七 章
あの娘が何処に居るのか、私にはわかっている。いえ、何処に居てもわかるのは当たり前の事。何故なら私とあの娘は、同じ魂を分けた存在なのだから……。
あの娘の存在を知った時、私は狂喜した。そして──それと共に落胆もした。
あの娘が私の後継者であるのは間違い無い。
しかし、あの娘は私の存在を感知していないのだ。
さらに大陸の西から、まだ若い吸血鬼がやって来て、あの娘を餌食にしようと考えていると知り、私は嫌々ながらも行動に移らざる得なくなってしまった。
あの娘は私のものだ。いや、あの娘は私と言う存在そのものなのだ。舶来産の吸血鬼、出来損ないの鬼などに渡せはしない。
あの女のおかげで私は娘を手に入れる事が難しくなってしまった。下賎な人間どもがあの娘を護ろうとして、私が入る事の出来ぬ、結界を張っている建物に逃げ込んでしまったからである。
千年以上も存在し続けた私を、こうも完全に弾き出す結界を創り出す者が現世に存在しているとは……。
私はそのビルの四方を固めている結界を確認すると、改めてこの結界が並々ならぬ術者によって施された事を知る。それはまるで、私達のような存在を目標と定めている、古の護法の結界であるような気がする。
かつて都で対峙していた陰陽師たち、〈鬼狩師〉と呼ばれた者たちの力を思い浮かべる。彼らの一門は姓を変え、都から離れて行ったが、この最果ての北の地で、彼らの末裔の業を見る事になるとは思わなかった。
──いや、よく見るとその業は更に磨かれているのか?
どちらにしても、これほど強い結界を維持するのは大変な力を必要とするだろう。しかしそれ故に、どうしても弱点を内包しているのは間違いないであろう。力の強い私のような存在には、この結界の能力は最大の力を発揮する。だが、力の小さな者には、それ故に穴だらけの結界として機能してしまう。
私は眷属を持たずにやってきた事を、今、初めて後悔している。しかし、今となっては自分の〈従者〉を、創り上げる時間の余裕は無かった。前の戦争が終わった時、今までの眷属を自由にした後、私は一切の眷属を身の回りに置く事が嫌になっていたから、これも致し方無い事のなのだろう。
仄かに青白い光を放つ月を見て、私はあの娘の無事を祈るだけしか出来なかった。
今回はあの時のように、私があの娘を救う事は出来ないだろう。一時的に娘の意識下に入り込み、その眠っている力を解放するには、あの結界が邪魔になるだろうから。
月の光を受けて、真っ黒な翼をはためかせている異形の生き物が、結界の網をすり抜けてその建物に取りつくのを私は見ていた。 ああ、やはりあの女は気づいていたのだ。
西洋から渡って来た〈鬼人〉のほとんどが、あの忌まわしく醜い吸血鬼と呼ばれる存在であった。普段は人の姿を留めているとは言え、その本性はあのように醜い化け物の姿なのだ。闇の世界でしか生きらない死人どもめ!
しかし、今の私には……。
このまま黙って見ている事しか私には出来ない。あの娘が真実の〝自分〟を手に入れなければ、あの燃えるような金髪の女吸血鬼に、魂のすべてを奪われてしまうに違いないだろう。それは私の悲願が達成されない事を意味している。だが、今の私にはそれを止める術は無い。あの人間どもが、無事あの娘を護りきる事を願うだけである。
それに──もしそんな事になったなら、あの娘は所詮それまでの存在だったと言う事なのだ。それならば、私の後継者とはなり得ないだろう。
私はどちらを願っているのだろうか?
──あの娘が真の〈鬼の姫巫女〉である事を願うのか? それとも……。
──まだ私に残されている時間がある事を信じていたいのか?
疲れ果てている私だが、このまま消えてしまうのは嫌なのだろうか?
