勇者の覚悟
「入って」
ルーシェの部屋は角部屋という以外は、俺の部屋とほとんど変わりのない部屋だった。
人生で初めて入る女の子の個室。しかし、そのような状況を楽しめる心境ではなかった。
深夜に突然、俺の部屋を訪ねてきたルーシェ。
眠れない夜を過ごしていた俺は、すぐに起き上がって対応した。
彼女は開口一番に「話があるの。誰にも聞かれたくないから、一緒に部屋に来て」と言った。有無を言わさない雰囲気だった。
警戒感が働かなかったわけではないが、ルーシェに話があるのは俺も同じ。だから覚悟を決めて、俺は彼女の誘いに乗った。
「椅子、一個しかないから、ベッドに座って」
またもドキドキさせられる状況になるが、俺は言われた通りルーシェのベッドに腰を下ろす。
彼女がその隣に座ってきても、それどころではないと気持ちを切り替えた。
「俺、ずっと考えてたんだけど、明日の朝に二人でアリンに謝りに行かないか?」
真っ先に話を切り出したのは、俺。
アリンはちゃんと話せば許してくれると思う。成功する確率はかなり高いと考えていた。
問題を先送りにしただけのような気もするが、それでも人と人の付き合いにはそれが重要なことだってある。
しかし、真剣に言ったつもりだったけど、ルーシェはそれに悲しそうな顔で首を振った。
「あなたなら、もしかしたらそう言ってくれるかなって思ってた。本当に言ってくれて嬉しい」
「……でもそれって、今回は断られたってことだよな?」
「ええ、そうね。私は私で、あなたを説得するつもりで呼んだのだから」
俺は、ルーシェが訪ねてくるとは思っていなかった。
ルーシェを説得する手段は色々と考えていたけど、俺が彼女に説得されることに関しては、どうしても後手になってしまっていた。
でも、覚悟がないわけではない。
「最初に言っておくけど、俺はアリンが不利益になることには、何も手を貸せないよ」
誰にも聞かれたくない話。俺を説得するつもり。この時点で、アリンの不利益になることをさせようというのはほぼ間違いないだろう。
そう考えた俺は、先に宣言を済ませておくことにした。しかし、覚悟を決めていたのは俺だけではなかった。
「それでも私はあなたを説得する」
逆に、彼女からも宣言を受けてしまう。
身構える俺に対し、彼女は真っ向から言ってきた。
「私と一緒に、アリンを封印しましょう」
部屋には光球が浮かんでおり、それが明かりの役目を果たしていた。
光球は時間の経過とともに薄暗くなっていき、やがて消えてしまう。
「だからお願い。今が絶好の好機なの。今しかないの」
ルーシェは何度めかの光球を生み出しながら、そう言った。
俺とルーシェでアリンを封印する。最初に聞いたときは、呆れて物が言えなかった。
しかし、お互い何度も説得を続けていく内に、彼女の作戦の概要は理解できてしまっていた。そのつもりはなかったけど、理解せざるを得なかったと言うか。作戦自体は要約すると難しい作戦ではなかった。
「何度言われても俺には信じられないし、まして実行するつもりなんてないよ」
驚くべきことに、ルーシェの作戦の要は俺だった。
昼間ルーシェの魔法陣を暴走させてぶっ放した魔法。ルーシェはあれを見たとき、俺の可能性に気が付いてくれたらしい。
そしてアリンは今、力を失って弱くなっている。ルーシェは俺と二人で力を合わせれば、大魔王も封印できる魔法が使えると考えているようだ。
「ちゃんと説明したでしょ? 聡いあなたなら理解できるはずよ」
「今しかないという理由は理解できたけど、アリンに通用するとは思えないよ」
彼女が言っている今しかないという根拠は二つあった。一つはもちろんアリンが弱くなっていること。そしてもう一つは、アリンが俺の真の可能性に気付いていないことらしい。
ルーシェの体には刃向かえないように制約がかけられていると聞いている。それはアリンの慢心なのか、絶対的な自信の現れなのか、それともルーシェの体を気遣っているのかわからないが、アリンの命令を聞いてしまうこと以外は緩い制約らしい。
ルーシェは言う。アリンが俺の可能性に気付いたなら、対策として自分への制約を強められてしまうかもしれない、と。だからここに残るとしても、もう同じようなチャンスは巡ってこないというのだ。
「お願い。あの子の力を削ぐだけでもいいの。あの子の力が弱まれば、脅威に思う人も少なくなる。そうすれば攻められることもなくなるのよ。あの子にとっても悪い話じゃないわ」
