侵入
夜にかけて雨はますます強まり、とうとう雷まで混ざるようになっていた。
廊下に出た俺とルーシェを、雷光が照らし上げる。
しかし、雷が光っていないときは真っ暗で何も見えないかと言うと、そうではなかった。
アリンの魔界には、夜にも何か光源があるのだろうか。雷雨だというのに薄っすらと周囲が見えるような明るさだった。
「(なあ、俺の意志にかかわらず俺の特性を使えるってどういうことだ?)」
俺は必死にルーシェに語りかけていた。頭の中で、ではあるが。
「(やっぱり自分の意志を最後の拠り所にしてたみたいね。もうおとなしく従順になってもらえないかしら?)」
「(……ハッタリだと思うことにする)」
「(じゃあきちんと説明して、どういうことか教えてあげる)」
ルーシェが前を向き、その横顔を再び雷が浮かび上がらせた。
「(私とあなたの最初の魔法、覚えてる?)」
「(あの撃ち出してすぐ、落ちて爆発した魔法?)」
「(そう。あのとき私が、ちょっと喋っちゃってるのよね)」
「(あのときのルーシェの会話?)」
俺が魔力の流れを理解する切っ掛けになった、ルーシェの魔法。
もちろんその会話は思い出せる。
『なんか、上手に練り上げ過ぎちゃった。派手になるかも』
『うーん、途中までは信じられないくらい良く出来てたんだけど、やっぱり撃ち出すのは難しいわね。でも、他人の体から魔法を撃ち出すなんて初めてのことだし、まあ仕方ないよね』
それは、俺の体に魔力を流したときの台詞だ。つまり……。
「(俺の体で、魔力を練ると上手にできるの?)」
「(だいたいそれで合ってる。しかも格段に、ね。アリンが気付いていない、あなたの真価よ)」
普通に聞いていれば、小躍りして喜びたくなるような話だった。
しかしそれが、今はアリンに突きつけられる刃となろうとしている。
「(……嘘、だろ?)」
「(ホントのことよ)」
俺は体を操られた後でも、絶望感や危機感を覚えていなかった。
せいぜい、アリンに後で怒られるだろうな、くらいにしか考えていなかったのだ。
しかし、その考えは甘かった。俺はここにきて初めて、事態の深刻さを思い知る。
「(帰ろう。まだ間に合う。なかったことにできる。俺は絶対にこのことをアリンに喋ったりしないし、明日誠心誠意アリンを説得することも誓う)」
「(ふふ。いい感じに焦ってくれてるわね。でも、私は最初からこうするつもりだったの。絶対に止めないわ)」
「(……俺がルーシェの説得に応じても、同じように操るつもりだったってことか?)」
「(それは秘密)」
玄関ホールの二階部分を通り過ぎ、初めて屋敷の左手奥へと進んでいく。
「(本当にアリンを封印するつもりなのか? あ、そうだ。護衛とか結界はどうするんだ? アリンのことは、ニムさんが守ってるんじゃないのか?)」
「(アリンは自身の力に溺れているわ。私の体にかけられた制約を見てもわかるでしょ? 隙だらけなのよ。ニムだって真面目に護衛なんてしてないわよ。それにもし出会ったとしても、私が速攻で眠らせてやる……!)」
「(おいおいおいおい……)」
ルーシェは攻撃的になっていた。彼女もアリンの寝室が近づき、緊張してきているのだろうか。
「(着いたわ。ここよ)」
それは俺の部屋と何ら変わらない、ごく普通の扉だった。
この中に魔王が寝ているとは思えない、結界も何もなさそうな普通の部屋だった。
ルーシェが慎重に扉の取っ手を持ち、ゆっくりと力を込める。
信じられないことに、鍵も閂もかかっていなかった。
「(……いや、さすがに罠だろこれ)」
一切の抵抗なく静かに開いた扉。俺は呆れたように頭の中でつぶやいた。
開いた扉から、一部ではあるが部屋の内部がわかる。どう見ても、俺やルーシェの部屋と同じような家具も絨毯もないスカスカの部屋だった。
「(……ここで間違っていないはずよ。さあ、入りましょう)」
ルーシェもやや戸惑っていたようだったが、すぐに表情を引き締め部屋の中に体を滑り込ませる。
そこで雷鳴が轟き、俺はアリンの寝室の全貌を見た。
アリンの部屋は広く、質素ではないが豪華絢爛という部屋でもなかった。部屋が広い理由は、おそらく個室を二部屋、壁を取り払って使っているからだろう。
スカスカだと思っていたのは部屋の前半分。部屋の奥にはちゃんと絨毯も敷かれており、天蓋付きの大きなベッドもあった。
しかし全体として見てみれば、やはり家具は少ない。そんな部屋だった。
