前
「……ファニーは噂の魅了持ちだった。俺は怪しげな魔術であの魔女に操られていたんだ。マリーだって信じてくれるだろう?」
恥ずかしげもなく言い張る元婚約者に私は呆れ果てました。
久しぶりに見たルインの美しいと分類される顔はやつれ果て、宝石のような青の瞳は涙で潤んで私に何かを訴えてきていますが。
婚約を結んだ時から破棄するまで「愛のない乾いた女」と蔑まれた上に、毎日我が家に押しかけてきては「マリーに会わせろ」と騒ぐのに悩まされている私にはこれっぽっちも心に響きません。
むしろ「いつまでもお嬢様を煩わせるゴミはさっさと処分しましょう」と良い笑顔で策を練る使用人たちを必死に止めていることを感謝してほしいぐらいです。ついつい視線と声も冷たくなります。
「いいえ、操られてなんかいませんわ。ファニーはたまたま魔力を溢れさせ、相性の良いあなた方を魔力で酔わせてしまっただけだと王宮魔術師様が証明されています。あなたも以前に魔術師様からもきちんと説明されたはずですが」
「それは何度も聞いた! 確かにおまえとは違ってかわいくて女らしいファニーといるのは楽しかったが。でも、婚約者のおまえを捨てるなんて馬鹿なことをするわけがない!! 俺は正気じゃなかったんだ!」
「あなたがどう思われていても。調査を行った魔術師様は『一連の行動は本人の意思によるものだった』と証言されていますし、証拠もありますわ。それに、婚約破棄する時に『ファニーを愛している』と言っていたとお父様とお母様と魔術師様から聞いています」
顔を赤らめてぷるぷる震えているルインはきっと自分の愛の誓いを思い出して感極まっているのでしょう。1月も経っていないのに忘れているのはどうかと思いますが。
「あなたはいつもその無理やりにでもひねり出す嘘で私に嫌がらせと後始末を押しつけてくるだけの人でしたけれど。我が家との一切の関係を断って彼女との愛を選んだことは真実だと信じてあげますわ。だって、繊細な彼女が私や友人たちにたびたびありもしない虐めを受けたと想像して怯えるのを優しいあなたが寄り添って励ましたことでお2人の仲が深まったことは、私を含めた学園中の方が認めていますもの。きっかけはともかくお2人が育んだ愛は間違いなく本物ですわ。おめでとうございます」
ついでに思い込みの激しいルインが間違っても勘違いしないように「おまえなんか愛してない」と念押ししつつ、ファニーと育んだ愛のメモリーをしっかりと思い出させてあげます。
しかし、ルインはなぜか私を馬鹿にするようににやにやと笑いだしました。
「はっ、おまえは本当に冷たい女だな! 素直に俺を愛していると言えばまだかわいげがあるものの、そうやっていつも俺に嫌味を言うから俺もおまえを愛してやれないんだ!! 本当に嫉妬深い女だな。まあ、今回は俺もやりすぎたからな、今だけは許してやる。
……ほら、せっかく俺から会いに来てやったんだからさっさと婚約の契約書を出せ。たかが一貴族の問題に王宮魔術師まで巻きこむなんて面倒なことをしたおまえが悪いんだからな。せいぜい俺に感謝して今度は心から尽くせよ」
案の定、自分に都合よく解釈して威張り散らす元婚約者、いえもう害虫でいいですね。
その無駄にキラキラしい顔面を泣き面に変えてやりたい衝動をこらえつつ、私はひっそりと壁際に立って心配そうに見ている“彼”に軽くうなずきました。
―――
私こと伯爵令嬢マリーと元婚約者で侯爵令息のルインは、一家そろって強欲な侯爵家が我が家の財産狙いで強引に婚約を結んだ仲です。
美貌が自慢のルインは茶色の髪に緑色の目をした平凡な私のことを毛嫌いし、学園で出会った愛らしさが自慢の男爵令嬢のファニーと真実の恋とやらに落ちました。
魅力的なファニーはルインのように恋に夢を見る男性たち2人を次々ととりこにしたあげく、全員を愛しているのだとおほざき遊ばして、学園内ではいつも彼らとべったりとくっついて過ごしていました。
