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 雪の勢いが激しくなってきた。レイは長い金髪に舞い降りた雪を払い落とし、こじんまりとした煉瓦作りの書店のドアを開けた。優しく身体を包んでくれる暖かな空気。なんだかほっとする。いい店だな、とレイはいつも思う。

「ハイ、レイ。いい本入っるわよ」

 店の奥から、ミーナが嬉しそうに呼びかけてきた。黒いセーターに黄色いサングラス。黒以外の服を着たミーナをレイは見たことがない。

「ミーナ、君はクリスマス休暇を何処で過ごすんだ?」

「今夜、両親の家に帰るの。シカゴなのよ」

「それはずいぶん遠いね」

「両親が私が行くのを楽しみにしてるの。兄は仕事の関係で日本に住んでるからなかなか帰って来れないのよ」

「そうか。両親が元気だなんて君は本当に幸せだな」

「ええ、私もそう思うわ」

 レイは幸せそうなミーナの顔を見て、ふっと微笑むと棚に並べられた本に視線を移した。

「その『ヴァンパイアの歴史と系譜』っていう本はお薦めよ。私達の仲間の大学教授が書いたのよ。でね、レイ。また新しいハンターの情報が入ったの。聞いていくでしょ?」

「ああ、もちろん」

 その時、店の電話が鳴った。

「はい、『ミーナ・Sの悪夢』です。よろしいですよ。どのような本をお探しですか?」

 レイはミーナお薦めの分厚い本を手に取ってページを繰り始める。やがて店のドアが開いた。

「あ……あの」

 聞き覚えのある声と匂いにレイが振り返ると、教会で歌っていた少女が立っていた。背中に手を回し、もじもじして下を向いている彼女のふわりとウェーブのかかった茶色の髪は何となくうす汚れて見える。シェリーの身体はか細くて実際の年齢よりもずっと幼くみえた。

「ああ 君はさっきの。何か?」

「シェリーっていいます。あの、あたしの歌をどう思われたのか聞きたくって」

「素晴らしかったよ。ずっと聞いていたいくらいだった。ああ、俺はレイ。よろしく」

 シェリーは顔を上げて、にこりと嬉しそうに笑った。

「ありがとう。凄く嬉しいです」

 彼女の茶色の瞳は澄んではいるが、奥底にどす黒い不安を抱えているようにも見えた。

「あそこの牧師さん、フランクが君のことを心配してる。隠さずに何もかも話せば、きっと力になってくれるよ」

 ちょっと驚いたようにシェリーはレイの顔を見た。

「君は幸せにならなくちゃいけない。それじゃなきゃ、君の声が可哀想だ」

「でも……駄目なんです。父は凄く怖い人だから……」

「自分の道は自分で切り開かないといけないよ。まずは相談することだ」

「そうだけど……ごめんなさい。あたしにはまだ勇気が持てなくって」

 シェリーはすっとレイから離れると、本棚にあった絵本を取り出した。

「綺麗……。あたし、父に本を買ってもらったこと無いんです。だから、字もよく分からないの」

 レイは本を閉じると脇に抱え、シェリーに近付いた。

「その本を見せて」

 シェリーから受け取った本は『シンデレラ』だった。某巨大資本のアニメには無い、美しく個性を持ったイラストが魅力的だ。

「買ってあげるよ。君の歌声へのお礼だ」

「え? でも……」

「遠慮しないで。君の父さんには内緒だよ」

 レイは二冊の本をレジに持っていく。ミーナはまだ電話中だった。

「ええ……はい。もう古い本ですので、絶版になっているかもしれません。それにクリスマスなので出版社もお休みなので……」

 ミーナはレイを見て困ったように肩を竦めた。レイはポケットから十ドル札を何枚か取り出すとレジカウンターに置いた。

「じゃあ、これで。お釣りはいらないよ。ミーナ、良いクリスマスを」

 レイは入り口のところで待っていたシェリーに絵本を渡した。

「ありがとうございます。あの……あの、もしよかったら、家の近くまで送っていただけませんか? 途中の道がすごく危険で、本を盗られちゃうかもしれないの」

「いいよ」

 レイとシェリーは雪の降りしきる通りへと出て行った。


 ミーナは二人が出て行く直前に電話を切った。あら、あの女の子、どこかで……。

 どきん、と心臓が高鳴った。まさか……。急いでパソコンを立ち上げる。やっぱり。電話を掛けようとして、レイの携帯番号を知らないことを思い出した。万が一、自分が狩られた時に携帯に君の電話番号があったらまずいから、とレイは言っていた。

