相手を思えば
ルーシェと俺は食事が終わると、二人で屋敷の庭にある東屋へとやって来ていた。
東屋とは、壁が存在しない柱と屋根だけの建物を指すのだが……、ルーシェたちに通じるのだろうか。
雨が降りそうという話になっていたはずなのに、わざわざ外に出てきた理由。
それはルーシェが「屋敷内じゃ実演できる魔法が限られちゃうでしょ?」と言ったからだ。
「ここは、アリンの屋敷の水汲み場なのか」
東屋の中心近くには、人の手で積み上げられた岩の小山があった。
そこから水が滾々と湧き出している。どういう理屈なのかはわからないが、かなりの水量が流れ出ていた。
魔法なのか、あるいはこちらの世界特有の自然現象なのか。ラスボス山が水源だとすれば、自噴もありえるのだろうか。
「ほら、ボーッとしてないで座って座って」
ルーシェに言われ、俺は丸太の椅子に腰を下ろす。
美少女と向き合って座る状況。しかも相手は、アリンの敵……だと思う勇者のルーシェだ。
「それで、何から聞きたい?」
「へ?」
しかし拍子抜けすることに、ルーシェは俺を問い詰めてくるようなことはしなかった。
俺の反応を見て、ルーシェが笑う。
「なぁに? もしかして、私が色々言うとでも思ってたの?」
ルーシェは俺が考えていたことを言い当ててくる。しかしそれは、彼女自身にも思い当たる節があったから出てきた言葉であろう。
俺は彼女の言葉を正直に認めることにした。
「うん、思ってた。だから、理由をつけてこんな人気のない場所まで連れてきたんだと思った」
「ひどい。そんな風に思われてたのね」
なおもルーシェは笑う。
俺が「ごめんなさい」と謝ると、ルーシェは自分の気持ちを話し始めた。
「まあ、出会った状況を考えると仕方ないよね。でもね、私は思ったの。あなたはしっかりとした考えを持ってる人みたいだし、私がとやかく言う必要はないかなって」
驚いた。まだほとんど話したことがない俺相手に、彼女がそこまで言ってくるなんて。
「俺を評価してくれるのは嬉しいけど、それにしたっていきなり持ち上げ過ぎ。何か裏があるんじゃないかと考えちゃうよ」
「あはは。ごめんごめん、別に押し付けるつもりはないから気にしないで」
笑顔で言うルーシェ。その様は、嘘をついているようには見えない。
「……そんなに俺を判断する材料ってあったっけ?」
「あるじゃない。さっきからずっと話してるもの」
「そりゃ、話してるけどさ……。でも、ただの普通の会話だよ。判断材料になる?」
「あなたの言葉は聞いていて気持ちがいいわ。普通の会話でも十分よ」
俺は首を傾げた。
それは不思議な感想だった。俺の言葉を聞いていて気持ちがいいだなんて。
「そんなこと言われたのは初めてだよ。言葉を聞いていて気持ちがいい……、別言語を音楽のように聞く感覚か?」
「違うわよ。そっくりそのまま、あなたの言葉には……」
そこで俺とルーシェは、二人同時にあることへと思い当たっていた。
言語という単語。言葉に対するルーシェの不可解な感想。それは俺にかけられている、不思議な魔法が関係しているのだろう。
「意思疎通の魔法か!」
「……そっか。あなたにはまず、その魔法のことから説明したほうがいいみたいね」
ルーシェの言葉に、俺は大きく頷く。
しかしどうしたことか、ルーシェは直後に顔をしかめた。
「うーん、でも、どこから説明したらいいのか……」
「そんなに難しい魔法なのか?」
「ううん、違うわ。簡単でありふれた魔法だから、いざ説明するとなると困っちゃうのよね」
「へぇ……」
ルーシェはそんな俺の反応に、話の取っ掛かりを見い出したようだ。
「どうして難しいと思ったの?」
「だって、言葉を瞬時に翻訳して理解する魔法が簡単だなんてビックリするよ」
「ああ、そこに一つ勘違いがあったわ」
「ほほう?」
ルーシェはコホンと一つ咳をすると、話し始める。
「意思疎通の魔法は、相手の言語を翻訳しているわけではないわ。相手の言葉に乗った、感情やら魔力を読み解いてる魔法なの」
「……ふむ」
「たとえば、そうね……」
ルーシェは立ち上がると、湧き出す水の方へと歩いていった。
そしてそれを両手ですくい、俺に見せてくる。
「これは、何?」
「水。湧き水。地下水。あるいはルーシェの手の中にある水」
「うんうん。あなたは最初に純粋に水自体のことを考えて、その後は色々と補足した事を言ったよね?」
「そうだね」
「ここからは難しい話になって、私自身もはっきりとは説明できないんだけど……、あなたはこれを見て、水という言葉自体を連想したんじゃなくて、水そのものを思い浮かべて、それに合わせて該当する言葉も思い浮かべたはずなのよ」
「なるほど」
アリン、と言われると、金髪ドリルの小生意気な笑顔の少女が思い浮かぶ。決して、ありん、という文字がまっさきに浮かぶわけではない。
水も同じということか。みず、という単語も浮かぶけど、水そのもののイメージも思いつく。
意思疎通の魔法は、そういう言葉に乗ったイメージそのものを読み解いている魔法らしい。
でも、ということは。
想像したことと口に出す言葉が違えば?