しかし、ファニーの愉快なとりまきたちには全員私を含めた婚約者がいます。
その上、彼女は私たちや親切な女子生徒たちがやんわり注意しても「モテない女のひがみ」とせせら笑うので、すべての女子生徒たちから嫌われて、一部の方からは意地悪をされていました。
虐めに傷ついたらしいファニーの涙ながらの訴えに激怒したとりまきたちは、婚約者の私たちが「自分たちに愛されない寂しさからファニーに嫉妬して虐めている」と決めつけ、ファニーが泣くたびにわざわざ私たちを探し出して罵倒してきました。
最初の内は、自分の潔白の証明のためにも虐めどころか一切関わっていないと証拠と証言付きの正論で丁寧に叩き潰していたのですが。
助けられたファニーが喜ぶときれいさっぱり記憶と脳みそを溶かしてまた同じことを繰り返す姿に我慢の限界に達し、とりまきたちを見かけると騎士の令嬢に教わった殺気をこめてにらみつけて追い払うようにしました。
そして、浮気の証拠を集めて速やかに婚約を破棄することを決めました。
ちなみに、周りの常識ある生徒たちもとりまきたちの急激な記憶力の衰えを気味悪がり「あいつらに関わると馬鹿になる」と彼らを避けるようになりました。おかげでファニーが訴える虐めは純度100%の彼女の妄想だけになったようで。私たちと目を合わせないようにこそこそ陰口を言って盛り上がるとりまきたちとファニーを無視すれば、まあまあ平和に過ごせるようになりました。
そうして私たち3人は協力して婚約破棄するための手続きを進めていたのですが。
ある日、友人が「ファニーが魅了持ちじゃないかと噂になっているらしいの」と困った顔で言い出しました。
私ともう1人が魅了とは何かと尋ねると学園に伝わるとある“噂”を教えてくれました。
――かつて学園にもファニーのように愛らしい容姿をした女子生徒がいた。
彼女は他人の心をとりこにして自由自在に操る“魅了持ち”で、見目麗しい上に婚約者がいる高位貴族の男性たちを魅了していつも自分の周りに侍らせ、ところかまわずはしたない行為にふけっていた。
そして男性たちにわざと女性たちを侮辱させて楽しんでいたらしい。
魅了持ちが捕まって処刑されると男性たちはやっと正気に返った。彼らは魅了の被害者として同情され、愛する婚約者とよりを戻したり、新たな人生を歩んだそうだ。
「あのプライドと爵位だけは無駄に高くて自分に甘い3人のことだから、いくら浮気の証拠があってもこちらから婚約破棄するとなったらしつこくごねると思うの。それにこの有名な噂話って少し似ている部分もあるでしょう? もし、あの思い込みの激しい3人がこの噂を知ったら、自分たちに都合の良いように解釈して“ファニーに魅了された被害者”だと言い張るんじゃないかと思って、無事に婚約破棄できるか不安になってしまって……」
彼女の言葉を聞いた私たちの間には何ともいえない空気が漂いました。
ルインはまさに彼女が言う通りの性格です。傲慢で冷酷な奴はファニーに飽きたら、今や学園中に知られつつある愚行を含めた悪い評判はすべて身分の低いファニーのせいにして、自分は悪くないと逃げるでしょう。
ましてや、魅了などという思い込みが激しくて目立ちたがり屋の奴好みの噂話なんて知ったら。間違いなく周りを巻きこんで悲劇の被害者ぶり、かわいそうな自分に酔いしれたあげく身分を振りかざして私に復縁を迫ってくるでしょう。
そんな下世話な醜聞に巻き込まれて令嬢としての評判を傷つけられた上に、あの人間としても最低な男の評判上げのために良いように使われるなんてまっぴらごめんです。
どんよりとした友人たちのためにもどうにかできないかと考えた私は良い案を思いつきました。
「わかった。ファニーが魅了持ちじゃないってことを証明できるように、お父様に相談してみるわ」
