第7話 「後悔する銀行員」
冬川景子はひどく後悔していた。
やはり柚木二晴に30億円の融資を提案などすべきではなかった。最初の印象から既に良くなかった。銀行に対して自社の魅力を過剰にアピールして融資を獲得しようと営業をかけてくる経営者は少なくない。それは理解できる。資金繰りに奔走する者にとって、銀行に良く見せようとするのは努力の一つだからだ。
だが、二晴は違った。YUZUNOKIの成長をまるで自分一人の成果かのように語り、自信満々に「社長になるつもりはないが、1億でも2億でも借りられるとありがたい」などと口にしたのだ。数多の経営者と接してきた冬川の目には、その姿はあまりにも軽いものに映った。
さらに冬川の提案後、彼からの電話が銀行へ執拗にかかってくるようになったことも、気落ちする一因だった。内容は、人事制度をどう改革するか、新規出店の候補地、ひいては自宅の改装や服装の相談にまで及んだ。冬川はひとつひとつ丁寧に答えていたが、果ては、
「近いうちに食事でもどうでしょう?ゆっくり相談させて欲しいのです」
ときた。「融資前ですから利益供与など誤解されかねません。今は控えておきましょう」と言ってやんわりと断っていたが、まだ跡継ぎと決まっているわけでもないのに、すっかりバラ色の未来を思い浮かべて浮かれている。その様子に、冬川は心底落胆した。創業経営者の後を継ぐということが、何を意味するのか。経営者とは華やかな未来を約束された職種ではない。苦しく、時に孤独な選択の連続だ。そういう経営者の苦悩を見てきた。しかし、二晴にはそれがまるで解っていなかった。どう考えても、二晴が跡を継いだ後のYUZUNOKIの将来が不安だった。
冬川は桜庭にこの懸念を相談した。しかし返ってきたのは、意外なほど軽い言葉だった。
「いいじゃないか。会社さえしっかりしていれば多少間の抜けた経営者でもやっていけるだろ。神輿は軽くてパーがいいなんて言葉もあるじゃないか」
冷静沈着で頭脳明晰、融資先の企業について冷徹に分析する桜庭らしくない言葉だった。
――本当にそれでやっていけるのだろうか。
二晴がYUZUNOKIの跡を継いだとして、その時一誠はどうするのか。兄弟喧嘩を社内で繰り広げることになるのではないか。親である誠司が生きている間は大丈夫かもしれない。しかし、誠司が引退、もしくは亡くなった後、本当の意味での相続争いが始まってしまうのではないか。もしそうなった場合、YUZUNOKI自体が傾いていくのではないか。その辺りを桜庭さんはどう考えているのだろう。やはり一誠に話を持っていき、時間をかけてでも確実にメインバンクの座を手にしていくべきだったのでは――冬川はそう考えて言いかけたが、もう後の祭りだった。
追加の15億円も不可解で、0.45%という低金利も引っかかっていた。どれもこれも内部監査部のエリートコースを歩み、行内でも一目置かれている存在の桜庭らしくないものだった。
しかも、冬川がこの案件を「まとめた」として、行内では既に話題になっているということも冬川には気が重かった。異動して早々に30億円の融資をまとめてきた、と言われてしまっている。まだ融資が確定したわけでも何でもなく、ただ二晴に提案して了承を得たというだけのことなのに。そして冬川にしてみればそれはすべて桜庭の指示通り動いているだけで、自らの力で進めてきたわけではない。むしろお膳立てされ、桜庭の小間使いとして扱われていることに抵抗感さえあった。別に私でなくとも良かったのではないか、と。
二晴に提案の了承を得た日、桜庭からは「よくやった、さすが冬川さんだ」と褒められた。しかし冬川は、本音で「私は室長の言われた通りにやっただけで、私の成果ではありません」とはっきり言った。それに対し、桜庭は「指示されたことをきちんと成し遂げるのも実力だ」と返してきたが、それが桜庭の本心だとは到底思えない言い様だった。
ともあれ提案した以上、この話は決めなくてはいけない。行内の調整や稟議は桜庭室長に任せるとし、冬川は一誠とメインバンクに手を打たせないよう、早急に「社長交代を決める場」を設定させなくてはならなかった。




