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アンバーがその日王太子と会えたのは、午後のティータイムのころ。
第三王太子妃のプライベートルームに王太子が訪ねてきたという体裁で、二人きりで話すことが許された。もちろん、王太子の側近とネイナの監視つきでだったが。
テープルを挟んで向かいに座った王太子レオパルドは、ゆっくりとカップを傾ける。
銀色にも見える金の髪に、王家の青の瞳。
キラキラのイケメンだけれど、アイドルじみていてアンバーは苦手なタイプだ。
いまだに市川雷蔵の眠狂四郎を超える美男子には会えないなと、アンバーもお茶を飲む。
でもこの見た目と違って、腹黒いこの王太子はなかなかの曲者である。
「アンバー・ポラルド嬢、王家の事情とはいえ大変な役目を押し付けてしまって申し訳ないね」
はじめからプライベートな面会だと言われていた通り、レオパルドの対応は気安いものだった。
「貴族の義務を果たしたまででございます。残念ながら、遂行はかないませんでしたが」
さて、どんな反応するのかと、わざと失敗を口にすると、レオパルドはじっとアンバーを見つめ、ニコリと笑った。
「いやいや。あのフェルとベッドで寝てみせたんだ。たいしたものだよ」
平然とフェルスタのことを肯定する。
つまり、その事込みでなんとかしてみせろと、そういうことなのだろう。
結構な無茶を平気で言ってくるレオパルドにカチンときたものの、アンバーはなんとか無表情で耐えて見せた。
「それにしても…」
レオパルドが、再びじっとアンバーを見つめる。
「ポラルド嬢は結婚には興味がないとルビーから聞いていたが、異性に興味がないというわけではないようだね」
アンバーは、一瞬何を言われているのかわからなかった。が、それが遠回しに閨事に慣れていると言われていることに気づいて、ハッとした。
確かに、そう思われても仕方ないかもしれないと自分のしたことを振り返って思う。この世界の常識ならば、未婚のご令嬢は閨で使い物にならなかった殿方をなだめたり、脅したりはしないだろう。
油断すると、たまにこうして昔の記憶のせいでボロが出る。
これをどうつくろえばいいのだろう?
アンバーは適当な言い訳を可及的速やかに考えなければならなくなった。
一方、自分の挑発に対して優雅にカップに口をつけたアンバーを、レオパルドはジッと観察していた。
今差し迫った問題は、フェルスタがアンバーとどうなるか、なのだ。
フェルスタ・ブラルの結婚は、悲劇を通り越して惨劇と言っていいものだった。
フェレスタが遠縁のカルディナ・ビルトロンと結婚したのは、フェルスタが十七歳、カルディナが二十八歳のときだった。
清楚で可憐な見た目のカルディナは、ある意味で悪女だった。
それまで二度結婚に失敗し、三度目の相手に年下の、将来見込みはあるが御しやすそうな少年を無理矢理選び、成人すると同時に結婚した。
それなのに、夫と顔を合わせることを拒み、会えば怯えて会話もろくにできず、けれど閨だけは共にしたという。
その理由が発覚したのは結婚からわずか十日後。
新婚の閨に、妻が同性の愛人――彼女の侍女頭を連れ込んでいることがバレたためだった。この愛人との情事を薬で酩酊させた夫が眠るベッドで行っていたというのだ。
最初に様子がおかしいことに気づいたフェルスタ付きの侍女が、フェルスタ本人ではなく彼の両親に相談したため、フェルスタにはその身に起こった真実は知らされていない。
けれど、何らかの異変を察していたフェルスタは、それまでの妻の態度や原因不明の事故死から、女性との接触を極度に排除して過ごすようになってしまった。さながら、自分自身がすべての元凶であるかのように。
アンバー・ポラルドと出会うまで十年間ずっと。
今回の閨事は普通ならば歓迎されるようなことではないが、これも何かの縁ではある。フェルスタの家族も、アンバーの家族も可能ならばこのまま結婚までたどり着いてもらえることを望んでいるという。
だからこそ、レオパルドはフェルスタの想い人であるアンバーを見定めたかった。
才女だということは知っている。実際、のほほんとしたルリアルが王太子妃としてなんとか様になっているのはアンバーの功績あってのことだ。
大変面倒見がいいことも知っている。アンバーがかかわる部署では、『完遂女史』の二つ名の裏でこっそり『世話焼きおかん』と呼ばれていると聞いている。
