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 昨夜と同じ部屋のベッドに腰掛けて、フェルスタは膝の間にのめり込んで頭を抱えていた。


 結局、アンバーを義務から解放しようと思っていたことは実行できず、余計面倒ごとに巻き込んでしまっている。しかも、この閨事はもう意味がないはずなのに続けなければいけないと王太子に念を押されてしまった。


 昨夜とは違い、寝間着の上にはガウン。部屋の様子も少し変わって、小ぶりな一人がけのソファが二つとテーブルがあり、軽食といくつかの飲み物も用意されている。

 ベッドがなければ、密会と言うより密談のようだ。


 小さなノック音に続いて、そっと部屋にアンバーが入ってくる。

 こちらも寝間着にガウン、ショールを掛け、髪は片方にゆるくまとめられていた。


「遅くなって、すいません」

「いえ、来ていただけで、良かったです」


 二人ともエルビラに当てられて、もう気力がない。


 それでもここへ集まったのは、王太子が必ずと言ったこともあるが、あまりの情報量に一人では対応できないと思ったからだ。


「ブラル閣下、何か飲まれます?」


 部屋を見回して、アンバーが尋ねる。


「そう、ですね。あまいものがあれば」

「…あちらに移りましょうか」


 フラフラとソファに座り直し、手前にあった果実酒をグラスに注いで二人で飲む。

 柑橘類の爽やかな甘さが疲れた体に染みていく。思ったよりアルコールが強いかもしれない。


 そういえばと、アンバーはエルビラに勧められたお茶の味を今更思い出した。珍しい甘い香りのお茶は、随分スッキリした飲み口だった。


 王太子の依頼で訪れた第二王太子妃の離宮で顔を合わせたフェルスタとアンバーは、エルビラに勧められるままお茶を飲み、菓子を食べ、そしてとんでもない計画を聞かされたのだった。


 第二王太子妃エルビラは、隣国の王位を狙っているという。


 クーデターを起こして現国王を引きずり降ろそうというものではない。

 海運大臣の役職自体を廃止し、すべての権限を王家に戻そうというものだ。

 それができるのは、海運大臣の血縁であり、王家の人間でもあるエルビラだけだ。


 そして、この計画には隣国の現国王も賛同しており、王太子レオパルドも協力することになっているという。


 フェルスタとアンバーにも協力を申し出たエルビラは、二人の役割をすでに決めていた。

 フェルスタには自国に戻り、女王の座に就いたときの王配の役割を。

 アンバーには、今日この瞬間からエルビラの補佐官としての役割を。


 そして語られた女王就任までのシナリオは、かなり捨て身なものだった。


「エルビラ様、あれを実行する気なんですよね」


 アンバーのつぶやきに、


「そうでしょうね」


 フェルスタもつぶやく。


 エルビラのシナリオはこうだ。

 エルビラが輿入れし、時期を見て妊娠したことをこちらの王家より先に海運大臣である叔父に知らせ、叔父の出方を見る。


 叔父が何もしないのならばその弱みを徹底的に探り、兄弟たちに王位継承権を放棄してもらい、こちらの国の後ろ盾を得て帰国し、叔父を廃した功績で王位に就く。


 叔父が何らかの騒ぎを起こすのなら、叔父の犯行に見えるよう毒を飲み、子どもが流れたことにして叔父を失脚させ、こちらの国の…以下略をしようというのだ。


 そして現在、叔父の犯行に見えるように毒を飲む手筈を整えている最中だという。


 つまり、第二王太子妃は懐妊していないのだ。なので、この部屋にフェルスタとアンバーがいる意味はない。のだが。


「成功、するのでしょうか?」


 エルビラ曰く、構想一年半の一大計画とだとういし、両王家も賛同しているから現実味もあるのだろうが、アンバーは釈然としない。


「とりあえず、計画は順調に進んでますよ。今この王宮にいるスパイは把握済みです。彼らを出し抜く方法も整いつつあるそうです」


 一方、エルビラが輿入れしてからの王太子の様子を知っているフェルスタは、そういうことかと答え合わせをして、不安要素がないとは言えないもののこの計画を納得できてはいた。


