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 とりあえず、アンバーは乱れた髪と衣服を整えた。


 その間、ゆっくりとベッドに沈んでいったフェルスタは、今や潰れたカエルのようになっていた。


 さて、どうしようかとアンバーはベッドの上で座り直す。


 目の前には、敏腕と呼ばれる宰相補佐閣下。でもあの様子はどう考えても、童●?


「あの、いくつかお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 アンバーの問いかけに、フェルスタの肩が揺れる。が、返答はない。

 気まずいのはわかるけれど、このまま放置することもできず、アンバーは続けた。


「体調が優れないとか?」


 かすかに、首が横に振られる。


「緊張なさっている、とか?」


 頭を抱える手が、ギュッと拳を作って、白くなる。


「では、私がお気に召しませんでしたか?」

「いいえ!」


 ガバっと顔を上げたフェルスタの、目と鼻が少し赤い。


 その顔に、アンバーの堪忍袋の緒がプツリと切れた。


 まさか泣いてた、とか?

 好きだと言って押し倒した女に前戯もろくにできず泣く!?

 しかも、三十過ぎて先妻がいてこれ!?

 どういうことか、キッチリ説明してもらいましょうかぁ!!


「ブラル閣下、まずは相互理解が必要だと、私、思うのですが、よろしいでしょうか?」


 ドスの効いた口調に、フェルスタが顔面蒼白のまま、居ずまいをただす。


「閣下、この閨事は、極めて政治的な案件なのはご理解いただけてます?」

「も、もちろん」


「なんのためかは?」


 目の座ったアンバーににらまれて、


「隣国カウダとの諍いを回避するため。あの国を増長さないためです!」


 フェルスタはピンと背筋を伸ばした正座で、叱られた生徒のように答えた。


 第二王太子妃の懐妊騒動で、真っ先に隣国への対応に当たったのは、フェルスタだった。

 第二王太子妃の侍女が、王宮への報告より先に、隣国の海運大臣に懐妊を密告し、その大臣が隣国に有利な陳情を送りつけてきたのがその始まりだった。

 このとき第二王太子妃は妊娠二ヶ月にもなっておらず、月のものが遅れていることで筆頭侍女が宮廷医師に診察を依頼しようとしていた矢先のこと。


 寝耳に水な事態に、なんとか隣国を黙らせたのは良かったものの、フェルスタは頭皮がより涼しくなったように感じていた。


「対応に当たられた閣下をはじめとする皆様には多くのご苦労があったと伺っております。その上で、今回の閨事が決められたのは、これが恐れ多くも国策であるのだと私は認識しております。それを、ご承知でこの場にいらしたと理解しておりましたが、間違っておりましたでしょうか?」


 すっかり仕事モードに切り替わったアンバーに、フェルスタはブンブンと首を横に振った。


「では、任務遂行のために率直に伺います。ブラル閣下。童貞ですか?」

「……え?」


「ですから、経験がないのかと尋ねています」


 一瞬赤くなり、次に真っ青になってうつむいたフェルスタの反応に、アンバーの方が驚く。


 まさか、本当に!?


 けれど、なんとか絞り出された声は、アンバーの考えを否定した、のだろうか?


「け、経験はある、はずです」


 ん?


「はず、ですか?」


「朝、そういうことをしたらしいベッドにいた事はあります。な、何度か」

「え、らしい? とは?」


 なにやら不安な言葉が並ぶフェルスタの告白に、思わず身を乗り出してしまう。


「き、記憶が、ないんです。その、妻との閨のことはすべて覚えていなくて…」


 そんなことあるかい!と、思いつつも、フェルスタの様子に嘘を言っている気配はない。


 記憶がないとは、つまり何?

 記憶がなくなるほどの衝撃的ななにかか、あるいは行為自体が記憶をなくすほどの外傷を与えるものだったとか?


 何かがおかしい。おかしいけれど、これは突っ込んでいい話なのかがわからない。なぜなら、フェルスタの顔が更に青ざめてきたのである。


「…そう、ですか」


 アンバーはそっと身を引いて、考えた。


 もし聞いたことがそのまま事実だとしたら、尋常じゃない。何らかの性癖を持った妻との閨であったとしても、一方的な行為である時点でアウトだ。だがフェルスタの様子から、その尋常じゃないことは何度も行われていたのだろう。


 そして理解する。


 フェルスタが女性に対して気が引けているのは、それ相応の苦い経験があったからなのだ。だから、長い間アンバーを思いながらも、フェルスタの態度は慎ましい。それでもフェルスタには精一杯の愛情表現だったのかもしれない。


 こんな子に閨事をさせるなんて、何考えてるのよ!


