十一 章
あの男の握る刀の、淡い青色に輝く刃を見た私は、古の狩人の末裔がこの時代にまで生き延びていた事を理解した。我らの天敵たる狩人の一族は、昭和と言う時代に入ってから、あの戦争が始まってから、すでに滅び絶えたと思っていたのだが……。
ただ、私を追う者が無かったと言うだけなのか──いや、私が表に出る事が無くなってから、百年以上経っている。それで彼の一族も、私という存在を忘れてしまったのだろう。
私たちはお互いに相手の存在を忘却していたのだろうか? 互いに都合の良いように、その存在を記憶の果てに封じてしまったのだろうか?
だが、私は相変わらずこの国に存在している。
──〈鬼狩り師〉の血筋が絶えているなどと、なぜ考えたのだろう……? 我々にはどちらかだけが存在するなどあり得ないと言うのに……。
いまやそれはどうでも良い。とにかくあの娘を手に入れて、この場から消え去る事だけを考えねばならないのだ。
あの男はよくやってくれている。あの愚かな若い吸血鬼の隙を突き、〈我が娘〉を見事に奪い返したではないか。私はほくそえむと、もともと戦闘能力の高い人間が眷属になると言う事が、どんなに優れた眷族になるか改めて理解した。しかし……。
私の命令通り、あの男はここまであの娘を連れてくるだろう。その後、あの男をすぐに解放してしまおう。立派に役目を終えてくれるのだから……。
私には眷属はいらない──それは数十年前にやっと理解に及んだ事であった。それに、すべてが終われば、私の眷属はすでに存在できないはずだ。
私はその時を静かに待った。しかし──私の忌避していた予感が現実のものになろうとしていた。
あの男は──もう戻らない。一瞬だけ、私の心に悲しみが去来した。
私は勢い良く、暗い一室の窓から飛び出した。月の光が青白く染める空に向かって……。
エカテリーナはすぐに見つかった。廃ビルの間の暗い路地に、彼女は長い棒のようなものにもたれかけ、口から血を吐きながら喘いでいた。重症なのだろうか?
急いで走りよる水城の顔に、苦渋の色が浮かんだ。そしてエカテリーナの様子を見たすぐ後に、安堵の表情を浮かべる。
ぼくは辺りを見回して憂姫の姿を探した。彼女がぼくの能力の範囲に捉えられない事が酷く悔やまれる。
木戸もぼくも、エカテリーナの傍により、彼女のその状態に酷く驚いた。木戸が鋭く息を飲み、苦痛にも似た渋
面を作った。ぼくは──ただ唖然とした。
杖のようにそれに身をもたせかけていたと思っていた。しかしその白っぽい、細身の木の棒はエカテリーナの右胸に突き立ち、尖った先端が背中に抜けていたではないか!
そんな傷を負っていながらも、エカテリーナは生きていた。苦痛の為に眉間に皺を寄せながらも、血に染まった赤い唇に微笑を浮かべている。
「済まないわね──あの娘は連れ去られてしまったわ」
ヒュー、ヒューと空気が漏れるような音を立てながら、水城に向かってエカテリーナはそう告げた。苦しそうではあるが、その声は不思議なほど力強かった。
「黙っていろ。どうにかしてこの杭を抜かないと──」
水城はそう言ってエカテリーナを優しく横たわらせた。そして胸に刺さっている白木の棒を、両手でしっかりと握り締めた。
「いいか、抜くぞ」
「いつでもどうぞ」
エカテリーナは歪んだ微笑みを浮かべながら答えた。
ぼくは目の前で広げられる光景を見て、何も出来ずにおろおろするだけだった。もちろん、木戸も同様である。
水城はぼくたち二人の事など忘れているようだ。
水城の肩と腕の筋肉が盛り上がり、スーツがはちきれそうになった。細身に見えるが、水城の肉体は鍛え抜かれた筋肉に覆われている。それが服の下で膨張しているのだ。
湿った心地悪い音を立てて、その白木の槍はエカテリーナの胸から引き抜けた。なぜだか新たな出血はなかった。
エカテリーナはすぐに身を起こし、傷口に右手を突っ込んだ。そして美しい顔を歪めて、水城の顔を見ながら苦笑した。
