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当作品はサイトからの転載です。
雪が舞い始めた。ニューヨークにほど近いシルバークロス・タウンには寒波が訪れ、日中でも息が凍るような寒さが続いていた。十二月二十二日の午後、レイとデビィは賑わう街の人ごみを縫いながら家路を辿っていた。華やかな店のショーウィンドーには玩具の熊や人形が赤いサンタ服に身を包んで澄まし顔で立っている。あちこちに置かれたツリーが様々な光を放つ。道を行きかう人々の顔も喜びに溢れている。
「ごめんなさい!」
レイの身体にぶつかってきた小さな男の子がにこりと笑うと、前方を歩く母親の元へ駆けていった。レイは立ち止まり、ちょっと寂しげな表情でその親子を眺める。
「どうかしたのか? レイ」
黒いTシャツの上に焦げ茶のライダーズ・ジャケットを羽織り、大きな手提げ袋を提げたデビィが振り返ってレイを見た。レイは鮮やかな赤いオフタートルのセーターの上にグレーのハーフ丈のダウンコート。グレーのジーンズ。コートは先日買ったばかりだ。
「ああ、いや。何でもないよ」
レイは大きな紙袋を抱えなおすと再び歩き出した。
母さんとクリスマスを祝ったのはもうずいぶんと昔のことだ。いつも二人だけのひっそりとしたクリスマス。母さんは笑っていても何だか悲しそうで、それが何故なのかが分かったのは俺がヴァンパイアとして覚醒した後だ。それ以来ずっとクリスマスとは縁が無かった。デビィと暮らすまでは。
「忘れ物はねえよな? 今年のパーティ、キャシーもフィルも来るんだから美味いもん作ってくれよ、レイ」
デビィは料理をすることは滅多に無い。食事や洗濯など、家事のいっさいは昼間家にいるレイが引き受けている。何だか自分はデビィの家政婦みたいだなと時々レイは思う。だが、常に緊張感を強いられる生活をしているレイにとって、それはひとつのストレス解消でもあった。きっと一人だったらこうはいかないだろう。
「まかせとけって。ドッグ・フードだってしっかり買ってあるよ」
「犬なんかいねえぞ」
「フィルが酔っ払って変身して元に戻らなくなった時の為だよ」
「……お前な」
――こいつ、ボケで言ってるんだか、マジなんだか時々分かんねえな。第一、犬みたいだけどありゃ一応狼だぞ。
と、レイのしれっとした顔を見ながらデビィは思う。
「あ、そうだ。ミーナの店に行かなくちゃ」
「また情報収集か。ここからは遠いぞ」
「それもあるけど本が見たいんだ。あそこももう休みに入るしね。ちょっと行って来る。先に帰っててくれよ、デビィ」
レイはそう言うなり、紙袋をデビィの胸に押し付けた。
「おい、ちょっと待て! これ全部俺が持ってくのかよ!」
「当然だろ。お前は食うだけなんだから」
なおもブツブツと文句を言っているデビィにレイは取って置きの笑顔を見せて軽く手を振った。
「それじゃ。なるべく早く帰るから」
「おい! レイ!」
――行っちまったか。まあ仕方ねえな。レイには世話になりっぱなしだし、奴の唯一の娯楽は読書だしな。途中でハンターと出くわしたりしないといいが。
デビィはふうっと溜息をつくと艶やかな金髪をなびかせた友人の後姿が人ごみに飲まれていくのを見送った。
ミーナ・Sと知り合った時のことをレイは考えていた。
半年前、街外れの小さな書店『ミーナ・Sの悪夢』の店主である彼女は、初めて店を訪れ、レジに本を持っていったレイにいきなり「ようこそ、レイ・ブラッドウッドさん」と囁いたのだ。レイは思わず顔を強張らせ、低い声で囁いた。
「何で俺の名を知ってるんだ? ハンターか?」
ミーナはしかしながらまったく動じることも無く、にこにこしながら答えたものだ。
「いいえ。私はハンターは大嫌いよ。でも、あなたのことは前から知ってるわ。あなたのちょっと変わった相棒さんのこともね」
レイはじっとミーナの顔を見つめた。こいつには悪意が感じられないが……。
「お前、俺の相棒のことをどこまで知ってるんだ?」
ミーナはちらりと入り口の方を見た。他に客はいない。
「名前はデビィ。白人。黒髪に茶色の目。あなたがハンターを殺ったとき、時々ハンターの腕が切り取られてるから、恐らくは人肉を食う。正体は狼男かな?」
「それは誘導尋問なのか?」
「私だって無理に聞こうとは思わないわ。ただ、それだけのことが既にハンター側にも知られてることは承知しておいて。それから、あなたに是非聞いてもらいたいことがあるんだけど、いいかしら」
「ああ。いいだろう。ただし、罠だったら……」
「そんな卑怯なことはしないわ。だって私はあなたのファンだもの」
