#3 黄色の髪の少年
《エーゲル歴四七五三年 八月》
「ねえレマスおじさん、あの人誰だったの?」
嵐の治まった夜明け前の森で、マポンはレマスに尋ねた。
「あれは人間の賢者、つまりは頭がいい人だ」
マポンとスルキの手を引きながら、レマスは答える。
あの後、二本の倒木の下敷きになったスルキの元へやってきたのは悲鳴を聞き付けたレマス・マポンの二人だけではなかった。二人の後に、《バイランの賢者》と呼ばれる人間の老人、《トンデラ=セイル=ノザレント》が来たのだ。トンデラは二人の子供の救出を手伝い、皆に疲労飛ばしの魔法をかけると人間の子供を引き取り街へ帰っていった。
「ふーん…… やっぱり頭がいい人なんだ。嵐がもうすぐ止むって言ってたのも当たってたもんね」
マポンは納得した。
「ね、レマス…… あの人間の子ってどうなるの?」
今度はスルキが尋ねてきた。
「あの子は人間として、人間の街、人間の元で育つんだろう、それが一番だ」
「人間の街かあ…… ちょっと覗いてみたことあるけど、自分は森の中の里がいいなあ」
こちらはあまり納得できなかったようだ。
「生き物はそれぞれ生きやすい場所が違うんだ。それよりもスルキ、まだ歩けるか?」
レマスは今まで樹木の下敷きだったスルキを気にかけていた。
「大丈夫だよ、あのけんじゃさんの魔法で元気になれたし、レマスの腕につかまってるし、マポンがくれた杖もあるし。でもあの人間の子は大丈夫かな? ずっと眠ったままだったし、人間って自分たちと違って体があんまり丈夫じゃないみたいだし」
長い間一緒にいたせいか、スルキは人間の子が気になっているようだった。
「はやく元気になるといいね。そうだ! 今度ココットさんが来たときにあの子がどうしてるか聞いてみようよ! もしかしたら知ってるかも。
あ、そういえばレマスおじさん。ボクらを捜しに来るとき杖を忘れてたでしょ? けっこうあわてん坊だね!」
マポンがぴょこぴょこ飛び跳ねながら言うのを見て、「子供はすぐに元気になるな」とレマスは思うのだった。
――――――――――――――
「だーかーらー! ホントに見たんだってば! あれは竜よ竜! トンデラを捜しに行くからそこを通してよ! お兄様までそこまで分からず屋なんて思わなかったわ!」
バイラン城の城門の中では、番兵やメイド達の見守る中、王族の兄妹が口喧嘩をしていた。
「ココット、いい加減にしなよ。そんなに騒いで、みんな迷惑してるじゃないか」
ココット王女の双子の兄《ルークス=アコッド=バイラニス》は眠いのか呆れているのか――――けだるそうな顔で妹を説得している。
妹とは対照的な父親譲りの金髪。遠目に見ると兄妹には見えない二人だが、顔はそっくりだった。
彼の髪はいつも二箇所跳ねているのだが、今日はそれに加え寝癖でぐしゃぐしゃになっている。
夜中に目を覚ましトイレに向かう途中、騒ぎを聞きつけてここまでやって来たのだった。
「この街に竜なんているわけがありませんよ」
城門を護っていた番兵の一人が言う。
「いたとしたら皆気づいていますわ、ご安心くださいませ」
走るココットを見かけ追いかけてきたメイドが言う。
「とにかくお部屋にお戻りください」
城内を護る警備兵が言う。
「ココット、忘れたわけじゃないよね? そもそもこの街には――――」
ルークスが言いかける。
「うるっさいわね! 知ってるわよ竜避けの魔法くらい! それでこの街には竜は入って来られない、それでも見たっていう事実が重要でしょ?」
ココットが遮った。
バイラニアは城郭都市である。街を護る城壁には竜避けの魔法がかけられており、ドラゴンは街へ入れなくなっていた。もしこの魔法が無ければ皆ココットを信じ、竜探しに駆け出していただろう。
「だからそれは見間違いでは――――」
「見間違いなんかじゃない! そもそも何と見間違えるのよ!」
今度はもう一人の番兵の言葉を遮る。
「もういいわ、こうなったらわたしが竜を探しに――――」
「「「「「それは絶対ダメ!」」」」」
ココット以外の全員が叫んだ。
「もう! じゃあお父様を起こして来るわ! どうせ聞いてくれないでしょうけど!」と、
ココットが国王の寝室へ向かおうとすると、
「聞いてくれないと思うなら起こしになんて行くな」と、