「だめね。このままじゃ完全に治癒できない──血が足りないわ」
ぼくはその言葉に背筋が凍りついた。目を凝らすと、その傷口の周囲の肉が、ぴくぴくと蠢動しながら盛り上がろうとしているのだ。
「ああ、わかった」
水城はそう言って左腕のシャツを捲くりあげ、左腕をエカテリーナに差し出した。その表情には何の感情も浮かんでいなかった。
まさか! おい、本気なのか? エカテリーナは──エカテリーナはヴァンパイアだって言うのか? ぼくは叫ぶ事も出来ず、二人の行為を見つめていた。
エカテリーナは豊かなプラチナ・ブロンドをかき上げ、それによって隠されていた左の瞳を露わにした。それは右のグリーン・アイとは別物で、瞳には瞳孔が無く、ただ金色に輝いていた。それは真の姿を晒した時の〈闇の種族〉──ヴァンパイアそのものであった。
エカテリーナは口を開けた。二本の鋭い乱杭歯がそこから覗いていた。そしてゆっくりと、目の前に差し出された水城の左腕にその鋭い牙を穿った。
水城は表情を変える事無く、自らの腕にむしゃぶりついている、吸血鬼の顔を見つめている。そこには陶酔に似た感情は見出せない。
大丈夫なのか? これは普通の、ヴァンパイアの食餌とは違うのだろうか?
小さな悲鳴が背後から聞こえた。振り向かずともそれがルクレツィアだとわかった。
「なに──やっているの?」
ルクレツィアは呟きながらぼくの左腕にしがみついた。
その質問に答えるものは誰も居なかった。
──見たままの通りではないか? エカテリーナが水城の身体から、血を戴いているってだけの話だ。そう、それだけだ。
そんな事より、ぼくにはエカテリーナに訊きたい事があるのだ。
ぼくはエカテリーナが水城の腕から口を離すのと同時に、心が急かすままに早口で喋った。どうして誰もそれを訊かないんだ?
「憂姫はどうしたんだい?」
エカテリーナはぼんやりとしながらぼくの方を向いた。
「あの娘は──連れ去られたわ」
ぼくはなかば予想されたその答えに、無言で立ち尽くした。
エカテリーナの白い乳房の傷は、見る見るうちに塞がっていった。その過程を隠そうともせず、彼女は艶然と微笑み続けた。その形の良いおおきな乳房を、彼女は両手で揉みながら、彼女は満足そうな吐息を漏らす。
「完全に治癒したわ」
脱いでいたコートを身に纏い、エカテリーナは身軽に立ち上がった。十分前には胸に穴が開いていた人間とは思えない。いや、彼女は人間ではないのだ。
「──なぁ、説明してくれないか、圭?」
木戸は倦み疲れたような声で訊いた。固く強張った表情で、右腕には銀色の357マグナムを握り締めている。銀の弾丸を装着している銃だ。
木戸の心の中には猜疑と絶望、それと同等な信頼と情愛が二つに分かれてせめぎあっていた。
「説明? なにを説明すればいいんだ? みんなが見ての通りさ。エカテリーナが致命傷を負って、その為に血が足りなくなったから俺の輸血してやった──それだけの事じゃないか?」
水城のなにを考えているかわからない瞳が、悪戯っぽい光を湛えていた。こいつは面白がっている。ぼくたちの慌てふためいた対応を見て、意地悪く楽しんでいるのだ。
それとも秘密を知られて開き直っているのだろうか? どうせ水城は、ぼくに心の内を読ませないのだから、それはぼくの勝手な想像だ。
「エカテリーナはヴァンパイアだったんだね? だからぼくの力を妨害できたんだ。それにルクレツィアの能力も」
ぼくは呟くような声で訊いた。
「それは違うわ。あなたたちの力がわたしに通じなかったのは、精神に対する絶対防御の魔術をかけていたからだわ。わたしは〈出来損ない〉だから、純粋な〈貴族〉の超能力はそこまで強くないの」
エカテリーナは微笑みながらそう答えた。その微笑にいつもの淫らさはなく、なにか吹っ切った清々しさが感じられたのはぼくの気のせいなのだろうか?
