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「えーと、ごめん、もう一度、言ってくれる?」
突然執務室にやってきて、ソファーに落ち着くなり突拍子もないことを言い放った『主』と二人きりの室内。その『主』の言葉に、アンバーは思わず素で聞き返してしまった。
「だから、第二王太子妃が妊娠したの。で、レオンは私の所に通うことになるから、貴女にも妊娠して欲しいのよ。いーい、これは、『政治的な義務』だからね」
くせのある赤みがかった亜麻色の髪をフワフワと揺らし、萌黄色の瞳を煌めかせて、ウキウキと第三王太子妃ルリアルがさっきよりちょっとだけ増えた情報を口にする。
三人の王太子妃がいるこの国で、確かに子どもは政治的な大事である。それは、第三王太子妃筆頭補佐官のアンバーも痛いほど承知している。
だが、独身が前提の女官である自分がなんで妊娠? しかも義務って。どう考えても面倒ごとの予感しかしない。
「ルビー、説明」
痛くなり始めた頭をさすりながら、つい従姉妹同士の気安い口調で催促すると、えー、と唇をとがらせる。
昔からこんな調子で面倒ごとを見つけてきては、ポイッと丸投げする彼女の世話を、いままでどれほどしてきたか。
「わかると思ったんだけど?」
「わかっても、わかりたくない時もあるのよ」
「…なら、わかってるってことで」
「ダメです」
一刀両断するアンバーに、ぷうっと頬を膨らませる。
それでもカップを一口傾けると、ルリアルは口をひらいた。
「第一王太子妃が産んだのが女の子でしよ。第二王太子妃は身分的に子どもは期待されていない立場じゃない? もしこれが王子だったら、最悪戦争になりかねないのはアンも言ってたわよね」
やればできる子の大雑把ながら多少まともな意見に、アンバーも首を縦に振る。
第一王太子妃は古い友好国の、生まれる前から輿入れが決まっていた姫君である。彼女が産む王子が後継者となることが一番望ましい継承であった。
しかし、先日産まれた王太子レオパルドの第一子は王女だった。この国では、余程のことがない限り女性は即位しない。
そこに第二王太子妃の妊娠がわかったのだ。
第二王太子妃は隣接する小国の姫である。この小国とは昔から海路を巡った諍いが絶えなかった。
しかし、小国の現王は海路の主張より貿易の利益を重視し、和平を望んだ。その証としてちょうど一年前に差し出されるようにやってきたのが第二王太子妃である。彼女が子どもを産んでも、王位の継承は望まれない。逆に、今もなおくすぶる小国の海路重視派の火種になりかねないのだ。
そこで、より王家の血を重視した婚姻として、前王姉の孫である公爵家のルリアルが王家に入ったのが半年前。ちょうど、第一王太子妃の出産のころ。もしルリアルが王子を産んだなら、それはおそらくどの国に対しても公平な継承となるだろう。
それに、ルリアルは元々王太子が初恋の相手である。第一王太子妃が産後の体調が戻らず、第二王太子妃は妊婦の今、王太子独り占めの状態は願ったり叶ったりなのだ。
「ちゃんと覚えてるじゃない。で、どうして私まで妊娠とかいう話が出てくるのか、キチンと話してくれるかしら?」
イチャイチャするなら存分に。私を巻き込まずにね!
そんなアンバーの気迫に、ルリアルがちょっとだけひるむ。
「だから、王位継承権を第二王太子妃の子どもには渡したくないの。これは決定事項だってレオンもお父様も、ポラドル伯爵も言ってたんだから。だったら、女同士の方が遠慮なく話せるかなって…アンバー、聞いてる?」
あまりの面子に、頭を抱えてしまったアンバーを、テーブル越しにルリアルの扇がペシペシと叩いてくる。
王太子と、宰相で筆頭公爵家のルリアルの父と、自分の父が了承しているなんて、どういう周到さなんだろう。
「つまり、王太子はどうしても第三王太子妃に男の子を産ませたいわけね。で、私と誰かの子どもをスペアとして用意したい、と」
長く続くこの国で、過去にそんなことがあったようなことを聞いたことはある。
主と自分の容姿の類似点の多さが恨めしい。
「あ、わかってくれた? 私も頑張るけど、アンバーも頑張ってね」
恥じらいながらも満面の笑顔でガッツポーズをする従姉妹の後ろに、孫の顔が見たいと懇願する父の顔が見える。
今さらながら、生涯独身を掲げて王宮勤務を宣言したあの日の自分を止めたい。
ショックで二日間絶食をした父の執念が恐ろしい。
ため息をついて、アンバーは窓の外、お気に入りの木陰の風に揺れる白い花と、陽光に透ける緑を見上げた。
落ち着こう、とりあえずいったん落ち着きたい。
「あのね、アンバー。あなたの独身主義は知ってるし、あなたに縁談を強要しない約束を破るつもりはないの。でも、第二王太子妃の妊娠はあってはならないことなのに、妊娠してしまった。それに対して何かしなくてはならないの。なんとかしないとだめなの」
遠くを見つめるアンバーに不安になったのか、ルリアルが一生懸命に説得し始める。その拙さに、再教育の必要性を痛感しながら、アンバーはふっと肩の力を抜いた。
アンバーの意固地を知っていて、それでも説得にやってきた従姉妹の優しさとか、育ててくれた両親の喜ぶ顔とか。前世で経験した孫のかわいいさとか。
自分の胎が政治に使われることに不愉快は感じるけれど、それを飲み込めない程ではない。しょせん、貴族。今更恋愛する気はないけれど、王宮の生活にも慣れてしまって面白みもなくなってきたし。刺激というには過ぎるけれど、流されてみるのもいいかも、と。
「第三王太子妃殿下、このお話、お受けいたしますわ。それで、いつからどなたと同衾すればよろしいのか、お教えいただけますでしょうか」
そこで出た名前に、アンバーは父の執念と、ほんの少しばかり愛情なんかも感じてしまった。