ドメスティック性癖スクランブル
関東の片隅に、その一家はあった。
四人家族。父、母、長男、長女。ペットの猫を数えるかどうかは、場合による。
さて、彼らは今、壮絶なる家族会議の中にあった。
つい数刻前に地震が起きたこと……ではない。それによって生じた、とある事件のことだ。
それぞれが隠し持っていた破廉恥な品……家族に対しても明かせない濃厚な魂の発露が、地震による本棚倒壊によって衆目に晒されることとなった。
その場に居合わせたのは、家族全員。
強い揺れに備え、机の下に避難していた時のこと。
「!!」
一冊の本が落ちる。
フェイクの表紙が剥けて、中にあるキツい官能小説が露わになる。
それを見て目を皿のように丸くしたのは、長女。まだまだ幼さが抜けない14歳。
続いて、本棚の上部に置いてあった箱が落ちる。
中には、ぎっしりと詰まった卑猥な漫画。
息を呑んだのは、長男。県内有数の新学校に進学したばかりの16歳。
次に落ちて来たのは、本棚の一角にあった、分厚いファイル。大きく「家計簿」という見出しがついたそれの中身は、驚くべきことに家系図を書き換えるような淫らな行為が含まれた、漫画の原稿であった。
家族の肝っ玉にして、よき主婦たる母。37歳。彼女の唇が、強く結ばれる。
最後に、地震に耐えられず倒れた棚の背面から現れたのは、封筒に詰められた写真の数々。淫らな格好をした少女を撮影したものだ。
一家の大黒柱たる父、41歳。思考が停止し、凍りついたように動かなくなる。
——揺れが去った後。
無言で問題ない本が傍に寄せられ、後には道徳的にも倫理的にも問題しかない物体が山のように残った。
かくして、家族会議は唐突に、重苦しく、始まってしまったのだ。
〜〜〜〜〜
たっぷり1分以上の沈黙の後、余震に備えつつ、一家はテーブルの下から這い出る。
「…………。」
無言でそれぞれの私物を拾い上げ、再度違う場所に隠そうとする。
しかし、全てを見なかったことにはできない。まず真っ先に、父に非難が飛ぶ。
「あなた、それ……誰なの?」
父の手には、年端もいかない少女の写真。まさしく浮気の証拠であり、明確な被害者が存在する。
一家の母は古い香りのする原稿を我が子のように大事に抱きしめながら、父を罵倒する。
「まさか、売春?」
「違う。言っても信じてもらえないかもしれないが」
父は自ら粛々と正座の体勢を取り、震える手で一枚だけ写真を見せる。
最も穏便なものを厳選したと思われるそれには、到底服とは呼べない薄い布きれをまとった少女が、布団の上に寝転んでいる姿が写っている。
「最低……」
官能小説を背に回しながら、つぶやく長女。
娘の罵倒に強いショックを受けて、項垂れる父。
しかし、男根村を一瞥し、勇気か何かを受け取ったのか、主張を再開する。
「彼女は、神様なんだ」
「はあ?」
「何の比喩……?」
怒りさえ抜け落ちた顔で、しおれていく母。今にも別れ話を切り出しそうな雰囲気だ。
「あなた、いくらなんでも言い訳が苦しすぎるわよ。千年の恋も醒めてしまう」
「いや、この人は本当に千年生きていて……」
目を背けていた長男が、好奇心を揺さぶられたのか、思わず写真に目を落とす。
そして、叫ぶ。
「あっ。あの日の」
「お前も知ってるのか」
思わぬ味方が登場したことで、父は勢いづく。
息子は「しまった」という顔をしながら、しどろもどろながらも、自分が知る真実を口にする。
「いや、会ったことあるし、そう言ってたけど……ほんとにそうだとは……」
「だろうな。この人は千年以上、歳をとっていないんだ。幼馴染だからわかる」
父は幼い頃、神を名乗る少女と交際していたらしい。
よく見ると、写真は丁寧に保管されているものの、少しだけ色褪せている。撮影されてから20年は経っているのだろう。
「日付を見てくれ。昔だろう?」
「そうみたいね。でも……」
