帰ってきた二人
転移門の変化は、誰の合図もなく始まった。
突如転移門の中心付近に黒い渦のようなものが生まれ、徐々に大きくなっていく。
そして、黒い渦が転移門の横幅と同じくらいに大きくなると、突如渦が伸びて転移門全体にかかる黒い幕のようなものに変わった。
その時点で、ルーシェが雨の中に足を踏み出す。彼女は大きなタオルを数枚胸に抱え、魔法で雨を弾きながら歩き出した。
次に歩き出したのはマーレさん。左手に傘を二つ、一つは畳んだまま脇に抱え、一つは広げて歩き出す。右手には適度に冷ました温かい飲み物。
ニムさんとアリンはそのままここで待機するようだった。
「アリン、この服って濡れても構わないのか?」
「ああ」
念のためアリンに確認を取った俺は、傘を差して屋根から出る。左手に傘。右手にはタオルを一枚。
俺が転移門に近づくと、門の中に小さく二つの人影が見えた。どうやらこちらに歩いてきているようで、みるみる姿が大きくなっていく。
「(あれ、二人居る!? 使いに出ているのは一人だって聞いていたのに)」
その人影は他の人にも見えているはずなのに、誰も異常だとは思っていないようだった。
俺は不思議に思いながらも小走りに門に近づく。そうすると、すぐに人影の詳細がわかってきた。
二つの人影は、大きな人と小さな人だった。
それぞれローブのようなものを身に着けている。大きな人は白いローブ。小さな人は茶色いローブ。
二人とも荷物を、特に大きな人はすごい量を背負っていた。荷物が増えすぎたから急遽誰かを応援に呼んだのだろうか。大変そうだった。
門の中の空間はやはり不思議空間のようで、俺がたどり着く前に二人とも門から出てきていた。
小さな人のほうが、ルーシェの歓待を受けていた。マーレさんもそちらへと向かっている。彼女が理想郷を探していたという女の子なのだろう。
大きな人は、彼女らの側に立ったことでその大きさが際立っていた。
背は明らかに俺よりも高い。魔法か何らかの理由で着ぶくれしているのか、体格も一回り以上大きい。
ルーシェもマーレさんも小さな女の子のほうを相手しているのだが、大きな人はそれを気にした様子もなくアリンたちの方へと歩き始めた。
その際、それに気付いた小さな女の子が、丁寧にお辞儀をしたのが見えた。
一人雨に打たれながらアリンの下へと歩く大きな人。
俺はマーレさんに近づくと、傘とタオルを差し出した。
「これ、持っててもらえませんか? 俺、あの人の荷物を持っていきます!」
驚くマーレさんに畳んだ傘とタオルを押し付けると、俺は冷たい雨を体に感じながら大きな人を追った。
「ハル様!」
マーレさんの叫び声が聞こえてきたが、俺は振り向いて笑いかけるだけで、再び大きな人を追いかけた。
「あの、荷物、少し持たせてください」
白くて大きな人に追いつくと、俺はその人の背中に向かってそう声をかけた。
しかし雨の中でも聞こえているはずなのに、その人は一切反応を見せてくれない。
「(あれ、もしかして初めての言葉が通じない人?)」
俺は慌てて大きな人の前に回り込む。
そうして今度は、うるさくない程度に大きな声で話しかける。
「あの――!」
だが、そのまま俺は呼吸すら忘れてしまう。
俺が話しかけていたのは、人ではなかった。
人形、あるいはゴーレムなのか。
白いローブだと思っていたのは、そのままゴーレムさんの体だった。
顔だと思う部分にも何もない。のっぺりとした白い体が続いていた。
ゴーレムさんは最初から最後まで俺を気に留めることなく、アリンの下へと歩いていく。
「……はは」
俺は小さく笑うと、小さな女の子を真似てゴーレムさんに頭を下げた。
そうして、雨の中を走り出す。間抜けな姿を晒したというのに、すごく晴れやかな気分だった。
「いやあ、ビックリしました。あれってアリンの魔法なんですかね?」
頭をかきながら、俺はルーシェたちの前に戻る。
俺の服はアリンが魔法で作った服。水を吸って重くなるようなことはないが、雨から全身を守ってくれることはなかった。
髪に手を這わすたびにボタボタと水が滴る。そんな俺にまっさきに飛び込んできたのは、初めて聞く、澄んだ声だった。
