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五 章

 ルクレツィアはソファに深く腰を掛け、その身体をリラックスさせた。テーブルの上には、ビニール袋に入っている、様々な品物──ガラスの割れた腕時計、血と泥に汚れた黒いティーシャツ、傷だらけになってひびの入った携帯電話など──が置かれていた。水城が警察の鑑識から預かった、犠牲者たちの持ち物だった。



 大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせたルクレツィアに、ぼくはビニール袋から取り出した、壊れた携帯電話を手渡した。液晶ディスプレイがひび割れたその携帯は、一番初めの被害者である女子高生の持ち物だそうだ。


 ルクレツィアは目を閉じて、薄く開いた桜色の唇から静かに息を漏らす。



 ぼくは彼女の右手を握り、その脳の中に映し出されるビジョンを共に体験する用意をした。目を閉じて大きく息を吸った。思わず唾を飲み込んでしまう。


 最初は真っ暗だったイメージに、様々な原色のイメージが混ざり合い、目眩を引き起こすようなビジョンがぼくの頭蓋を満たした。吐き気を感じて小さな呻き声が漏れてしまう。すでにぼくには、ルクレツィアの様子を気にかける余裕は無かった。


 やがて色の奔流は収まり、イメージ的な映像が流れ始めた。もっとも、時系列に従ったビジョンではなく、その時その時を切り取ったかのような映像であった。

 殺された少女の記憶が、ぼんやりとしたイメージとしてぼくの脳に知覚される。それはルクレツィアを通しての映像だったが、その為に鮮明とは言えない映像になっている訳では無く、記憶そのものがぼやけているのに過ぎない。しかし、最後に映し出されたそれは、鮮明な映像でぼくたちに知覚された。



 それは美しい女の姿だった。はっとするような鮮やかな美女と言えた。

 豊な燃えるような赤みがかったブロンドの髪を腰の辺りまで延ばし、胸元の大きく開いた青いドレス姿の、背の高い肉感的な美女であった。


 青白い月光に照らされたその(かお)は大理石のように滑らかで、形の良いやや厚めの、肉感的な赤い唇に微笑を浮かべてはいるが、その紅い輝きを放つ瞳には、底知れない餓えと渇きが浮かんでいた。


 女はゆっくりと近づいて来ていた。ぼくの目の前に……。



 いつの間にか伸びている、鋭い細身のナイフのようなその爪と、大きく開けられた口から伸びる、白い鎌の刃に似たその二対の牙……。




 それは被害者の娘が最後に見た映像だった。




 ぼくはすべての光景が暗転した瞬間、ルクレツィアの心に叫んだ。


 早くこちらの世界に戻って来いと。



 サイコメトリー能力のほかに、若干ではあるが〝共感(シンパシー)〟能力を持つルクレツィアは、被害者の最後の意識に取り込まれる恐れが常にあった。しかしそれ故に、今ぼくが見た映像以外にも、その少女の意識や記憶を共有する事が出来た。


 ルクレツィアはぼくの音なき叫びによって、すぐに自分の意識を取り戻した。大きく息を吐き、ぐったりとソファに持たれかかった。


 顔色は蒼ざめていたが、一息ついたルクレツィアは、


「これは思ったより疲れる仕事になりそうだわ」


と、思ったよりはっきりした口調で言った。



「そんなに酷いものは見えなかったけど──」


「違うわ、別に血まみれの犠牲者の姿が気持ち悪い訳じゃないの。あの女は信じられないほど強い〈魅了の魔力〉を持っているのね。

 わたしはあの娘の気持ちに共感していたの。犠牲になった女の子よ。もっとも、彼女は自分が犠牲になったなんて、今でも思ってはいないでしょうけど。


 祐騎が呼んでくれなかったら、きっとわたしは戻って来る事が出来なかったわ。実を言えば、戻された事がすこし恨めしいくらい、最高の快感と陶酔に浸っていたわ」


 平板な口調でそう話す、ルクレツィアの身体はわずかに震えていた。指先が白くなるほどきつく握り締められた携帯を、ぼくはやさしくその手から外し、テーブルの上に放り出した。