「今はもう、こういう関係ではないんだ。信じてくれ」
少なくとも20年は歳をとっていない少女の非凡さはさておいて、父の疑惑は若干晴れた。
しかしながら、父が他の女と深い仲にあったという事実は、母にとって受け入れ難いものがある。
「なんで大事にとってあるのよ」
「……忘れたくなくて」
呆れたような母の嘆きに、父は白状する。
「あの人は8歳の頃から、ずっと変わらないままなんだ。だからこそ、本物の神だと信じることができた。……そうなると、今度は別の不安だ。ある日突然、夢のように消えてしまうんじゃないかと思えてならなかった」
彼の懺悔を聞きつつ、長男はさりげなく残りの写真を確認する。
欲望に塗れた写真も多かったが、中には2人で仲良く縁日を巡るものもあった。
母は近くにある神社とやらを手持ちの端末で検索しつつ、ため息をつく。
「はあ。……今度の土日、その神社に案内しなさい。事実を確認するまでは、謹慎処分ね」
「はい」
「写真は預かります」
母はまるで「決着がついた」と言わんばかりに写真を回収し、そそくさとその場を後にしようとする。
しかしながら、逃げるその背を刺したのは、いかがわしい本を抱えた長女だ。
「お母さん。その原稿……」
「趣味よ」
びくりと震えながらも、簡潔に答えて打ち切ろうとする母。
だが長女の指摘が、逃げ道を塞ぐ。
「『FULLBLAZE』のヨシくんだよね?」
母が書いていた同人漫画。その登場人物は、実在するアイドルだった。
架空の人物ではない。その事実に驚き、父と長男が目を見開き、問い詰める。
「どういうことだ?」
「見せる必要ないでしょ」
「父さんは逃げも隠れもせず、写真を見せたんだ。母さんもそれを見せて、疑惑を晴らす義務がある」
長男の指摘に反論できず、母は湧き出る冷や汗から逃がすように、原稿を置く。
丁寧に描き込まれた、写実的な絵柄。確かに、実在する男性がモデルになっているのだろう。名前もぼかしてはあるが、似ている。
「名字変えてあるけど、完全にヨシくんじゃん」
アイドルグループを知っているだろう長女が、卑猥な本を抱きながら、その知識のほどを披露する。
「ほら、くるぶしのほくろ」
「なんで知ってるのよ」
「そりゃ写真集持ってるし」
長女は一転して、胸を張って性癖を誇り始める。
「あー、はいはい。男の裸が大好きで、どうもすみませんでした。どうせこの本も知ってんでしょ? うちの物置にあったし。婆ちゃんのやつでしょ。読んで悪い?」
「いや……」
長女は堂々と手に持っていた本を掲げる。
タイトルは『男根村のアイロニー』。ひと昔前に流行り、有害図書として焚書に近い扱いを受けた経歴がある。その道の中でも特に濃い修羅を行く者たちの間では、半ば聖典に近い扱いだ。
文学に精通する両親は、当然この本の名前を知っている。読んだことはないが。
「で、ヨシくんの漫画描いてたのはなんで?」
全てを曝け出すことで無敵となった長女は、興味関心の赴くままに母を追い詰める。
「ねえ、なんで?」
「仕方ないじゃない。カッコいいんだから」
母はペンだこのある手を組み、打ち明ける。
「内職しながらテレビ見てると、今時のアイドルに詳しくなるのよ。それも、昼にテレビ見てるような主婦にも強い、ハンサムなグループがよく……」
「それで、生ものを?」
長男が件のアイドルグループについて調べる中、母は長女の魂……すなわち性癖に訴えかける。
「こんなに可愛いのにトークが上手で、キレッキレのダンスまで踊ってくれるの、最高じゃない?」
「わかる。ショートも面白いし」
長女によると、楽屋裏の彼らによる寸劇が、SNSや動画サイトで流れてくるという。
媒体の新旧を問わずプロとしてアピールできる、強いグループのようだ。長男は彼の感性でそう受け止める。
