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#2 嵐の森とケンタウルス

  《エーゲル歴四七五三年 八月》



 王女が竜の影を見ていた頃、バイランの森では、一人のケンタウルスが誰かを捜し歩いていた。



 (ここにもいないか)

ケンタウルスの名は《レマス=アウルス》。ココットの弓の師である。

今は、まだ集落に戻ってきていない子供二人を捜す為、嵐の森を歩きまわっていた。

横殴りの雨に耐えながら、子供達の名を叫ぶ。

「マポン! スルキ! いるなら返事をしろ! 私だ! レマスだ! 集落に戻るぞ!」

声に応える者はいない。このあたりにはいないのだろうか。もう一度声を張り上げる。

「マポォーン! スルキィー! 返事をしろおー! ………はぁ、はぁ……」

一時間以上嵐の中を歩いている為、息は切れ切れ、体はヘトヘト、四肢はフラフラ。レマス自身も体力の限界を感じ始めていた。


 しかし子供達を見つけるまで帰る訳にはいかない。繁殖力の弱いケンタウルスにとって、子供は貴重な存在なのである。二人も失えば、里の存続が危うくなるかもしれないのだ。

それに他のケンタウルスにも、

「今里から出るのは危険だ。二人は自分が見つけて来るから皆は里から出ないでほしい」

と言って出て来てしまった。里から出るのが危険なのは自分も同じ事なのに、他人の為なら危険を省みないその性格が自らの首を絞めていた。


 「マポン! スルキ!」

雨に濡れた衣服がレマスの体温を奪う。


 「……マポン!」

後脚が言う事を聞かなくなる。引き摺り歩く度に、小石が蹄に引っ掛かる。


 「スルキ……!」

雨に打たれても、痛みを感じなくなった。慣れたからだろうか。疲れたからだろうか。


 「返事を……っ!」

四肢を折り、その場にへたり込む。もう、体力の限界だ。


 (ここで、止まる訳には―――)


 だが、子供たちは見つかりそうにない。どれだけ捜し歩いても視界に入らない。どれだけ呼び掛けても返事が返ってこない。見つからない。

 今残っている体力は、自分が里に帰る為に使わなければならない。レマスが今いる場所は、里から随分と離れている。これ以上子供捜しを続けていたら、自分が里に戻る前に力尽きてしまうだろう。

 しかし彼はへたり込んだまま動こうとはしなかった。里に帰らなければ自らの命が危ないという事も、子供たちが生きている確証がないという事も分かっていた。子供達を諦めて帰るなど彼の性分が許さなかったのである。


 だが、このまま捜し歩き続ければ子供達を連れて帰る体力も無くなってしまうだろう。


 そこで彼は、子供達に《賭ける》事にしたのである。彼はただへたり込んでいる訳ではなかった。嵐の中で耳を澄まし、子供達が助けを呼ぶ声を聞き取ろうとしていたのだ。声を聞き取ることができれば、子供のいる方向が分かる。その方向へ歩いていけば、無駄な体力を使わずに、確実に子供を見つける事ができると考えたのである。子供達の位置が離れすぎていたり、助けを呼んでいなかったりしたら決して捜し出すことはできないだろう。だから《賭け》なのである。


 そんな《賭け》を思いついてしまうくらい、彼の精神は参ってしまっていた。


 (―――聞き取れ)

自分の耳にそう言い聞かせ、彼は助けを呼ぶ声が聞こえてくるのを待った。激しい雨音と風の音、雷の轟音が果てしなく邪魔である。だがそう思ってはいられない。そんな事を考えるより、声を聞き取るのに集中しなくてはならないのだ。視覚情報も邪魔だ、音に集中しなくては。彼はそう思い、瞼の裏側を見た。


 今の彼の世界は、誰の声もしない闇。そこには嵐の音も、風によって躍り狂う木々も無い。子供の声を待つ彼だけが存在していた。そこには時間(過去)も存在しない。子供の声が聴こえないという《今》が存在するのみである。


 簡単に言えば、他の雑音や時間の経過を感じないまでに彼は集中していたのである。



 数分後、そんな彼の世界に訪問者が現れた。彼の集中を途切れさせる者がいたのだ。


 「……レマスおじさん?」

すぐ近くで聞こえた声に驚き、レマスは目を開ける。目の前には捜していたケンタウルスの子供―――《マポン》がいた。両手で握った杖代わりの太い木の枝を地面に食い込ませ、風に飛ばされまいと踏ん張っている。

「ま、マポン! 無事だったのか!」

疲れが吹っ飛ぶ、というより疲れを忘れる。二人のうち、一人が無事見つかったのである。

レマスは喜んだ。そして、喜びと同時に不安が押し寄せた。マポンがここにいるということは、スルキはこの嵐の中、一人ぼっちでいるはずだ。

「スルキがどこにいるか知らないか」

と尋ねようとしたが、尋ねる前にマポンが口を開く。

「自分は大丈夫なんだけど、スルキが! スルキが危ないんだ! はやく助けてよ! 向こうで助けを待ってるんだ!」

マポンは必死に訴えてきた。

良かった、マポンはスルキの居場所を知っている。だが無事ではなさそうである。レマスの心の中では再び、喜びと不安が混ざり合った。

(マポンの訴え方からすると、ただ事ではなさそうだ……!)