 次の品物をビニール袋から取り出しながら、「今のところ何かわかった事は?」と、水城が訊ねた。ルクレツィアが答える前にぼくが口を開いた。


「ターゲットは女だったよ。同性を獲物に好むヴァンパイアは珍しいけどね」


「女か──まぁ、そう言うケースも結構あるだろうな。それにこいつは〈貴族〉のはずだ。その辺の〈擬装者〉とは嗜好も違うんだろう?」


 水城はあまり不思議がる事も無く、肩を竦めてそう言った。ぼくの言葉を聞く前に、すでに納得していたようなその態度が、何と無く気にかかった。


「それで、どんな姿の〈擬装者〉だったんだ?」


「白人だったな。赤っぽい金髪の、背の高い美人だったよ」


「ふん、ヨーロッパ辺りから流れてきたエルダーか……。まぁ、それならそいつを見つける事は難しくは無いだろう。最近はこの辺りにも外国人が増えたと言っても、ブロンド美人はそうそういないだろう?」


 そうだろうか? ぼくはそう簡単に見つかるとは思えない。ぼくが説明したその姿が、通常に生活において使用している姿であるとは限らないでは無いか? いや、仮にも〈貴族〉であるならば、もっと目立たぬような姿で偽装しているのに違いないだろう。




 ぼくとルクレツィアが確認した姿は、その女の本来の姿ではあるだろうが、〈擬装者〉であるその女は、それとは違う姿で潜伏しているのではないか?


「でもさ、〈擬装者〉がその姿のままで行動するかな?」


 ぼくは素直に質問した。水城が目を細めてぼくを見た。


「ぼくらが見たのはその〈貴族〉の本当の姿だろう? でも、そんな目立つような姿で潜伏する訳無いんじゃないか? きっと目立たない、他の姿に〈変身〉しているさ。それが奴らの能力の一つじゃないか」


「いや、それは無いな」

 

 水城が即答した。そうはっきりと言い切った。


 ぼくはそんな水城の言葉に何か奇妙なものを感じた。まるで水城はこの〈貴族〉を知っているような言い方だ。その〈貴族〉の仕業である事を確認する為だけに、ルクレツィアに確認させたように感じた。


「あんた──何か知ってるんじゃないか?」

 

 訝しげにぼくはそう言った。水城の心が読みたい。


「そんな事はない。ただ、〈貴族〉は自分の容貌に自信を持っていて、自分の能力を過信している者が多いから、わざわざ犠牲者を襲う時だけ、本来の姿に戻ると言う事をしないと聞いているからさ。奴ら〈貴族〉と言うのはそんなものさ。犠牲者以外にその姿を目撃した者はいない。そう言った意味で、〈貴族〉は姿をころころ変えたりしない」


 水城のその言葉は、理屈としてはなるほどと思わせるものだった。しかし、一瞬だけではあったが、ぼくは水城の心が動揺したのを感じていた。


「どちらにしろ、まだすべての遺品を『視た』訳じゃないんだから、このまま作業を続けよう。それに、遺体の損傷の違いが何故なのか、まだわからない事も有るんだからな」


 そう言って水城は立ち上がった。


「しばらくの間、二人だけで作業を続けてくれ」


「何処かに出掛けるのかい?」

 

 ぼくは自分の能力の限界まで出力を上げたテレパシーを、水城の思考の中に潜り込ませようと集中した。何とかして水城のガードを、突き崩してやろうと思ったのだ。

 しかし、彼の頭の周りに何か透明な存在が輝くように見えると、ぼくの意思は霧散してしまった。それでも、わずかなイメージだけはぼくに感じられた。


「ああ、護衛する女の子を連れてくるのさ」


 そう答えた水城の発したイメージは、清楚な黒髪の少女──制服を着ているので、高校生だろうと思える──が、先程の〈貴族〉に襲われるというものだった。


「それじゃ、後は頼んだぞ」


 そう言ってそそくさと──ぼくにはそう思えた──水城は事務所を出て行った。


 ぼくはルクレツィアに向かって肩を竦めて見せた。

 