「出来損ない?」
胡乱な眼つきで木戸が呟いた。
「おい!」
水城は言葉を失ってエカテリーナに顔を向けた。
「いいのよ、もう。いまさら隠していてもしょうがないでしょう? それにこのままでは、あなたの立場も悪くなるんじゃないかしら? 倒すべき存在であるヴァンパイアと、昔からつき合いがあるなんて誤解されては、このお仲間たちに見捨てられるわよ」
「やっぱりヴァンパイアなんだな?」
木戸は357マグナム・モデル66の銃口をエカテリーナに向けた。エカテリーナは寂しげな笑顔を木戸に見せる。
「よせ! ──わかった、いま説明する。だから銃をしまってくれ」
水城はそう言って深い吐息を漏らした。そして僅かに沈黙した後、漸く口を開いた。
「エカテリーナは前にも言ったように、〈エイリーク討伐隊〉の時の仲間だったんだ。俺たちが知り合ったのはその戦場だった」
一言一言、呟くような声で水城は語った。
「エカテリーナはヴアンパイア・ハーフだ。純粋なヴァンパイアではなく、ヴァンパイアだった母親が人間の男と交わって生まれた存在なんだ──」
「──そうよ、その浅ましい母親が〈エルネージェ女伯爵〉と呼ばれる〈貴族〉だったのよ。サンクト・ペテルブルグの凍える街角に捨てられた時から、わたしはあの女を母親だとは思っていないけれども……。まぁ、そう言った訳でわたしは中途半端なヴァンパイアとして生きてきたわ。東欧に流れて様々な師につき、錬金術と禁断の秘儀と呼ばれる魔術の知識を手に入れ、そしてそれを実践する魔女としてヴァチカンにも追われて、いつの間にか本当の悪魔が顕われた時代まで生き延びたわ。
生きる目的もないから、〈エイリーク討伐隊〉なんかに参加して死にぞこなって、結局あてもなく生きてきているヴァンパイア・ハーフがわたしなのよ」
水城の言葉が詰まった後を受けて、エカテリーナは饒舌かつ簡素にそれを語った。その顔には今までの、退廃した美と闇の輝きに満ちた妖しい微笑は無く、思いを果たした者特有の、満足気な清々しい笑みに満ちていた。
「──ただ、唯一心残りだったのがあの女、わたしの闇の母である〈エルネージェ女伯爵〉の行く末だったの。あの女だけは生かしておけない、必ず自分の手で滅ぼすと心に誓っていたのよ……」
遠い目をしたエカテリーナはそこで言葉を切った。
「だから今回の依頼にエカテリーナを噛ませたんだな?」
ぼくは黙り込んでいる水城を睨みつけた。水城は無言で肩を竦めた。
「なによそれ! 自分の恋人の復讐に力を貸す為に、わたしたちまで巻き込んでいたって言うの?それってひどいんじゃない?」
柳眉を逆立てて、ルクレツィアはそう叫んだ。水城はそんな彼女の紅潮した顔を見ると、
「おいおい、そんな私情で依頼を請けた訳じゃないぜ。ついでだからエカテリーナに一枚噛んで貰ったのさ。ノー・ギャラでだけどな」
と、言い訳した。
「あんた──人は殺した事ないんだろうな?」
蒼ざめた顔をした木戸が、押し殺したような静かな声でエカテリーナに質問した。ぼくは木戸の精神がひどく不安定になっているのが気になった。
「何人も殺したわ、生きる為にね。──でも、人間として殺したわ」
空気が一気に張り詰めた。ぼくは木戸が握っている357マグナムを取り上げる為、ゆっくりとした動きで木戸に近づく。
「それじゃ、〈闇の種族〉として人を襲った訳じゃないんだな?」
「ええ、もちろん、あなたの奥さんと娘さんを襲ったのはわたしじゃないわ」
エカテリーナはまたもや妖しい微笑をもってそう答えた。