「本当に、素敵な方が来てくださったんですね」
茶色いローブを着た、口元しか見えない女の子。
アリンの背もかなり低いほうなのだが、彼女はそれと同じか、もっと低かった。
「ルーシェお姉さま、これをお願いしてもかまいませんか?」
驚く俺の前で、彼女は背負っていた荷物を下ろす。すぐにルーシェがそれを受け取った。
次に彼女はローブを……、正しくはフード付きの外套を体から外した。
ゴーレムさんを見た後だというのに、彼女の見た目にはもっと驚かされた。
いや、もちろんめちゃくちゃ可愛い女の子ではあるのだが、見た目にはそれほど奇抜なところはない。すごく正統派といった感じにまとまっていた。
でもやっぱりインパクトがすごかった。意外なものを見て仰天した、というべきか。俺は魔界に来たはずなのに。
彼女は比喩でも何でもなく、天使だった。
フードを脱げばポンと輪っかが浮き出て、外套を外せば背中からデフォルメされたような羽がピョロッと飛び出してくる。
金髪碧眼。肌は真っ白で背は低く、手足も驚くほどに細い。
ふわふわした髪はうなじ辺りで揃えられ、服は旅先から帰ってきたというのにマーレさんと同じメイド服。スカートの長さも彼女と同じ足首くらい。足元にはブーツのような靴。
目の色こそ違うものの、体付きはアリンと同じような彼女。
しかし、二人から受ける印象はまるで正反対だった。殺しても死なないような生命力に溢れたアリンに対し、彼女は笑っているのに儚げな印象を受ける。
外套も渡した彼女は、スカートの両裾を掴む。そして挨拶をしてくれた。しかもその挨拶は、俺にとってクリティカルな挨拶だった。
「初めまして、ハルお兄さま。セティエル=リンカフォールドと申します。セティとお呼びください」
ハルお兄さま!
喉元まで声が出かかってしまった。一人っ子だったから妹には憧れがある俺。実に強烈な一撃だった。
彼女はマーレさんがやっていたように、キスをするような不思議なお辞儀をする。俺もそれに対し頭を下げた。
「初めまして、ハルです。俺のことはお兄ちゃんと呼んでください。――ハッ!?」
よろしくお願いしますと頭を下げたつもりで、なにやらとんでもないことを口走ってしまった気がする。
真っ青な顔で瞬時に周囲を見渡す。そこにはポカンと口を開けたセティちゃんと、軽蔑するのも忘れて気味悪がっている女性陣二人。
「お、俺! その荷物持って帰っておきますね!」
未だかつてないほどの俊敏な動きで、ルーシェからセティちゃんの荷物を奪い取る俺。
そうして俺は、その荷物をなるべく揺らさないように走り出した。
「逃げたわ」
「逃げて行かれましたね」
後ろから、女性陣二人の声が聞こえてくる。俺としては、彼女らの好感度が敵対ゾーンまで下がっていないことを祈るばかりだ。
顔に大きな雨粒を受けながら薄目で玄関前に向け走っていると、アリンとニムさんがゴーレムさんを囲んでいる姿が見えた。
アリンはゴーレムさんの体に手を当てているようで、なにやらニムさんとの話し声も聞こえてくる。
「このまま手元に置いておくのかにゃ?」
「他に方法はあるまい。今のわらわなら、まあ大丈夫じゃろ」
「その間に成長してもらうのかにゃ?」
「ま、そうじゃな」
そこで俺は軒下にたどり着き、荷物を置く。
そのときにはすでに、ニムさんがニコリと微笑みかけてくれていた。
「なんの話ですか?」
「ハルくんが、切り札になるかもしれないって話ですにゃー」
「間抜けな面でわらわの傀儡に話しかけておったこやつには、やはり無理かもしれんがのう」
「…………」
ニムさんとは対象的に、金髪ドリルはやっぱりムカつくやつだった。
アリンは黙り込む俺を見て笑う。しかし左手をかざしてくると、あっという間にずぶ濡れの俺を乾かしてくれた。
「冗談じゃよ。こやつも反応こそしなかったが、体にはおぬしの心遣いが届いているはずじゃ」
そう言ってアリンは、ゴーレムさんの体を軽く二度叩いた。
俺はアリンに向かって苦笑すると、その後話しかける。
「一人では危ないからって、護衛を付けていたんだな」
「何かあっては困るからのう。これでも改善されたらしいのじゃが、元々あやつは体が弱いのじゃよ」
「そっか……」