 ルクレツィアはテーブルの上の品物を見て、うんざりしたように軽く溜め息を吐いた。


 

 

 

 五回目のサイコメトリーを終え、疲れ果てているルクレツィアの様子を見て、ぼくは取りあえず休憩を取る事にした。

 今までの品物からは同じようなイメージを得た。すべてにあの、燃えるような金髪の美しい〈貴族〉が出演していたのだ。

 

この遺留品の持ち主達は、ことごとくその〈闇の種族〉によって、血と生命を奪われたのが確認されただけだった。恐らくは残りの品物──後は八つの遺留品──も、同じ様な映像を映し出すのだろうと思う。


「これ以上は意味ないんじゃないかな?」


 ぼくも疲れていたのだ。面倒になり、思わずそう呟いた。


「だめよ。まだ残っている物から、違う情報が集まるかも知れないじゃない。それにまだ、遺体の状態がどうして違っているのかはっきりしていないわ」


 ぼくは彼女が、この仕事にかなりのプライドと責任感を持っている事を、改めて認識した。ぼくは彼女の疲労を思い、軽い考えで口にした事を後悔した。


 十人目の犠牲者の所持品である、血と泥に汚れたブラウスを『視た』時だった。今までとは違ったイメージが浮かんできた。

 何度も何度も、犠牲者の最後の場面に登場していたあの女が、美しい〈闇の貴族〉がそこに現われなかったのだ。その代わりに──。


 違う女が現われたのだった。あまりにも突然に……。


 その女は、艶やかな漆黒の髪を腰まで伸ばした、白いワンピース姿をした清楚な美人であった。透き通るような白い肌に切れ長の瞳、小さな顔に似合った小振りですっと通った鼻梁、微笑んだ唇は桜色だった。


 しかし、ぼくはこのイメージを感じているルクレツィアから、凄まじい恐怖を感じていた。あの金髪の〈闇の貴族〉から受けた感覚は、陶酔にも似たものであったが、この日本的な美女から放たれるオーラから受けるものは、壮絶な恐怖と圧倒的な威圧感であった。それは〝鬼気〟とか〝妖気〟と称されるものの真実だとぼくは思った。


 一見したところ、背もそう高くはなく、細身の体つきでけっして力の有りそうな女性では無い。それにその表情は穏やかで、涼しげなその瞳には怒りの色は無いように思えた。


 だが、ぼくはその全身から発せられる気に、狂気と残虐さを、憎悪と落胆を感じていた。


 やがて女は犠牲者たる娘に向かい、何かを呟き、いきなりその白く、たおやかな細い腕を振り上げた。そしてその腕を犠牲者に振り下ろした。


 ぼくは激しい痛みを胸に感じ、そのイメージを心から切り離した。その反応が遅ければ、被害者の心に引き摺られてしまった事だろう。


 ぼくは胸に残る幻の痛みを堪え、ルクレツィアの右手に握られたぼろぼろのブラウスを払いのけた。そしてルクレツィアの頭の中に向かって強いテレパシーを送る。


 間一髪のタイミングで、ルクレツィアは闇に意識を引き摺られる事無く、ぼくの目の前で胸を押さえ、喘ぎ声を漏らしながらもしっかり目を開いた。


「大丈夫かい?」


ぼくはルクレツィアの肩に手を回し、その小さな身体を支えるようにして声を掛けた。意識はあるようなので、すこしホッとした。


「なに? ──あれは……」


 ルクレツィアは僅かに震えて呟いた。ピンクだった唇の色が、僅かに青味がかっている。

 

あいつも別口の吸血鬼だろうか? ぼくは心の中でそう考えた。この連続殺人は二人の〈闇の種族〉が別々に起こした事件なのだろうか?


