたんだ? よっぽど悪いことをして、罪を償っている最中なのか?」
俺はもはや祈るような気持ちで、アリンの行動に正当性を探していく。
しかし、希望はまたも砕かれる。それどころか、アリンは俺を絶望へと叩き落としてくるのだった。
「わらわにとっては児戯に等しい悪戯を仕掛けてきただけじゃよ。それに、罪を償わせているわけではない。面白おかしく遊んでいるだけじゃ」
「……ッ!?」
人の命をオモチャとしか考えていないその発言は、アリンに電撃を撃ち込まれたとき以上に俺に衝撃を与えた。
頭の中が真っ白になり、考えがまとまらなくなっていく。
さっきまで普通に話せていたのが嘘のように、アリンにどうやって話しかけたらいいのかわからなくなった。
アリンが人に仇なす側の存在だと思えたことが悲しかった。王座に座る彼女の姿が、ずいぶんと遠い存在のように思えた。
「おぬしも気を付けたほうが良いぞ? わらわの機嫌を損ねたならば、絞首刑と言わず死ぬまで激痛に苦しませてやっても良いのじゃからな?」
「あ、ああ、わかったよ……」
ダメ押しともいえるトドメの台詞を聞かされた俺だったが、すでにまともに受け止めるだけの気力は残されていなかった。
すっかり萎縮してしまい、やっとの思いで生返事だけを返す。
すると、今まで俺をニヤニヤと見ていたアリンから表情が消える。
興が削がれたようにため息をつくと 彼女は椅子にだらしなく体を預けて頬杖をついた。
「…………」
そのまま無言で、俺を見下ろすアリン。
感情の読めない彼女の表情は、責め立てられているようで落ち着かなかった。
アリンの視線と沈黙に耐えきれなくなった俺が、何を喋るでもなく口を開こうとしたとき……。
「ふふ……」
不意に、アリンは弱々しく笑った。
彼女は穏やかに、静かに語り始める。
「よし、おぬしはもう休め。部屋を充てがってやろう。その体には、目に見えぬ疲れが残っているやも知れぬ」
目を見開いて、俺は驚く。
彼女から出てくる話題は、今回も唐突なものだった。
アリンは横を向くと、マーレさんに何やら指示を始めた。
俺にはその会話が耳に入ってこず、吸い込まれるようにアリンの横顔を見続ける。
もう、会ったばかりの頃のようにのん気にアリンを信じることはできなかった。
彼女の横顔は今も不思議と憎めなかったが、彼女の言葉の毒は俺の心をすっかり侵してしまった。
「それではハル様、どうぞこちらへ」
指示を受けたマーレさんが、俺に近づき移動を促す。
場に流されるように返事を返すと、マーレさんは先導役となり部屋の側面にある出口へと向かい始めた。
どうやら俺は、これから一時の休息を与えてもらえるらしい。
やっと休めるという安堵感もあったが、やはり感じるのはこれからどうなってしまうのだろうという不安が大きかった。
部屋の出口に着いた瞬間、ふと、アリンのことが気になって後ろを振り返る。
アリンは何やら考え込む様子であらぬ方向を向いていたが、俺が視線に気づくと小さく笑った。そして、さっさと行けと言わんばかりに手を振る。
部屋の出口と王座の位置はそれなりに離れているはずなのに、その笑顔はハッキリと俺の目に焼き付いた。
なんだかとても胸が苦しくなり、俺は逃げるように部屋を後にした。