「ルーシェ」
「……今、アリンのことを思い浮かべながら、私の名前を呼んだでしょ? お水ぶっかけるわよ?」
「ぐ!? 失敗した!」
女の子相手に使う例題ではなかった。
ルーシェは手に持っていたお水を水球に変えて俺を脅してきたが……、やがて苦笑した。
「読心魔法でもないんだから、あいまいに考えたことは上手く伝わらないこともあるよ。嘘をつこうと思えばつけるしね。普通に話すよりは難しくなるけど」
「あくまで相手が強く思い浮かべたものを理解する魔法か」
「それに、人名は例えとして非常に不適切だわ。だって、言語が違っても人名は同じでしょ?」
「そうか。誰が話しても、アリンはアリンか」
「うんうん」
そこで俺は、次の例題を思いつく。
ルーシェが椅子に座り直すのを待って、俺は言った。
「じゃあ、これは? 東屋って何?」
「ええ……? 屋根だけの建物? ああ、この場所のこと?」
「ふむ。通じてるなあ」
ルーシェは困り顔で言う。
「あまり難しいことを思い浮かべても、相手はちゃんと理解できないかもしれないわよ。あくまで相手があなたの言葉を受け取って、それを理解する魔法なんだから」
「さっぱりわからないことを言われた場合は?」
「大抵の場合、頭がそれに近いと思ったものを勝手に連想しちゃうんだけど……、連想するものがなければ、そのまま相手の発音が頭に思い浮かぶわね。あいまいに思い浮かべられた言葉の場合も発音がそのまま思い浮かぶことがあるわ」
「なるほどね。了解、覚えておくよ」
そこで新しい疑問が思い浮かび、俺は尋ねる。
「りょうかい、とか、おぼえておく、とかは感覚的に話している気がするんだけど、その辺はどうなの?」
「うーん、それも相手に対して理解したよ、とか、忘れないよ、みたいに思いを伝えてるわけでしょ?」
「たしかにそうとも言えるかも」
「まあ、あなたは忘れてるわ。最初に言ったでしょ?」
「え?」
「言葉に乗せられた感情やら魔力を読み解く魔法だって」
「……あー。前提として、魔力の補佐があるのか」
ルーシェは頷くと、言った。
「言葉は発するだけで力を持つわ。それには少なからず魔力も宿る。だから少々ぼーっとしながら無気力に話しても、相手には通じるのよ」
言霊、という概念に近いものだろうか。俺にはすんなりと受け入れられる話だった。
しかしそこで、俺は自身の珍しい特性を思い出す。
「あれ、でも俺って魔力を持たない生き物って言われなかったっけ?」
「……言われてたわね」
「言葉に魔力宿ってるの?」
ルーシェは首を振る。
「いいえ」
「ふむ」
相手の言葉に乗った感情やら魔力を読み解く魔法。その一つの魔力が欠けている俺の言葉は、今の話だと聞き取りづらいということになってしまう。
でも、ルーシェは俺の言葉は聞いていて気持ちがいいと言ったのだ。聞き取りづらいものが気持ちがいいというのは、どうにも辻褄が合わない。
「ああそうか。俺の意思疎通の魔法はアリンにかけられた魔法だった。あいつの魔法が特殊なんだな?」
「うーん、特殊なのは間違いないよ。だって普通は自分で使う魔法だもの。他人にかけることはまずありえないわ」
簡単でありふれた魔法、だっけ。
「なんかそこも引っかかる。言語を翻訳していないのはわかったけど、それにしたって言葉を瞬時に理解する魔法が、他人にかけることがありえないほど簡単でありふれてる?」
「……順を追って説明しましょ。大丈夫?」
「頑張る」
ルーシェは笑って、そして手に持っていた水球を両手で二つに割った。
「はい、どうぞ」
「え?」
ルーシェは右手に持っていた水球を指先に浮かべ、俺に差し出してくる。
俺が戸惑っていると、ルーシェは口を大きく開きながら言った。
「あーん」
「あ、あーん」
ルーシェの口の動きとその言葉を真似て俺も口を開くと、開いた口の中にポコンと水球を入れられてしまった。
「飲んで。ちゃんと大丈夫なようにしておいたから」
「……ありがとう」
飲んでみると、おそらくただの水だった。おそらくと表現したのは、もちろん緊張で味がわからなかったからです。はい。
ルーシェも左手にあった水球を口に入れると、ニコリと俺に笑いかけた。
「……はは」
ルーシェも少し頬を赤らめているが、俺はもっともっと赤くなっているだろう。
と、そんな甘ったるい雰囲気の中、ルーシェは突然とんでもないことを言い出した。
「さて、さっきあなたが飲んだお水は毒です」
「ぶはッ!?」
水を吐き出すことはできなかったが、それでも俺は思いっきり息を吹き出した。
「ふふ。ごめんね、もちろん嘘だよ? ちゃんと体には問題なく仕上げてるわ」