「だから、これも仕方ないの。もともと趣味だったから、描きたくなっちゃったの。わかるわよね?」
本人に見られたら訴えられかねない内容の漫画を、母は必死になって肯定する。
「これは秘密だから。墓まで持っていくものだから」
「……実害がないなら、いいと思う」
長く黙っていた父が、打算も兼ねてか、母の趣味を認める。
「父さん、そういう世界はよくわからないけど、いろんな考えがあっていいと思うんだ」
「そうよね。実害はないものね。浮気と違って」
言葉で父の心臓を抉りつつ、母は今度こそ原稿を仕舞い込み、話を切り上げる。
「さあ、私の話はここまで。じゃあ最後に……」
「えっ」
これで解散かと油断していた長男は、母からの視線を受けて、目をきょろきょろと動かす。
いつのまにか、背後に長女がいる。逃げ場はない。
「なんで出す必要があるんだよ!? こっちは浮気でも生ものでもないし、問題ないだろ!?」
「兄よ。世の中には流れってもんがあるんだよ」
気まずそうな父をさておいて、長女は兄から漫画本を取り上げる。
若返ったような微笑ましい顔つきで見守る母の前で、長女は朗読を始める。
「『母さんが家を出ると、2人の秘密が始まる』。ほうほう、なるほど」
「読まない方がいい。毒だから」
「あ、そう」
兄に『男根村』というパブリックエネミーを押しつけつつ、長女は読み続ける。
「『ふたりきりになるの、待ってたんだろ?』『だめだよ、おにいちゃん……』あちゃー、これは……」
長女は内容を理解して、息を吐き出す。
「うわー、兄妹かあ。兄妹でやっちゃうのかあ」
父は尚更気まずそうになって腕を組み、母は真剣な眼差しでお説教の文句を考え込む。
自らも秘密を暴露したのだから、彼に対しては慎重に言葉を選ぶ必要がある。2人とも、親として真摯に長男と向き合うつもりだ。
もはやこれまでとばかりに、観念して妹に対して土下座する長男。そんな彼に向けて、母は告げる。
「現実と創作は、別だからね。私もこの子も理解がある方だけど、人によっては絶交されるからね」
「はい」
まったく気にしていない……どころか、笑い話がひとつ増えたと言わんばかりの長女を見つめながら、母は頷く。
「そういう『見られたら嫌なもの』は、もっとバレにくい場所に置きなさい。私もそうするから」
「はい」
長男と共に、さりげなく父も頷くのであった。
〜〜〜〜〜
あの日のきっかけが地震だったことなど、すっかり忘れ去った頃。
一家は山奥に足を運ぶ。
「たまには散歩もいいわね」
「お母さん、ずっと漫画描いてるもんね」
母は久方ぶりの遠出に浮ついている。
訪れる者のいなくなった神社は、最新機種の検索機能でも場所を特定できず、父と長男の勘に頼ることになっている。
思い出を頼りに本気で探す2人の姿を見て、母は神と名乗る少女の実在を確信し、半ば安心しつつある。現在進行形の浮気ではないのなら、どうでもいいという考えだ。
「お父さんが誑かされたってことは、兄上もそのうち食われちゃうんじゃない?」
「そういう人だと思ってなかったから、すごいショックなんだよなあ」
長男は思い出の中で美化された少女の幻想を打ち砕かれて、落ち込み気味だ。
もちろん、初恋の相手が息子に粉をかけていると知った、父も同じだ。
「あの辺だったかな」
父は子供くらいしか通れそうにない岩の間を指差す。
「幼い頃、かくれんぼで見つけたんだ」
「父さんも?」
「あんたたち、やっぱり親子だね」
性癖は違えど、似たもの家族。
彼らは力を合わせて、岩を乗り越える。
少し進んだ先に、苔むした祠が見えてくる。
暗がりの中に、一筋の陽光。自然の中にある、ほんの一欠片の人工物。神秘的だ。忘れ去られた神格の在処として、これ以上のものはないと思えるほどに。
「神社って感じじゃないね」
「もうちょっと立派だった気がしたけど」
父が呟くと、猫の鳴き声が聞こえてくる。
