▶ 玖雅聖人<1>
本能だけで生きてきた私にとって、今更理性を植え付けられたところで対した違いはないと思っていた。大切なのは今までの生き方なのだと。本能だろうが理性だろうが頭の中に眠っている過去の記憶が変わる事はない。過去で培ってきた技術と闘い方を忘れるような私ではない。
例え理性で縛られようが、私本来の思想は脳が覚えている。
だが、理性は私の想像を遥かに上回る能力を持っていた。
時が経ち、理性とは与えられた選択をどのような基準で選ぶかという考え方である事を知った。以前の私は本能的直観で与えられた選択権に答えてきたが、この理性という物は本能的直観にブレーキをかける役割のようだ。
そのおかげで、些細なミスを犯すようになった。理性がある事で、一瞬の判断が出来ずに無難な答えをしてしまう。だから今の私は冷静沈着な男だという評価を受けている様だ。
しかし、それは違う。理性によって本来答えようとした言葉を制止させられ、違う言葉に書き換えられる。昔はそうじゃなかった。本能的に感じ取った言葉を素直に叩きだす事で、余計なストレスを感じなかったというのに。
今ではストレスでしかない。理性が私の言おうとした言葉に邪魔をする。何故だか分からないが本能的に感じた事を理性が受け入れてくれない。まるで恥だとばかりに言葉を喉から通してくれない。
だから私の喉からは無難な言葉しか通過しないのだ。固定概念にのとった当たり障りのない言葉。死んだ言葉。
いつしか私は喋る事を嫌いになっていた。子供の頃はあれほど好きだったコミュニケーションが目障りな存在へと変貌している。
全ては、この頭の中に巣食う理性の仕業だ。
この呪縛から解放されるなら、なんでもする。だが、この言葉すら私の喉から通る事はない。またしても奴が私の邪魔をする。例えるなら、本能という穴に理性という楔が差し込まれている感覚だ。
だから私は願う事しか出来ない。
理性という楔が腐れ落ちる瞬間を。
玖雅聖人 【理性の楔】