顔の広いお父様ならば魅了というものに詳しい人も知っているかもしれません。
私は少しほっとした2人に任せてと請け負うと、授業が終わると急いで家に帰ってお父様に相談しました。
お父様は魅了という言葉を聞くと険しい顔をして、専門家を紹介してくれると約束してくれました。
―――
数日後。お父様が紹介してくれたのは何と王宮に務める魔術師様でした。
私とそう齢の変わらないように見える少年魔術師様はリエルと名乗りました。
瞳が見えない曇りガラスのメガネをかけて真っ白な前髪を長く伸ばしているので全体的な表情は見えませんが、 さすが若くして王宮魔術師を務めているだけあってとても穏やかな方です。
思っていた以上に格の高い方が来てかちこちに緊張していた私もすぐに打ち解けられました。
私の愚痴交じりの長話を静かに聞き終えると、彼は快く調査を引き受けてくれました。
「あなたが抱える深刻な悩みが一時でも早く解決するように協力します。それと、良かったらこれをお持ちください。あなたが傷ついた時に心を癒すお守りです」
「あ、ありがとうございます……。わあ、良い香り。こんな素敵な物、本当にいただいてよろしいんですか?」
リエルはアネモネの刺繍が施されたポプリ袋をくれました。
顔に近づけるとふわりと甘い花の香りがして不思議と心が和らぎます。
あの魅了の話が気になって最近はピリピリしていたのでとてもうれしいです。
「ええ、もちろんです。このおいしいお茶とお菓子のお礼ですので。気に入っていただければ幸いです」
よほど気に入ったのか紅茶の葉を練り込んだクッキーを大事に味わって食べています。
仕事中の態度は責任感のある大人ですが、こうして雑談する姿は育ちの良い少年のようです。
口に入れるたびにゆるむ頬は1つ年下の弟のようにふにふにしたやわらかいもので。
ついついその愛らしい様子を見守っていると、気づいたリエルは恥じらうように頬を赤く染めました。
「申し訳ありません。つい夢中になって食べてしまいました」
「いいえ、こうして足を運んでいただいて依頼を引き受けてくださった上に、素敵なプレゼントまでいただいたのですもの。お返しには全然足りませんが、喜んでいただければうれしいですわ。クッキーが好きなんですか?」
「はい。クッキーもそうですがお菓子全般ですね。姉上曰く僕は大の甘党だそうで、いつか王都のすべてのスイーツを食べ尽くしそうだと良くからかわれます。でも、このクッキーは特に好きです。ずっと食べていたいです」
「ふふ、リエル様は魔術とスイーツどちらにも詳しいのですね。我が家のシェフも高名な魔術師様に気に入られたと聞いたらとても喜びますわ。……そうだ。そのクッキー、良かったら持って帰られます?」
かわいらしいことを言うリエルについうっかり幼い末弟にするように話しかけてしまうと、彼はぱあっと顔を輝かせてこくりとうなずきました。その純粋な笑顔に私はたっぷり癒されました。
素はほんわかした性格のリエルですが仕事はとても優秀です。
彼はすぐさま調査を始め、ファニーがルインたちをいわゆる“魅了”していることを突き止めてくれました。
あの悪夢が現実になるのかとショックを受けた私にリエルは慌てて続けます。
「申し訳ありません、言葉が足りませんでした。実は、一般的に魅了と呼ばれるもののほとんどは自身の魔力が何らかの理由で外に流れ出てしまい、自分と魔力が合う人間を強く惹きつける現象のことなのです。僕たちは魔力酔いと呼んでいます。わかりやすく言うと、そのマリーさんの婚約者たちは魔力の主の彼女といると幸せや楽しさを感じてずっと浮かれている状態なのです」
この国の人間は皆魔力を持っています。普段は体内に留まっていますが、時々何らかの理由で魔力が漏れ出してしまうことがあるそうです。