穏やかに迫る死に正面から向き合う、という言葉を思い出して、俺はちょっとしんみりする。
そんな俺の横で、アリンはゴーレムさんを見上げる。
彼女が宙に浮いていてもなお、それより高い位置にあるゴーレムさんののっぺりな顔の部分を。
「さて、こやつも戻してやるか」
「えっ?」
戸惑う俺の目の前で、アリンはゴーレムさんに話しかける。白い体に当てていた左手に力を込めながら。
「ご苦労じゃった。責務は果たした。返って休むが良い」
それは、短い労いの言葉。
ゴーレムさんは、その言葉を……聞いたのかどうかはわからないけど。
結果としてゴーレムさんの体は、アリンの言葉の後に空気中に溶け出すようにして消え始める。
「…………」
俺はすぐにその光景から目が離せなくなった。
どんどん薄く、小さくなっていくその体。
雨の中を一人歩く大きな姿が、頭をよぎった。
ゴトン、という鈍い音がした。
白い体が一抱えほどの小さな集まりまで縮んだ瞬間、その中からなにかが滑り落ちる。
両手ほどの大きさのそれは、舗装された地面に当たり鈍い音を立てた。
「おつかれさまだにゃー」
ニムさんが落ちたそれをすぐに拾い上げる。持っていたタオルでそれを拭き始める。
「……なんじゃ、あやつはあんな服で戻ってきたというのか」
「ハルくんが居るって知ってたからにゃー。きっと着替えて戻ってきたんだにゃ」
「ふむ。誰かに会ったときのために、正装として持ち込んでおったのか」
アリンはセティちゃんの方を見ながらそう言い、ニムさんもタオルで拭きながらそちらを見る。
もちろん俺も彼女のことが気になっていたのだが、それでも一言言いたくて、俺は口を開いた。
「ニムさん、俺にも傀儡さんを綺麗にさせてください!」
一瞬で、アリンとニムさんの視線が俺に向かう。
特にアリンは、すぐに視線を睨むように鋭くしていく。
「はいにゃ」
でもニムさんは、すぐに笑ってタオルごと不思議な物体を俺に手渡してくれた。
アリンの表情も、やがて苦笑のそれに変わる。
「呆れたやつじゃな。あまり思い入れるでないぞ」
「わかった!」
俺は返事をしながら、丁寧にそれを拭いていく。
持ってみると、見た目よりかなり重かった。灰色で、女の人なら両手でも手に余る大きさ。
表面にはびっしりと細かな傷が入っていて、角が取れた正方形の箱のような形をした物体だった。
「ああ、ならついでにそれを仕舞ってこい。マーレのやつがそれを包む白い布を準備しておらんかったか?」
「あ、たぶんあれだと思う」
「ではそれに包んで倉庫に持っていけ。黒い布がかかった台座があるはずじゃ。行けばすぐわかる」
「了解!」
ゴーレムさんの体だった物体は、すでに十分綺麗になっていた。俺は最後にもう一度拭くと、マーレさんが準備していた白い布で包んだ。
そのときには天使ちゃんたちがこちらにかなり近づいてきていたので、俺は軽く会釈をして玄関から屋敷の中へ入った。
倉庫にたどり着くと、アリンの言葉通り台座と思われるものはすぐに見つかった。
台座と言うか子犬の寝床のような箱。黒い布がかかっていなかったら、ちょっと迷っていたかもしれない。
俺はゴーレムさんの体だった謎の物体をそこに安置すると、台座に向けて一度頭を下げて玄関前へと戻った。
「さあ、戻って休め。まずは風呂に入り、ゆっくりとするが良い」
玄関の扉を開けた俺を待っていたのは、話の締めに入っているようなアリンと天使ちゃんの会話だった。
「ありがとうございます、アリンお姉さま。セティは幸せ者です」
「ああ。もう行け。早く休め」
「はい」
どうやら俺はゴーレムさんにかまけ過ぎ、セティちゃんと話すタイミングを逃してしまったようだ。後で改めて話を聞いてみたいと思った。
セティちゃんはアリンに長いお辞儀をした後、玄関へ歩き始める。一緒に、ルーシェとマーレさんも一緒に屋敷に戻るようだ。
扉前で立っていた俺は、ルーシェに手を振られマーレさんに会釈されて……。そして最後にセティちゃんに小声で話しかけられる。
「私はこれからすぐに休まなくてはなりませんが、今度お話をたくさん聞かせてください。――お兄ちゃん」
