表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/13

十 章

 真っ赤になった太陽が最後の喘ぎを見せている。しかし、それもすぐに息絶えるだろう。そして夜がやって来るのだ。恐るべき〈デーモン〉が支配する世界が……。


 慌しく車に乗り込んだぼくたちに、水城は一言も言葉をかけなかった。いつに無く真剣な表情で、前方を見据えたままハンドルを握っている。


 何故か助手席に座っているエカテリーナは、ぼくとルクレツィアに微笑を向けた。ぼくたちはそれを無視した。

 

ぼくたちが無言で乗り込むと、水城は荒っぽく車を発進させた。後ろから来た車が追突しそうになり、慌ててブレーキを踏んだ。クラクションが派手に鳴っている。


 車内は激しく揺れて、何度もぼくとルクレツィアはぶつかったが、それでもぼくとルクレツィアは、押し黙って顔を顰めている水城に何も言えなかった。

 


 二十分ばかり、法廷速度を遥かに超えるスピードで走っていくと、水城は急に車の速度を落とし、「いたぞ」と短く呟いた。

 

 ぼくは前のシートに身を乗り出して、フロントガラス越しに見える薄暗い歩道に目を凝らした。街灯の半分は壊され、灯かりが消えているので、本当に暗かった。


 その歩道の脇に、見慣れた銀色のワゴン車──エスティマだった──が停まっているのがわかった。木戸の車に違いないだろう。でも、憂姫はどこにいるんだ?

 

 水城は銀色のワゴンの後ろにつけるように、スムーズな動きで自分の車を停めた。ぼくは停止しきる前に、車のドアを開けて辺りを見回した。

 

 荒れ果てた街並みであるが、まだこの辺りはマシな方なのだろう。残っている街灯が、弱々しいとは言え光を発しているのだから、電気がここには通じているのだ。一応、居住区域にはなっているのだろう。人が住んでいるようには見えないが……。

 

 ゴミや空き缶の転がった歩道を見渡すが、憂姫の姿は見られない。と言うより、人間の姿はまったく見かけないのだった。そう言えばこの辺は──半年ほど前に、〈異界の(ゲート)〉が顕われた場所じゃないか? 

 

 それを思い出した時、ぼくの耳に乾いた銃声が響き渡った。離れた場所から聞こえてきたが、それは拳銃のものではありえないと気づいた。火薬量の多いライフル弾の、しかも大口径マグナム・ライフル弾のものだった。

 

 あれは──木戸のライフルの銃声だ!

 

 ぼくは慌てて銃声の響いてきた方向に向かって走り出そうとした。その時、大声で水城がぼくを呼び止めた。


「センサーはちゃんと働かせているか?」


 ああ、そう言えば忘れていた。ぼくはすぐに頭の中のスイッチをオンにした。


 すると、ぼくの向かおうとした方向に、明らかに〈デーモン〉と思われる存在が感知された。しかも三体も感じられる。


「こいつを持って行け」


 水城は隣のシートに座っているエカテリーナから、黒いスポーツバッグを受け取り、それをぼくに差し出した。ぼくは、「なんだいこれは?」と言いながら、そのバッグを受け取った。それはずしりとした感触を腕に伝えた。


 「新しい装備だ。開けてみな」


 水城は簡単にそう答えた。

 

 ぼくはジッパーを開き、そのバッグの中身を探った。硬く冷たい感触を持ったそれは、特異な形をした銃だった。短機関銃(サブマシンガン)ほどの大きさで、真っ黒いプラスチックの塊のような銃だった。

 

 FN・P90サブマシンガン。ベルギーのファブリック・ナショナル社の造りだした、

 

 パーソナル・ディフェンス・ウエポンと呼ばれるカテゴリーの銃である。

 

 拳銃弾を使用する短機関銃よりも、長射程で貫通力の高い、特殊な小口径高速弾を使用する奇妙な格好をした銃だった。通常は機関部の下に射し込まれる弾倉が、機関部の上部に平行に取り付けられている。その為、五十連装の長い弾倉でもスマートに収まっていた。長い弾倉は透明のプラスチック製で、装填されている実包が外からはっきりわかる。

 

 ピカデニー・レール・システムにより、レーザー照準器と強力なライト、そして光学照準気が機関部に取り付けられている。対ヴァンパイア用の暗闇専用銃なのか?