 黒い皮のコートを羽織ると、急いで店の外に出て鍵を掛けた。レイ、どっちへ行ったのかしら? 動揺する心を鎮めながら、地面を見る。降ったばかりの雪に二組の足跡が付いている。少なくとも左に行ったことだけは分かったわ。あっちはダウンタウンの方角。嫌な予感がする。ミーナはレイ達の行った方向へと走り出した。

 

「シェリー。君はダンピールだね」

 シェリーはびくりと身体を震わせた。

「分かるんですか」

「分かるよ。俺はヴァンパイアだからね。君もヴァンパイアの匂いは嗅ぎ分けられるんだろ?」

「え……はい」

 レイは歩きながら、雪空を見上げた。顔に降りかかってくる雪が気持ちいい。

「シェリー。これだけは覚えておいて欲しい。人間もダンピールもヴァンパイアも、皆、一生懸命生きてるんだ。幸せになりたいという気持ちに変わりはないんだ。ダンピールは人権があるし、ヴァンパイアよりもずっと恵まれている。だから君のように才能があってチャンスがあったら、それを捕まえなくちゃいけないんだよ」

 シェリーは唇を固く噛み締めて目を伏せた。

「でも、父が……」

「大丈夫。フランクが何とかしてくれるさ。寒くないかい? ずいぶん冷えこんできたよ」

「大丈夫です。寒いのには慣れてますから」

 辺りが薄暗くなってきている。二人は人気の無い寂しい路地に足を踏み入れた。レイはダウンコートを脱ぐと、シェリーの肩にそっとかけてやった。

「あ、あの……」

「家の前まで着けていけばいい。少しは寒くなくなるだろ?」

「すみません。でも、父に見つかると……」

「だったら、家の手前で脱げばいいさ。まだ家は遠いの?」

「え……ええ。もうすぐです」

 シェリーは路地の途中で急に立ち止まり、とても悲しそうな目でレイを見つめている。

「どうしたの? シェリー」

 シェリーはしばらく黙っていたが、やがてか細い声で、「あの……。これ……」

 と呟いた。そしてスカートのポケットから綺麗な銀紙に包まれたキャンディを一つ取り出し、銀紙を剥がしてレイに差し出した。

「これ、私からのお礼です。凄く美味しいんですよ」

「ありがとう。遠慮なくいただくよ」

 レイは手を差し出したが、シェリーはその上にキャンディーを乗せようとはしない。

「ん? どうしたの?」

「あの……口を開けてもらえませんか?」

 シェリーは顔を赤くして俯いた。

「いいよ」

 レイはふっと微笑んで少し身体を低くし、軽く口を開けて目を閉じた。数秒後、舌の上にひやりとしたキャンディが乗ると、そっと口を閉じた。

 ――甘い。ごく普通のキャンディだ。

「う……!」

 突然、舌に痺れたような痛みを感じ、レイはキャンディを吐き出した。次の瞬間、レイの全身の筋肉という筋肉が突っ張り、硬直し始めた。腕から本が落ちて、ぱたりと音を立てる。身体全体に走る引き千切られるような激しい痛みと共に、レイは悲鳴を上げてその場に倒れた。身体は痙攣し、やがて石になったように動かなくなった。もう首を動かすことさえ出来ず、レイは仰向けに倒れたまま、シェリーを見た。

「ごめんなさい……」

 シェリーは泣いていた。涙をぽろぽろ零しながら震えていた。足元から誰かが近付いてくる。やがてレイの視界に入ってきたのは、蛇みたいに安っぽく光るグレーの合皮のジャンパーを着てにやにやと笑っている煤けたような灰色の髪をだらしなく伸ばした髭面の男の姿だった。

「おや? お前はレイ・ブラッドウッドじゃねえか。確か三十万ドルの賞金首だ。こいつは運がいい。神様に感謝しなくちゃな。おい、どうだ、レイ。全然動けねえだろ。そのキャンディの名前は『メデューサ』。洒落た名前だろ? そいつをヴァンパイアが舐めると全身が石になっちまうんだ。安心しな。三十万ドルは俺が大事に使ってやるからよ」

 男は銃口の大きな見たこともない銃を抱えて近付いてくる。レイは瞳だけを動かして男を見た。

――畜生。あのキャンディは罠だったのか。迂闊だった。でも、もうどうすることも出来ない。力を入れようにも全身が固く硬直してしまっている。あの牧師はモンスターにも行くところはあると言っていた。本当だろうか。俺を地獄で待っているものは何なのだろう?