言葉を失って固まる俺に、天使ちゃんは顔を真っ赤にしながら頭を下げる。そうして彼女は歩いて玄関の扉をくぐっていった。
屋敷に戻ってきた最後の召使いさんは天使だった。すごくいい子が帰ってきた。最高だった。
そんな感じで余韻に浸っていると、後ろからもう一人の金髪の声がかかった。
「お兄ちゃん、じゃと?」
大魔王は地獄耳だった。俺にしか聞こえないような小声だったのに、しっかりと聞かれてしまっている。そうなると当然、大魔王の隣にいる猫耳さんにも聞こえているのだろう。
俺は、やけっぱちに逆ギレてみることにした。
「だって仕方ないじゃん! 俺はハルお兄さまよりお兄ちゃんが良かったんだよ!」
勢い良く振り返った俺に、アリンが珍しく俺に気圧される。
「あ、ああ、あやつならそう呼ぶか。しかし、たしかにそれはわかったのじゃが……」
と、そこでアリンは一度思案するように固まり、そしてその後、少女のような可愛らしい微笑みを浮かべて言った。
「お兄ちゃん」
「止めてくれ。お兄ちゃんが汚れてしまう」
「消し飛べええええ!」
「あんぎゃぁああああああ!」
殺意のこもった漆黒の炎が俺を襲った。
自分の体が原型を留めていたのが信じられないほどの、恐ろしい炎だった。
しかし、やっぱり回復魔法も飛んでくる。今回は舌打ちも聞こえてきたけど。
「ああ……、気分が悪うなってしもうた。生まれて初めてじゃぞ。このような言葉を使ったのは」
「俺も、絶対死んだと思った……」
誰得な会話だった。……というのはもちろん嘘。悔しいが、めちゃくちゃドキドキさせられてしまった。冗談とはいえ、まさかアリンの口からお兄ちゃんという言葉を聞けるだなんて。
「はぁ……。あやつのことを聞きたくて堪らないんじゃろ? それにあやつのことに関しては、わらわからも言っておくことがあるのじゃ」
「え?」
頭が一瞬で切り替わり、すぐにアリンの隣に駆け寄る。
ニムさんがニコニコと俺たちを見つめていた。
「聞く! 聞かせてくれ!」
「……こやつの頭は、本当に切り札と成り得る器があるのやもしれんのう」
「ていうか、俺から質問したい!」
「ああもう好きにせい」
首を振るアリンに、俺は気になっていたことを尋ねていく。
「セティちゃんって、おまえの義理の妹?」
「……どうして義理じゃと限定するのか、理由を聞かせてもらおうかのう」
「だって、あんなにいい子がおまえと血がつながっているはずがない――嘘ですごめんなさいアリン様!」
アリンは再び手に生み出していた炎を握りつぶすと、苦笑した。
そして俺の疑問に先回りして答えてくれる。
「あやつがリンカフォールドを名乗っておるのは、母上が所有していた名残じゃよ。わらわとは姉妹でもなんでもない」
それは、またも色々と気になる点が出てくる発言だった。
とりあえず俺は、その発言で一番気になった点を尋ねてみる。
「所有?」
「ああ、あやつらは母上が管理しておった。おぬしの心配は当たっておるぞ。あやつは家畜に似た存在じゃよ」
「…………」
俺は、アリンの勢力の長が魔王と呼ばれる理由の一つ、その核心に触れてしまった。
しかし、だからといって今の俺ならすぐに立ち直れる。アリンの物言いにも慣れてきたし、セティちゃんも本人も深刻そうに考えているようには見えない。
「ああ、そうか。おまえが家畜状態のセティちゃんを救い出したから、彼女は幸せ者だと言ってるんだな? それで、母上から所有が移ったと?」
「くっくっく。あながち間違いではないところが、笑えるのう」
「ど、どういうことだ?」
「まあ待て。この話をすべて説明しておると、飯の時間がなくなるぞ。好きに質問しろと言ったわらわじゃが、まずはわらわが話しておくべきことを聞け」
残念なことに、アリンはそれ以上の説明を止めてしまった。
しかし、セティちゃんに関する話を聞きたいのは俺も同じだ。
俺が素直に頷くと、アリンも一つ頷いて口を開く。
そしてそれは、たしかに俺が聞いておくべき彼女の情報だった。
「まずじゃな。わらわの力で、あやつを癒やすわけにはいかん」
「えっ?」
緩やかに迫る死と向き合うというセティ。でも、いざとなればアリンが治すと言ったはず。
しかし、そこまで考えた俺は、すぐに正解に思い当たる。