 

 ぼくは無言で、そのP90をスリングで体の前に吊り、予備の五十連弾倉が六本付属したベルトを腰に巻いた。さすがにずしっとした重みが腰に響いた。

「弾頭は鉄甲炸裂弾だ。高い弾なんだから無駄にするなよ」水城はそう言いながら車を降りた。またも左手に袋に入った棒のようなものを握っている。

 

 何だろう、あれは? 。ぼくはそれに好奇心を持ったが、どうせ訊いたところで、水城は答えてはくれないだろう。


「二人は連絡するまでここで待っていてくれ」水城は車の中のルクレツィアとエカテリーナにそう言った。固い表情でルクレツィアは頷き、エカテリーナは艶然と微笑んだ。


「それじゃ、行くぞ!」


 水城はぼくににやりと笑いかけ、いきなり走り出した。ぼくもワンテンポ遅れてダッシュしたが、思いのほか水木の足は速く、どんどん差が着いていく。いや、ぼくの装備が重すぎるのだ! ぼくは心の中で罵りながら、必死で足を動かした。


 水城が急に立ち止まった。ぼくはゼェゼェと喘ぎながら、漸く水城の隣まで辿り着いた。


「あれを見ろ」


 膝に手をついて激しく喘ぐぼくに、水城は空中を指差して言った。不気味なほど静かな声だった。ぼくはゆっくりと顔を上げてそれを見た。

 

 満月の光に照らされて、青白い肌を輝かせた黒衣の男が、憂姫を抱えて空中に浮かんでいた。地上から二十メートルほどの高さだろうか? あの夜の男のように、別に蝙蝠の翼を持つではなく、完全に浮遊しているのだった。

 

 その足下の地面に、木戸はライフルを抱えて倒れていた。一瞬、最悪の事態が心に浮かんだが、すぐにテレパシーで意識を探ると、彼は気絶しているのがわかった。少なくとも生きてはいる。安堵の吐息が口から漏れた。


 水城は木戸の様子を見る事も無く、ただ、空中に浮かぶ〈貴族〉を見つめていた。何て冷たい奴だろうか? ぼくは憤りを感じたが、それでもその場で水城に食って掛かるような愚かな事はしない。今はそんな場合では無いのだ。


 それにしても、他の二人の〈デーモン〉は何処にいるのだろう? ぼくのセンサーはいまだに三つの存在を感じているのだが、目に見える〈デーモン〉は、空中に浮かんでいる黒衣の〈貴族〉だけであった。


 まだ認識出来ない〈デーモン〉は、〈エルネージェ女伯爵〉その人と、まだ見ぬ従者たる人狼であろうか? 少女をずたずたに引き裂いたと思われる……。


 ぼくは空中の〈貴族〉にP90の狙いをつけた。だが、引き金を引く事は躊躇われた。


 憂姫に当たってしまう事を恐れた訳ではなく、ヘタに〈貴族〉を射殺した場合、憂姫も一緒に落下してしまう事を恐れたのだ。あの高さでアスファルトの地面に叩きつけられたなら、ケガだけでは済まない可能性が高いだろう。


 ぼくが銃を構えたので、黒衣の〈貴族〉もぼくを見て、双眸を金色に輝かせた。木戸を気絶させた精神波を放ってきたのだ。


 でもぼくにはそんな力は通じない。すでにぼくは『戦闘モード』に入っているのだ。


 〈貴族〉から動揺が感じられた。長い黒髪が広がり、凄まじい〈気〉の弾丸がぼくに向かって飛んできたが、ぼくは体を半身にしてそれを避ける。後方の地面が砕けた。


 整っている無表情な白い顔が、怒りによって醜く歪んでいく。それがおまえの真の姿かよ? この化け物め! 


 ぼくは嘲笑うようなテレパシーを投げつけてやった。それによって奴が怒り狂い、より地面に近づいて来る事を目論んで……。


 まぁ、そう上手く事は運ばない。空中の〈貴族〉は高度を落とす事無く、そのまま飛び去ろうと動き出した。


 ぼくはあの〈貴族〉に命じているだろう、『かまうな。そのまま帰ってくるのだ』と言う心話を、その前に聞いていた。


 隠れている〈デーモン〉の心話か? ぼくは心話の発せられた方向を凝視した。五十メートルほど離れた、窓ガラスのあちこちが割られている、薄汚れたビルの中からそれは飛んできたのだ。


 空中の〈貴族〉に命令出来るのだから、それは恐らく〈エルネージェ女伯爵〉本人だろう。ここで仕留める事が出来たなら、それで憂姫を狙うものはいなくなる。


 ──いた! 屋上に見えるあの影は、〈エルネージェ女伯爵〉に違いない。

 ぼくはP90の照準器を覗き、それが無倍のダットサイトである事に歯噛みした。はっきりと見えないのだ。倍率の高いスコープならば、それが〈エルネージェ女伯爵〉であると断言できるのだが。それでも赤みがかった金色の髪が、月の光を反射して美しく輝いているのはわかる。