「成功したら、女王になるんですね」


 そのために、エルビラ自ら輿入れを志願したという。その行動力は認めるし気概も素晴らしいと思うが、なんだか素直に褒めたくない。


 四人の子どもを産んで育てた記憶から、妊娠をそんなことに使うことが許せない気持ちとか、どんなに大人びて見えても十八歳の子どもの考えをそのまま実行してしまうのは周りの大人の配慮が足りないのではとか、何か言いたくなってしまう。


「ポラルド嬢から見て、エルビラ様は女王にはふさわしくありませんか?」


 フェルスタが、ずっと不満げなアンバーに問いかける。


 ゆるゆるとした会話に、昨日の寝不足と今日の忙しさ、そしてエルビラのこと。いろんなことが重なりすぎて、酒にそれほど強くないフェルスタは半ば思考を手放していた。


「そういうことじゃないんです。なにか、もっと傷つかずに済む方法がなかったのかと、それも、違うというか」


 アンバーにだってわからない。


「私は、為政者としてのエルビラ様はいいのではと思いますよ」


 それが、フェルスタが疲労とアルコールでフワフワとしてきた――いわゆる酔っ払いの言うことだとわかっていた。でも、アンバーは言葉を選ぶことができなかった。


「そして、ブラル閣下がその王配で、彼女の夫になるんですね」


 アンバーの声にトゲが増す。


 王配? 夫? …そうだった!!


 フェルスタが沈みかけていたソファから身を乗り出す。


「それが無理なことは、ポラルド嬢はもうご存知のはずです」


 そう、知っている。知ってはいるけれど、エルビラが王配に何を望んでフェルスタを選んだのかは知らない。


「それはもう、昨夜で十分。ですが、エルビラ様の望みはもっともですよ。女王として、友好的で力のある隣国の王家に連なるものを王配にすること。その王配が圧倒的な政治力を持つこと。これは特にエルビラ様のような年若い女王には必要なことです」


 そうやってできた両国の関係は、今以上に良好になるだろう。

 それはわかる。でも。


「私は、そんなことは望んでません!」


 フェルスタは必死で反論する。

 そもそも、王配にと言われても、役目を果たせる自信がない。だから、自分が本当に望まれているとは思ってもいない。まだ宰相として隣国に引き抜かれることならあるかも、と思っていたくらいだ。

 それに何より。


「私は、貴女が好きなんです、アンバー殿。貴女との結婚をずっと望んでいるんです!」


 フェルスタの言葉に、アンバーは息を止める。


 わかってしまった。ずっとくすぶっている何かが『嫉妬』だと。

 自分でさえ言えない要求を、易々としてくる「小娘」にイライラするのはそのせいだ。

 フェルスタの気持ちに答える覚悟もないのに、愛を告げる男の言葉に浮かれているずるい自分がいる。


「もう、私が決められることではなくなってしまいましたが?」


 苦い答え。

 そうですね、とつぶやくフェルスタの声も重い。


「だとしても、私は――僕は、貴女を諦められない。すいません。この想いは消せません」


 嬉しいと思ってしまうこの心は、恋なんだろうか?

