最初の一歩
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誤字を修正しました。魔方陣→魔法陣
「あはは、説明ばかりで疲れちゃったね。少し休もうか」
「さ、賛成」
ルーシェと俺は小休止を入れることで合意した。
彼女は「んー」と両手を上げて体をほぐし、俺は頭をかきながら周囲を見渡した。
空は本格的に暗くなってきており、いつ雨が降ってきてもおかしくない雰囲気だった。
魔法の実演をしている暇はないかもなあ、そう思った瞬間、ルーシェが声を上げた。
「あ、そうだ!」
突如ルーシェは丸太椅子から立ち上がると、俺の側までやって来る。
「そろそろまた確かめてみようよ?」
「なんの話?」
「ほら、魔力が回復しやすいっていう食べ物食べたでしょ? あれの効果を見てみよう」
「ああ、あれかあ」
昼食に出ていた干した赤い果物。魔力が回復するという食べ物で、しかもとても美味しかった。
「じゃあ、触れて調べるよ?」
「お、おう」
ルーシェは座ったままの俺の胸に手を置くと、目を閉じて集中し始める。
「どう、かな?」
「うーん……、やっぱりダメみたい。あなたの魔力は長期戦になるのかなぁ?」
ルーシェがそう言って、手を離す。
食事の際にアリンがあまり期待していなかった時点で、この結果はなんとなく予想できていた。
俺は特に落ち込むこともなく、いつものように気になったことを質問する。
「魔力がないと、魔法は使えないのかな?」
「そうね」
「絶対に?」
「……私の知る限りでは、ね」
あの金髪ドリルなら、なにか知っているのだろうか。
「俺ってさ、アリンに頑張ったらいつか魔法が使えるようになるはずって言ってもらえたんだけど、ルーシェもそう思える? 正直に言ってもらっていい」
「…………」
ルーシェは黙り込むだけで、何も答えてくれなかった。それが彼女の回答のようだ。
と思ったら、恥ずかしいことに俺の早とちりだった。彼女は考え込んでいただけのようだ。やがてゆっくりと話し始める。
「これであなたが魔法を使ったと言えるかどうかはわからないけど……、一応思いつく方法はあるよ」
「おおお! どんな方法!? ぜひ教えて欲しい!」
勇者様はやっぱり人類の救世主かもしれない、などと現金な考えが浮かぶ俺。
ルーシェは困ったように話し始める。
「さっき、他人の魔法を体に受け入れるのは負担になるって話をしたばかりなんだけど」
「うん」
「それは本当なんだけど、あなたの体は少々の負荷ならものともしないような、丈夫な体っぽいのも本当なのよね」
「そうだね。そうも言ってたね」
「だから、その……」
「うん」
「少々無茶してもいいなら……」
「全然構わない! それで、どんな方法!?」
俺が勢い込んで言うと、ルーシェは非常に申し訳なさそうに、ボソボソと言った。
「私があなたの体を触媒のようにして魔法を使うと……、あなたの体から魔法が飛び出す……」
「…………」
ピンク髪の勇者さんは、やっぱりちょっと頼りない感じがしました。
「まあそれでいいや。雨が降りそうだし、さっさと試してみよう」
「ちょ、ちょっと! なによその言い方! あなたがぜひ教えてって言ったんでしょ!」
「それで、俺はどうしたらいいのかな? 建物から出て立ってればいい?」
「聞いてないし……」
ルーシェはなおもブツブツと言っていたが、俺が立ち上がって東屋の外に向かうと、不満そうなままだったけど付いて来てくれた。
「ねえ、再確認なんだけど、これは危険を伴う行為なのよ?」
「全然気にならない。本当に危険ならルーシェは言い出さないはずだし」
