6学校生活
キーンコーンカーンコーン。
終業のチャイムが流れ、人々はパタパタと教室を立ち去っていく。
アンジュはその中で、のろのろと帰りの支度をしていた。何故、こんなにもゆっくりなのかというと――。
HR直後、アンジュに申し訳なさそうな顔を見せながら走ってくる男子生徒の姿があった。
「あ、トーマ。どうかしたの?」
トーマ――榎本十馬のことである。生徒会副会長を務めており、面倒見が良いお兄ちゃんのような存在だ。アンジュは変な意味は無いが彼と1つ屋根の下で生活している。
「アンジュ!わりぃな、先に帰っていてくれないか?」
アンジュはその言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたようなショックを受けた。
顔を真っ赤にし、「だって、今日は一緒に帰るって約束したでしょ!」と、文句を吐き出しそうだったが、ぐっと我慢し、理由を尋ねることにした。
「何かあったの?」
「ああ。実は、生徒会で緊急会議が行われることになったんだ。さっき俺に連絡が回ってきたから、アンジュに伝えるのが遅くなってしまったな。ごめんな。」
アンジュを気遣ってくれる十馬に、不覚にも胸が熱くなってきた。
――本当にいい人だな。
天使である彼女よりもさらに寛容ぶりには、ただただ驚かされるばかりである。
「いってらっしゃい、トーマ!」
いきなり大声を出したアンジュに怯んだかと思えば、
「おう!」
十馬は爽やかな笑顔を残し、教室から出て行った。
あ~あ、ついてないな。
今日は久しぶりにアンジュと一緒に帰れると思ったのにな。ここ最近、生徒会の仕事が忙しすぎる。
もうそろそろ引継ぎのための準備を進めていかなくてはいけないとか何とかで、連日遅くまで残っている。今日はやっとちょっと仕事が一段落したから早く帰ろうと思ったのに。アンジュには申し訳ないが、1人で帰ってもらおう。
「榎本くん、ちょっと人手が足りないの。助けてくれない?」
不意に誰かに話しかけられた。くるりと後ろを振り返ると。
話しかけてきたのは、どうやらクラスメイトで学級代表の、小舘花来だった。彼女は、学級代表をもまとめる学年代表に選ばれている。学年代表は自動的に生徒会役員を務めなければならないというのがこの学校の仕組みである。だから彼女は非常に忙しい人なのだ。
「ああ、いいよ。何を助けたら良い?」
俺が了承すると、「これ!」と言いながら名簿を手渡してきた。
「実は部活動予算の過不足を調査しないといけないんだけど、私これから歯医者の予約が入っていて、残っていられないの。」
うわ、結構面倒な仕事だな。ささっと片付けて帰りたいんだが、そうも言っていられないよな。
「大変な仕事だと思うけど、頼めるかな。……えっとね、運動部のほうは英美理ちゃんと優樹くんに引き受けてもらったから、榎本くんは文化部のほうをお願いできるかな?」
この学校の部活動は運動部、文化部合わせて40近くはある。今は1年生生徒会役員である浅岡英美理と山下優樹の2人(この2人は生徒会役員に立候補したらしい)と分担して作業するからまだいいが、花来が作業していたら、そのすべてを彼女に任せていたのではないかと思うとぞっとした。
「今回はそれだけで良いの。榎本くん、お願い!」
こくんと首を傾げながら上目遣いをする花来。……それをされちゃあ、断れないよ。
「いいよ、任せてくれ。それじゃあ、安心して虫歯を治して来いよ。」
手を振り、彼女に背を向けて歩き出したとき、かすかに声が聞こえた。
――私は歯周病になっていないか、検査しにいくだけだから!、と。
よし、早速調査だ!と意気込んだ矢先、俺はあることに気がついた。筆記用具を教室に忘れてきた……。とぼとぼと歩き、教室までたどり着くと視界の端に金色に輝く髪が見えた。
「アンジュー!」と叫ぼうとしたら、彼女は誰かとお話中なようだ。話の腰を折るのはかわいそうだと思い、待機していると会話が聞こえてきた。
「……そこを何とか、頼むよ。」
「でも、私。そんなあ。」
アンジュに対してめっちゃ媚を売っているように聞こえる。何かを売りつけているのか?高い壺は買うなよ!
「困るんだよ。――のためだと思って、ね?」
「うーん。でも、その人のこと分からないよ。無理矢理は嫌!」
アンジュが声を荒げる。一体何の取引なんだ?