 前世の記憶も合わせて九十年以上生きてきた知識があるのに、そんなこともわからずアンバーは黙ってうつむいた。


 フェルスタは、またアンバーに負担をかけてしまったことを悔いた。そして、明日こそアンバーをこの閨事から解放しなくてはと心に決める。

 こうやって顔を合わせるたびにアンバーを追い詰めてしまうのは、もう止めたかった。


 置かれた時計が小さな音で時を知らせる。


 不意の音に驚いて、二人で時計を振り返り、そして、ここにきた目的を思い出す。


「ブラル閣下、この件で私達がやらなければいけないことはなんですか?」


 アンバーがわざとらしい問いを投げる。

 話題が切り替えられたことに、フェルスタも少し安堵して答えた。


「王家の意思は隣国の女王誕生です。エルビラ第二王太子妃を支援すること、でしょうか?」


 エルビラの体当たり計画の支援。

 それがどんなことなのか見当もつかないが、アンバーはうなずいた。


「では、私は第二王太子妃宮の支援――補佐業務でしょうか? そちらに当たらせてもらいます」

「私は、隣国の対応を引き続き。あとは城外の協力者の情報から必要なことを行いますので」


「城外の協力者ですか? 信用できるのですか?」

「エルビラ様に誓って。そうですね。ポラルド女史にもいつか紹介しましょう」


 その他、追加された人員のこと、警備のこと、エルビラの妊娠をどううまく偽造するかなど、話は尽きることなく続く。


 そして、二度目の小さな時の音にやっと言葉を切った。


 大きなあくびをして、フェルスタが伸びをする。


「アンバー殿、もう、寝ましょうか?」


 フェルスタはベッドを振り返り、なるべく軽い口調でアンバーに声をかけた。

 もうこれ以上この行為を責任の重いものにはしたくなくて、フェルスタは必死で平気なフリをしてみせる。


「また、隣で?」


 アンバーが驚く。


「隣で、ですね。僕も昨日のことで、少し覚悟はできました。ただ…」


 言い淀むフェルスタに、アンバーが不思議そうな目を向けて、小首をかしげる。

 落ち着いた雰囲気のアンバーの幼い仕草に、フェルスタはドキリとする。

 かわいい。こんなアンバーを見続けるのは、やはり良くないように思う。


「その、昨夜もあまり寝ていないので、いびきがうるさいかも、しれませんが」


 最近、起こしにくる執事にたまに指摘されるのだ。いびきをしていたと。そして、喉に優しいお茶を渡される。


「いびき…。それなら、慣れてます」


 言ってしまって、アンバーはまた失言をしたことに気がつく。

 前世の夫のいびきがうるさかったことを思い出してしまったが、伯爵令嬢がいびきの音に慣れているなどあるわけがない。


「えーっと、音! 多少音がしても寝られるので、大丈夫です」

「本当に、ちゃんと寝られますか?」


「大丈夫です。…昔から、慣れてますから」


 まず心配してくれるフェルスタに、胸が痛む。

 その痛みだって、なんでなのかわからないからアンバーは覗き込むフェルスタから視線を反らせた。


 わかるのは、前世で見合い結婚した夫にはこんな気持ちになったことはないこと。

 彼とはこうやって面と向かって話すことがどれくらいあっただろうか。


 ずいぶん話し込んでしまった疲れからか、フェルスタがあっさりベッドに入る。


 それに少しホッとして、そっと入ったアンバーが取った距離は、相変わらず伸ばした腕一本分。


「アンバー嬢、明日は朝から第二王太子妃の離宮へ?」

「いえ、第三王太子妃様にご挨拶だけしようと思ってます」


「わかりました。護衛を一名、手配しておきます」

「ありがとうございます。ブラル閣下は、朝お早いんですね」


「習慣ですね。今は騎士団にいる兄に、毎朝、叩き起こされてたんで」


 他愛のない会話が続いて、フェルスタのあくびが増えて呂律がおかしくなる。やがて、宣言通りに小さないびきが始まった。


 その様子を見つめて、アンバーはそっと囁く。


「フェルスタ様、私、考えます。真剣に」


 だから、待っていてほしい。


 今生では結婚なんて考える気にもならなかった。それが働きたいというだけの理由なのか。フェルスタに感じるこの思いが何なのか。


 目をつぶると、前世の夫の背中を思い出す。あまりにも見慣れてしまった背中。

 こうして生まれ変わったのだから、また背中だけ見つめる人生は嫌だ。


 今度こそ、きっと――。


 願いながら、眠りの中に溶けていった。


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