「堂々巡りだよ。アリンの力を削いだからって攻められないと決まったわけじゃないんだろ? で、その場合、ルーシェは仲裁をするとしか言えないじゃないか」
「……ウソじゃないわ。本当に、命を賭してでも争いが起こらないようにする」
「本気で仲裁してくれるというのも聞いたし、いざとなればアリンの封印を解く用意もあるとも聞いた。でも、そうじゃないんだ。俺はたとえアリン本人が納得してくれたとしても、あいつの身に危険が起こるようなことはしたくない。だから、ルーシェの手助けはできないんだよ」
「…………」
黙り込むルーシェを見て、俺は大きく息を吐く。さすがに自分自身、疲れが見え始めていた。
「ルーシェ、たしかに今が絶好の機会かもしれないけど、それに囚われて視野が狭くなっているんじゃない? 正直ルーシェの話は、有りもしない脅威をでっち上げて、アリンを悪者にしてるようにも思えるんだよ」
「…………」
「もう、アリンを脅威と考えなくてもいいんじゃないかなあ。それに、アリンに危険な兆候が見えないかをずっと監視し続ける役も必要じゃないのか?」
「…………」
「明日の朝、一緒にアリンに会いに行こう。ちゃんと話せばあいつだってわかってくれるよ」
「…………」
ルーシェは長い沈黙の後、無言で首を振った。
「(残念だけど、潮時かな……)」
長い話し合いは平行線をたどり、俺は徒労感を覚えていた。
一度寝て、また明日の朝早くにルーシェを訪ねてみよう。そう考えた俺は、ベッドから立ち上がった。
「……帰るの?」
「うん。ごめん、もう疲れたよ」
「そう……」
ルーシェが顔を下げたのを見て、俺は一歩歩き出した。しかしすぐに俺の背に、彼女が声をかけてくる。
「最後にもう一度。力を貸して?」
「……悪い。また明日の朝来るよ」
「そっか……」
俺はもう立ち止まらないと心に決めて、再び歩き出す。
しかし、またもその歩みは一歩に留まった。俺は突然後ろに引っ張られる。
ルーシェが、勇者であるはずの彼女が、豹変していたのだ。
「残念だわ!!!」
信じられないくらいの強い力で、俺は無理矢理ベッドの上に引き倒された。
痛かったわけではないが、それでも衝撃に目をつぶる。すると仰向けに倒れる俺の上に、ルーシェがスルスルと馬乗りになってきた。
しかめていた眉を戻し、俺は自分の体の上に乗るルーシェを、睨むわけでもなくただ見つめ返した。
「……何をする、とでも言っておこうかな?」
「あーあ、嫌われちゃったよね。これでも本当に悲しいと思っているのよ?」
形だけ見ればとても艶っぽい場面ではあったが、俺の頭は奇妙なほどに冷静さを保っていた。
そしてルーシェは完全に開き直ったのか、先ほどとは打って変わって明るく振る舞う。
「暴れたりはしないのね?」
「情けない話だけど、最初から勝てるとは思ってなかったしね」
「そんな相手の部屋に、ノコノコとやって来たの?」
「ルーシェなら、素人の俺がどこに居ても無力化できるよね」
「諦めてたの? アリンに泣きつけば良かったんじゃない? それとも恥ずかしくてできなかった?」
「アリンに守ってもらうほどの価値は、俺にはない。その考えは間違っていたようだけど、魔法は意志の力。俺の協力なくして俺の魔法は撃てないはず。やっぱり、アリンに守ってもらう必要はない」
「あなたって本当にすごい人ね。でも、私が人質にしちゃうかもよ?」
「本気で人質が欲しいなら、セティちゃんを狙うしかない。人類を滅ぼせるという相手に対して、俺なんかを人質にとったところで無意味だ」
「…………」
「もういいだろ。これでも俺は不機嫌なんだ。手短に終わらせてくれないかな?」
「……ふふ」
ルーシェは笑いながら目を閉じた。
すると、俺は驚いた。ルーシェの右目から涙が一筋こぼれたのだ。
「あー。今からでもアリンに謝っちゃおうかな」
「そ、そうしよう!」
「ふふふ」
ルーシェは微笑むと、不意に右人差し指と中指をを自分の唇に当てる。
その動作でも少し焦らされたのに、次に彼女が取った行動に、俺は目が離せなくなった。
ルーシェは自分の唇に当てた指二本をそのまま俺の唇に近付けてきて、そして押し付けた。
「ぐぅッ!?」
その途端、全身に激しい稲妻のようなものが走った。痛みを覚える正真正銘の電撃だった。
体の周囲に、いや、ベッド全体が放電しているようだった。それは、昼間魔法陣の上で見た光景に似ていた。
「あなたはもっと人を疑ったほうがいいわ。そして、自分にも自信を持つべきだと思うの」