 トラウマなんて概念があるかもわからない世界で、姉御肌のアンバーの怒りは命を下した王太子に向かった。


 きっとこうなるとわかった上で、フェルスタをここへ送り込んだはず。その王太子の意図は何なのだろう。

 ただ能天気に子作りを、なんていうのはありえないと思っていたが、これはちゃんと背景を調べなければと、アンバーは眉間にシワを寄せた。


 そんな考え事で表情を険しくしたアンバーの横、フェルスタはアンバーへの想いだけでここに来てしまったことを後悔していた。


 やはり、好きだというだけでは何も上手くいかないらしい。自分には、男としての大事な何かが欠けているのだ、と。


 最初の結婚の失敗の原因がなんだったのかをわからないまま、フェルスタは結婚から三ヶ月で妻を事故で亡くした。身勝手に振る舞って、さっさと消えた妻のことを周りでは散々に言っていたが、好意どころか興味すらなかった自分の気持ちや態度のせいもあったのではとフェルスタは思っていた。そう思うことで、自分の欠落している何かから逃げようとしていた。


 女性との接触を拒み、たまに持ち込まれる婚姻の話を断り、男同士の気安く下世話な話さえ避けて逃げまくっていたのに、ある日恋――初恋に落ちてしまった。


 恋に落ちて、アンバーのことを想うとき、フェルスタは自分にも世間一般の男と同じ思いや衝動があることを知った。アンバーがいてくれるだけで、逃げる事なくいられる自分になれるのが嬉しかった。だからアンバーの邪魔にならないよう、ただ見ていられればそれで良かった。


 なのに、こんな事態に浮かれて、愛があれば上手くいくのではと幻想を抱いて、のこのことやってきて結局アンバーに恥を晒しているなんて。


 やはり自分は欠陥のあるダメな男なんだ。


 そう思うと、いたたまれなくなって、フェルスタはそっとベッドから降りた。


 これ以上、彼女の苦痛になる前にここから去ろう。


 ドアへ歩き出そうとしたその背中に、


「閣下、行ってしまうのですか?」


 不安げなアンバーの声。


 振り返ると、追うように身を乗り出したアンバーがフェルスタを見ていた。


「これ以上ここに居ても、私にできることはありませんから。その…不快な行為をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 抱きしめて、口づけて。現実だったなんて思えないことを、身体は覚えている。

 フェルスタにはもうその記憶だけで十分だった。


 いつも以上にしょぼくれて、消えそうな声で詫びる男。


 こんなの、放っておけるわけがないじゃない!


 気配に思わず声をかけただけだったが、そんなフェルスタにアンバーは腹をくくった。


 なんだかわからない過去に怯えて自信を奪われてるこの男も、国際問題勃発かの瀬戸際のこの国も、まとめてなんとかしてやるわよ! やってやるわよ!!


「誰だって、慣れないことは上手くできませんわ」


 言葉にすると、決意はより強いものになった。


「フェルスタ様は、私を抱きしめてくださいました。口づけてくださいました。なら、きっとその先もできますわ」


 そんなアンバーの決意が、フェルスタにも伝播する。


「慣れていらっしゃらないのなら、私達、初めて同士ですわね。でしたら少しずつ慣れて行けばいいだけです」


 フェルスタのだらりと垂れていた手が、拳になる。


「愛してくださるなら、上達の見込みは十分ですわ」


 アンバーが自分を受け入れてくれる。

 フェルスタはもう一度ベッドに座ると、アンバーの手をそっとすくって、額に押し当てた。


「アンバー嬢、あなたが好きです。好きなんです」


 二度目の告白。こんな自分を受け入れてくれた女神のようなアンバーに、精一杯の思いを込めて。

 が、


「その言葉、偽りはございませんね?」


 飴と鞭。


 覚悟を決めたアンバーは、優雅に微笑むとフェルスタの手を握り返した。


「フェルスタ様、経験のないことは怖くても、経験のあることならできますわよね」


 女神がささやく不穏な言葉に、フェルスタは恐る恐るうなずく。


「では、服を脱いで朝まで共寝をいたしましょう。それなら経験がございますよね? 『政治的な義務』は果たさなくてはいけませんもの。ね?」


 美しい微笑み。なのに目が笑っていない。その目が語る。


 覚悟をしてここまで来たのなら、やることはやってもらいましょう。


 そうだった、アンバー・ポラルドとはこういう女官だった。

 二つ名は『完遂女史』。どんな無茶な仕事でも、やり遂げる剛腕を持つ女官なのだ。


 フェルスタは、そんなアンバーも素敵だと思っていた過去の呑気な自分がちょっとだけうらやましくなった。


続きは随時更新となります。

よろしくお願いいたします。


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