ルークスが寝巻の袖を掴んで引き留める。
「どうすればいいのよ!」
「素直に寝ればいいんだってば!」
「嫌よ!」
「嫌とはなんだ!」
ルークスも段々苛立ってきたようで、周囲の人間はどうしたものかと小声でひそひそと相談し合う。
ココット以外は皆「早く終わってくれないかな」と思っていた。
しかし頑固な王女は一向に諦めようとしなかったのである。
「何事じゃ……? 番兵が門にいないようじゃが……」
何かを抱きかかえたトンデラがそこへやってくると、当たりは一気にしんと静かになった。
その一瞬の沈黙を破り、ココットは賢者に詰め寄って捲し立てる。
「トンデラ! わたし、竜が飛んでいるのを見たの! あなたも外にいたなら何か見ているで…… って、何……? もしかして、人間……?」
トンデラが抱えているものに気付くと、ココットは大人しくなった。
「バイランの森で、一人で倒れていたんじゃ。一応魔法で応急処置はしたが、まだ弱っているからこの城の医者に診せようと思ってな」
抱えられているのは黄色の髪の少年である。意識がないのか、ココットにじっと見つめられても気付かない。腕の中で震えているだけである。
「あの嵐の中で?」
ルークスも賢者の方へ行き、抱きかかえられた少年を見上げた。
「そうじゃ。意識が戻ったら《親》を捜そうと思う。儂はこの子を連れて医者の部屋へ行く。ココット王女、ルークス王子、貴方たちはもう少しでも寝たほうがいいじゃろう。それと君達は門に戻ったほうがいい」
「は、はいぃ!」
番兵二人は城の外へと駆け出して行き、トンデラは医者の部屋へと歩き出す。
「ねえトンデラ、寝る前に一ついいかしら?」
ココットが引き留めた。ようやく冷静になってきたのか、口調は落ち着いている。
「わたし、自分の部屋の窓から竜を見たんだけど、大丈夫なんでしょうね?」
トンデラが振り向いて答える。
「竜はいない、儂がちゃんと魔法を使って確認した。嵐で何かが飛ばされて、それと見間違えたんじゃろう」
「そ、そうだったのね…… 確認したならいいわ! おやすみなさい」
王女は、賢者が再び歩き出すのを見送った。そして、視線を感じる。
横から王子が「そら見たことか」と言うような眼で見つめていたのである。
「納得したかい?」
その眼のまま問いかける王子。
「したわよ! トンデラがちゃんと確認したんだもの! だから! だから、その…… えっと、ごめんなさい…… こんな夜遅くに……」
ココットはバツが悪そうにもぞもぞしながら言った。
「王女様が国を思う気持ちはよく存じ上げておりますわ、今回もその気持ち故であることも・‥‥」
メイドがすばやく笑顔を作って言った。
「この国は我々がお守りします。ですから、何も心配することはありません。安心してお眠りください」
警備兵もそれに続いた。
「…………」
それらに対してはココットは無言であった。少し間をおいてから口を開く。
「……ありがとう。わたしはもう寝るわ、おやすみなさい」
最後までバツが悪そうにしていた王女は寝室の方へと歩き出す。
「騒がせて悪かったね。僕ももう寝るよ」
王子もメイド達に声をかけ、妹と同じ方へ向かい、やがて二人は並んで歩くことになった。
「……はあ、絶対竜だと思ったのに」
「これでわかっただろ? この国に竜なんて入れっこないんだ」
寝室までの廊下を、双子の王族は話しながら歩いている。
「うん…… ところで、あの子は大丈夫かしら? ほら、トンデラが連れてきたあの子よ」
ココットはトンデラが連れてきた子供の話をし始めた。
どうやら、バツが悪いので話題を切り替えたようだ。
「医者達に任せておけば大丈夫じゃないかな…… そうだ、心配なら明日起きたら見舞いに行こうか」
ルークスもあの子供のことが気になっていた。嵐の中、一人で森で気絶していただなんてただ事ではないはずだ。
「そうね、朝ご飯の後、一緒に行きましょう」
そうやって歩いているうちに、二人は王女の寝室の前まで来ていた。
「じゃあお兄様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみなさい」
妹が寝室へ入るのを見送ると、ルークスも隣にある自分の寝室へと入っていった。
夜明けが近い。
二人はろくに眠れぬまま目覚めることになってしまった。