これまでの経験が経験だっただけに、昨夜のことをフェルスタがうまくできるとははなから思ってはいなかった。
けれど、アンバーならばひょっとして何かしてくれるのではと期待していた。
そして、『政治的な義務』の遂行を盾にフェルスタをベッドに引きずり込んだアンバーの手腕と、強引ながらもフェルスタに過度な負担を掛けなかった心遣いに期待以上のものを感じていた。
はじめから、アンバーが男慣れしているなど思ってはいなかった。ただ、こういう場面でどんな行動を取るのか知りたかった。
怒るでもなく、泣き出すでもなく、冷静に対応しようとするアンバーに、レオパルドは予定通り行動することにした。
「ポラルド嬢、大変失礼なことを言った」
アンバーに、レオパルドが声をかける。
色々と無駄な言い訳を考えていたアンバーは、その不意の謝罪に見つめていたカップの底から王太子に視線を移した。
イケメンが、困り顔で苦笑いする。
「貴女の人となりを少しでも知っておきたくて、わざと傷つけた。申し訳ない」
レオパルドが頭を下げる。
王太子の思わぬ対応に、アンバーは内心慌てながら頭を下げた。
「いえ、私の考えなしの行動で、王太子殿下にいらぬご心配をおかけてしまい申し訳ございません」
ばれないよう上品に振る舞うアンバーに、レオパルドは満足気にうなずく。そして、キラキラのアイドルスマイルで、
「ポラルド嬢。貴女は知的で責任感が強く、義務のためにも我が身を顧みず行動できるようだ。だから、我々の共犯になってもらいたい」
ほら、腹黒。
アンバーはやっぱりこの王太子は好きになれないと思った。
褒めておいて、無理を言ってくる。そもそもなんの共犯なのかの説明がないのはどういうことだろう。
「お断りすることは?」
アンバーの反応を待つ王太子に、尋ねる。
「嫌ならばこのままここを出て行ってくれて構わないよ。私から強制は一切しない。最初にお願いしたフェルとの閨事だけ続けてくれればいい。ただし、貴女がこの件で疑問に思うことはすべて忘れてもらうが、いいかな?」
それでいい――理由がない。
以前から気になっていた第二王太子妃の待遇が、彼女の妊娠がわかった途端悪化しているとの報告をさっき読んだばかりだ。なんでも昨日は、隣国から連れてきた侍女数名が急に帰国してしまったというのだ。
例えどんな状況であっても、王家の血を引く命が宿ったと言うのに、この周囲の対応は異常だ。
「それは、第二王太子妃様の現状を放置しろ、ということですか?」
アンバーの問いかけに、王太子はニヤリと笑う。
優秀な女官のアンバーならそれくらいは把握済みだろうと思っていたが、期待通りに動いてくれる臣下は気持ちがいい。
「それこそ、貴女にはなんのかかわりもないことでは?」
さらりとレオパルドに言われてしまえば、第三王太子妃付きのアンバーには言い返す事はできない。
でも、
「ブラル閣下との子作りのことは?」
「宰相が言い出して、貴女とフェルが同意しただけのことだ。貴族の義務を果たしてくれることに感謝する」
「その一因が第二王太子妃様では? ルリアル様からは政治的な義務と伺ったので同意しましたが?」
「そうだね。義務を果たしてくれて感謝する」
にこやかに感謝を繰り返す王太子に、アンバーが黙る。
レオパルドは笑顔を消し、アンバーを見つめて真摯に言葉を紡いだ。
「ポラルド嬢。もし、それを知りたいと言うのならば共犯になってくれればいい」
つまり、はじめからアンバーに拒否権はないようになっているのだ。
「即答でしょうか?」
「時間があると?」
「それは、第二王太子妃様に、ということでよろしいのでしょうか?」
ならば、ない、はずだ。
隣国からの過剰な申し出があったばかりなのに無防備な第二王太子妃は一刻も早く守らなくてはならない。
レオパルドはただ黙ってアンバーを見つめるだけ。
「…承知いたしました。協力させていただきます」
なんだかさっぱりわからないが、後宮の女官として不測の事態には対応しなくてはならない。
「ポラルド嬢、重ねて感謝する」
「では、説明を…」
「まずはそれを」
アンバーの言葉を強く遮り、レオパルドがアンバーの背後を指さした。
「届けてくれるかい? 第三王太子妃から第二王太子妃への見舞いだ」
振り返ると、そこには大きな花束を抱えた侍女。
「説明は首謀者に直接聞くといい。私も一共犯者でしかないからね」