今回もファニーの魔力が流れ出し彼女と相性が良い3人を無意識に惹きつけて“恋に落ちたような”状態にしてしまっているとのことです。
「特に、恋に目覚める年齢の異性同士の方々は、興奮のあまり夢中になってしまう方が多いのです」と、自分も少年なのに若者の恥ずかしい行いを見た年長者のようにリエルはほろ苦く笑います。
「マリーさんの婚約者たちが魔力の主に積極的に触れたり愛をささやくのは、彼女への元からの愛情と魔力が合うことへの本能的な興奮によるものでしょうが。婚約者のあなた方を蔑ろにするという意地悪な行動は元々の彼らの性格かと思います」
「魅了をきっかけに妙な自信がついて暴走する方に良く見られる傾向です」と、私を慰めるようにそっと付け足したリエルの言葉を聞いて私は納得しました。
要は、悪友同士でバカ騒ぎをして盛り上がっているうちに気が大きくなって、気に入らない私たちに自分たちのかっこよさを見せつけて勝ち誇っているのでしょう。迷惑な。
ちなみに、友人が聞いた“魅了”の噂は。
「一般人の生活をしてみたいと正体を隠して平民として学園に入学した美しい女性魔術師が、その美貌を気に入った高位貴族男子にしつこくつきまとわれたあげくべたべた触られるのにブチ切れて、魔力でぐでんぐでんに酔わせて大勢の前でわざと醜態をさらさせた」というのが真相だそうです。
きっとルインのように見た目と爵位しか自慢できるものがない思い込みの激しい男どもだったのでしょう、ざまあみろですね。
―――
リエルとその仲間たちは調査している間に見かけたという3人とファニーがいちゃつく姿と私たち婚約者を罵倒している様子を証拠映像として撮ってきてくれました。
私には「マリーさんには刺激が強すぎます」と気遣って見せてくれませんでしたが。後でお父様が領民を狙う盗賊を見つけたような憤怒の形相をしていたのでさぞかし良い感じの映像が撮れたのでしょう。
天使のようにきれいなリエルにそんな人間の醜悪な面を見る仕事をさせてしまったのはとても申し訳ないですが。おかげで浮気男たちを捨てるための強力な証拠も揃いました。
「婚約を破棄する手続きをする時には、ぜひ僕も立ち会わせてください。貴族の婚約はいろいろと細かいですから。間違いがない魔術誓約を結ぶことをおすすめします」
魔術誓約は名前の通り魔術師の立会いの下で契約を結び、破った場合は厳罰が下されるものです。
こういうこじれそうな案件には良くあるのだと、リエルは丁寧に説明してくれますが。魔術師にとってもとても重い責任が伴うものです。
きっと彼は普通の貴族令嬢としてぬくぬくと育った私には想像もできないぐらい修羅場をくぐって、嫌なものをたくさん見てきたのでしょう。
それでも見ず知らずの他者のためにためらいなく救いの手をさしのべてくれる優しさに心から感謝すると、彼はどこか誇らしげに笑いました。
「僕が望んだことですから。マリーさんの力になれて本当に良かったです」
その後、私たち3人はリエルと仲間の魔術師様たちの立会いの元“今後一切関わらない”魔術誓約を結んで婚約破棄しました。
お父様を始めとしたこちら側の3家の当主夫妻は魔術師様たちから“魔力酔い”の説明を受けました。
その上で、私たち婚約者を含む他者から何度諫められても感情のままに愚行と罵倒を繰り返した元婚約者たちとそれを放置した家を「貴族として信頼できない」と判断し、家として関わりを断ち切ることを選びました。
このことが知られたら元婚約者一家は貴族社会でも遠まきにされるでしょう。
しかし、子が子なら親も親です。案の定、魔術師様たちが丁寧に説明しても元婚約者一家たちはしぶとく「自分たちはファニーにたぶらかされた被害者だ」とごねたそうですが。良い笑顔を浮かべた魔術師様たちに
「令嬢たちへのいわれなき誹謗中傷は間違いなく本人の意思でやったことです」