 しかしこうも傍若無人に、あまりにも〈デーモン〉の手である事があからさまになるような手口で、二人のヴァンパイアが同時にそんな事をするだろうか? 彼女たちはお互いの存在を知っているのだろうか? それとも共謀してこの事件を続けているのだろうか?


 少なくとも、犠牲者である少女達の『記憶映像』には、二人の女が揃っているイメージは得られなかった。


 別々の〈擬装者〉が一つの事件に絡んでくる事は無いとは言えないが、通常はまったく別の事件が一つに括られたと言う場合である事が多い。つまり二つの事件を一つの連続事件と判断した事によって、犯人である〈デーモン〉が複数になってしまうという事だ。


 今回の連続殺人もそのケースだと考えられる。二人の〈貴族〉が別々に食餌を欲して、連続した事件を起こしたのだ。

 もっとも、それにしてはその手口は、どちらもお粗末過ぎると言えなくも無いが……。

 

 それとも、お互いが相手にその罪を擦りつけているとでも言うのだろうか?

 

〈偽装者〉である彼らが、人間にその存在が発覚されるような事件を起こす事は少ない。自らを誇示するような迂闊な〈偽装者〉は、すぐにでも人の手によって狩られるのだ。だからこそ長い年月を生き延びた〈貴族〉が、このような真似をするとは思えない。


 この事件には、何かぼくにはわからない事が隠されている気がする。







 十三のビニール袋を開き、すべての品物を『視た』後、ぼくらは暖かいコーヒーを飲みながら、ぐったりとソファに身を預けて弛緩していた。精神的な疲労で、二人は鬱状態に陥り、無言でコーヒーカップを手にしていた。


 ルクレツィアは寒気を訴えていたので、仮眠室から毛布を持ち出して、その細い身体に纏わせていた。顔色も青白く、酷くやつれたような感じがした。


 ぼくは彼女の隣に座っていたが、震える彼女を抱く事はせず、少し距離を置いて、彼女の身体に触れないように気をつけていた。暫くの間は彼女からの影響を受けないように、思わず彼女の心を覗く事を避ける為に。


 冷たいように聞こえるかも知れないが、これはぼくたちの間で交わされたルールだった。


 サイコメトリーを終えた後のルクレツィアは、非常に情緒が不安定になるのが常だった。被害者の意識に引きずられる事はぼくが阻止してはいるが、その影響を完全に拭い去る事は出来ない。その為に、一仕事終わった後のルクレツィアは、自分の心の中に巣食う闇との静かな戦いを終える間、ぼくが彼女に触れてその心を覗く事を嫌がるのだ。


 暗くなりつつある室内で、ぼくら二人は無言のまま、時間だけが過ぎてゆく。





 事務所のドアが開き、廊下の灯かりがそこから入ってきた。


「おいおい、真っ暗じゃないかよ。何で灯かりを点けないんだ?」


 水城が壁のスイッチを操作し、暗かった事務所の照明が点灯した。


 暗い室内に目が慣れていたので、照明の明るい光に思わず目が眩んだ。目を薄く開け、すたすたと室内に入ってくる水城に視線を向けた。


「どうしたんだ? 絵伶奈はまだ回復していないのか?」


 ぼくらの向かいに立ち止まり、水城はルクレツィアの様子を見てそう言った。


「大丈夫よ。もう大丈夫」


ルクレツィアは眩しさに顔を顰めながらもそう言った。とても大丈夫そうな声では無かった。


 水城は眼鏡を指で押し上げて、ルクレツィアの疲れた顔を見据えた。


「顔色が悪いな。すこし横になっているといい。今回はモノが多かったから、かなり疲れただろう。


 ──どうなんだ? 絵伶奈は回復したのか?」


 そう言って水城は急にぼくに訊いてきた。ルクレツィアの具合が余程悪そうに見えるのだろう。実際のところ、ここまで疲労しているルクレツィアは珍しい。


「ああ、さっきよりはマシになっているよ。すこしは顔色も良くなったしね」


 ぼくはそう答えながらも、ルクレツィアの回復具合には懐疑的だった。それは、ぼくが触れようとして伸ばした腕を、ルクレツィアは何気ない態度で避けたからだった。視線を合わせようとさえせずに、窓の向こうの闇を見つめている。