「うぅ……、早まっちゃったかも……」
東屋と屋敷から十分距離を取った俺たちは、「この辺でいいよ」というルーシェの声で立ち止まった。
ちなみに、屋上からも確認できていたが、アリンの屋敷は丘の上に建てられている。木々を切り開いて丘を丸裸にしたのか、屋敷の周囲には空き地がたくさんあまっていた。
俺はルーシェに話しかける。
「ちょっと話を変えるけどさ、この世界って、ヤバげな巨大生物がいるよね?」
「うん、いるね」
「ルーシェは勝てるの?」
「結構見掛け倒しなのが多いし、今ところ勝てそうなのしか会ったことないわね」
「さすがは勇者。安心だね」
「もう勇者じゃないってば。それに屋敷の周囲にはアリンの結界があるから、そういうのは近寄ってこないと思うけど」
「さすがは大魔王。安心だね」
「……あなたって慣れてくると結構遠慮ない人よね?」
ルーシェのツッコミはスルー。
俺は立ったまま、ルーシェが魔法を使ってくれるのを待ちわびる。
自分の体を道具のように通過させるだけの魔法みたいだけど、いざ本番前となったら意外と楽しみに思えてきた。
「私が言っていい台詞じゃないかもしれないけど、もう知らないよ? ホントにやっちゃうよ?」
「お願いしまーす」
「はぁ……、なんだか調子狂っちゃうなぁ」
ルーシェは俺の背中に立つと、後ろから無言で俺の右手首を掴んできた。
それは二人羽織りのような格好。彼女の体が俺の背中に密着してきて、マーレさんほどではないにしろ、彼女も女の子なんだと再認識させられた。
油断していた俺は、それだけで顔が火照ってきそうになる。でも、すぐに目を閉じて動揺を抑えた。
「えっと、どんな魔法がいいのか、希望があるなら聞くけど……?」
「希望なら空を飛ぶ魔法だけど、無理そうならなんでもいい」
「……あなたを抱えて飛ぶのじゃ、さすがにダメよね?」
「それでもいい。でも、魔法を使う体験というか、遊覧飛行になるかな」
「だよねぇ……」
心臓は今もドキドキしまくりだけど、表面上は取り繕って会話する。幸い顔を見られることはない。
ルーシェが俺の気持ちに気付いているのかどうかはわからかったが、とにかく彼女は一つ大きなため息をつくと、「いくよ……」と精神を集中させ始めた。
しかし……、何も起こらない。アリンが力を見せつけてきたときもそうだったけど、おそらく魔法を準備しているであろうこの時間は、俺にとっては暇な時間だった。
「あなたってやっぱり、魔力の流れもわからないみたいね……」
おとなしく待っていると、ルーシェがそう話しかけてきた。
「アリンにも言われたよ。今この瞬間にも何かが起こってるってことだよね?」
「うん、そうだね……」
ルーシェはそれだけを言うと、再び魔法に集中し始める。
「(魔力の流れ、ねえ?)」
ルーシェの発言を聞いて、俺は自分の体に視線と意識を向けてみる。
第六感などがいきなり発現していればいいのだが、あいにくそのような感覚はない。
感じていることと言えば、意識の外に追い出そうとしているルーシェの体の感触だけだ。
「(これは、修行でも習得するのは無理そうかなあ?)」
それとも第六感ではなく、俺の持つ五感で魔力の流れを理解できるようになるのだろうか。
そんな感じで漠然と意識を体に向けていた俺。
しかし俺が認識できる進展がないまま、時間だけが過ぎていく。
まだなのかなとため息をついたその瞬間、右手に違和感を感じた。
右手の芯から温かくなるような、熱を帯びているような感覚。
右手を動かしてみると、わずかではあったがたしかに熱を感じられた。俺の五感でも知覚できる変化。
これがもしかして魔力の流れでは?