でも──もうどちらでも良いと思っている。
その生き物は蝙蝠に似た翼で風を切りながら、青白い月光をそのおおきな身体に浴びて、夜の空を音も無く滑空してきた。
蝙蝠の羽を広げたその生き物は、耳まで裂けたおおきな口を開いた。その口中は真っ赤で、紫色の長い舌を突き出している。びっしりと生えた長く鋭い牙が、ナイフの刃のように月光を反射させる。
そのままその窓に突っ込む姿勢で、その生き物は降下した。獲物はすぐ目の前にいる。
「今夜そうそうにやって来るなんてな」
スコープに映し出されたその姿を見て、木戸は忌々しげに呟いた。ビールを飲んでいたが、少しも酔ってはいなかった。
スコープは暗視型のものでは無い。それでも木戸には、その生き物が陽光の下で見られるように、はっきりと視認で来ていた。もっとも、ヴァンパイアが陽光の下に現われる事はほとんど無い事であるが……。
木戸はどんな暗闇でも、どれだけ離れているものでも、どのようなものが視線を遮っていてさえも、目標をはっきりと見通せる能力を持っていた。
一般には透視とか千里眼と呼ばれている能力である。
警察時代にはこの能力を使って、何件もの事件の捜査を有利に運んだものだった。
今ではこんな事くらいにしか、使う事は無い。
ズシリと重いライフルの銃口をその生き物に向け続け、木戸は苦い笑いを唇に浮かべた。
あの時にこの能力は働いてくれなかった。愛する妻と娘を失ったあの時には……。
それが自分の能力の所為では無い事は理解している。注意を向けていないものを、どうやって見る事が出来ると言うのだろう。普段から家族を気にしていれば、その時も様子を窺っていただろうに……。
いや──この力は予知能力ではない。それにその場を見る事が出来ていても、どうやってあの二人を救う事が出来たと言うのだ?
頭に浮かんだその思いを振り払い、再度その闇の生き物にスコープの十字を合わせる。黒っぽい剛毛で覆われた背骨の真ん中に、身体の中心線を外さないように。
ライフルは重かったが、手に馴染んだそれは自在に操る事が出来た。それに、そう長い間それを構えていなければならない訳ではない。
338ラプア・マグナムと言う太くて、長大な実包を使用するそのライフルは、見た目は何の変哲も無い狩猟用の、スラリとしたスポーティー・ライフルだった。しかし、26インチの長くて太いステンレス製の銃身は、クリエガー社特注の、狙撃銃専用の精巧な物であった。銃床は黒いグラスファイバー製の耐久性に優れた、木戸の身体に合わせて製作した物である。機関部はサコー社製のロング・アクションを使用していた。完全にカスタマイズされた狙撃ライフルだ。
弾倉の中には高精度に調整された、250グレイン・ホロー・ポイント弾頭つきの、338ラプア・マグナムが四発装着されて、すでに薬室にも一発が送り込まれている。猛獣狩りにも使う事の出来る強力なライフル弾だった。
後は引き金を引くだけで、それで空飛ぶ吸血鬼を滅ぼす事が出来るのだ。
木戸は風に乗って滑空しつつ近づいてくるそのヴァンパイアが、二百メートルほどに近づいた時、ゆっくりと引き金を絞った。目標が動いていて、屋上からのやや撃ち下ろしに近い角度なので、流れ弾に気をつける。外れた場合、もしくは銃弾が貫通してしまった場合の事を考え、銃口の先に地面がくるタイミングを計り、銃身がそのヴァンパイアを追い越した時、木戸は完全に引き金を絞り落とした。
激しい銃声が響き渡り、肩を銃床で蹴られて木戸の上半身がしなった。重い銃身とその先端に設けられたマズル・ブレーキ──等間隔に穿けられた直径2ミリほどの孔である。そこから発射ガスを噴出し、激しい反動を抑える装置だった──の為にそれほどおおきくは跳ね上がらないとは言え、338マグナムの反動は非常に強い。