 ぼくはこのまま引き金を引く事を躊躇した。直線距離は二百メートルも無い。十分有効射程のはずだ。目標が人間だったのなら……。


 ぼくの腕では長距離で、心臓や頭を一撃で撃ち抜く事は難しい。木戸なら簡単な事だろうに。


 ──しかし、頼みの木戸はあそこで気絶しているのだ。


 ぼくが逡巡しているうちに、乾いた銃声が連続して響き始めた。


「何だ? 誰が撃ってるんだ?」水城が訝しむ声を上げた。ぼくも銃声が響いてきた方向を見た。それはすぐ近くのビルの屋上からだった。


 そこには、長いコートを羽織った男が両手の拳銃を連射している姿があった。


 ──亜門だ。ぼくは思わず呆けた様にそれを見つめ続けた。


 亜門は黒衣の〈貴族〉に拳銃弾を浴びせ続けていた。憂姫にも命中する! そう思って慌てたが、銃弾は見事に黒衣の〈貴族〉の背中と肩に集中していた。使用弾を変えていないのなら、ハイドラ・ショックのままならば、〈貴族〉を貫通して憂姫に被害を及ぼす事は無いだろう。


 執拗な銃撃により、黒衣の〈貴族〉は空中でぐらついた。〈エルネージェ女伯爵〉の悲鳴に似た怒声が響き渡った。心話ではなく、本当の声だった。一体、何語なのだろう?


 次の瞬間、亜門はビルの屋上から飛び出した。六階建てのビルの屋上から……。


 亜門は空中で軽やかに体を捻りながら、苦悶している〈貴族〉に組みついた。そしてあっさり憂姫を取り返すと、そのままアスファルトの地面に舞い降りた。衝撃を殺すように膝を曲げて地面についた時、コートの裾が猛禽の翼の様に広がった。


 人間の動きでは無い。亜門は───どうなってしまったのだ?


 ぼくは空中の〈貴族〉が一瞬上昇したのを見た。そしてすぐ後に、マグナム・ライフルの暴力的なまでにおおきな発射音が鼓膜を震わせる。


 上体を起こした木戸が、ライフルを構えていた。ぼくの方を向いてにやりと笑い、大きな溜め息とともに後ろに手をついた。


 黒い服の塊が地面に激突した。重い金属音を立てる。


 ぼくはすぐにそれに近づいた。よく見ると、その服の裏側は、細い鎖を編みこんだ鎖帷子になっていた。服の中は黒っぽい灰で一杯だった。完全に滅んだのだ。


 それを確認すると、ぼくはP90の銃口を亜門に向けた。水城もシグ・ザウエルの40口径を右手に握って、その銃口を亜門に向けている。


「ご協力は感謝する。さぁ、その娘をこちらに渡せ」


 水城がそう言って近づいた。ぼくは引き金にかける人差し指で、P90のセレクターをフル・オートマチックにした。後は引き金を引き続ける間、5.7ミリの小口径高速弾が連続して発射される事になる。


 もちろん、このままでは憂姫に命中してしまう恐れはあるのだが、それよりも、もう一人の〈貴族〉、〈エルネージェ女伯爵〉の動きが気になったのだ。亜門にこの銃を使うつもりはまったく無かった。この距離ならばP90を使わずに、腰のパラ・オード45口径で抜き撃ちしても、亜門の頭を外す事は無いと言う自信があった。


 亜門は左腕で憂姫を抱き抱え、悠然と立ち上がってぼくたちを見た。右手にはグリップから突き出ている、多弾数の長い弾倉を差し込んだグロックを握っている。三十発以上の実包がそれには装着されているはずだ。


 ぼくは亜門が何を考えているのか、その心を探ろうとした。もしもまたあのガードがあっても、今度はそれを突き破ってやる。


 だが、あのガードは無かった。それどころか、亜門の心は空っぽであった。考えている事なぞまったく無い。まるで人形の様に……。


 いきなり突風のような風を感じた。いや、それは風と言うよりも激しい気合だった。


 疾風のような速さで、〈エルネージェ女伯爵〉が空中から亜門に踊りかかったのだ。


 青いドレスを着た貴婦人が、真っ赤な口を開けて、鋭いナイフのような鉤爪を立てている姿を見て、ぼくは恐ろしさより可笑しさを感じた。自分に施した心理操作の所為だろうか? 口元がニヤニヤしているのを押さえられない。