そう考えた瞬間、心臓が大きく高鳴った。世紀の大発見をしたかのような興奮。
しかし高揚した俺に、突然ルーシェの言葉が飛び込んでくる。
「なんか、上手に練り上げ過ぎちゃった。派手になるかも」
「へ?」
突然の発言に戸惑う俺。ルーシェはそんな俺に構わずに、話を続ける。
「これから試すよ。腕を真っすぐ伸ばして、手のひらを広げて。少し押されるような感覚があると思うから、耐えるようにしてね?」
「あ、ああ」
遅れて、魔法の準備が整ったということに気付く。俺は彼女の言う通り、右手に集中し始める。
ルーシェはより一層体を密着させてきて、俺の右手を補佐する。そうして彼女はカウントダウンを始めた。
「3、2、1、それっ!」
右腕から熱が引いていき、反対に、右手のひらには何かが集まるような感覚。やはり間違いではない。たしかな変化を感じた。
ルーシェのカウントダウンとリンクしてどんどん高まっていく熱量。そうして彼女の合図と同時に、衝撃が生まれた。
ボンという、ややくぐもった音とともに、白い球体が俺の手のひらから撃ち出される。
俺の初めての魔法と言ってもいいのだろうか。たぶん違うと思うけど。
どちらにせよその魔法は、すぐに失敗だとわかった。
初速こそ速いと感じた球体だったが、それはすぐに重力に負けたように失速する。球はそのまま近くの地面へと着弾し、そして爆発した。
「うわっ!?」
とっさに声を上げて、手をかざして顔を守ろうとする俺。
しかし直後、予期せぬ方向へと体が引っ張られ、俺の顔はめちゃくちゃ気持ちのいいなにかに押し当てられていた。
バランスを崩した自分の体が、誰かの腕に包まれるのがわかる。
ルーシェは俺を抱きしめることで、爆風から俺を守ってくれていた。
「うーん、途中までは信じられないくらい良く出来てたんだけど、やっぱり撃ち出すのは難しいわね。でも、他人の体から魔法を撃ち出すなんて初めてのことだし、まあ仕方ないよね」
ルーシェは俺を抱きしめたまま、そう言った。
俺はといえば……、固まっていた。
顔は柔らかいものに押し当てられていたし、どこかを叩いて知らせようにも、どこを触っても心臓に悪い気がして、固まっていた。
でもやっぱり耐えきれなくて、顔を少し後ろに引いて言った。
「離して……、胸、当たってる……」
「えっ? ――きゃあああ!」
悲鳴とともに、俺は突き飛ばされた。
元々変な体勢になっていたし、結構強く突かれたせいで、俺は危うく転ばされそうになってしまった。
「もう、もう、もう! バカ! エッチ!」
「えええ?」
相手がアリンだったら文句の一つでも出てきそうなところだった。
まあ彼女も恥ずかしかったのだろうと大らかな気持ちで流すことにする。助けてくれたのには違いないし。役得だと思ったからではない。ないよ。
「うー、恥ずかしいなぁ。……まあ、早く忘れよう。それで、どうだった?」
つっけんどんに聞いてくるルーシェ。
「なにが?」
「魔法! 使ったでしょ!」
「あー、まったく実感ない……、いや、あった、あったよ!」
「え、あれでそんなに喜べるの……?」
自分から聞いてきたくせにドン引きするルーシェ。
しかし興奮した俺は、それにかまうことなく大きな声を出す。
「魔力の流れがわかったよ! こう、手のひらにぐわーっと熱が集まるような感覚があった!」
喜び勇んでルーシェに報告した俺。
だけどルーシェはその報告を聞くと、微妙な表情を浮かべた。
「あー、うん。さっきの魔法の具現化直前の話だよね、それ」
「え、なにその顔。全然大した話じゃなさそう」
俺がすごい発見だと思ったことは、ルーシェにとっては全然すごくないことらしい。
「お、落ち着いて聞いてね。あなたの感じたことはたしかに魔力の流れと言えるかもしれないけど……」
「うん」
「魔法には、あなたの目に見えたり、感じられたりするものがあるよね、さっきみたいな」
「うん、わかる」