それでも木戸はスコープのレンズの端に、目標のヴァンパイアを捕らえ続けた。
木戸の放った銃弾は、確実にヴァンパイアを撃ち抜いたと思えた。その異形のヴァンパイアは、甲高い悲鳴を上げて、急に失速したからだ。黒っぽい液体がその身体から滴っているのもはっきりと見える。
だが、狙った場所からわずかに外れてしまっていた。放たれた338ラプア・マグアムのホロー・ポイント弾は、ヴァンパイアの心臓も脊椎も破壊できなかったのだ。
怒りと痛みの声を張り上げながら、ヴァンパイアは目標としていた窓ガラスに突っ込んでいった。
おおきく舌打ちした木戸は重いライフルを肩に掛け、急いで屋上から階下に続く階段を駆け下りた。
水城は自分のリビングで、温めたミルクの入ったマグカップ片手に、一人掛けのソファの上でまどろんでいた。ガラステーブルの上に開いた、ノート・パソコンの液晶画面には、『本家』から送られてきた、桐生憂姫に関する報告書であった。
もう何度も読み返したその報告書には、桐生憂姫の生い立ちとその血脈に宿る、忌まわしくも貴重な能力について詳細に記されていた。
電子メールによって送られたその報告書には、他に水城に対しての指令書も添付されていた。
──桐生憂姫と言う少女とその家族を見つけ出す。
──桐生憂姫を無事保護する。
──桐生憂姫を手に入れようと行動する、すべての悪鬼からその少女を守り通し、さらにその悪鬼を駆逐する。
──もし、悪鬼のいずれかが桐生憂姫を手に入れた場合は──。
重い溜め息を吐き、水城は冷めかけてぬるくなったミルクを飲み干した。
辛い運命を持って生まれた哀しい少女を、これ以上どうすると言うのだ?
『本家』の命令は絶対であるが、水城はその指令書のすべてを執行する気にはなれなかった。せめて最後の命令だけは……。
もしこの指令書を木戸が見たのなら、怒り狂ってこの事務所を出て行ってしまうだろう。祐騎や絵伶奈も冷たい視線と失望の瞳で、蔑んだように水城を見るであろう。そして水城は仲間を失うのだ。漸く手に入れた仲間たちを……。
舌打ちして水城はパソコンの画面を消した。電源は落とさずに、液晶ディスプレイのみを真っ暗にしたのだ。そして苛々したように、テーブルの上の煙草を乱暴に取り上げてジッポーで火を点けた。
『本家』からの無理な指令書は、今までにも何度も届いていたが、今回のように非情な指令は珍しいものだった。いや、それまでの指令に失敗さえしなければ、最後の命令を行使する事も無いのだ。そう考えれば気にならない──はずであった。
自信が無かったのだ。桐生憂姫を護りきる自信が……。
〈エルネージェ女伯爵〉と言う〈貴族〉についてはそう脅威は感じてはいない。エカテリーナが寄こした情報から、その〈闇の種族〉への対応策は練られている。たかだか三百年程度を生きてきた〈貴族〉である。それに、血族を増やして闇の勢力を従えているような〈貴族〉でも無いらしく、眷属の数もほんの僅かだと言うことだった。
水城のチームにとって、ヴァンパイアの超能力はそう恐ろしいものでは無い。それよりも肉体、身体的な能力の方が遥かに脅威に思える。ヴァンパイアの能力と言うのは、血統や生きてきた──生まれ変わってからの──年数、それと〈仔〉にされた状況によって変化する。しかし、その差がおおきくなるのは、催眠能力や精神的に作用するその他の能力であり、特殊な能力に限るのだ。