と、リエルたちが撮ってきた例の映像を見せられ、ルイン以外の2人は真っ青になったそれぞれの親に現実を叩き込まれて今さらながら謝罪したそうです、もう遅いですけれど。
ちなみに、おバカ侯爵一家こと元婚約者ルインとその両親は「元はと言えばマリーにファニーのような愛らしさや魅力がないのが悪い。俺は最愛のファニーと幸せになる」と堂々と開き直り、親子で手を取り合って盛り上がっていたそうです。
私にとっては何1つ良いところがない元婚約者でしたが。リエルの立会いの元で魔術誓約を結んだことでもう2度と関わることもなくなりましたし、自分が選んだファニーと今後大変でしょうが手を取り合って幸せになってくれるように願っています。
戻ってきたお父様も満足がいく結果だったらしく、魔王のような形相で勝利の高笑いをしていました。
隣でいつものようににこにこと微笑んでいるリエルも気のせいか黒いオーラがにじみ出ていたように見えたのは気のせいでしょう。
リエルはその真っ白な髪とおっとりした笑顔のように心優しく頼もしい魔術師様ですから。
―――
晴れて自由になった私は渋るお父様を説得してちょくちょくリエルに会いに行っています。
リエルは物心つく時から王宮魔術師のお師匠様に弟子として育てられたそうで、私が話す日常生活の話が新鮮だそうです。
特に、社交界の流行や噂などの最新の情報は仕事で貴族と会う時に役に立つととても感謝されてします。
ちなみに、一番喜ばれるのは我が家のシェフが作るクッキーとスイーツです。
いつもうれしそうに食べるリエルはすべて映像で残しておきたいぐらい私のとっておきの癒しです。本人には爽やかな笑みを浮かべて断固拒否されましたが。ちょっぴり冷たいリエルも好きですが。
他の魔術師様たちもリエルの友人の私をいつも大歓迎してくれます。
中でも、リエルのお姉さまのシルフィーナ様とは大の仲良しになりました。
シルフィーナ様は白銀の髪に緑色の目をした絶世の美女で、同じ女性の私もうっとりと見惚れてしまうしっとりとしたお肌と魅惑のボディラインをしています。
その美貌の秘訣を聞くと、膨大な魔力を持つ魔術師様はなぜか皆絶世の美形なのだと教えてもらいました。
それを聞いた私は前から気になってしょうがないリエルのメガネを外した顔を見たいと思ったのですが、残念ながらいつも察した彼に逃げられてしまいます。
お姉さまが絶世の美女ならばリエルも絶世の美少年でしょうに。リエルはいつも恥ずかしがってメガネを外してくれないのです。
ある日、珍しくリエルが遅れている時にシルフィーナ様に理由を尋ねると、彼女は楽しそうに教えてくれました。
「エルは幼い頃から飛びぬけて魔力量が多くてね。うっかり魔力を溢れさせて相手を魔力酔いさせて面倒ごとにならないようにいつも師匠にもらったメガネを着けているのよ。と言っても毎日鍛錬しているし、今は完全にコントロールできているから外しても大丈夫なんだけどね。あれで心配性だから、マリーちゃんには気をつかっているの」
「そ、そうなんですか……」
真面目なリエルは何があってもその魔力を完璧に制御すると誓っているそうで。幼い頃から毎日欠かさず鍛錬しています。
そんな魔術師として誇りを持つ彼に叱られたことを思いだして、恥ずかしさがこみあげてきました。
前に「魔力を流し込まれると幸せな気分になるとは、どんな感じなんだろう」とちょっとした好奇心にかられ、こっそりシルフィーナ様にお願いして魔力を流し込んでもらいました。
元々好きな方だったからか、私はすごくふわふわとした良い気分になり、素敵なシルフィーナ様に夢中で話しかけてしまいました。
しかし、それを見つけたリエルには「一般人に遊びで魔術を使うんじゃない」と2人そろってお説教されてしまいました。