「ああ、猫。ここ、野良猫がいるんだよ」
「人が来ないから?」
「たぶんな」
声のあるじは、一家の前に降りてくる。
見覚えのある柄だ。父と長男だけではなく、母にも長女にも。
「えっ。タマじゃん」
一家の飼い猫。
数年前、野良として迷い込んできた彼女は、獣医による検査を受けた後、一家に受け入れられた。
「ここ、タマの行きつけだったんだ」
「一家勢ぞろいじゃん」
そんな軽口を叩く兄妹。
しかし、父は風景と猫を照らし合わせて、何かを思い出した様子だ。神罰を受けた罪人のように、恐れ慄いている。
「同じ模様だ」
「えっ」
「前から似てると思ってたが、似てるんじゃない。同じなんだ。あの時の猫と、完全に」
父の戦慄をよそに、猫は石造りの祠に登り、姿勢を正す。
「我は猫魔黒花。この地を千年に渡り守護してきた、守り神であるぞ。祖先は遥か遠く、異界より出でて……」
猫が喋った。漫画の冒頭でよくあるセリフを、長男は飲み込む。
「そういうわけで、人の子よ。汝ら親子の初恋を奪った少女もまた、我の化身であるぞ」
「は?」
長女が困惑する中、まばたきひとつする間に、猫は愛くるしい少女へと変貌する。
父が持っていた写真の中の姿と同じだ。何十年も前から、同じ姿で存在しているのだ。
ある程度覚悟を決めていた母は、呆気に取られたままの3人を押し除けて、神と向き合う。
「この人との関係は、本当?」
「昔の話じゃ」
「なんでうちに来たの? いたずら?」
「それは、お前……」
神は長男の方を見て、猫らしく喉を鳴らす。
「今度こそ、見初たおのこをものにするためじゃ。汝らも恋破れる辛さは知っておるじゃろう?」
当の長男以外は、その一言で察したようだ。
父は深く深くため息をつき、長女は長男と神の間に割って入り、母は神気の湧き出る祠に背を向ける。
「さ、帰ろうか」
「そうだな。浮気はもう晴れたよな?」
「神隠しなら、仕方ないわね」
何事かを喚く神を、神域に置いて帰る。
今日は散歩に来ただけだ。そう言わんばかりの冷たい対応である。
〜〜〜〜〜
後日。
長女は母のアシスタントとして、漫画のイロハを学んでいる。
「ここ、パース狂ってない?」
「現実だとそうだけど、漫画だから。この方がエロいでしょ?」
「流石は先生」
そんな2人の足元を、猫が這う。
足に顔を擦り付け、震える声で懇願している。
「あの……彼との交際を、認めてくださいませんか」
「喋るな。猫は黙ってゴロゴロしてろ」
「いっそ、ご近所の猫さんとお見合いでもしましょうか」
「ひっ!? それだけは、それだけは勘弁を……」
人に媚びる神を憐れむ父と長男。
彼らは猫をさておいて、ファミリーゲームに夢中だ。
「父さん。タマって昔からあんな感じ?」
「まあな。気に入った相手をものにするために、あの手この手だ。お前は心を強く持てよ」
「そっか。まあ、人になれないなら平気だよ」
神としての名前も威厳も失い、人に媚びるだけのタマになった猫。遥かな年月の末に、神気のある祠でしか人に化けられなくなったらしい。
あの日の事故も、なけなしの神力を使った抵抗だったのかもしれない。地震対策に補強された本棚を見て、長男はそう思う。
「にゃあ。……あの、人になれるのは今代が最後だと思うので、ラストチャンスと思って、婚約を……」
「神は無理だなあ……」
「そんなあ」
たとえ猫でも、父の初恋の人でも、やり方がせこくても、人によっては受け入れられるのかもしれない。結局は個人の性癖の問題だ。
だが個人の感性に依存するからこそ、この長男が誘惑に負けることはない。あの破廉恥な漫画本が示す通り、彼は年下派なのだ。
「父さん。母さんとの馴れ初めはどうだった?」
「おう。聞きたいか?」
仲良くなった一家は、それなりに健全で、少しだけ欲の垣間見える団欒に興じる。
猫を一家に含めるかどうかは……場合による。