木戸の表情に暗い影が落ちた。そしてすぐに唇を歪めてにやりと笑った。
木戸の右腕がゆっくりと腰の後ろに回り、そこに装着されているホルスターの中に、マグナム・リボルバーは収められた。安堵の溜め息がぼくの口から漏れる。
「それでどうする? エカテリーナは純粋な〈貴族〉ではないけど、分類上は〈デーモン〉の一人だ。おまえらはどうすればいいと思うんだ?」
嘲るような笑みを浮かべ、水城は挑戦的にそう質問した。
「そんな事、おまえが考えればいいだろ。ぼくたちには関係ない」
冷たく響いたぼくの声に、みんな一様に驚いた顔をした。正直言って、ぼくにはどうでもいい事なのだ。エカテリーナがヴァンパイアだとしても、ぼくには彼女を始末する気は起こらない。依頼もなしに〈偽装者〉を狩るなんてばからしいじゃないか?
「それよりも憂姫はどうするんだ? あの〈女貴族〉を滅ぼしたとは言え、憂姫は誰かに連れ去られたじゃないか。このまま放っては置けないだろ?」
ぼくはエカテリーナに向かい、言葉を続けた。
「なぁ、憂姫は誰に連れ去られたんだい? そいつもヴァンパイアだったのかい?」
エカテリーナは一瞬だけ水城を横目で見た。そして戸惑うような表情を浮かべたが、やがて静かに口を開いた。
「白いドレスを着た若い女だったわ。ヴァンパイアかどうかはわからない──でも、人間であるとは言えないわね。不意打ちとは言え、一撃でわたしの胸に手製の槍を突きこんだのだから……」
いきなりルクレツィアが無言で歩き出し、転がっている白木の槍を拾い上げた。その先端にはまだエカテリーナの血がこびりついている。
無表情でルクレツィアはぼくに近づいて来た。そして左手で槍を握りながら、右手をぼくの肩に置いた。ああ、彼女はサイコメトリーを始めようしているのだ。
「そんなに知りたいのなら、あなた自信で確認したらいいわ」
ルクレツィアは平板な声で呟くと、両目を閉じてトランス状態に入った。
軽い眩暈を感じた後、そのビジョンがぼくの脳の中に直接映し出された。
エカテリーナが憂姫を抱き抱え、軽やかな足取りで向かってくる。
何かに気づき、急に足を止めて方向転換した。そして先程エカテリーナを発見した細い路地に走り去った。そしてその背中に向かって、一条の白い軌跡が繋がった。
白木の槍はエカテリーナの背中に突き刺さった。彼女は憂姫を放り出して地面に転がった。白木の槍の先端は、胸を貫通して大きく飛び出している。
視点が急速に変化して、またもや眩暈が襲ってきた。
白いドレスを着た、若く美しい女がゆっくりと近づいて来た。その白い顔に、倦怠と哀しみの混じった表情を浮かべている。どことなく憂姫に似ていると思った。そして……。
ぼくはこの女の姿を見て、連続殺人の被害者である少女たちの、記憶に残っていた本人である事を理解した。そう、彼女もまた、滅ぼさなければならない〈闇の種族〉なのだ。
女は苦しんでいるエカテリーナを見る事無く、その横を通り過ぎて憂姫に近づいた。
憂姫は呻き声を上げながら目を覚ました。しかし、自分を見下ろしている女に気づくと、憂姫は息を飲んでその女を見つめた。凍りついたような表情だ。
暫くの間、女はじっと憂姫を見下ろしていたが、やがてその唇がなにやら呟きを漏らすと、憂姫はまたもや意識を失い地面に崩れた。
女は優しくその身体を抱き上げ、一度だけエカテリーナを見た。
「そなたも我が種族の遠縁であろうから、あえて止めは刺すまい。ただ、あの者たちに伝えるが良い。私を追うこと無かれと。追えば無駄な血が流れる事を覚悟せよと。