 〈エルネージェ女伯爵〉が空中にいるうちに、亜門はグロックの引き金を引いた。まるで機関銃のような速さで、僅かな時間の間に大量の9ミリ弾が発射された。

 

 しかし、その至近距離で放たれた十数発の弾丸のすべては〈エルネージェ女伯爵〉の急所に命中する事は無かった。改めて、〈貴族〉の反射神経は凄まじいものであると再認識させられた。ぼくが見る限り、命中したのは僅か五発。しかも、それはすべて左腕で受けている。これだけの近距離にも関わらず、だ。

 

〈エルネージェ女伯爵〉怒りの形相に驚愕の色を浮かべ、跳躍して後退した。左の腕はずたずたに引き裂かれている。それでも、流れ出る血はすでに止まり、その表面には肉が盛り上がり、表皮さえも貼り出している。〈貴族〉ならではの驚異的な回復力だった。


 水城は目を細め、亜門の様子を凝視していた。その目はギラギラと輝いていた。


 亜門の連射は、青いドレスを翻した〈エルネージェ女伯爵〉のサイドステップにより、その効果を与えているとは言えなかった。それでも〈エルネージェ女伯爵〉も亜門に近づく事が出来ずに苛立っていた。


 しかし、グロックの弾倉にはもう弾は無いだろう。ほら、スライドが後退したまま止まってしまった。弾切れだ。


 〈エルネージェ女伯爵〉は歓喜に満ちた表情で、亜門に跳びかかった。その時──軽快なリズムの銃声が、ぼくたちの背後で響いたのだった。


 エカテリーナだった。ぼくと同じP90を構え、〈エルネージェ女伯爵〉に激しい銃弾の嵐を送り続けている。


 〈エルネージェ女伯爵〉は思いもよらぬ方向から襲ってきた、銃弾の雨を体に受けて、避ける事も叶わずに地面に転がった。それでも急所は外れたらしく、すぐに立ち上がり、跳躍しながら近くの三階建ての廃ビルに逃げ込んだ。


 彼女からは、恐怖と怒りの感情が波動となって撒き散らかされている。


 亜門はそれを見ても顔色一つ変える事無く、ゆっくりと憂姫を地面に横たえると、グロックの弾倉を新しい物に交換した。


「〈エルネージェ〉! 出てきなさい!」エカテリーナがP90の弾倉を交換しながら叫んだ。ロシア語で、だ。いつも浮かべている妖艶な微笑はそこには無く、凍りつくような冷笑を浮かべていた。冷たい怒りの波動が彼女の中から溢れ出していた。


「アナスタシアなの? ──まだ生きていたとはねぇ」


 〈エルネージェ女伯爵〉の声が風に乗って響いた。エカテリーナと同じ言葉だった。ぼくがそれを理解しているのは、テレパシー能力でそれを『聞いて』いるからだった。さすがにロシア語などわからない。声の調子は嘲りを含んでいたが、その感情の波動には、底知れぬ恐怖と苦悶の様子が感じられた。


「ええ、生きていますとも。貴女にわたしが殺せて? そんなところへこそこそと逃げ込む貴女なんかに?」エカテリーナはそう言って嘲笑った。


「出来損ないが! 誰に向かってそんな口を利いていると思っているのじゃ?」


「貴女によ、〈闇の母上〉。さっさとその姿を見せなさい!」


 〈エルネージェ女伯爵〉が忌々しそうに、ガラスの無くなったビルの扉をくぐり抜けて来た。青いドレスは全身が赤く染まっていたが、出血自体は治まっているようだ。


 ぼくは亜門の様子を見た。亜門は二人の女の事をまったく気にしていない。水城の方を見て、ただ突っ立っている。まるで思考が無くなっているみたいだと思った。


 水城はいつの間にか刀を両手で握り、目を閉じて何かに集中していた。あの刀は何だろう。その鋼の刃を見つめていると、気が遠くなるような感じを覚える。

 

 ぼくは水城の握る刀から目を逸らし、自分が何をすれば良いのか考えた。本当に、一体どうすればいいんだろう?


「こんな辺境の島国まで私を追って来るとはな。本当に卑しい心根の娘だ」

 〈エルネージェ女伯爵〉は憎憎しげに吐き捨てた。青白い頬が怒りの為なのか、薄っすらと紅潮している。


「別に貴女を追って来た訳では無いわ。でも、このような機会を逃す事も出来ないのよ。ここで引導を渡してあげるわ」


 そう言いながらエカテリーナは地面を蹴って走り出した。P90を腰だめにして凄い速さで突進して行く。〈貴族〉に接近戦を挑むのか? 自殺行為だろ!