「……それじゃあ、考えておいて。また意思は聞かせてもらうよ。」
「分かったわ。」
会話が途切れ、俺が教室に足を踏み入れたときと同時に誰かが走り去っていった。
「あ、トーマ。生徒会の仕事終わったの?」
アンジュは俺に気が付き、ドアのほうまで来てくれた。
「残念だが、これからだ。それよりも何でまだ教室に残っていたんだ?」
「来ないかも知れないと思っていたけど、一応ね。トーマの帰りを待っていたんだ。」
「!」
や、やべぇ。めっちゃ可愛い。ぎゅっと抱きしめたくなってきた……。
とにかく理性を総動員させ、何とか衝動を抑えた。ふう、危なかった。
「今から本格的に仕事になるけど、アンジュも来る?」
「え、行って良いの?!」
彼女は子供のように純粋でまぶしい瞳で俺を見てくる。め、めっちゃまぶしいっす。
「当たり前だろ、1人より2人のほうが楽しいからな。」
「わーい!」
アンジュはバンザイをしながらその場で踊りだす。そして、満面の笑み。
不思議だ。その笑顔を見るためならなんだって出来るんだよな。
1時間後、2人で何とか19の部活を回り、調査することが出来た。今のところは特に問題が無いようだ。さて、あと1つだ。
俺とアンジュは3階の隅っこにある、図書室に来ていた。尾田太一が部長の、読書部の調査をするため。
「この部活は部員全員がサボっているので有名なんだ。ほんとに困るよ、部室とか予算とかもったいないし。」
俺が愚痴交じりで息を吐くと、ここに来てからまだ喋っていないアンジュが呟くように語りだした。
「……私がここに入れば、トーマが喜んでくれる。」
「まあ、部活動が盛んになればこの学校はもっとよりよい学校になるかもね。」
ぽろっと口にした言葉に彼女は反応してぶつぶつ言い出す。こんなの、いつものアンジュじゃないんですけど!
正直、ちょっと彼女と距離を置こうかなと思ったとき、
「トーマ、あのね。私読書部には入りたい!」
いつものアンジュに戻っていたってええーーーーー!!この廃部寸前の読書部にいいい???
「いいでしょう?」
こくんと首を傾げながら上目遣いをするアンジュ。さっきもこんな姿を見たような気がする……が。やっぱり可愛えぇ。は、反則だし、レットカードレベルだと思うけど。ぐふふふふふ。やべっ、変質者になるところだった。とにかく理由を聞こう。
「どうしてここに?」
「実はさっきね――。」
「杏樹、頼む!」
アンジュは帰宅の準備が完了しそうか否かのところだった。クラスメイトの尾田太一に話しかけられたのだ。トーマと仲が良いことは知っていたが、大して関わりを持っていなかった。
「どうしたの……?」
「読書部に入部してくれないか?」
突然のことに驚いた。トーマから読書部はサボり魔の多い部活だとは聞いていたし、なんで自分が、と。実は音楽部に入ろうと決めていたアンジュは勧誘を断ろうとした。
「・・・・・・いや、あの。私――。」
「すごくマイナーな部活に誘い込もうとしているのは申し訳ないことだと思っている!……そこを何とか、頼むよ。」
めっちゃ、必死だ。アンジュはそう思わざるを得なかった。
「でも、私。そんなあ。」
断るに断れなくなってきた。彼女の背中に冷や汗が流れる。
「困るんだよ。男2人に囲まれたところに単身で乗り込む、後輩の飯田小町のためだと思って、ね?」
「うーん。でも、その人のこと分からないよ。無理矢理は嫌!」
確かに、男子の中に女子1人だけというのも厳しいかもしれないが、自分にも自由があるはずだ、と思い反論してしまった。「ほんとに性格が曲がってきた」とアンジュは自嘲した。
沈黙に耐え切れなかったのか、尾田はここで話を打ち切った。
「……それじゃあ、考えておいて。また意思は聞かせてもらうよ。」
「分かったわ。」
アンジュはここで口を閉じた。ふうと溜め息を吐きながら。
なるほど、俺が聞いていた会話は決して、品物を売りつけていたわけではなかったんだな。
「なんだか、尾田くんがかわいそうになってきて。」
彼女に悪気は無いんだろうが、本人に言ったら確実に泣き出すであろう動機だ。
「アンジュがそれでいいと思ったら、良いんじゃないかな?」
彼女の頭の上にぽんと手を置き答えた。
「本当?!」
「ああ、本当だ。」
再び、喜びのダンスを踊るアンジュ。いつ見ても飽きないよな。
さてと、明日尾田に報告してやるか。
翌日の放課後、早速入部届けを出したアンジュは気合十分で図書室の扉を開けた。(そのときの音は破滅的だったらしい。)
そこには尾田と、2人の後輩。小田正大と飯田小町。珍しく3人は部室に集まり、彼女の入部を祝ってくれたそうだ。
ただ、入部前にアンジュに耳打ちをして、この条件だけは飲んでもらうことを念押しした。それは――。
「今日から私、川島杏樹が読書部の部長です!」
その言葉の後、尾田1人の叫びが部室内に木霊し、後輩たちの割れんばかりの拍手が響いた。(続く)
---------------------------------
《注意》アンジュはトーマと尾田以外に天使だということがばれていません。ですのでトーマは「アンジュ」と呼びますが、その他の人は(尾田も含める)「杏樹」と呼びます。
今回、紛らわしい表記をしましたが、決して間違いではないです。
閲覧ありがとうございました!