「ああー、堕天しちゃうのか」
それは単純なことだった。ついつい俺は、アリンを全能の存在だと勘違いしてしまっていた。
アリンにだってできないことがあるんだ。大魔王が天使を癒せる世界なんて、俺だって嫌だ。
まあでも、命あっての物種というし、いざとなったら仕方がないような気もするのだが。
そう思っていた俺は、セティちゃんの小さな体には十字架が背負わされていたことを知ることとなった。
「そしてじゃな、あやつは種の最後の生き残りやもしれん」
「えっ……!?」
驚きで真っ白になる頭の中だったが、俺は手探りでその理由を尋ねる。
「元々天使が住んでる世界が、壊滅してるってこと?」
「いや、ルーシェの世界の中心が天界と呼ばれておるが、忌々しいことに今も勢力を拡大しておるな」
「えええ? じゃあ天使は他にいるってことじゃ?」
「ややこしい話じゃが、セティは大昔にわらわたちの祖先が天界から奪い取ってきた一族の子孫なのじゃよ。じゃからセティのことは厳密に天使と言えるかどうかはわからん」
「う、奪ってきちゃったのか」
「魔界で脈々と命をつないでおった種が途絶えそうになっておる、ということじゃな」
「そういうことか……」
ここまでの話をまとめると、セティちゃんの種が絶滅の危機に瀕していて、しかも彼女をアリンは癒やすことができない状況のようだ。
「でもさ、それってもう……、事実上絶滅が確定しているんじゃないのか……?」
恐る恐る話しかけた俺に、アリンは少しではあるが笑顔を浮かべた。
「あやつの種族はな、女しかおらん」
「へ?」
「生まれる子も、すべて女じゃ」
「じゃ、じゃあ、その、子作りはどうするのさ?」
まさか、コウノトリが運んできてくれるというわけではあるまい。
「あやつらは、一人でも子を宿すことがある。神のお告げ、天啓、悟り。様々な理由があるじゃろうが、要するにあるとき閃いたら、もうその時点で母親になるのじゃよ」
「えええ!?」
そう思っていたら、まさかのコウノトリに似たシステムだった。天使すごい。
だから、不思議なことに最後の一人だったとしても絶滅とはならないのか。
「じゃあ、ええとその、早くセティちゃんに子どもを生んでもらわないとダメってこと?」
俺の発言で、アリンはまた困り顔に戻った。
「あやつは子を生むには少し早すぎるようじゃ。それに、一人でも宿すことがある、と言ったであろう?」
「ああ、言った」
「本来はやはり、複数名居たほうが良いのじゃよ。あやつが誰かを呼ぶとき、お姉さまお姉さまと言っておるじゃろう? これにあやつら種族の秘密が隠されておっての。姉妹のように仲良くし、そして番のように親交が深まると祝福を受けられると言い伝えられておるようじゃ。祝福……つまり子のことじゃな」
「はー……!」
長い長い感嘆の息を吐き出す俺。
アリンは言いたいことをだいたい言い終えたのか、そこで一つ咳をした。
「おぬしが納得できるよう色々と説明したが、要は、わらわではセティを癒せんのでおぬしらでなんとかしろ、ということじゃ」
「お、おお! 任せろ!」
俺が元気良く答えると、ずーっとニコニコ楽しそうに俺とアリンを見ていたあの人が、話しかけてきた。
「ハルくんには期待しているにゃ」
「ありがとうございます、ニムさん」
「お兄ちゃんと呼ばせるくらいじゃ。心配せずとも愛情だけはたくさん注いでもらえそうじゃのう」
アリンのニタニタ顔は無視。
言われなくても、おまえも含めみんなに注いでやるよ。
「じゃあ、そろそろ片付けを始めるにゃ。お腹空いたにゃー」
「そうじゃな。では、続きはまた機を見て話してやろう」
「了解!」
ニムさんの言葉で、この場はお開きになった。
いつの間にかマーレさんも戻ってきていて、四人で天使ちゃん出迎えの後片付けをする。
ルーシェは姿を見せなかった。彼女はこのとき、天使ちゃんをお風呂に入れていたらしい。
俺は甘く考えていた。ルーシェがどうしてセティちゃんに目をかけていたのか。セティちゃんがどうして最後の一人になったのか。
ルーシェは天界にセティちゃんを連れ戻そうとは考えていなかったが、それでもルーシェの考えは、屋敷の主アリンとは違っていたのだった。