 彼女の放った銃弾は〈エルネージェ女伯爵〉には通じていない。サイドステップと跳躍により、ほとんどの弾丸は無駄に消費された。たまに命中しても、それは腕によって防御される。本来ならば、その細い腕を吹き飛ばすような破壊力を持つ弾丸なのだが、〈貴族〉の強靭な肉体は最小限の被害しか受けていなかった。さらにそんな些細な傷は、〈貴族〉の治癒力によって無効化されてしまうのだ。


 〈エルネージェ女伯爵〉が一気に間合いを詰めて、エカテリーナに接近した。エカテリーナのP90は弾が尽きたのだろう、その前に沈黙した。


 危ない! ぼくは思わず〈エルネージェ女伯爵〉に銃口を向けた。命中するとは思えないが、牽制程度にはなるだろうと思ったのだ。


 小気味良い反動で、構えているサブマシンガンが震えた。高速鉄甲炸裂弾が〈エルネージェ女伯爵〉の胸に集中した──ように見えたが、それは幻影だった。


 殺気を感じたのか、〈エルネージェ女伯爵〉は素早くぼくの銃弾を避け、激しく横にステップしたのだ。だがその攻撃により、ぼくの目論見通りエカテリーナには一瞬の余裕が出来た。彼女は背中から短剣(ダガー)型のナイフを引き抜き、隙を見せた〈エルネージェ女伯爵〉に跳びかかった。


 何で自ら危険な格闘戦に持ち込むんだよ? ぼくは叫びたくなった。


 しかし、それはぼくの間違いだった。エカテリーナは銀色に輝くそのナイフを一閃させ、見事に〈エルネージェ女伯爵〉の胸を引き裂いたのだ。〈エルネージェ女伯爵〉のドレスの胸元は裂け、白い豊満な胸が露わになった。そして、その形の良い乳房に焼け爛れたような傷が走っているのが確認できた。鮮血が噴出し、白い煙さえ立ち昇っている。


 怪鳥のような叫び声を放ち、〈エルネージェ女伯爵〉は地面にのた打ち回った。強力な炸裂弾の傷さえも、一瞬にして治癒する能力が、その胸の傷には効果を上げていないのだ。


 銀のナイフか? ぼくはエカテリーナに握られているナイフを見て、そう確信した。ヴァンパイアや〈闇の種族〉の多くは、銀の武器によって生じた傷を癒す事が出来ないからだ。それは奇跡的に正しく伝わった伝承の一つだった。


 苦悶している闇の〈貴族〉の顔を見ていると、水城がいきなりぼくに叫んだ。


「止めを刺すんだ!」


 ぼくはその声に反応して、腰のパラ・オードを反射的に引き抜いた。


 ボーマーの照準器は速やかに、傷みと憎悪に歪んでいる〈エルネージェ女伯爵〉の眉間をポイントした。


 首を捻ってぼくの狙いを外そうとしている、〈エルネージェ女伯爵〉を観察しながら、ぼくはその未来位置を予想した。


 銃口から火花が飛び散り、次の瞬間には〈エルネージェ女伯爵〉の美しい顔の、鼻の上から半分が消し飛んでいた。


 ぼくは銃口を向けたまま、その死体の変化を見守った。見る見るうちに灰と化し、血に汚れた青いドレスだけがそこに残っていた。


 エカテリーナを見ると、彼女は虚脱したような表情を浮かべ、その無残なドレスの骸を見つめ続けていた。

 

 これで終わった。今回の仕事はこれで終了したのだ。もうこれで、憂姫も狙われる事も無いだろう。それに連続少女殺人も、これで一件落着となるだろう。


 もっともこう言った事件が、二度と起こらないと言う訳ではないが……。


 ぼくは戦闘用の心理状態を解放し、水城と対峙している亜門に近づいた。全身から力が抜け、疲労による倦怠感が溢れ出す。


「なぁ、もうあんたの追っ駆けていた〈貴族〉は滅んだんだし、いい加減に憂姫を放してくれよ。もう彼女は必要無いんだろう?」


 ぼくは亜門にそう言いながら水城の横に立った。その時初めて、水城と亜門の間に物凄い緊張が張り詰めている事がわかった。水城は妖しく輝く刀を構えたまま、顔中に汗を噴出している。対する亜門は無表情のまま、グロックを握った右手をだらりとさせ、水城をじっと見つめていた。ぼくの事など眼中に無い。


 そう言えば、なぜ亜門は動かなかったのだろう? あれほど憎んでいた、仇である〈エルネージェ女伯爵〉を滅ぼす為に、一切の行動を見せなかったのは何故なのだ?