──そして〈鬼哭刀〉の使い手に伝えよ。そなたの刃があらねども、いずれ私は塵と化すだろうとな」
女はそう言うと闇の中に消えて行った。憂姫をその腕に抱いたまま、どこか寂しげな表情で……。
ビジョンは唐突にそこで終わった。
ぼくは暫くの間、何も言えなかった。全身の筋肉が硬直したかのようで、唇さえも動かせなかったのだ。あの白いドレスの女の〝鬼気〟に中てられて……。
ようやく身体の自由を取り戻すと、ルクレツィアが蒼ざめた顔をしているのを見て、ぼく同様に凍りつくような恐怖を感じていたのを知った。彼女のその唇は、まだ微かに震えている。
「何だったんだ? あの女は一体何者なんだ?」
独り言のようにぼくは呟いた。正体のわからない恐怖が、全身を鈍く締めつけている気がした。精神のガードは外していないと言うのに……。
ルクレツィアの精神はぼくと繋がっている事により、かろうじて繋ぎとめられていた。もしそれが無ければ、彼女は恐怖のあまりに、精神に異常をきたしていたかも知れない。
それほどまでに異常な恐怖であった。あの女の〝鬼気〟から感じるものは……。
ぼくはあの女を見た記憶がある。ルクレツィアもそうだろう。ただそれは、現実に見た訳ではない。あの日、連続少女殺人の被害者たちが経験した記憶だった。
「あの女はヴァンパイアなんかじゃ無かったんだ」
ぼくがそう呟くと、水城はぼくを凝視した。何かを恐れているような、それでいて何もかもわかって諦めたような表情をしていた。
「白いドレスを着た女が、憂姫を連れ去ったんだろう?」
水城のそれは質問では無く、確認の為の言葉だった。
ああ、やっぱりこいつは何かを知っているんだ。ぼくは水城の言葉から、はっきりとそれを確認した。
「何を知っているんだよ? あの女は誰なのか知っているんだろう!」
ぼくはそう断定して叫んだ。
どうしようもなく苛立っていた。どうしてこいつは何も教えてくれないんだ? まだぼくの事が信用できないのかよ!
苦渋に満ちた表情で、水城は考え込んだ。そして意を決したように重い溜め息を吐いた。
「あの女は──鬼だ。しかも〈鬼の姫巫女〉と呼ばれている、鬼の女王とも言える特別な鬼神なんだよ」
水城はぼつりぼつりと、彼だけが知っている情報をぼくたちに公開し始めた。
あの女は綺堂院亜耶華という名前で生き続ける、水城の先祖代々に渡る敵の一人だった。
水城の家は、〈鬼狩り師〉と呼ばれる筋の旧家だそうで、水城家自体は分家だが、水城自身も幼少から、鬼や怨霊とか言う存在と戦う宿命を持っていたそうだ。
そして水城は本家の命令によって札幌に移住して、この地に存在する悪鬼羅刹を封じ、滅ぼす為にデーモン・ハンターになったのだ。
ある時、憂姫と言う少女が生まれ出てきた。彼女は次代の〈鬼の姫巫女〉を継ぐ能力を秘めていて、この少女が発見されてから、水城の一族は憂姫が〈鬼〉との接触を持たないように護り続けていたらしい。
つまり、彼女の家族は憂姫の本物の家族では無く、彼女を守る為に派遣された水城の主家の人間だったと言う事だ。
しかし、十五年以上隠し通してきた憂姫の存在を、〈鬼の姫巫女〉たる綺堂院亜耶華──本当は〈綺堂院の宮〉と言う平安時代の鬼──に気づかれてしまったのである。
間の悪い事に、憂姫は闇の〈貴族〉である〈エルネージェ女伯爵〉にも狙われてしまう事になった。それは〈鬼の姫巫女〉と言う存在自体が、〈闇の種族〉の能力を増大させる事の出来る、特殊な血と魂を宿しているからであった。