ヴァンパイアの真の恐怖は、その肉体的な能力にあると水城は考えている。肉体的、身体的な能力は、ヴァンパイアの『地位』にあまり関係無い。〈貴族〉と〈従者〉による差はそうおおきなものではないのだ。
とは言え、ヴァンパイアの不死性は年月を経る事によって強力になってゆく。しかしそれでも、脳髄や脊椎、心臓などを破壊されれば、致命的な打撃を受けるのは〈貴族〉と言え変わる事は無い。
水城がヴァンパイアに脅威を感じないのは、それらを踏まえての事であった。チームのメンバーの能力が機能していれば、恐れるものではない。
実際には、ヴァンパイアとの白兵戦だけに注意してさえいれば、そんな状態に陥りさえしなければ、自分達にとっては、〈デーモン〉の中でも比較的相手にし易い獲物なのだ。
そう、〈闇の種族〉の腕が届く距離に、けっして近づく事をしなければ……。
もし彼らの腕が触れるなら、次の瞬間、人間の身体は襤褸切れのようにあっさりと引き裂かれてしまうだろう。普通の人間の姿をしていても彼らは吸血鬼──そう、人間の血を吸うと言う〈鬼〉なのだから……。
ヴァンパイアの膂力は凄まじいの一言に尽きる。彼らは人間の形をしてはいる 。もともとは人間であった存在である。しかし、その肉体はすでに人間のものでは無く、まったく違うものへと変容しているのだ。力だけを見れば、身長2メートルを超える大型の〈鬼人〉である〈人喰鬼〉に匹敵するだろう。
それだけではない。その動きは素早く、人間の目では補足するのが精一杯で、普通の人間の反射神経では対応する事は難しいであろう。
それを相手にハンターを続けられるのは、ひとえに水城たちのチームが〈能力者〉の集まりだからなのだ。
だが──今回は別の相手が存在している。吸血鬼よりも恐ろしい、強大な〈デーモン〉が桐生憂姫を狙っているのだ。『本家』の指令書でそれは明らかになった。
水城は指を熱くしている、フィルターまで短くなった煙草を乱暴に揉み消した。
くそ、相手が悪すぎる! 祐騎には──まだ荷が重い相手だ。俺が──結局は俺がそいつの相手をするしかないのか……?
いきなりの警報が、頭の中で騒がしく鳴り響いた。水城の張り巡らせた結界に、何者かが反応したのだ。見せかけの防御壁は通り抜けられたようだが、〈監視霊〉はごまかされ無かったようだ。と言うことは、それはたいした能力を持つ〈デーモン〉ではない。
水城が立ち上がると、乾いたような銃声が頭上から響いてきた。監視していた木戸のものだろう。水城は壁にかけている黒っぽい上着を羽織り、同じく壁に持たせ掛けていた、黒い布袋に入った一メートルほどの棒状のものを手に取ると、扉に向かって走り出した。
ぼくの目の前には、割れた窓ガラスの欠片を頭から被った、水色の下着姿の憂姫が蹲っていた。そしてその向こうに、全身が黒っぽい剛毛に覆われている蝙蝠男──そうとしか見えなかった──が、胸から腹にかけて血を流して立っていた。
ぼくは右手に握っていた45オートを両手で構え、その蝙蝠男の胸の真ん中に向けて引き金を二度引いた。室内の為か、その銃声はまるで近くで落ちた雷のような轟音を響かせる。鼓膜にかなりのダメージを感じる。
ぼくの放った45ACPの強装弾は、確実にその広い胸の真ん中に着弾した。そしてそのエネルギーのすべてをその内部にぶちまけているだろう。蝙蝠男は裂けた大きな口から絶叫を上げ、よろめきながら後退した。
もっとも、その二発で確実に死んでくれるとは限らない。ぼくらが相手をしているのは、そう言った存在なのだ。
ぼくは冷静に、その尖った耳を持つ頭に照準を合わせた。真っ赤な目が憎悪の炎を燃やしているのがぼんやりと見えていた。それでも気にせず、その目の間にぼくは銃弾を撃ち込んだ。次の瞬間、血と脳漿が後方の壁と壊れた窓に飛び散った。