 ぼくは無言の亜門から、冷たい鬼気を感じた。そう言えば、亜門のあの動きは何だったんだ? それにこいつから吹き出ている、〈デーモン〉が憑依しているかのような、この非人間的な感覚は何なんだ?


 ぼくは漸く気づいたのだ。この場所から察知していた〈デーモン〉の数は三つ。そのうち二つは〈エルネージェ女伯爵〉とその眷族である黒衣の〈貴族〉。そしてあと一人は……。




 亜門だったのだ。目の前にいるこの男こそ、最後の〈デーモン〉なのだ。人狼なぞ、存在しなかったのだ。




 ぼくはP90を素早く構え、亜門の頭に照準した。レーザーの赤い光点が亜門の額に浮かぶ。引き金を引けば、亜門の頭はきれいに吹き飛ぶだろう。


 いきなり亜門がぼくを見た。ガラス玉のようなその瞳が、急に光を取り戻した。


 ぼくの全身に激しい悪寒が走った。氷で出来た柱が、ぼくの体の真ん中を貫いたような冷たい衝撃を受けて、ぼくは思わずP90を手放して、体を抱きしめるように腕をまわして、力が抜けた膝を地面に着いた。


 重い棍棒で殴られたように奥の方が痛む頭で、油断した自分が戦闘状態の自己暗示を解いた事を思い出した。今のぼくは、何の防御もなしに精神攻撃にあっている!


 恐怖が──ああ、圧倒的な恐怖がぼくの体の自由を奪う。凍りついたように指先一つ動かせない事が、さらにぼくの心を怯えさせる。


 これが──〈〈闇の種族〉〉の本当の恐ろしさなのか?


 亜門は──〈闇の種族〉に転化されてしまったのか?


 気づかぬうちに、表面の荒れたアスファルトの上に転がっていた。地面の冷気が全身に染み渡ってくる。


「おい、起きろ! なに転がっているんだ!」


 木戸の声が聞こえる。首が回らない為、かなり狭い視界の範囲内に、かろうじてライフルを構えたその姿が映った。いきなり崩れ落ちたぼくの様子を見て、訝しげな表情だった。


 気をつけてくれ! こいつは──亜門は〈デーモン〉なんだ!


 ぼくはテレパシーを全解放して〈叫んだ〉。頼むから通じてくれ!

 

 だがそれは遅かった。木戸がぐらつき、地面に膝をついたのがわかった。ライフルがおおきな音を立てて転がった。

 

 絶望がぼくの心に広がった。このままでは全滅だ。視界がぼやけていく……。

 

 いきなり腰に一撃を喰らった。頭のてっぺんまで、その電撃のような衝撃が突き抜けた。


「何をやってるんだおまえは! また気を抜きやがって、ガードを外してやがったな? さっさと立ち上がれ!」


 水城だった。水城がぼくの尻を蹴りつけたのだ。


「痛いじゃないか! こんなに思い切り蹴るなんて!」


 ぼくは腹が立って水城に叫んだ。


「──よし、動けるようになったな」


 水城はそう言ってにやりと笑った。

 

そう言えば──ぼくは上半身を起こしていた。知らないうちに自分で身を起こしていたのだ。水城の蹴りによって、亜門の〈呪縛〉は断ち切れたのだ。


 水城のおかげと言うのが気に喰わないが……。


 ぼくは素早く立ち上がり、自分の心に暗示をかける。恐怖など微塵も感じない〈戦闘モード〉に精神状態を変化させた。戦いへの衝動が突き上げてきた。


 亜門が憂姫を抱えて跳躍した。ぼくたちの頭上を越えようと跳んだのだ。それはまさに人間業ではない跳躍力だった。


 ぼくは反射的にP90をフルオートで発射した。甲高い発射音を立てて、激しく暴れるその銃をコントロールし、弾倉に残る全弾を亜門の全身に撃ちこんだ。この時は憂姫に命中してしまうかもとは考えてもいなかった。