「ゲホッゲホッ。悪質だよルーシェ」
「うん、でもね。これが一つ目の説明になるの。このお話には真実も含まれている」
「……ほほー?」
俺はすぐに、彼女の話に聞き入る。
ルーシェは両人差し指を立てて、それぞれ俺と自分を指し示した。
「同じ水を飲んだはずなのに、私には毒じゃなくて、あなたには毒になる。……あ、これはあくまでも私が加工したお水を延々飲み続けたらって例え話だから。さっきのお水は本当に大丈夫よ?」
「わかった」
「でも、どうしてそうなると思う?」
俺は思いついた可能性を言っていくことにした。
「ルーシェが魔法でこっそりと、俺の水だけ毒に変化させる」
「できないことはないけど、そうじゃないわ」
「最初からあった毒の成分を、魔法で俺の水に全部移す」
「……それも頑張ればできないこともないと思うけど、違うわ」
「二人とも毒の水を飲んで、ルーシェだけ隠れて解毒魔法を使う」
「…………」
ルーシェは俺をジト目で見つめてきた。
「あなた実は、とっくに答えにたどり着いているんじゃないの?」
バレたか。
「ルーシェの魔法を、いや、他人の魔法を浴び続けるのは良くない」
「そうよ! それが正解よ! やっぱりわかってるじゃない。もう!」
ルーシェは怒り出したけど、やがて苦笑して説明を始める。
「これが一つ目の理由。他人の魔法を取り込んでいると、少しずつかもしれないけど自分の体に負担がかかるわ。特に意思疎通の魔法は使用頻度の高い魔法だから、他人にかけてもらうとあっという間に体への負担が大きくなるのよね」
「なるほど」
「具体的にどうして他人の魔法が体に悪いのかって話は、さすがに長くなるからまた今度にするね? 今は他人の魔法をずっと取り入れ続けるのは体に負担になる、ってことを覚えてもらえばそれでいいと思う」
「わかった」
ルーシェは大きく頷くと、再び話し始める。
「次に、どうして意思疎通の魔法が簡単でありふれているのかについてなんだけど――」
俺はそのルーシェの発言に眉をひそめ、慌てて待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待って。俺から一つ質問がある」
「え、何かしら?」
「ルーシェは普通に流したけど、意思疎通の魔法は体に負担が大きいって話だよね? 俺ってずっとアリンのその魔法がかかったままなんだけど?」
「あっ! ……たしかにそのことを話してなかったわね」
「た、頼むよ」
ルーシェは苦笑しながら言う。
「言い訳させてもらうと、あなたのことを心配してなかったわけではないのよ? でも過度な心配は逆に負担になるだけでしょ?」
「そうだね」
「だ、だからね? ついつい普通に流しちゃったのよ」
「……それってつまり……」
ルーシェは笑う。
「うん、あなたは心配しなくてもいいと思う。もちろん違和感や痛みを感じ始めたらすぐに言うべきだけど、でも、ずっと気に病むことはないと思うよ」
「そうなのかー」
「私が忘れかけてたことには変わりないし、謝らなくちゃいけないことなんだけどね」
「ああ、そういうことなら気にしなくていいよ」
どうやら俺の体は心配要らないらしい。それは喜ぶべきことなんだろうけど、でもどうしてそうなっているのかは気になった。
「アリンの魔法がものすごいから、特殊な魔法だから、俺は体の負担を気にしなくてもいいのか?」
「うーん、それもあるかもしれないけど、でもね、私は思うのよ」
「何を?」
「アリンの魔法がどうのこうのじゃなくて、あなたの体自体が、なんか丈夫にできてそう」
「ほほう」
たしかに脆弱な体だとは今までも思っていなかったけど、丈夫……かあ。まあたしかに自身が招いた不養生以外で風邪を引いたことはないなあ。
「さっき忘れかけていた私が言うことじゃないけど、定期的に体を調べてさえいれば心配は要らないんだと思う。ほ、ホントに心配はしてたんだからね!?」
「いや、疑ってないよ。心配してくれてありがとう」
俺が素直に答えると、ルーシェは二度ほど咳をした。
そして彼女は、改めて話し始める。
「じゃ、じゃあ、次の説明に戻るよ?」
「お願いします」
ルーシェはもう一度息を吐くと、説明を再開した。
「意思疎通の魔法が簡単でありふれている理由。それはね、最初からある程度は体に備わってる性質を利用している魔法だからよ」
「……えー?」
さっきの他人の魔法と自分の体の話はすぐに納得できたけど、今度の理由は理解に苦しむ内容だった。
意思疎通の魔法が、最初から体にある程度備わってる?