ぼくの後ろからルクレツィアが進み出し、頭を抱えて蹲っている憂姫を優しく抱き起こした。さっきまで敵対視していた娘に対しても、なんの躊躇いも無かった。それでこそ、ルクレツィアだとぼくは思った。
ぼくは暫くの間微動だにせず、その蝙蝠男の半分も無くなった頭部の残骸から、銃口を外さなかった。油断するような心理状態に戻っていないのだ。
「おい、大丈夫か?」
ぼくの後ろで水城の声が響いた。右手にシグ・ザウエルP229の40S&W口径を握り、左手には、袋に入った長い棒状ものを握っていた。
「大丈夫。気を失っているけど傷はまったく無いわ」
ルクレツィアはそう答え、憂姫の顔を覗き込んでいる。水城はそれを聞いてホッとした様子で、部屋の中に入ってきた。
「よし、取りあえずここから運び出そう。祐騎、手伝ってくれよ。もうそいつは死んでいるだろう?」
ぼくはそう言われて、まだ銃口を向けていた、蝙蝠男の姿を良く見た。蝙蝠男はゆっくりと変身を解き、まだ若いだろう茶髪の男に変化していた。もっとも、その髪は血と脳漿によって赤く汚れていたが。
ぼくと水城はゆっくりと憂姫を抱え上げ──水城は脚を、ぼくは頭の方に回った──事務所のリビングに戻った。長いソファにその体をそっと横たえる。
その頃になって、木戸が顔中汗まみれにして飛び込んできた。
「大丈夫か? 誰も、何とも無いのか?」
息を荒げ、激しく肩を上下させながら木戸は尋ねた。長いライフルがその肩にかかっている。狙撃用の大口径マグナムだ。
「まぁ、取りあえずみんな無事だよ」
憂姫の気絶している顔を見つめ、木戸の方に目を向けずに水城は答えた。憂姫の事を心底心配しているようだ。水城にしては珍しいと思う。
「そうか──この娘は大丈夫なのか?」
「気を失っているだけよ」
素っ気無くルクレツィアは木戸に答えた。
ぼくも憂姫の眠るソファの横にある、一人掛けの椅子に腰を下ろした。木戸はハンカチで額の汗を拭きながら、まだ心配そうな表情で憂姫を見下ろしていた。
「それであの蝙蝠野郎はいったいなんだったんだ?」
ぼくはルクレツィアから、ミネラル・ウォーターの入ったグラスを受け取った水城に、そう訊いた。ルクレツィアはぼくに薄いブラック・コーヒーのカップを渡してくれた。
「ああ、あれは〈エルネージェ女伯爵〉の手下だろう。変身能力を持ったしたっぱのヴァンパイアさ。憂姫がここに居る事を確認する為に、偵察要員として寄こして来たんだろう」
「確認の為? それだけなのかい?」
「本気で憂姫を攫って行こうとするなら、本人がやって来るはずだ。こんな従者程度のしたっぱなんぞ送って来ないでな」
「そう言うものかな?」
「そうだ。俺たちの力を確認する為に、あいつは寄こされたのさ。まぁ捨石にされたんだろうな」
水城はどうでも良さ気にそう言った。
ぼくは憂姫と、その血の気を失った白い顔を心配そうに覗きこんでいる木戸を見た。木戸がそのような表情をしているのは、失ってしまった娘の事を思い出しているからだろう。もっとも、木戸の娘はもっと幼い頃に死んでいるのだが……。
結局、陽光がブラインドの隙間から侵入するまで、ぼくはソファの上で眠っていたようだ。毛布がぼくの体を覆っていた。
まだ寝ぼけているぼくの目には、ルクレツィアと憂姫の姿は見えなかった。目蓋を擦りながら立ち上がると、窮屈な姿勢で寝てしまったので背中が痛い。時計に目を向けると、午前十一時をすこし回っていた。