その後、ミーナは店を閉めてレイを店の奥の自宅に案内した。部屋の壁は様々なホラー映画のポスターで埋め尽くされ、アルミ製の金属のラックには無数のホラーDVDと共にジェイソンやフレディや大アマゾンの半魚人のフィギュアがぎっしりと並べられている。クレオパトラみたいなボブカットの髪をオレンジ色に染め、黒い半袖カットソーを着たスレンダーなミーナは黒皮のソファにレイを座らせてコーヒーを持ってくると黄色いレンズの入ったサングラスを外し、自分もソファに腰を下ろした。
「私はミーナ・S。日系人。年齢25歳。独身。何ていうのかな、いわゆるオタクなの。モンスターが大好き。映画ももちろんだけど現実のモンスターたちはもっと素敵。今現在、迫害されているモンスターが私は気の毒でならないの」
レイはミーナの顔をじっと見つめたまま、コーヒーに手を出そうとはしなかった。
「ミーナ、君みたいな人間がいるということは知っているよ。でも、俺はまだ君を信用することは出来ない。手酷く裏切られたことがあってね。それよりどうして俺達のことを知っているんだ?」
ミーナもまた顎の細い顔を横に傾げ、濃いグレーの知的な瞳を子供みたいに輝かせながらレイをまっすぐに見つめ返した。
「あなたは写真以上に綺麗ね。嬉しいな。本当に会いたかったのよ」
「写真って、君はハンター向けのサイトを見たことがあるのか? あれはパスワードがないと見られない筈だ」
「こうみえても私はハッカーなのよ。だから、あなたが思っている以上にあなたのことは知ってるの。一般人は決して殺さないけれど、自分を襲ってくるハンターからは絶対に逃げることなく立ち向かい必ず殺す『ハンター・キラー』。仲間の間でもあなたは人気が高いのよ」
「仲間がいるのか」
「ええ、アメリカ全土に仲間はいるわ。私達はハンターの情報を得てモンスターにそれを流しているの。むざむざ殺されることがないようにね」
「それは危険じゃないのか。ハンター組織に知られたらタダじゃ済まないだろう」
「大丈夫。奴らにバレる様なヘマはしないから」
そして、ミーナはレイにハンターサイトを見せた。そこにはレイの顔写真とレイに殺られたハンター達の名前が書き込まれていた。
「見て。あなたが殺したハンターの名前がびっしり書かれているわ。現場に残された指紋、髪の毛、その他もろもろ。あなたが相手の血を吸っていれば唾液も残る。今、DNAで個人の特定は出来るしね。ハンター組織専属のCSIもある。警察とハンター組織は互いに独立してるけれど、一般人が殺された時は犯人がヴァンパイアかどうか分かるまで警察が動くの。でも、ハンターの死は警察ではなくハンター組織自体が捜査するのよ」
「知っているよ。そういうことに精通してる友人がいるからね」
「そう。さすがね。でも、この街にどのくらいのハンターがいるのかは知ってる?」
「……いや」
「私が教えてあげる。あなたさえ嫌でなければね」
「君はどうして俺達に協力するんだ? 目的は何なんだ?」
「私が望むのは人間とモンスターとの共存。そのために少しずつでも役に立てればと思ったの。例えば普通のヴァンパイアは普段は滅多に人を殺すことは無い。加減して血を吸うことが出来るし、彼らの注入する液体には麻薬作用のほかに強力な殺菌作用もあるから人がそれによって病気になることも無い。なのに一方的に殺されてしまうのは理不尽すぎるわ」
ミーナは今、どのくらいの数のハンターが街にいるのか、そして何処を縄張りにしているかをレイに教えた。それからレイが店に行くたびに、ハンターの新しい武器などの情報を流してくれるようになった。その為、この街に来てから、まったくハンターに出くわさなくなったのだ。レイ自身も自分からわざわざハンターに襲われに行くようなことはしたくなかったし、デビィも食人衝動をコントロール出来るようになってきていたので不自由は無い。ハンターを殺すたびに街を移動するレイ達の生活にも変化が生じていた。だが、全面的に彼女を信じていいのかどうかはまだレイにもデビィにも判断が付かなかった。
レイは街外れの教会の前を通りかかった。中から微かに聞えてくる歌声に思わず足を止める。シルバークロス教会は白い壁の何の変哲も無い教会だが、屋根の先端に輝いている銀の十字架がひときわ目立つ。レイは少し躊躇っていたが、やがて古い木のドアを押して教会に足を踏み入れた。響き渡るオルガンの音に併せて澄んだ歌声が響いている。椅子には数人の信者の姿が見えた。正面には大きな銀の十字架。その横で少女は歌っていた。淡い茶色の巻き毛に茶色の瞳の少女の服装は薄汚れたモスグリーンのセーターに茶のスカート。だがその声はまるで天使のようだ。
『アヴェ・マリア』。少女の小さな身体から、響き渡る歌声は低く、高く、清らかだ。