ルーシェはそんな俺の様子を見ると、一度笑って……、やがて唐突に癇癪を起こしたように怒り出した。
座っていた丸太椅子から勢い良く立ち上がり、握りこぶしを強く振り下ろすルーシェ。
「もー!!!」
「ど、どうしたのさ、一体?」
俺が一層眉をひそめてそう言うと、ルーシェは再び椅子に座り直してニコリと笑った。
「ほらね、今あなたは私が怒ったってわかったでしょ?」
「……まあ、そうだね」
「じゃあ同じ状況で、意思疎通の魔法がなかったとしたら?」
「……あー」
ルーシェの言いたいことがわかってきた。
言葉が通じない相手でも、相手が感情をあらわにしているなら、どういう気持ちなのかはなんとなく推測できる。
うなり声一つ例に上げても、怒り、威嚇、戸惑い、悩み、憔悴などなど、完璧ではないにしろ相手の気持ちを察することが出来る。
彼女はそういう機能を魔法で強化していると言いたいのだろう。
「相手の感情を察することは、なるほど魔法を使わなくても持ってる能力だね。そして、持っている能力を利用しているからこそ、何もないところから能力を得るより簡単なのか」
「そういうことね!」
はー、と大きく息を吐きながら、俺は感嘆した。
ルーシェは俺の姿を見て、もう一度頷くとまとめに入る。
「意思疎通の魔法は、あくまでも相手が自分の言葉を受け取って理解する魔法。自分の思いがそのまま通じるわけじゃない」
「うん」
「だから、ときには誤解やすれ違いが、気付かない間に大きく進行していることだってあるわ」
「なるほど」
「さてここで問題です」
突如ピンク髪の勇者は、すげードヤ顔で俺に問いかけてくる。
「意思疎通の魔法で会話する場合、一番大切なことはなんでしょうか?」
「…………」
俺は軽い頭痛を覚えながらも、勇者が好みそうな答えを言った。
「相手のことを考えて、相手と会話を成立させようとする気持ち?」
「大正解!」
正直なところ、かなりウザかった。
「自分の思いを正しくしっかりと相手に伝えようとする気持ちが大事な魔法だから! これは言葉が通じる相手でも基本となるべき考え方よね!」
「……なんか、幼い頃の道徳の授業思い出したわ」
と、そこで俺はこの話題の発端を思い出す。
「あー、ここで俺の言葉は聞いていて気持ちがいいとかにつながってくるわけ?」
ルーシェは頬を赤く染め上げると、しかし首を振った。
「それもそうかもしれないけど、ちょっと違う」
「違ったのか」
「アリンがかけている意思疎通の魔法は完成度の高いものかもしれないけど、さすがにあなたの言葉に魔力を乗せることはできていないわ」
「ふむ」
「でも、完成度の高い魔法だと思う理由もちゃんとあるわよ。あなたが誰の言葉も聞き返していないことがまずそれね。ちゃんと相手の話していることを理解しているんだと思う。おそらくだけどね」
「あー、たしかに。不便を感じたことはないな」
「それでも元々魔力を持ってないあなたの言葉に、魔力を宿らせることはできなかったみたいね。だから正直に言うけど、あなたの言葉は聞き取りづらいの」
「うげ」
ルーシェの告白に俺は戸惑ったが、すぐに頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしております。……俺にも魔力があればなあ」
「ふふふ。でも、今のところ会話もちゃんと成立してるよね? あなたの言葉は誰も聞き直してない。少なくとも私の目の前ではそうだったわ」
「たしかに……」
「そこに秘密があるのよね」
「むむむ……」
どうしてかなと考え込む俺だったが、ルーシェはすぐに答えを話し始めた。
まるで耐えきれなくなったかのように、さらに頬を赤くして。
「あなたの言葉には魔力はこもっていないけど、それを補ってあまりあるほど、たくさんの感情や気持ちがこもっているわ」
それを聞いた俺は、一発でルーシェの倍以上に赤面させられるはめになった。
「だから誰も聞き直す必要がないし、私もあなたの言葉を聞くのは気持ちがいいの!」
顔が真っ赤になっていたルーシェだったが、それでも彼女はしてやったり、という表情で笑っていた。