シルフィーナ様は「だって、いつもかわいいマリーちゃんのとびっきりかわいい姿が見たかったんだもの~」とけらけら笑っていましたが。普段は優しい人が怒るととても怖かったです、はい。
私の知る王宮魔術師様たちは皆良い方ですし、王族に信頼され国を守るために仕える偉大な方々だと思っていますが。お父様曰く、意のままに魔力を操る彼らは王族の命を受けて動く恐ろしい面もあるそうです。
だからか、お父様とリエルのお師匠様は大の親友ですが、その弟子のリエルには一線を引いてどこか見定めるように接しています。
私もリエルのことを大切な友人だと思っていますが。魔術師の彼からすると私は師匠の親友の子であり依頼主の貴族令嬢です。もしかして密かに気をつかわせていたのでしょうか。
私が申し訳なさでいっぱいになると、シルフィーナ様はキラキラと目を輝かせました。
―――
「あらあら。誤解させてしまったかしら。ふふふ、マリーちゃんの前ではあの子なりにかっこつけてるのよ~。この間マリーちゃんを魔力酔いさせた時はしばらく口を利いてくれなくてね。姉上のことは信じているけれど、マリーちゃんを危険にさらしたくないってぷりぷり怒っちゃって。ふふ、あの大人しいエルもちょっと見ない間に大きくなったわ~」
「すみません、私が興味でお願いしたばかりに……」
「ううん、気にしないで。私がやりたかったことだから。それに、エルにとってマリーちゃんは小さい頃に助けてくれた大恩人で憧れの女の子だから、私にとってもマリーちゃんは恩人だもの。犯罪でもない限り、どんなお願いでも叶えてあげるわ」
「ええ!? あの、かっこよくて美しくて万能で女神なシルフィーナ様にそこまで言ってもらえるのはすごくうれしすぎるのですがっ。わ、私、前にもシルフィーナ様とリエルと会ったことがあるんですかっ!? ご、ごめんなさい、忘れてました……」
「謝るのはこっちよ~。せっかく仲良くなったマリーちゃんとエルにはとっても悪かったけれど。魔術師と貴族が下手に関わるのも良くないからマリーちゃんの記憶は消させてもらったの」
シルフィーナ様曰く、幼い頃にお師匠様に連れられて街に出かけた際にはぐれたリエルをたまたま私が見つけて保護したそうです。
リエルが好きな紅茶のクッキーは当時の私が食いしん坊の弟のために持ち歩いていた物で、心細そうにしていた彼を元気づけるためにあげたようです。
義理堅いリエルたちは感謝してくれていますが。私としては初対面の子どもを弟のようにぞんざいに扱っていたことに顔が引きつります。
シルフィーナ様は懐かしそうに語っていますが。私はしばらくリエルに会うたびに恥ずかしさで悶えるはめになりそうです。
そんな私を楽し気に見ていたシルフィーナ様は少しだけ瞳を翳らせてふぅと艶めいたため息をつきました。
「でも、マリーちゃんがエルとまた友達になってくれて本当にうれしいわ~。私たち魔術師は昔から何かと差別されることが多くてね。珍しい動物をかまうみたいにしつこく迫ってきて『わざと魔力で自分を操ったんだろう』って決めつけられて意地悪されるの。私はきっちりやり返したけれど、エルは幼かったからすっかり人間が苦手になっちゃってね」
リエルはその愛らしい容姿と幼くして魔術師の弟子になったという珍しさで、一際注目を浴びていたそうです。
そのため小さい頃は悪意のある人間に追いかけまわされたあげく「あいつの魔術でたぶらかされた」「見た目が気持ち悪い」などと心無い言葉を浴びせられ、一時はすっかり魔術師たち以外の人間に怯えるようになってしまったそうです。
しかし、私との出会いをきっかけに良い人もいるのだと奮起し、今は立派な王宮魔術師として活躍しているそうです。
「マリーちゃんが良かったらエルと仲良くしてあげてね」と優しい姉の顔で微笑むシルフィーナ様に「もちろんです」と力強く返しながらも、私の前ではいつもぽやぽやしているリエルの悲しい過去に悲しくなりました。