ぼくはソファから立ち上がり、もう寝る事を諦めてコーヒーを淹れた。インスタントしか見つからなかったので、おおきなマグカップの中で思い切り濃くして、冷蔵庫から出した牛乳をそれに注ぎ込んだ。冷たい牛乳を混ぜた為、そのカフェオレはぬるくなっていた。しかし一気にそれを飲むにはちょうど良かった。ぼくはごくごくと喉を鳴らしてそれを飲み干した。
テレビのスイッチを入れると、その事件のニュースが報道されていた。特集らしく、過去の内容を再編集したそのニュースは、ぼくたちが現在進行形で関わっている連続少女殺人事件であった。
『狂気のヴァンパイアの暴走か? 闇の連続殺人鬼』
そんな陳腐なテロップが、画面の右上に浮かんでいる。マスコミは完全に対象を絞ったようであった。一昨日には警察が捜査上の情報を公表、その情報を元に特集を組んだのだろうから当たり前の話である。
一連の被害者の顔写真が次々と映し出され、ぼくは昨日のイメージ──その笑顔の写真の娘たちが襲われている時の──を思い出し、胸の中にしこりが生まれていくのを感じた。これ以上、被害者の生前の情報──それは本当に普通の生活を送っている娘たちで、こんな事件に巻き込まれる事など想像も出来ない──を得るのは嫌だったが、ぼくの中の怒りを喚起させる為には、この番組を最後まで見るべきだと観念した。
ぼくはこの少女たちを襲い、命を吸い取った者に対しての怒りを溜め込んでいった。その怒りがあればこそ、ぼくは、奴らと戦う意思を保ち続けられるのだから……。
暫くしてふと思いついた。今の番組では、今回の事件での被害者がすべて紹介──こう言うのはおかしいが──されたはずだ。しかし……。
憂姫とその家族には一切触れていなかった!
何故だろう? 警察発表には、憂姫についてまでは言及されていなかったのか? いや、家族がすべて虐殺されているのに、その事件だけ外される訳はない。
犯行を犯しているとされる、〈エルネージェ女伯爵〉と言う〈貴族〉の存在まで公表されているのだから……。
何と無く釈然としない。
そう言えば憂姫をガードすると言う依頼を、水城は誰から受けたのだっただろう?
「よう、やっと起きたみたいだな」
木戸が事務所に入って来て、妙に明るく声を掛けてきた。ぼくはルクレツィアと憂姫の姿が見えないので、木戸に行方を尋ねた。
「絵伶奈は一度学校に出掛けてからまだ帰っていない。水城とあの娘は警察さ」
「警察? 今さら何の用でそんな所に言ったのさ?」
「さぁな。道警の陣内から呼び出しがあったらしい」
「陣内──ああ、あの特別捜査班の刑事か。また何か言い掛かりでもつけるのかな?」
陣内と言う男は、道警の悪魔事件特別捜査官でうるさい奴だった。ぼくは一度しか会っていなかったが、ごつい四角い顔に似合わないメタルフレームの眼鏡をかけた、縄張り意識の物凄く強い刑事だった。ぼくたちハンターを蔑むような態度を、一切隠そうとはしないプライドの高い男だった。
ただ、彼の心の中には邪な思いはまったく無く、その言動は行き過ぎた正義感と義務感、そしてハンターと言う存在に対する不信感から現われるものなのだろう。
確かに〈ハンター〉と呼ばれる者の中には、モラルの低い最低な輩も存在する。あの亜門とか言う奴みたいな。しかし、そんな奴らと一緒にして欲しくは無かった。
「まぁ、今回は事情聴取だけだろうな。それに亜門の野郎が雲隠れしているから、ついでにそれについての情報が手に入るだろうさ」
その時、事務所の扉が勢いよく開いた。ルクレツィアか?
ぼくはその開け放たれた扉の向こうに、黒いワンピース姿のルクレツィアを認めた。そしてその背後に立つ、サングラスで瞳を隠した、真っ黒なコートに身を包んだ背の高い男の姿も……。