 訝しげに片方の眉を吊り上げて、水城小さくは頷いた。


「そうか──ならいいんだ」


 水城はぼくに小さく顎をしゃくると、入り口に視線を向けた。




 そこには、高校生らしい制服姿の少女が立っていた。



 困惑したような顔に、有るか無しかの微笑を唇に浮かばせていた。


 ぼくはその少女をじっと見つめた。ぼくの視線を感じたその少女は、切れ長の悲しげな瞳に怯えに似た光を宿した。白っぽいその顔が、何故か妙に儚げに見えた。


 ぼくは微笑んで、彼女に向かってテレパシー放射した。暖かい、癒すような波動である。これもぼくの能力の一つだった。この力によって傷ついた精神を少しだけ癒す事が出来る。


 ぼくが持つ力の中で、授かった事をもっとも感謝している能力でもあった。


 少女ははにかむような微笑を浮かべ、ぼくに静かに会釈した。長い黒髪──茶色でも金色でもない、漆黒の、まさに翠の黒髪が彼女の頬にかかり、その悲しげな微笑を鮮やかに縁取っていた。ぼくの胸に、この少女を守ってあげたいと言う欲求が込み上げてきた。純粋な保護欲が満ち溢れていた。


 少女は美少女だった。『薄倖の』と言う形容詞がぴったりと当てはまるような哀しげな風情を纏ってはいたが……。



 ぼくは彼女に見惚れていたのだろう。水城の言葉にはっとして視線を戻した。


「この娘が昨日話したおまえが護衛する、桐生憂姫(きりゅうゆうき)さんだ。暫くの間、ここで一緒に暮らす事になるからな。

 この男は美崎祐騎(みさきゆうき)と言う。君の身辺警護をする若者だ。」


「ゆうき? わたしと同じ名前なんですね?」


少女──憂姫はそう言って静かに微笑んだ。小さな声だったが、透き通るような響きを持っていた。これが銀鈴を鳴らすような──と言う声なのではないだろうか?


 ぼくは慌てて立ち上がって、「よ、よろしくね」と言った。テーブルに脛をぶつ

けてしまって、痛みを押し殺したので、変に声が上擦ってしまった。


「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」


 憂姫は深々と頭を下げた。立ち振る舞いに品の良さが感じられる。

 急に誰かがぼくの左手を握った。冷たい手で、しかもその手からは不愉快な波動と、憎悪にも似た暗い闇の感情が流れ込んできた。


 ルクレツィアだった。ぼくは思わず手を引きそうになった。しかしルクレツィアはそれを逃がさないように、確りとぼくの手を握り締めていた。ルクレツィアの瞳は憂姫を睨みつけるようにして、白っぽくなるまで唇を噛み締めていた。


 ぼくはルクレツィアの思考を瞬時に遮断した。いまだに彼女の思考には、先程の影響が色濃く残っていたのが感じられたからだ。ぼくはルクレツィアが考える事を知りたくは無かった。普段の彼女からは想像できないような、闇の暗さを感じてしまうに違いない。


 ルクレツィアの視線を感じたらしい憂姫は、驚いたような表情をしてルクレツィアを見つめていた。まだぼくは憂姫と『絆』を結んでいないので、何を考えているかはわからないが、明らかに狼狽し、恐怖さえも感じているに違いなかった。

それほどまでにルクレツィアの表情は険しかったのだ。ぼくでさえこんな表情をしたルクレツィアには嫌なものを感じてしまう。


「その子の面倒をわたしが見なければならないの?」


 