ルーシェは俺の胸に両手を置きながら、悲しそうにこちらを見た。
「あなたがアリンの魔力で魔法を使っている姿を見て、私はあなたが怖くなった。この人は優秀すぎる。アリンの側に置いておくのは危険だ。そう思ったの」
俺は痛みを堪えながら、彼女の話を聞く。
「それからずっと、私はあなたを警戒してたのよね。そして同時に利用できないかとも考えてた。これは、その結果」
セティちゃんが戻ってくるまでの間、彼女が思い悩んでいたように見えたのは、このためだったらしい。
戻った後も、少しは考えを改めてくれたのかもしれないけど、心の中ではずっと不安に思っていたのかもしれない。
「私はあなたの力は大魔王にも届き得ると考える。悪いけどその力、勝手に使わせてもらうわよ」
体を襲う痛みがだいぶ収まってきた俺は、悪びれることなく言うルーシェを、強い意志で睨みつける。
「俺は全力で抗う。俺の意志の力は、全力でルーシェを止める」
ルーシェは笑った。
「ずっと利用できないかと考えてて、その結果、勝手に使わせてもらうって言ってるのよ。しかも、仕込みはずっと前から行なってた」
「仕込み?」
「私、アリンにこの個室を与えられてから、ずっとこのベッドに魔力を溜め続けていたのよね」
「…………」
「そう睨まないでってば。それにね、私にはお手本もあったのよ」
「……お手本?」
オウム返しに言う俺に、ルーシェはまたおかしそうに笑った。
お手本とは、何かを行うときに参考にする物や人を指すはずなのだが……。
「お手本……勝手に使う……お手本……、ま、まさか!?」
激震が走った。
金のツインドリル。赤い瞳をした少女、アリン。
そして、アリンが呪いと称したルーシェの体への制約。
彼女は、ニッと笑った。
「私は自分の体にかけられた魔法を紐解いた。世界を滅ぼす力を持つアリン。その魔法の、ほんのわずかな片鱗だろうけど、その真理に触れることができた」
彼女は簡単に言っているけど、実際に魔法を紐解くのは並大抵のことではなかったのだろう。
ルーシェは俺が恐ろしくなったと言っていたが、とんでもない。彼女もまた、秀でた存在だった。勇者の名を冠した存在だったのだ。
「あなたの体は私が譲り受ける。さあ、大魔王を封印しに行きましょう……!」
ルーシェが両手を俺の胸に押し付けながら、魔法を使う。
光り輝き始める彼女の両手と俺の体。再び速まる鼓動に、俺は息を詰まらせた。
「(……まいったな、こんなことになるなんて……)」
事態は大きく動き始めていた。
絶対にアリンには刃向かわない。そう心に決めていたはずなのに、体はアリンに牙をむく準備を始めてしまった。
しかし絶望はしていなかった。魔法は意志の力。ルーシェの教えが正しければ、いくら体を操られようが、俺の魔法の真価は発揮できないはずなのだ。
「立って」
気付いたときにはすでに、俺はルーシェの操り人形と成り果てていた。
彼女の命令どおりに動く体。感覚は残っているのに勝手に動かされるというのは、不思議な気分だった。
ベッドから下り直立する俺の体に、ルーシェはすぐに腕を絡めてきた。
突然の彼女の行動に驚く俺だったが、これにもきっと理由があるのだと思った。
「体に触れてないと、命令できないのか?」
「そうよ。アリンと比べると粗悪な魔法だからね。でも、ちゃんとした理由もあるの」
ちゃんとした理由とはなんだろう。
そう思った俺の頭に、直接答えが飛び込んできた。
「(これよ。これからはお互い頭の中で会話していくわ)」
「(なるほど。内緒話にはもってこいの方法だな)」
「(はぁ。相変わらず、順応早いわね)」
ルーシェと腕を組み、二人連れ立って歩き始める。この状態だと、俺の体は命令を言葉にせずとも彼女の思い通りになるようだ。逆に俺からは、首から上ぐらいしか自由に動かせなくなっていた。それに加え、口は開けるが声が出せない。
「(……ずいぶんと、落ち着いてるわね?)」
「(さてね。これでも結構ドキドキしてるんだけどね)」
俺の体は命令できないだけで、触覚等の感覚まで失ったわけではない。
「(……直前で教えてもいいんだけど、あまり動揺されるのも困るし、教えてあげる)」
「(何を?)」
ルーシェは笑うと、恋人のように腕を組んだ俺を見上げた。
「(私とあなたって相性がいいみたいなの。あなたの意志がどうあれ、私はあなたの特性を使うことができるのよ)」
そうして俺とルーシェは、彼女の部屋を後にした。