レイは一番後ろの席に腰を下ろすと歌声に身を委ねた。そうしていると自分が何者であるかも忘れてしまう。そういえば、教会なんて子供の時以来だ。少女は次々と賛美歌を歌い続ける。やがて、歌が終わると少女は傍らで見守っていた牧師に軽く会釈し、真ん中の通路を通ってレイの傍までやってきた。
「こんにちは」
少女は小さな声で呟くと、そのまま外へ出て行った。この寒いのにコートも着ないのだろうか。少女はとても可愛い顔をしていたが、その顔には拭いきれない翳が見えた。羽をもがれた天使。そんな言葉がレイの脳裏を過ぎった。それに彼女の身体の匂い。恐らく……。
信者が全て席を立った後も、レイは座ったまま銀の十字架を見つめていた。
「今日は冷えますね。こちらには初めてですか?」
ふと気が付くと黒いジャケットを来た初老の牧師が穏やかな笑みを浮かべながらレイの横に立っていた。
「ええ。歌声に誘われて、つい……。素晴らしい声ですね、彼女」
「そうでしょう? 彼女は……シェリーは、最近この街にやってきたらしいです。私は何度も聖歌隊に入るように勧めたんですが、父親に怒られると言って承知しないのですよ」
「そうですか。それは残念ですね」
レイはまた十字架に視線を移す。
昔は神を信じていた。ヴァンパイアは邪悪な悪魔。この世に存在してはならないと、子供の頃、母と行ったカトリック教会の神父は言った。だから、俺はずっとハンターに憧れていたんだ。自分が人間ではないなんて疑ったことは一度も無かったから。
「シェリーは、私の死んだ娘によく似てるんです。私の妻と娘は航空機の墜落事故で亡くなったんです。二十年前、ちょうど今日のように寒い日でした」
「それは……お気の毒に」
「ええ。神に召されたのだから悲しむべきではないのかもしれない。でも、私はどうしても悲しみを拭い去ることが出来ないんですよ。そのせいか彼女のことがとても気になるんです。あまり自分のことは話したがらないのですが、彼女の本当の父親は既に死んでいて、十歳の時に母親が今の父親に彼女を売ったのだと言っていました。ひょっとしたら彼女は虐待を受けているのかもしれないんです」
「虐待?」
「……ああ、私としたことが初対面の方にこんなことを。どうか聞き流してください」
「構いませんよ。虐待って性的な?」
「……まあ、あくまでも推測に過ぎないんですが。時々、顔に酷い痣があることがあるんですよ。どうしたのか聞いても答えてはくれないんです。私は警察に頼んで調べてもらおうかと思っているんですよ」
レイは牧師の方へ向き直ると、真剣な顔で問いかけた。
「牧師さん。あなたはモンスターの存在をどう考えていますか?」
「私は、私自身はモンスターもまた神の作りたもうた存在だと考えています。だから、むやみに殺すことには反対です」
「邪悪だとは思わないのですか」
「邪悪なものは心の中に棲むのです。存在そのものではありません。でも、どうしてあなたはそんなことを……」
「シェリーは恐らく人間じゃありません。かといってヴァンパイアでもない。ダンピールです」
牧師はちょっと大きく目を見開いた。
「ダンピール。あのヴァンパイアと人間のハーフですね」
「そうです。両方の性質を持ち合わせているダンピールは人間からもヴァンパイアからも疎まれる。再生能力が高い場合が多く、吸血衝動が起きる確率は半々です。彼女が自分自身、それに気付いているかどうかは分かりませんが。牧師さん、彼女の年はいくつですか」
「フランクと呼んで下さい。確か十三歳だと言っていました」
「それならもう吸血衝動の心配はほとんどありませんね。ただし、可能性はゼロではない」
「……そうですか。もし彼女に吸血衝動が起きたら、彼女は父親に今以上に酷い目に遭わされるかもしれないですね……。ええと、ミスター……」
レイはすっと目を細めて微笑み、椅子から立ち上がった。
「ああ、失礼しました。レイです。よろしく」
「では、レイ。あなたはどうして彼女のことを」
「鼻が利くんです。犬並みにね。それ以上はご想像にお任せします。それじゃあ、そろそろ失礼します」
「レイ。あなたも何か悩んでいることがあるんじゃないんですか?」
「ええ。まあ、俺の悩みは話してもどうにもならないことですから」
「大丈夫。神はいつもあなたを見守ってくれていますよ」
「フランク。ひとつだけお聞きします。モンスターは死んだら何処へ行くのでしょうか」
「それは人間と同じだと思います。天国、もしくは地獄」
「ありがとう、フランク。少なくとも俺は地獄には行けそうだ」
レイは軽い笑みを浮かべてそう言うと教会の外へ出て行った。
フランクはようやく気が付いた。
――彼はモンスターなのか。神よ、彼らにもあなたのご加護をお与え下さい。
閉ざされた扉に向かってフランクは呟いた。
「……良いクリスマスを」