 ぞっとするほど平板な調子で、ルクレツィアは水城に向かって訊いた。


 水城は目を細め、普段とは明らかに違うルクレツィアの態度に気づき、ぼくに怪訝な視線を投げかけた。ぼくはテーブルの上の品物に顎をしゃくってそれに答た。


 水城は小さく頷いた。ぼくの答えを理解したのだ。


「まぁな。四六時中という訳では無いが、女の子は絵伶奈しかいないんだから、仕方が無いだろう?」


 水城は穏やかな声で言い聞かせるようにそう言った。


「それじゃ、祐騎が一緒にいる必要は無いでしょう。わたしだけで面倒を見るわ」

 

ルクレツィアは押し殺したような声を出した。ざらついた、嫌な響きがこもっていた。


「そういう訳にもいかないだろう? 護衛をしなければならないのに、絵伶奈だけでは意味が無いじゃないか。祐騎にはこの娘のガードを頼まなければならないんだ」


 水城は相変わらず笑顔を浮かべてそう言った。


「それじゃあ、圭が護衛に就けばいいじゃないのよ」

冷たい口調でルクレツィアは言い放った。


「俺には他に仕事があるんだよ。そう言っただろう?」


 水城がそう言った後、フォローするようにぼくは口を挟んだ。


「そうだよ。ぼくがいなければ意味がないよ。ルクレツィアだけでは、〈デーモン〉を退去させる事なんて出来ないじゃないか」


「そう──結局のところ祐騎はこの娘と一緒にいたいのね?」


 ぼくの顔を見据えて、ルクレツィアは唇の片側を歪めるような笑みを浮かべた。その瞳が明るい色からくすんだ黒っぽいものに変化している。


 しまった。ここで口を出すべきではなかった。ぼくは後悔しながらも、それを面には出さず、ぼくの腕を掴んでいるルクレツィアの手に右手を被せた。そしてフルパワーのテレパシーを送り込んだ。他人を自分の意思に従わせる為の力を……。

 

ルクレツィアは電撃に撃たれたかのように、一瞬だけ身体をびくりとさせた。そしてすぐに表情を和らげて、ぼくにしな垂れかかると、

「そうよね──祐騎がわたしを裏切る訳はないものね」

と、呟きながらぐったりとした。


 ぼくは微笑を浮かべて縋りつくルクレツィアをその手に抱き、苦痛を感じるかのように顔を顰めた。本当に──やりたくない事をしてしまった。


 自分自身の力で立ち直るのを待たず、強制的にルクレツィアの心に侵入して、その精神をぼくの意思通りに操ってしまったのだ。何という卑劣な手口だろう。何という忌まわしい能力なのだろうか?


 それでも水城は、ぼくの内心の葛藤を気にする事もなく、安堵した様子で頷いた。ぼくが行った精神操作に気づき、その結果に満足しているのだ。


 ぼくは少しだけ頭にきていたが、それでも涼しい顔をして、ルクレツィアに話しかけた。「さあ、すこし休もうよ。仮眠室で寝た方がいい。暫くは水城だってここに居るだろうからさ」ぼくはそう言いながらルクレツィアを抱き起こした。そして隣室に連れて行き、ベッドの上にその身体を横たえさせた。


「静かに寝てるんだよ」


 ぼくはそう言って彼女の額に手を乗せ、催眠能力を使って眠らせた。すぐにルクレツィアは小さな吐息を漏らし、安らかな眠りに就いた。


 ぼくは柔らかい金髪を撫でて、その部屋を出た。罪悪感が胸に去来していた。


 水城と憂姫はソファに向かい合わせに座っていた。憂姫は先程の光景にうろたえているようで、ぼくがやって来ると少しだけほっとした表情を見せた。


「やっと落ち着いたようだな?」


「ハードな仕事だったからな」


と、ぼくはなるべく素っ気無く水城に答えた。そして憂姫に目を向けて、

ルクレツィアの言った事は気にしないでくれ。すこし疲れていたので、感情のコントロールが出来なかったんだ。目覚めれば元に戻っているから」


と、説明するように言った。憂姫は小さく微笑んだ。


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