 シェリーはレイに近付いていく男をぼやけた目で見つめていた。震える手で胸に抱えていた絵本をいっそう強く抱きしめる。


 あたし……あたし、何て酷いことをしちゃったんだろう。この人はあたしの歌を褒めてくれたのに。こんな素敵な絵本も買ってくれたのに。会ったばかりなのにあんなに優しい目であたしを見てくれた。グレッグは怖い。言うことを聞かなかったら何をされるか分からない。でも……でも、この人が殺されるのを見るのは……絶対にいやだ!

 シェリーはぎゅっと唇を噛み締めると絵本をそっと地面に置いた。


「駄目! 止めて、グレッグ! 彼を殺さないで!」

 突然、レイの身体の上に何かが覆い被さってきた。シェリーだ。レイの身体に正面から抱きついたシェリーの熱い息がレイの首筋に吹きかかる。そして、彼女は何かをレイの口に中に素早く押し込んだ。

 口の中でまた飴のような味がする。瞬時に身体を金縛りにしていた異常なほどの緊張が解けてくる。

 ――シェリー、君は……。

 レイは必死で身体を動かそうとした。

 グレッグと呼ばれた男はシェリーの態度に一瞬、戸惑ったが、すぐに下卑た笑みを浮かべながら彼女の横腹を思い切り蹴った。

「どけ! 邪魔だ!」

 シェリーは悲鳴を上げたが、レイの身体から離れようとはしなかった。

 ――シェリー、君は俺が動けるようになるまで時間稼ぎをしてくれてるのか。

「なんだ、てめえ。そいつを庇うのか? ふうん。それなら構わねえさ。一緒に杭を打ってやるよ」

 ――くそ! なかなか身体が動かない。シェリー、もういいから離れろ! 殺されるぞ!

「ヴァンパイアを庇うような奴はもう使えねえ。金さえあれば替わりはいくらでもいる。レイ、こいつも一緒に連れていきな。こいつのプッシーは最高だぜ。締まりがよくってな。ああ、お前はひょっとしてゲイか? レイ。だったら男のケツの穴にしか興味ねえか」

 そう言いながら、男は下卑た笑い声をあげた。

 ――こいつ。やっぱりシェリーを……。

 レイの怒りが頂点に達した。身体が少しずつ動き始める。二本の牙が長く伸び、ペールブルーの瞳が青い光を帯びる。もう少しだ。

 グレッグがシェリーの身体に跨り、左手でシェリーの首を絞めながら右手に抱えた銃をわざとらしく抱え上げる。

「レイ。この銃は『HANDS OF GOD』というんだ。釘撃ち機みたいなもんでね。身体に当ててトリガーを引けば弾の代わりに杭をあっという間に打ち込んでくれる。もちろん離れていても使えるんだぜ。こうやって二人いっぺんにやっつけることも出来る。さあ、そろそろ死んでもらうぜ」

 シェリーの背中に銃口が押し当てられた。レイはようやく動くようになった身体を素早く捻り、右手で銃もろともグレッグを突き飛ばした。そして瞬時に身体を転がして男から逃れ、シェリーと一緒に立ち上がる。

「シェリー、ここから離れろ!」

 シェリーは一瞬躊躇ったが、すぐに路地の入り口の方へ走りだした。

「くそ! どうして動けるんだ?」

 グレッグはゆっくり立ち上がるとレイに銃口を向けたが、その足はがくがく震えている。

 

 ――やっぱりそうか。シェリーを餌にヴァンパイアを騙してはキャンディをしゃぶらせ、身体の自由を奪ってから杭を打つ。こいつは本物の腰抜け野郎だ。

「どうしたんだ? その銃は見せかけだけか? 堂々と正面から撃ってこいよ」

 口を利けるようになったレイがにやりと笑った瞬間、グレッグはトリガーを引いた。閃光の様な素早さで杭が発射された。が、レイの姿はない。

「おい、何処を狙ってるんだ?」

 背中のほうから聞えた声にグレッグは震え上がり、凄い叫び声を上げながら振り返った。

 レイは既に男の遥か後方にいた。グレッグは銃口をレイに向けたが、そこには杭の影は見えなかった。

「た、助けてくれよ。この銃、杭は一発しか装填できねえんだよ。丸腰の奴を殺すんじゃ気分が悪いだろ? な?」

「いいや。お前のような奴を生かしておくほうが気分が悪いのさ、俺は」

 レイは情けない声を出して命乞いする男に向かってまっすぐに歩き始めた。

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