「魔力の流れは感じられなくて困ってるのよね?」
「そうだね」
「魔力を利用して魔法を使う。それはつまり、感じられないものを感じられるようにしている、とも言えるよね?」
「……なるほど。理解した」
つまり俺は、魔力が魔法に変化していく途中の、境目ギリギリのところがわかっただけのようだ。
「大した発見じゃなかったのかあ……」
「ま、まあでも、一歩前進したことには変わりはないよね」
「素直に喜べない……。まあ、魔力が完全にわからないよりはいいか」
それは、本当に小さな一歩だった。
ルーシェは話を続ける。
「それで、あなたの体の調子はどう?」
「えーっと……。うん、ルーシェに守ってもらったし、傷一つない」
「そ、そっちじゃないわよ! 右手よ右手! 魔法を撃ち出したみ・ぎ・て!」
「ああ……」
俺は右手を開いたり閉じたりしてみる。
「右手も、なんともないかなー」
「そう? 他も大丈夫? 心臓がドキドキしてるとか、頭が痛いとか」
「ルーシェに守られていたときは、心臓がドキドキしてた」
「あーもう! あなたってやっぱり慣れてくると遠慮がなくなるわね!!!」
ヤバい。ちょっと楽しいかも。
彼女には悪いけど、怒っている姿のルーシェも可愛らしかった。また見たいなとも思ってしまった。
「もう近寄ってあげないんだから! 次は一人でやってよね!」
「え、次?」
悪ふざけしすぎたし、俺はてっきりこれで実験は終わりだと思っていた。
しかし驚いたことに、ピンク髪の勇者はまだまだ俺に付き合ってくれるようだった。
「次って、俺は一人で何をすればいいんだ?」
「あなたの体は少々魔力を流しても平気みたいだから、もっとすごいことをする。とりあえず、あなたはそこで待ってて!」
そうしてルーシェは、次の作戦に必要なのだろうか、東屋から木の棒を持ち出してくる。
丈夫そうではあるが、それ以外はいたって普通そうに見える木の棒。彼女はその棒を両手で掴むと、なにやら地面をガリガリと削り始めた。
「うー……、勢いで言っちゃったけど、描いてる途中で雨が降ってきたらどうしよう」
「もう今の段階でも十分楽しめたよ。だから気にしなくてもいい。……それとも、俺も何か手伝おうか?」
「あなたはそこから動かないで! 一歩でも動いたら絶交だからね!」
どうやら付き合ってはくれているようだが、彼女の機嫌が良くなったわけではないらしい。
ルーシェがやり始めていた作戦は、俺を中心にして大きな魔法陣を描くことだった。
木の棒で描いているためかそこまで緻密で複雑そうには見えなかったが、円形でしかも円の内部にも描き込みがされている立派な魔法陣だった。
「っていうかさ、この魔法陣を俺が覚えたら話は早いんじゃないの? やっぱり描くのにも魔力が要るの?」
「魔力が必要ない描き方は知ってるけど、起動するのに魔力が必要ない魔法陣は知らない」
「むむ……、アリンは知ってるのかなあ」
「……アリンと比べないでよ……。ふん! すごいの描いてビックリさせてあげるんだから。あなたはそこで待ってて!」
ルーシェはさらに意気込んで、ガリガリと地面を削り続ける。
俺は一つ息を吐いて空を見上げた。ますます暗い空になっていた。
しかし急かすわけにはいかない。俺はおとなしく待機し続けることにする。
「(ちょっと調子に乗りすぎたなあ……。後でちゃんと謝っておこう)」
自分を中心として描かれていく魔法陣に対し、俺は申し訳なさを覚えていた。
彼女の気持ちを冒涜するような考えだったが、俺は自分の持つ特性ゆえに、すぐに魔法が使えるようになるとは思っていなかった。
こんな俺に頑張って魔法陣を描いてくれるルーシェに対し、申し訳なさを感じていたのだ。
「うん……、よし、できたわよ!」
やきもきするような時間は、とても長く感じられた。
実際にしっかりと時間をかけて描いたのだろう。本当に、木の棒で地面に描かれたとは思えないほど綺麗に描かれた魔法陣が完成されていた。