〈エルネージェ女伯爵〉は不確かな情報のみで〈鬼の姫巫女〉を探したので、憂姫と年恰好の似た、少しでもその魂に〈鬼〉を有する少女を、片っ端から襲っていった。それが今回の連続少女殺人事件の真実だったのだ。
少女たちの死体が無残に喰い荒らされたのは、綺堂院亜耶華が〈エルネージェ女伯爵〉の邪魔をする為だったのだ。心臓を抉り、〈闇の種族〉として復活させないように。
そして水城は、憂姫を守る為にぼくらの事務所に連れてきて、〈エルネージェ女伯爵〉を殲滅し、あわよくば現在の〈鬼の姫巫女〉である綺堂院亜耶華を、〈エルネージェ女伯爵〉と共に討ち果たすつもりだったと言うのだ。
すべてを話し終えた後、水城は煙草に火を点けて美味そうに煙を吐いた。妙にすっきりとした顔をしているとぼくは思った。
「──それで結局、これからどうするんだ? このままあの娘を放って置く訳じゃないんだろう? おまえのところの、本家だかの命令なんか関係ないがな、俺はこのままあの娘を鬼に喰わせるなんてさせないぞ!」
水城は胡乱な眼つきで、そう勢い込んでいる木戸を見た。
ぼくも目を赤くして興奮した、荒い息を吐いている木戸が不思議だった。でもそれが、どうしてなのかわからない。ぼくも今までは木戸のような反応をしていただろうに。
ルクレツィアの手から受ける温もりが、ぼくの中で何かを閃かせた。そう言えば、憂姫の傍にいた時のぼくは、精神防御を施していなかったのではないか?
当たり前だ。彼女は護るべき存在で、けっして〈デーモン〉ではなかったのだ。その心の中に〈鬼の姫巫女〉の魂を潜ませていようと……。
憂姫は無意識の内に〈魅了〉と言う能力を発動させていたのであろう。それにぼくと木戸は惑わされていたのだ。しかし、あの時点ではその考えは至極まっとうな考えであったから、ぼくらはそれに気づく事は無かった。
「憂姫は──あの娘はぼくたちに〈魅了〉を施したんだな?」
ぼくは水城に向かって吐き捨てた。木戸が驚いた顔でぼくを見る。
「そうだ。どうせあの娘を護るのは仕事だったんだから、別に気にしなくても良かったんだよ。憂姫の能力は今のところ、自己防衛本能によって発動する、周囲の人間に対しての保護欲を喚起する〈魅了〉だけだから、問題は何にも無いだろう?」
水城はそう言って煙草の吸殻を投げ捨てた。
「何だって! そいつは本当なのか?」
木戸が信じられないといった顔で呟いた。
「ああ、祐騎の言った事は本当だ。どちらにしろ、憂姫は救い出さなければならないんだから、そんな事はどうでもいいだろう?」
事も無げにそう言った水城に、ルクレツィアはむっとした声を出した。
「それは違うんじゃない? あの娘を護るのはあくまでもビジネスでしょう? それなのに、強制的な力で従わされたのなら、祐騎もみんなも、自分の命を捨ててまで戦う事になるわ。それじゃ困るじゃない」
「そう言えば、ルクレツィアだけには〈魅了〉の効果が顕われなかったよね?」
ぼくはそう言って彼女を見た。あの娘の〈魅了〉は、なぜルクレツィアには反応しなかったのだろう?
「きっとあの娘はわたしが嫌いだったからよ」ルクレツィアは簡単に答えた。
ああ、だからなのか。なんとなく憂姫の気持ちがわかってしまった。
彼女は本当の意味で愛された事が無いのだ。だから、周囲の人間の保護欲を無意識に増大させて、自分の身体と精神を守っていたのだ。
「どちらにしろ、あの娘を取替えさなければならないんだ。仕事はまだ終わっていない」
水城がむっつりとそう言った。