私はリエルが楽しそうに語る魔術の話や仲間たちの奇行もとい武勇伝、それに彼の趣味のスイーツ店や絶景スポット巡り、出張した時の旅行話を聞くのが大好きです。
話が上手で引き出しも多いので、旅をしながら異国の話を語り聞かせるという吟遊詩人の才能があるのかもしれないと密かに応援しているぐらいです。
そんな風にリエルは好奇心旺盛で、お喋りが好きで、私の他愛ない話に出て来る知らない生活に憧れる、1つ年下の弟と同じ普通の少年です。それは彼を愛し育てた魔術師たちの方も同じです。
それなのに彼らが“美しい容姿を持ち人の心にも影響する魔力を操る”という悪意ある人たちの思い込みで差別されて傷つけられるなんてひどすぎるし、私の恩人たちを侮辱されたことに心から怒りを感じます。
――悪意にさらされて人間不信に陥っても、優しいリエルが1度会っただけの私をずっと覚えていて助けてくれたように。
私もまた大好きなリエルの味方になって彼を助けようと誓いました。
―――
今まで知らなかったのですが。見目麗しい王宮魔術師様たちにはたくさんのファンがいるそうで、何と学園にもファンクラブがありました。
友人に教えてもらった私はファンクラブに入り、父から聞いた話として魔術師様たちの話を広めてもらいました。
ちなみに、一番人気の魔術師様はリエルが珍しく「遊び人」と冷ややかに評している女性に人気の男性魔術師様でした。何回かお話したことがありますが、そのたびにリエルがものすごく不機嫌になるのあまり良く知りません。
外部対応を担当しているシルフィーナ様も男女両方に大人気らしいですが、残念ながら弟のリエルの話はほとんど聞きませんでした。まあ、彼は仕事ぶりを評価されるほうが喜ぶでしょう。
こうしていろんな人と話してみると、誓約魔術や魔獣の駆除など幅広い分野で活躍されている魔術師様たちはとても尊敬されている存在のようです。世間知らずの自分が恥ずかしいです。
そして、学園で流れていた“噂”や幼いリエルがされたようなひどい虐めは一部の性根の腐った人たちの身勝手な行動だそうで。それを聞いた頼もしい仲間たちは「魔術師様たちを害する奴ら絶対許すまじ。見つけ出して罰する」と鼻息荒く請け負ってくれました。
そんなこんなで忙しくも楽しく過ごしていると、最近妙な視線を感じるようになりました。
視線を探ると何と元婚約者のルインでした。彼のことは関わりを断ってからきれいさっぱり忘れていたのですが。悪意がこもった目でずっと見つめてきて非常に不愉快です。
日を追うごとにルインや一緒にいる人たちの感じの悪い視線を感じることが多くなり気持ち悪さを感じていると、ファンクラブの仲間と友人たちが深刻な顔で教えてくれました。
――ルインはファニーに魅了でたぶらかされた被害者だと言い張り、マリーとやり直したいと周りに言いふらしているらしい、と。
それを聞いて私はやはりこうなったかと、憂鬱な気分になりました。
婚約破棄してからファニーの元とりまきの他2人はやっと悔い改めたのかひっそりと過ごしていますが。ルインは変わらず彼女といちゃついています。
そんな2人を最近では周りも生温かい目で見るようになってきたのですが。周りから羨まれて嫉妬されるという純度100%妄想、もとい刺激がないと物足りないのかルインはだんだんファニーへの興味を失い、自分の今までの愚行を立場の弱い男爵令嬢のファニーに押しつけて切り捨てようとしているようです。
しかし、てっとり早く立場を回復するために元婚約者の私に言い寄ろうとしても、魔術誓約によって私が許さない限り直接会えないため、下世話な噂好きの周りを巻きこんで外堀を埋めてくる姑息な手段に出たのでしょう。
どこまでも迷惑な男に怒りを感じるとともに、リエルが魔術誓約を結んで守ってくれたことに心から安心しました。