 亜門は空中でバランスを崩し、固い地面に激突した。その衝撃で憂姫を放り出してしまう。憂姫は意識を失ったまま、人形のようにアスファルトの道路を転がっていく。


 タイミングよくエカテリーナが飛び出してきて、憂姫の体を抱きあげた。そしてそのまま後退して行く。


 唸り声を上げて亜門が立ち上がった。全身から血を流しているが、堪えた様子は見せていなかった。ああ、こいつのコートは防弾仕様の物なんだ。貫通力の高い5.7ミリ弾が貫通しないところを見ると、頭を撃ち抜いて脳を破壊するしか、この男を止める事は出来ないだろう。


 P90は弾倉を交換する作業に手間取るので、ぼくは躊躇う事なくそれを地面に投げ捨てた。腰のパラ・オード45口径を両手で構える。


 亜門は両手にグロックを握り締め、ぼくに向かってその銃口を向けてきた。くそ、反応が一歩遅れた! ぼくは眼前の、真っ黒な直径9ミリの二つの孔から、毒々しい炎の華が生み出されるのを、なかば呆然と待っていた。


 裂ぱくの気合がぼくの耳朶を打つと同時に、水城が日本刀をかざして亜門に跳びかかった。その妖しい光を発する刃が、亜門の両手を、肘のところから一瞬のうちに断ち切った。


 グロックを握ったままの腕が二本、遠くの地面に転がり落ちた。そのうちの一丁が暴発したが、その銃弾は誰にも被害を与えずに済んだ。


 聞くに堪えない絶叫を上げて、亜門は水城を睨みつけた。その顔は見る見るうちに変容していく。


 大きく開いた口は裂け、鋭く尖った牙のような歯が剥き出しになり、目は金色に輝き出した。そしてその額から──二本の角が生えてきたではないか!


 もともと大柄な身体が更に膨れ上がり、二倍近い大きさになっていく。それにつれて着ている服は裂け、ほとんど全裸の肉体が、凄まじい筋肉のボリュームを露わにしていく。


 しかも──なんと切断された両腕がグロックを手放し、それ自体が生きているように五本の指を使って、亜門の足元に這いずりよって近づいていくではないか!


 駄目だ! このまま亜門を変身させてはいけない!


 この男は──鬼なのだ! そんなものは初めて見るのだが……。


 ぼくはパラ・オードの引き金を引いた。躊躇う事無く、その怪物と化した亜門の眉間に向かって、45ACPの185グレイン・ホロー・ポイント弾を発射した。

 

 轟音が耳に響き、心地よい反動を腕に感じる。確実な手ごたえがあった。


 放たれた銃弾は確実に、鬼に変貌した亜門の頭蓋骨を撃ち砕いたはずだった。亜門は首を急激にのけぞらせ、空に向かって絶叫を放った。


 ──しかし、亜門はすぐにその顔を、ぼくに向けたのだった。血塗られた顔面を朱に染めて、亜門は憎悪に燃えた瞳を輝かせている。わずかに狙いが外れたのだと、ようやくぼくは気づいた。ぼくの発射した45口径弾は、下から撃ち上げたその角度によって、額の厚い頭蓋骨を貫通せず、滑ってしまった弾丸は表皮を切り裂いだけで終わったようだ。


 壮絶な顔になった亜門は、らんらんと目を輝かせ、頭上から大きな口を開けてぼくに襲いかかった。大きく開いた口の中に、鋭く尖った牙が並び、涎が滴っている。そして真っ赤な口腔の中に、真の闇がポッカリと開いている。

 

 ぼくは両手を伸ばし、迫り来るその口中に向かって引き金を二度引いた。恐怖を感じる暇もなく、機械的にその動作を起こしたのだった。さらに三連射!

 生暖かい液体が突き出した両手や顔、いや、それこそ全身に降り注いだ。目にまでそれがかかったので、視力が一時的になくなってしまった。


「避けろ! さっさとそこから逃げるんだ!」

 

 水城の叫び声によって、ぼくは左に横っ飛びに転がった。


 湿った重たいものが、アスファルトに叩きつけられる音が聞こえた。微かに振動も、地面についた掌に感じられた。


 ジャケットの裾で目を手荒に拭うと、まだおぼろげな目を向けて、ぼくは横たわる裸の巨人の姿を認識した。


 かつて亜門だったそれは、後頭部が半分ほど消失していた。口の中に撃ちこまれた45口径弾の成果であった。さすがにもう、立ち上がる事はないだろう。


 全身の筋肉はいまだに痙攣しているが、瞳の輝きは急速に薄れていく。亜門──この〈鬼〉は死んでしまうのだ。


 やがて〈鬼〉は動かなくなった。それと同時に、その肉体は急激に腐敗していった。みるみるうちにその肉は腐り落ち、おぞましい液体と化していく。後に残ったのは黄ばんだ白骨体であった。


 その白骨の大きさは人間のサイズに戻っていた。ただ、後頭部が無くなった頭蓋骨の額部分に、二本の角が残っていた。彼が〈鬼〉であった証拠になるのはこれだけだった。


 一体どうして、亜門がこんなものに変化したのだろう? 事務所に襲撃した時は、絶対に亜門は人間だった。その後、亜門の身になにが起こったと言うのだ?