そもそもこんな嵐の夜に行方不明になった時点でただ事ではないのだが。


 「スルキに何があったんだ。教えてくれ」

レマスは、マポンの小さな両肩を両手で押さえながら、少し早口に尋ねた。

スルキが危険な状態にあるのだ。焦らずにはいられない。早く、助けてやりたい。

マポンは、ぶるぶる震えながら答えた。

「えっと、えっと、里に帰る前に、雨が、雨が、降ってきたから、近くの、木、大木の、穴、う、洞で、ス、スルキと、二人であま……雨宿りしてたんだけどね、ええっと、雨が、嵐になって、出られなくなって……」

マポンのしどろもどろな早口は聞き取り辛かった。だが聞いているほうのレマスも焦っていたため聞き直そうとはしなかった。というより、聞き直すという発想自体、今の彼の頭には浮かびそうにはなかった。

「でもね、樹がミシミシいってきて、ミシミシいって、こわ、怖くなったからね、お、お、お互いに手をつないで飛ばされないように、かえ、帰ろうってスルキがい、言って、そして、あ、あ、歩いていたら、かかか、雷が」

「雷に撃たれたのか⁉」

レマスが小さな肩をゆさぶると、マポンの頭は酷くぐらぐらした。マポンはレマスの手を掴んで肩から離し、言った。

「ち、違うよ! 雷が、近くの木に落ちて、ス、スルキの上に……!」

「木の下敷きに⁉」

また、レマスはマポンの肩を掴み、揺さぶった、強く強く、強く。

「揺らすのやめて!」

マポンは自分の肩を掴む手をひっぺがし、そのままレマスの手首を掴んだ。

「あっち! あっちの方に! スルキがいるから! 早く!」


 レマスはマポンに手を引かれ、バイランの森のさらに奥深くに進んでいった。



――――――――――――――



 ざあざあと雨が降る中、スルキは助けを待っていた。

もうすぐ、もうすぐマポンが誰かを連れてきてくれるはずだ。そう何度も自分に言い聞かせていた。



 (早く助けに来て……!)


 そう思うことは、スルキ自身自分勝手だと思っていた。マポンを里から連れ出したのは自分なのだから。あの時、「里から離れて探検しよう」なんて言わなければ――――――



 しかし、助けてほしいのはスルキ自身だけではなかった。自分以外にもう一人、ここにいるのだ。



 ――――――――――数十分前。マポンと共に里へ帰る途中、スルキは《彼》を見つけた。




 (……子供?)


 この嵐の森の中で、脚が二本ほど足りない子供――――すなわち人間の子供が倒れていたのである。

風雨に体温を奪われたためか気絶しているようだ。暗くて確認できないが、顔も蒼ざめているだろう。


 スルキは深く考えず、その子供を助け起こそうと近づいた。

「スルキ⁉ どこ行くの⁉」

マポンは人間の子供に気づいていない。里から遠ざかってしまうのに、子供二人ぼっちで里に帰ろうとしているのに、どうしてスルキは一人でそっちへ行ってしまうのか。


 スルキが理由わけを話そうと振り向いた瞬間、目の前が真っ白に染まる。

その後、驚いていた耳がやっと轟音を飲み込み、馬型の方の背中が鈍痛を受け入れた。

さらに遅れて、スルキは何が起こったかを理解した。


 何かが、自分の上にのし掛かっている。

それを触って正体を確かめてみると、どうやら木の幹のようだ。


 「ボク、里に助け呼んでくる!」


 マポンは、スルキが立ち上がれるかどうか確かめる前に嵐の中へ消えていってしまった。後から試してみたらやっぱり立てなかったのだが。


 スルキにできることは、マポンを信じて待つことだけになった。





 それから、どれだけの時間がたっただろうか。スルキは分からないまま、助けを待ち続けていた。

ふとあの人間の子供のことが気になって、右隣に目をやってみる。

そして、幸いにも自由なままで済んだ手で、人間の喉元に触れる。

(よかった、まだ生きてる)


 人間は確かに息をしていた。しかもそれだけではなかった。


 「う、うう……」

人間は呻きながら、スルキの手に自分の手を重ねてきた。

(もしかしてこの人間…… 意識があるの?)

スルキは驚いた。重ねられた人間の手からは、わずかだが温もりが伝わってくる。


 自分たちはまだ生きている…… そんな当たり前のことを手の温もりによって改めて感じ、ホッとしたスルキは人間に問いかけてみる。

「ね、ねえ…… もしかして、起きてるの? 君……」

「……う…… ず…… ず……」

人間は答えず、呻くばかりだった。しかし何かを伝えようとしているようだったので、スルキは人間の《言葉》を聞き取ろうと耳を傾けた。


 はっきりした言葉が聞き取れたのは少し後のことだった。


 「……が‥‥‥来るから……」

「えっ? 今、なんて……?」

スルキは人間の言葉を聞き直す。

「が、来るから…… きっと…… 助けが来てくれるから…… 大丈夫…… だよ……」

人間も、助けを待ち続けていたのだった。

「そう、だよね。きっと…… きっとマポンが助けを呼んできてくれるよね」

スルキはそう言った直後、マポンのことが心配になった。彼は無事に里までたどり着けただろうか――――


 「う……ん…………?」

人間が、瞼を開いた。暗い中、青い瞳がスルキをまっすぐ見つめている。


 「だ…………れ…………?」


 人間がそういった、すぐ後だった。


 凄まじい轟音が森に鳴り響き、再び目の前が真っ白に染まる。

そしてミシミシと不気味な音を立て、

樹木がもう一本、二人の元へ――――――――


 「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」


#1に比べだいぶ長くなってしまいました(笑)

第零章はもう一話投稿する予定です

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