ルーシェが俺を操りながら、二人は慎重にベッドへと進む。
そのとき再び落雷が起こり、部屋全体が浮かび上がる。
「えっ?」
俺の耳は、たしかにルーシェのつぶやきを聞いた。
そちらを向くと、ルーシェが手で口を塞いだようにして俺の背中越しに何かを見ていた。
「(罠か?)」
急いで反対を向き、彼女が視線が向けていた方向を探ってみる。
しかし焦ってしまっているのか、何があるのかよく見えない。
何度も目を瞬かせ、暗闇に目を慣らそうとする。すると三度目の雷鳴が轟き、俺の目はそれを捉えた。タンスのような家具の上に、無造作に置かれていた。
それはこの屋敷に来て初めて目にする、魔王に相応しい品――綺羅びやかな金の王冠だった。
大小様々な宝石がこれでもかと散りばめられ、かといって上品さが失われているわけでもなく、見ているだけでため息が出てきそうな美しい王冠だった。
特に目を引くのが中央にはめ込まれた赤い輝く宝石。ルビーか、もしかするとダイヤモンドか。アリンの瞳にそっくりだと思った。
「(…………)」
アリンに危機が迫った状況だというのに、俺は思わず魅入ってしまう。
薄暗い室内でも人を引きつけ、見ていると吸い込まれていきそうな、そんな不思議な王冠だった。
しかしふと気が付くと、俺の腕を抱いたルーシェから、小刻みな震えが伝わってきているのがわかる。
「(……ルーシェ?)」
俺が彼女に問いかけると、彼女は夢から覚めたようにハッとなった。
次いで、目を閉じ何度も首を振ると語りかけてくる。
「(あの王冠、変よ。絶対におかしい。あなたは近づかないほうがいいと思う)」
ルーシェはそう言うと、そっちが目的地のはずなのに、逃げるようにアリンのベッドへと向かった。
俺は首を傾げ、そしてルーシェに引っ張られながら王冠を見る。まだ魔力の流れが完全にはわからないからだろうか。それほど恐ろしい王冠には見えなかった。
「(……いた)」
意識を引き戻される単語が聞こえてきた。
俺はすぐにそちらを向く。若干たるんでしまった緊張感を、活を入れて再び引き締め、俺はベッドを見た。
「(うわー……)」
果たしてそこには。
引き締めた緊張感をすべて台無しにしてくれる、世界を滅ぼせるだなんて絶対に信じられない物体が眠っていた。
「うじゅー……すぴー……」
だらしなく体を広げ、お腹あたりに申し訳程度に布団を引っ掛け、体に合ってないんじゃないかと思える白い大きなワンピースに身を包み、そしてとても幸せそうな表情で、アリンは眠っていた。
圧巻は彼女の金色の髪だった。トレードマークの金髪ドリルをおろした彼女の髪は、自分の体をすっぽりと巻いてしまえるのではないかと思えるほどの量と長さだった。その髪を、まるでおばけのようにベッドの上に広げている。
今もボリボリと腹を掻く。間抜けで微笑ましくて愛らしい姿の少女が、そこにいた。
「(本当に寝てる。演技じゃないよな……?)」
自分に仇なす存在がすぐ近くに立っているというのに、大魔王は目を覚まさなかった。思わずほっぺたをぷにぷにと突付いて本当に眠っているかを試したくなるほどだった。
王冠のときよりもずっと長い間、放心しながらアリンを眺めていた俺。それを眺めていたのは俺だけではなかった。彼女がつぶやく。
「(アリン……)」
弾かれるようにルーシェに振り向く。俺の視線に気付いた彼女は一瞬だけ決まりが悪そうな顔をするが、すぐに軽い口調で言った。
「(どんなに可愛くても、この子は大魔王。それを忘れちゃダメね)」
ルーシェは軽く微笑みアリンを見る。しかしすぐまた辛そうな表情になって……、そして目を閉じ首を振り、何かから逃げるように言った。
「(この子は気まぐれで世界を滅ぼせる……私に与えられた機会は今しかない……)」
それは自分に言い聞かせて覚悟を決める言葉のはずなのに、ルーシェはそうつぶやくことで、ますます迷いが深まっているような気がした。
「(アリンは寝てるよ。今からでも引き返す? それとも起こしてここに居たいって頼んでみる?)」
俺もルーシェを真似てなるべく気軽に自然に彼女に語りかけてみたのだが、まるっと完全に無視されてしまった。
「(恨んでくれて、構わないからね……)」
ルーシェはアリンには聞こえていないと知っているのだろうか。それとも知ってても、言わざるを得なかったのか。
どちらにせよ、ルーシェは封印を始めるつもりのようだ。
俺は心を決め、単純だが明快な一手を打つことにした。