「──やっぱり〈鬼〉に転化していたのか……」


 水城がぼくの肩越しに、亜門だったものの成れの果てを見てそう呟いた。どこか疲れ果てたような声だった。


 ぼくは全身に浴びた亜門の血が、腐敗して激しく臭うのに辟易していた。それに水城同様に疲れ果ててもいる。今回の仕事に心底うんざりしていた。それでも、これですべてが終わったと考えると、その疲労も心地よい疲れとなるだろう。とにかく今は、熱いシャワーを浴びて全身のこの汚れを洗い流してしまいたい。


「さぁ、もう終わったんだ。早く帰ろうよ」


 ぼくは水城にそう言った。


 水城は妙に暗い顔をしてぼくをじっと見つめ、溜め息まじりにこう言った。


「まだ終わった訳じゃ無さそうだぞ。どうみても亜門はヴァンパイアじゃない。誰かに〈鬼〉に転化させられたんだ。〈エルネージェ女伯爵〉と敵対している何者かに……」


 その言葉を聞いて、急に全身から力が抜けていく。切なくなって泣き出してしまいそうな気分だ。まだ続くのか? まだこんな事を続けなけりゃならないのか?


 もうこんな仕事は嫌になった。そうだ、もう止めよう! さっさと家に帰って熱い風呂に入るんだ! こんな人殺しなんか──もうたくさんだ。


 余程情けない顔をしていたのだろう。水城が胡乱な眼つきでぼくを見た。


「しっかりしろよ──おい、まだ〈戦闘モード〉を解いていないのか? 精神に負担がかかるからもう止めろよ」

水城がそう言ってぼくの肩を掴んだ。


 ぼくは〈戦闘モード〉を解き、自分の心の中での緊張を解いた。この〈戦闘モード〉を持続させると、やがて負の感情が高まり、自虐的になったり暴力衝動に駆られたり、精神状態を悪くしていくのだ。さきほどのように……。


 水城に掴まれた右肩から、妙に温かい感触を覚えた。そして初めて、水城の心の中に接触したのだった。


 水城は心配していた。憂姫の事も、亜門を〈鬼〉に転化した存在の事も。そして、なんとぼくの身体や精神についてもさえも心を痛めていた!


 ぼくが首を捻り、水城の顔をまじまじと見つめると、慌てて水城はその手を離した。


 水城は照れる訳でもなく、いつもの冷笑的な表情を浮かべ、


「とにかくここから離れよう。警察には連絡して置いて、報告は明日に回そう。〈エルネージェ女伯爵〉が滅んだ事によって、依頼された件は完了したんだからな」

と言って、ゆっくりと歩き出した。


 木戸も胸を押さえ、ライフルを邪魔臭そうに気にしながら、その後にゆっくりと歩き出した。


 ぼくは二人の背中を追って、「そう言えば憂姫はどうしたんだ?」と、訊いた。


「エカテリーナが保護しているさ」振り返りもしないで水城は答えた。


「どこにだよ。あんたの車でかい?」

 

 ぼくは不安になって続けた。ルクレツィアから、エカテリーナが戻ってこないと言うテレパシーが、ちょっと前に届いたからだ。


 ぼくの口調が気になったのか、水城は急に足を止めて振り向いた。怪訝な顔つきだ。木戸はさらに数歩進んでから立ち止まり、顔を顰めた。


「ルクレツィアが不安になってぼくに『叫んだ』のさ。エカテリーナが戻って来ないってね」


 ぼくは自分の顔が強張っているのを感じながらそう言った。


 それを聞いた水城に緊張が走った。これ程までに水城が驚いた表情を見せたのは初めての事だと思う。そして水城はいきなり走り出した。木戸が苦痛の呻きを上げ罵りながら、それでも必死に走り出す。ぼくも慌ててその後を追った。


 ぼくたちはすっかり失念していたのだ。亜門をあのように変化させたものの存在を……。


 そしてその存在が何を狙っていたのかと言うことを……。


 夜は──闇の世界はまだ訪れたばかりだった……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